第55話 オーディンの罠
諸事情あって更新が二日も遅れてしまい、まことに申し訳ありませんでした。
今後も都合により遅れることが増えてしまうかも知れませんので、何卒ご容赦とご了承をお願いいたします。
「お前は……?」
竜騎兵たちの戦闘が遠くで聞こえる中、発されたのはユークリッド王子の声だった。顔も知らぬ人間を見て、訝しむように眉を潜めている。
「知らないのも無理はないだろうな。……それとも、こうしたほうがいいかな?」
玉座に座る男がひらりと手を振ると、その豪奢な鎧姿の美丈夫は、一瞬で冴えない貴族のそれに変わった。その姿を見て、王子は驚きもそこそこに男を睨みつける。
「……やはり貴様だったか、宰相。父と母はどうした!」
「くくっ、心配せずとも二人同じ場所に行ってもらったよ。オレの計画には、あいつらは邪魔なもんでね」
そのまま可笑しそうに笑う男めがけて、王子は一直線に飛び出した。その手に握っていた護身用の剣を携えて、憤怒の形相で。
「おっと、オレの目的はお前じゃないんでな」
もとの鎧姿に戻った男は、銀色の髪を揺らしたかと思うとパチン、と指を鳴らす。すると平面だった謁見の間の床を割って、岩石が突き出した。王子も慌てて後退するが、岩は意思を持っているかのごとく王子めがけて殺到する。
「こっちが終わるまでお待ちいただこうか」
そのまま引き連れた兵士とともに部屋の角へ後退したところで、王子たちを取り囲むように岩の壁が出現。天上近くまで伸び上がり、すっぽりと覆い隠されてしまった。王子たちのざわめきが聞こえることから無事なことを確認した俺は、玉座の男を睨みつけようとして、背後で発生した爆音に振り向く。
爆音の正体は、扉が破壊された音だった。ばらばらと音を立てて崩壊する扉を飛び越えて、二人の男女が謁見の間に踏み入る。
「よう、久しぶりだなアホーディン。懐かしくて反吐が出るね」
そこにいたのは、ザクロとレヴァンテだった。扉を破壊したのはレヴァンテのほうらしく、彼女の肩に担がれた大剣がメラメラと燃えている。その本人の顔は、軽蔑しているような、そんな表情を浮かべていた。
対してザクロのほうは、アホーディンと呼ばれた男を視界に入れるや否や、目を見開いてわなないている。ついで絞り出されたのは、レヴァンテの軽い物言いとは違う、烈火のごとく燃え盛る怒りだった。
「貴様……オーディン、何故ここに!」
その言葉を受けて、アホーディン改めオーディンはしばし呆気にとられたあと、くくっと低く笑った。
「あー、誰かと思ったら元ニセ首領か。お前の妹、元気にしてるかい?」
いたわるような言葉だが、その声色はあざ笑うための言葉だということを雄弁に物語っている。ザクロはしばし鬼のような形相をしていたが、やがて今切りかかるのは得策ではないと判断したらしく、体勢を整えるだけに留まった。もっとも、その顔はいまだ怒りに彩られているが。
しかし、親しそうなレヴァンテはともかく、どうしてザクロのことを知っているような口を聞けるのだろう。疑問に思い、俺はオーディンに問う。
「オーディンだったな。ガーディス帝国の宰相だったあんたが、どうしてザクロやレヴァンテのことを知っているんだ」
宰相といえば、国の中でも特に偉い地位だ。そんなところにつくには時間も信頼も必要なので、必然的に表立って動くことはできないはず。なら何故――という俺に回答したのは、他ならぬ本人の言葉だった。
「なに、上の連中をたぶらかして体の良い言葉をささやきかけてやれば、宰相なんて簡単なもんよ……そこの男は、俺の元部下さ。いまじゃ変な正義感に目覚めて、こうしていっちょまえに俺に楯突いてきているんだが」
つまりオーディンは、ありていに言えば国の重鎮を洗脳したということだ。そしてザクロの元部下ということは、つまり元は「ブリガンド」の首領。なるほど、ザクロが怒り浸透になるのも頷ける。
「……そんなどうでもいい建前ほざいてないで、さっさとここにいる目的でも吐けばどうだ、オーディン」
一人得心していると、今度はレヴァンテがドスの効いた声でそう言った。そうだ、思えばオーディンはどうしてこのガーディス帝国にいるのだろうか?
「…………っくく、知りたいか。俺がここにいるのはな、ここを我らが主の前線基地とするためさ。ここを拠点として、全世界を屍の戦士を使い、破壊する。それが主の目的だ」
肩を震わせて笑いながら、とうてい信じられないことをオーディンは言う。だが、俺としてはそれよりも、彼の言葉の一部が引っかかってしょうがなかった。
「屍の戦士……まさか、カダーヴェルか!?」
「その通りさ。我らが主の邪魔だてをするものは、皆奴らに飲まれて果てる。……神龍の騎士。貴様もそうなる手はずだったのだがな」
そうつぶやいたオーディンは、ちっと小さく舌打ちを挟むと、続く言葉を一息に吐き出す。
「邪魔な大精霊どもの助けさえなければ、今頃お前も屍だったというのに。本当に、厄介な連中だ」
吐き捨てるような言葉。だが、俺としては先ほど同様、別の単語が引っかかった。
「大精霊が……?」
「そうだ、大精霊さ。傍観していれば良いものを、わざわざ人の姿を持って人間に加勢するなど……愚かの極みだ」
人の姿を持って、という言葉で、俺は真っ先に不思議な旅人たちのことを思い出す。新緑色の髪と瞳を持った、フウという名の女性。赤銅色の髪と紅蓮の瞳が特徴的だった、グレンという名の男性。黄色のメッシュがよく目に焼き付いていた、ダイチという名の男性。
彼らはいずれも、カダーヴェルとの戦いの際に加勢してくれていた。それとオーディンの言葉を照らし合わせると――まさか、本当にそうなのだろうか?
「過ぎたことを夢想してもしようが無い。それよりも、オレは出来栄えを確認したくてね……中々に良い仕上がりじゃないか」
俺が考えに耽っていると、不意にオーディンの口から妙な言葉が飛び出してきた。なんのことだ、と俺が聞くそのまえに――
言葉一つ漏らさずに、サラが前に進み出た。突然すぎて理解が追いつかず、フリーズしてしまう俺たちを尻目に、サラはオーディンの眼前で静止する。
「……今しがた、あなたの顔を見たときに色々と思い出させてもらったわ。わたしが貴方に改造された存在だってことも、勇者の力の一部を埋め込まれたことも」
いきなり何を言い出すんだ、とツッコミたかったが、とうの本人は至って真面目な顔だ。そしてそれを見たオーディンも、知っているようなそぶりで口元を歪める。
「くはは、そうだ。……お前はオレが作り上げた、勇者の力を模した改造人間さ。そこにいる、忌わしい大精霊の刺客を叩きのめすためのな」
その言葉と同時に、サラがこちらを向いた。彼女の空色の瞳に、普段の穏やかな輝きはない。
嘘だろう?
胸中で問いかけるが、しかしサラは反応ひとつ示さず。
かわりに向けられたのは、引き絞られた弓から放たれた、神速の矢だった。




