第52話 閉じた国
「……というわけで、現在国内は立ち入り禁止になっている。旅の者、すまないがお引き取り願いたい」
風鳴きの森に立ち寄るべく、一路俺たちはガーディス帝国を目指して旅立った。トキョウから陸路を経由し、そこから北にあった港町から出港。海路を使って風鳴きの森とガーディス帝国がある「サラメイト大陸」に上陸した俺たちは、そちら側の港町から再度陸路を経由し、帝国に入国するために旅をしていた。
そして現在、ガーディス帝国に通じる門の前で、俺たちは不幸なことに門前払いを食らってしまっていた。異世界に来て国を訪ねたら門前払い食らいました、って感じか……すこし笑えない。
ちなみに断られた理由は、国内の情勢が少し不安定であり、冒険者や商人などに厄介ごとを持ち込んで欲しく無いからというものらしい。いくら不安定だからって商人なんかを締め出すのはどうかと思ったが、俺に政治のことはわからないので口を挟むのはやめておいた。
「しかし、タイミング悪いよなぁ」
茜色の空の端が暗くなりはじめたころ。ゴネてもしょうがないので、俺たちは場所を変えて野営の準備をしていた。イーリスブレイドの力でまきの用意をしながら――最近イーリスブレイドの使い道がロクなものじゃない気がするけど、便利なんだからしょうがない――ぼやいていると、不意にどことなく沈んだ表情のサラが視界に入った。何かあったのだろうか、と考える前に、同じく気づいたらしいカノンが声をかける。
「サラさん、何かあったんですか?」
小首を傾げて問いかけた直後、とうの本人は片膝を抱え、もう片方の足を投げ出すという楽そうな体勢――実際に試してみたらそうでもなかったことが後で判明するが――で、小さくため息をついた。
「何かきっかけでも掴めたのか?」と、横からゴーシュが声をかけてきた。そしてその言葉に、サラが返事を口にする。
「……あの衛兵の鎧をどこかでみたことある気がするのよ。どこで、まではわからないけど……もしかしたら、わたしはあの国に関係があるのかしら?」
一連の話の内容はわかるのだが、主語がないため何について話しているのかさっぱりわからない。カノンと揃って二人で眉をひそめていると、気づいたゴーシュが一瞬呆けた顔をして、ついで苦笑した。
「……そういや、長いこと一緒なのにはなしてなかったな。サラ、別に構わんだろ?」
ゴーシュの言葉に、サラはコクと小さく頷く。それを確認したゴーシュが、ひとつ深呼吸をしたあと、一息に言葉を吐き出した。
「サラはな、俺と出会う以前の記憶がないんだよ。何があったのかはわからんが、とにかく記憶がすっぽり抜け落ちてる、ってことだけは確実らしい」
その言葉は、俺たちに意外な衝撃をもたらした。あれほど弓の扱いに長け、薬学にも詳しい彼女が、まさか記憶喪失だとは。
「……大丈夫、なのか?」
思わずこぼれた俺の心配する声に、しかしサラは微笑みながら頷いた。
「ええ、全く問題ないわ。むしろ、最近は気にならなくなってたところだったもの」
その笑顔に、強がったり不安そうな色は見られない。つまり、それがサラの本音なのだろう。
「……ったく、ゴーシュ。そういうことはちゃんと伝えてくれよな。俺らにも力になれることがあるかもしれないだろ?」
ひとまず安心した俺は、次いで呆れ調子でゴーシュに文句を浴びせてやる。言われた本人は、頭をかきながら苦笑していた。
「いやぁ、いつも言おうとは思ってたんだけど、中々切り出しにくくてな。……まぁ、変な空気にならなくてなによりだ」
こいつは何故切り出したら変な空気になると思ったんだろうか。時たま変なところで自重するゴーシュを笑いながら小突き、さて焚き火の準備でもしようかと思った、その時だった。
不意に、草むらが揺れる音。そして音の出処から、黒い影が飛び出してきた。その手らしき場所に握られているのは、沈みかけた夕陽を浴びて鋭く輝く刃。
とっさに反応したのはゴーシュだった。鋼鉄製のガントレットを突き出し、迫る凶刃を受け止めたのである。だが、迫ってきていたのはその人影のみではなかった。
今度はカノンの背後から、風の魔力素子で構成された衝撃波が飛来する。輝くその奔流を見つけた俺は、剣を抜くこともせずに拳を突き出し、直接衝撃波を撃ち出した。
赤い魔力素子で出来たロケットパンチもどきと、緑の魔力素子で出来た衝撃波。その勝負は、相性で勝る俺の攻撃が勝利した。快音を響かせて霧散する互いの衝撃波をみながら、しかし俺はすぐに次に移る。草むらの中から、炎で形作られたヘビが襲いかかって来たからだ。それも一匹二匹ではなく、一度に二桁は行きそうなほどの数を伴って。
イーリスブレイドは間に合うか!と考えつつ、展開したそれに水の宝珠をセットして――というところまで行って、しかし俺の行動は結局無駄に終わった。
「ウォトム・ワズル=ハドマス!」
凛とした声で紡がれた魔法言語が、小さな水球を作り出す。それは見る間に膨張し、シャボン玉が弾けるようにパチンと割れた――と同時に、小さな津波になって俺たちごと炎のヘビに襲いかかった。
