第50話 強襲、ワイバーン
轟音を引き連れて、天高くから巨大な光の弾丸が飛来する。
森の中から矢を射て、ドラウスとクレアを守るため動く兵士たちよりもさらに手前、森から離れた平原に立ち、イーリスブレイドを展開。水の宝珠を使って光の弾丸――巨大な火の玉めがけ、何度目とも知れない水の幕を繰り出し、それを相殺した。
爆発の衝撃波を全身で浴びながら、追撃にかかるため風の宝珠の力を引き出す。その最中に俺は、頭の片隅でこの戦いの発端を思い返していた。
***
「この平原を越えれば、トキョウはもうすぐですわ。あと少し、お願い致しますね」
昨日、森の中の関所を抜けて、無事に森を抜け出した俺たちは、島とは思えないほど広大な草原の入り口で、クレアからそう説明された。他の兵士たちからは安堵の息が漏れていることから、そう危険な場所でないことは充分伝わる。
何よりクレアが、王家のための頑丈な馬車ではなく、回復した兵士の代わりに荷物を乗せて進むルゥの馬車、その御者台に座る俺の隣に腰掛けていたことが、何よりの証明だった。
周囲からなんだか微笑ましそうな目で見られているが、念のために「向こうに乗っとかなくて大丈夫なのか」と聞いたが、
「心配には及びませんわ、タクト様。このサガミ草原は見晴らしもよいので、それが不利となる魔物が出ることもほとんどないそうなんです。それに、もしものとき一番頼れそうな方の横に居ておけば、安心かなと思いまして」
そういうものなのだろうか?と内心で疑問を持ちつつも、とりあえずは納得してルゥに進めの合図を送った。
状況が変わったのは、それから時間も過ぎて、日も傾いてきた頃だった。
一時間に一回くらいのペースで茶化してくるゴーシュをあしらいつつ、せがまれるままクレアに旅の話を聞かせているその時。不意に遠くから、何かが爆発するかのような、鋭い音が響いてきたのだ。
なにごとかと顔を見合わせる俺たちを尻目に、状況は一瞬のうちに動き出す。
「……ち、最悪だな。護衛隊は王と王女を連れて森へ退避!ワイバーンが来るぞ!!」
ワイバーン。その言葉を聞いた兵士たちが、悲鳴じみた声をあげながら動き始めた。同時に、遥か遠くの空から、ゆっくりと小さな影が迫ってくる。
――いや、小さな影というのは、ただ遠くにいたからというだけだ。近づくに連れてそのシルエットははっきりと捉えることができるようになり、同時にそれが、俺たちの小さな隊列を覆うほど大きな体躯を持つ飛龍――ワイバーンのものだと、克明に知らせてきた。
深い緑色の鱗と、それに相反する赤い瞳。前足は飛ぶための翼として発達し、比較的細身な後ろ足と、そのさらに後ろへと伸びるのは、太く、それでいてしなやかな尾。まさしく、ファンタジー小説にでてくるワイバーンそのものだった。
龍に会えたという喜びと、このまま死ぬんじゃないかという恐怖が同時に押し寄せてきて、一瞬のうちに頭はこんがらがってしまう。
「馬車は捨てていけ!あんたたちも、馬は後で補填してやる!」
一人の兵士らしき人に声をかけられて、俺はようやく我に帰った。同時に、急展開に呆然としているクレアを見て、御者台から身体を下ろす。降りた先にあるのは、馬車を引いてくれていたルゥの背中。
「クレア、来い!」
俺の呼びかけに、ようやくクレアも我に帰ったらしい。伸ばした俺の手を掴み取ったのを確認して、ルゥの上へと下ろしてやる。
続けてルゥと馬車を固定していた柱とロープを腰から引き抜いた剣で手早く切り離す。自由になったルゥに森へ退却するよう命令し、俺たちは転進した。
二人くらいならば、ルゥは上に乗せていても軽く走ることができるというのは、前回ノルンと刃を交えた時に証明されている。それでも無茶だけはするなと伝えて、俺は背後からぐんぐんと迫り来るワイバーンを、ちらりと見やった。
ワイバーンは変わらずこちらを追走しているが、さすがというべきか、その距離は少しずつ縮まってきている。そしてその口には、赤い魔力素子の燐光が輝いていて――。
「ルゥ、左に曲がれ!」
俺が指示を出してルゥがカーブを始めるのと、ワイバーンの口から真紅の火球が吐き出されたのは、ほぼ同じタイミングだった。
一瞬の刹那、俺たちが本来走っているはずだった進路の先に、火球が着弾する。と同時に、魔力素子がぐいと集束したかと思ったら、次の瞬間には盛大に爆ぜていた。余波で発生した暴風を横殴りに食らいながら、火球を食らえばまず命が無いことを嫌という程実感する。
しかもその火球の第二射は、すでに準備されていた。今度は俺たちを確実に仕留めようと、鋭い視線を俺たちに向ける。
回避は間に合いそうもない――とすぐに悟った俺は、クレアに聞こえないくらいの音量で舌打ちを挟みながら、小さく呟く。
そして火球が放たれると同時に、俺の手には刃なき大剣――イーリスブレイドが収まっていた。すぐに水の宝珠をセットして、迫る火球に向けてその切っ先を突き出すと、生み出された刀身が本体から離れ、俺たちを包むように半球の形をした厚い水の膜に変わる。
そしてその直後、その水膜に火球が直撃した。周囲を巻き込んで爆ぜるはずのそれは、しかし水の膜に威力を、その特性を殺され、膜の外で炸裂しただけに終わった。
内心安堵して、俺たちを乗せたルゥは森に突っ込む。ほどなくして、すぐに退避した他の人たちを発見した。
「無事か、タクト!」と真っ先に声をかけてくるゴーシュに小さく会釈して、俺はルゥから飛び降りる。
「ゴーシュ、王女とルゥを頼む。俺があいつの攻撃を食い止めるから、その間に反撃か、撤退かしておいてくれ」
言うが先か、森の外へと走り出す俺に、「任せとけ」の声が聞こえて――そして、冒頭にいたる。
***
「らあぁぁっ!!」
裂帛の気合いと共に、俺は風の宝珠に切り替えたイーリスブレイドを横薙ぎに振り抜いた。生み出された衝撃波は、天高くを飛ぶワイバーンめがけて飛翔する。
先ほどから矢が――クロスボウが森の中から放たれているが、高高度をを飛ぶワイバーンにはただの一本をあたりはしていない。せいぜい、けん制がいいところだろう。
だからこその衝撃波なのだが、正直、高い機動力を持つワイバーンにどれほどの効果があるのかと問われると返答には困る。クロスボウがけん制なら、俺の衝撃波は気休めと言ったところか。
軽々回避して再び火球を吐くワイバーンを見ながら、俺は何度目と知れない舌打ちを挟んだ。
何度も繰り出してはいるが、ダメージを与えるどころかヒットすら一度もしていない。いくら威力が高くとも、当たらなければ意味は無いのである。
今日一番の大きな舌打ちをして、火球を防ぐためにイーリスブレイドへと視線を落とした、その時だった。
新しくはめ込まれていた闇の宝珠が、ちか、ちかと、黒に近い紫の光を放って明滅していたのだ。これは、使えというサイン――!
何度目かわからない火球の直撃を水の膜で相殺した直後、俺は迷うこたなくそれを実行していた。
水の膜を消滅させたイーリスブレイドの本体から、新たに黒曜石の如き光沢と質感を持つ、漆黒の刀身がすらりと伸びる。
だが、ただ刀身を出現させただけでは意味が無い。このイーリスブレイドは、持ち主の想像を使ってさまざまな形に変わるのだ。
考えろ。黒い刃、黒い刃――。
――黒?
「そうか!」
瞬間、電撃的に思いついた。同時にイーリスブレイドを腰だめに構えて、再び横一文字に切り裂くための体勢を取る。
「いけえぇぇっ!!」
相手に気取る暇は与えない。すぐさま振り抜いて、横に大きな衝撃波を繰り出した。
ワイバーンは、俺が先ほどまでと同じ行動を取ったと思っているはずだ。だがこの黒い衝撃波は、攻撃が目的ではない。
余裕綽々に回避行動を取ろうとしたワイバーンの眼前で、衝撃波は突然炸裂。不発にも見えるそれは、炸裂と同時に真っ黒い霧と化して、たちまちワイバーンの視界をふさぎ込んだ。
黒、それはすなわちすべての色を塗りつぶす色だ。ならば、相手の視界を黒で埋めてしまえば、そいつは目を潰されたも同然なのである。つまり――単純明快な、目くらまし。
これで、ワイバーンは次の攻撃がどこからくるのかわからない。このまま一気に衝撃波で決めようとした、その時だった。
突如、ゴゥ!と鳴り響く風の音。暴風の余波が地上にまで届き、周囲一帯の草花や木々をざわめかせる。
「ぐ……っ、なんだと?!」
風が止んですぐに顔をあげた俺の目には、にわかに信じられない光景が映っていた。
先ほどまで火を吐くだけだったワイバーンの周囲を、緑色の魔力素子が――風の魔力が覆っている。そして驚くのは、その風のひと薙ぎによって、展開された黒い霧が、全て吹き飛ばされてしまっていたことだった。
まさか、隠し球があるなんて!という俺の心の叫びなどいざ知らず、ワイバーンは再び火球を放った。慌てて水の膜を張って防御しつつ、どうしたものかと再度策を巡らせようとした、その時だった。
「タクト様、わたくしの話をよくきいてください」
突然すぐ近くから、少女の――クレアの声が聞こえたのだ。ぎょっとして振り向くと、幾人かの兵士たちがクロスボウを撃っている傍らで、クレアが毅然とした表情で立っているのが見える。