「うぉ、ちょっ!」と妙な声をあげつつも、俺はイーリスブレイドを振る。するとセットされたままだった水の宝珠が輝き、無数の青い糸を展開。俺を中心にドーム状に展開し、水流から仲間を守るシェルターを作り出した――と同時に、一泊遅れて迫って来た津波が、ドームの外をどうどうと流れて行く。その行き先にいたヘビたちは、纏めて水に飲まれて消滅して行った。展開が間に合ったのは僥倖だろう……なんか久しぶりに僥倖って使うなぁ。
「……おいタクト。こいつら、どうも敵じゃないらしいぞ」
そんな折、俺にそう言ったのはゴーシュだった。どういうことだと問いかけようとした時、不意にドーム内にいた人物――恐らく先ほど、ゴーシュが迎撃した相手だ――が目に留まった。
金色の硬質な輝きを持つ髪と、青空のように透き通った強い意思を持つ瞳。全身を覆う軽鎧の上から羽織られたボロボロのマントに、大剣のような魔装といでたちは変わっていたが、その精悍な顔つきと強気な瞳は、かつてハティーマ大陸の港町であるハーメルンで出会ったその時と、なんら変わっていなかった。
「――アイザック、さん?」
そう、そこにいたのは、かつてひと時の間旅路を共にした青年「アイザック・シュヴァルツ」その人だった。肩に魔装らしき大剣を担ぎながら、彼は強気な笑みを浮かべてこちらに会釈する。
「誰が来たかと思ったら、まさかタクトたちだったとはな。おーいお前ら、出て来ても大丈夫だぜ。こいつらは敵じゃない」
アイザックの呼びかけに、水の引いた森から姿を表したのは、ガーディス帝国の紋章が入った鎧を着込んだ人間たちだった。その最後尾には、アイザックの仲間であるフィーア、そしてエレンの姿も見える。さらに、その後ろからは予想だにしない人間の姿も。
片方は、少女を連れた男だった。細身の体躯に黒い髪と、腰に下げた刀型の魔装がよく映える。
もう片方は、巨大な大剣を背負った女だった。燃えるように赤い髪と瞳は、俺を見つけてすぅと細められる。まるで、出会ったことを面白がるかのように。
――そうだ。俺は、いや俺たちは、その二人を知っている。
「……なるほど。まさかお前たちだったとはな」
「なんだ、ここにいる奴は皆してアイツを知ってるのか。なかなか因果な縁って奴だねぇ」
小さな部隊の殿を務めていたのは、かつて俺が戦った相手たち。
「……ザクロ、それにレヴァンテ。どうして、あんたたちがここに?」
問われた二人――ザクロとレヴァンテは片方ずつ答えを口にした。
「……私は傭兵活動の一環でだ。心配せずとも、もう盗賊からは足を洗ったよ」
「アタシは物見遊山さね。面白そうなこと考えている奴らがいたから、ついつい釣られちまった」
それぞれがそれぞれ、俺にとっては驚きの言葉を放つ。そしてそのあとに、ザクロが一歩進み出て来た。
「……例を言う、タクト。お前と戦って、ようやく吹っ切ることができた。こうして、妹も助けることができた」
そう言ってザクロは、自身の影に隠れている黒い髪の少女をみやる。頭をなでられている少女は、気持ちよさげに目を細めていた。
……え?っていうか、ザクロに妹とかいたのか?というか、何が俺のおかげなんだ?
という疑問符いっぱいの俺の言葉は出なかった。感謝されているんだから、それにどうこう口出しするのは野暮というものである。
一人強引に納得していると、不意に少女がこちらに顔を見せ、口を開いた。瞳の色は、新緑を思わせる翠。
「……ぁ、カプロニアです。兄が、ありがとうございました」
カプロニア、と名乗った少女は、若干おぼつかない口調で俺に礼を述べた。そのたどたどしさがなんだかむず痒くなって、思わずザクロに助けの目線を寄越す。
「気にしなくていいそうだ、ロニア。だからおいで」
ザクロの声音がやたら優しげだ。それとも、あれがあいつの素だというのだろうか?あの凛々しい若武者の顔は、現在進行形で緩みきっていた。
シスコン認定しておいたザクロは放置して、俺はもう一人のかつての敵である、レヴァンテに問いかける。
「それで、レヴァンテはどうしてここに?」
「言ったろ?ただの物見遊山だ。……まぁ、用事もあるんで、今は王子サマに肩入れしてるんだけどね」
王子様?と俺が首を傾げるのと、「何があった?」という青年の声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。レヴァンテが面白がるような顔で「王子のお出ましだ」と俺に口添えする。
数秒で兵士たちの人垣が割れ、その中央を青年が歩いて来た。そのいでたちは、確かに王子と呼ぶにふさわしいものだ。
「よぅ王子様。こいつらも戦力に入れたらどうだ?多分、事情を知ったら協力してくれるはずだぜ」
アイザックがそう告げると、王子様と呼ばれた青年はふむと少し考えるそぶりを見せる。やがて決意したのか、真剣な眼差しでこちらを見つめて来た。
「わたしの名はユークリッド・ラ・ガーディス。……旅の方々、失礼を承知でお願いしたい。我らレジスタンスに、協力して貰いたいのだ」
新たな出会いと再開は、また波乱を呼ぶらしい。