どうしてここに、と言おうとしたところで、今現在立っている場所が森の入り口だということに気づいた。森から離れて戦っていたつもりだったが、気づかないうちに後退してしまっていたらしい。
とにかく、下がってしまったものはしょうがない。見たところ、クレアにはなんらかの打開策があるようだが――。
「……タクト様、わたくしにはワイバーンと戦うことはできません。ですが、情報を伝えることはできます」
そう俺に告げたクレアは、すぅと一つ深呼吸をしてから、一気に言い切る。
「文献や冒険者の方によると、ワイバーンは近づかれることを恐れるそうです。なので、どうにかして肉薄できれば、後はこちらのものなのだだ思います」
近づく……つまり人である俺に空を飛べと言うことなのだろう。
無茶言うな、と苦笑しつつも、俺の頭はどうにかできないかとフル回転していた。
目くらましはダメ、衝撃波もダメ、俺が飛ぶなんてもってのほか。
さすがにイーリスブレイドだけではどうにも――というところに差し掛かったところで、ふと俺の目線はイーリスブレイドへと落ちた。理由は単純――本体にはめ込まれていた5つの宝珠すべてが、さながら虹の如く、まばゆく輝いていたからだ。さらに、続けざまに俺の頭の中で、猛烈な勢いで勝利するための手順が網羅されていく。
もしや、これは大精霊たちの導きなんじゃないだろうか。そう思いつつ宝珠を見やると、胸中の問いに答えるかのように、宝珠たちがまたたいた気がした。
勝利への道は見えた。後は、俺が実行するだけ!
「……行ってくる!」
力強い宣言と共に、俺は矢の如く飛び出した。同時に真っ黒い刀身を生成し、今度は三発を立て続けにワイバーンへと撃ち込む。
連続して黒い霧が炸裂するが、今回のそれはいわゆるフェイントだ。本当の目的は、俺の行動を見られないようにするため。
とはいえ、先ほどの風の膜を鑑みるに、そう長い時間はもたないはずだ。つまり、ミスは許されない。
今までとは少し違う緊迫感。だが今は、少し心地いい。そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は宝珠を水に切り替えて刀身を生成。勢いよく、地面めがけて突き立てる。
直後、生まれた地面の割れ目から、まるでそこに間欠泉でもあったかのように水が放出。直上にいた俺を、天高くへと吹き飛ばした。
飛べないなら跳べばいい。無茶苦茶だと自分でも思うが、これが最も確実な肉薄方法なのだ。風の宝珠を使ってもよかったのだが、加速力と言う点では水に劣っていたため今回は不採用である。
風を纏って霧を吹き飛ばしたワイバーンだったが、いつの間にか自分の目線と同じ位置にいる人間に、ひどく驚いたらしい。少々ひるんだ体勢のまま、某然とこちらを眺めている――チャンスだ。
だが、相手はまだ風を纏っている。そこで使うのは、相性で勝る炎の宝珠だ。
ワイバーンへと自由落下する体勢に入りつつ、イーリスブレイドに炎の宝珠をセット。燃え盛る紅蓮の刀身を生み出し、不可視の風の壁めがけて切っ先を突き立てる。
互いに激突したところで、イーリスブレイドがひときわ強く発光。収束する風の魔力素子を散らし、食い破り、不可視の壁を突き破り、その勢いのまま、切っ先はワイバーンの眉間へとまっすぐ突き刺さった。
途端、鼓膜が潰れかねないほどの、大音量の咆哮が響き渡る。それは紛れもなく、痛みに震えるワイバーンの叫びだった。
そのままぐらりと揺らぐワイバーンから、刀身を消滅させたイーリスブレイドを引き抜き、素早く離脱する。このまま一緒に落ちるか、イーリスブレイドを刺したまま手放してしまえば、まとめてお陀仏なのは火を見るよりも明らかだ。なので、これで撃破できたかは関係なく、ここで離脱する方が安全なのである。
見る間に近づく地面を見据えつつ、今度は風の宝珠をセット。着地の寸前で下向きに風を発生させ、衝撃をゼロにしてから、改めて着地した。
立ち上がり、目の前をみると、重力の関係で先に落下し、甚大なダメージを被ったワイバーンが、忌々しげにこちらを見つめている。
ここで放置すれば、いつまた襲いかかって来るかわからない。そう考えて、俺はあらかじめ計画していたとおり、とどめを刺すために動き出す。
イーリスブレイドにセットされたのは、大地の宝珠。生成されたこがね色の刃、その切っ先を地面へと向けて、音なく持ち上げる。
地面へと突き立てられるまでに、ほんの数瞬の空白。だがその直後、ワイバーンの背中からは、巨大な岩の槍が、天へ向かって伸びる。
イーリスブレイドを通じ、大地から突き上げられた巨大な岩の槍によって、ワイバーンは討伐されたのだった。




