第45話 洋上の防衛戦
釣り大会を終えて夜を明かした俺たちは、オリエンスへと赴くために船へと乗り込んだ。
船での移動は二回目だということもあり、特に目新しいものはない。強いて言えば、前の船より食事が美味しいということと、以前よりも揺れがあるということくらいか。それ以外には、特に気になるようなことはない。
特に警戒することもないという船長のお達しがあったので、現在俺は船の甲板に出て潮風を全身に浴びているところである。現代では内陸の町に住んでいたため、この心地いい塩辛さが新鮮だった。
ふと下を見ると、何を目的にしているのか小魚の群れが並んで泳いでいる。中にはトビウオのような種類もいるらしく、ぱしゃぱしゃと水音を立てながら海面へと飛び跳ねていた。
なんとも平和な光景だ。これが魔王によって滅ぼされる世界だなんて、想像もつかない。まぁそれでも、カダーヴェルやノルン、ロキなどの脅威にさらされているのは事実だが。
一人海を見てもの思いに耽っていると、不意に後ろから木板を踏む音が近づいてくるのが聞こえてきた。仲間の誰かだと思い振り向いたが、俺の予想は実にあっさりと裏切られる。
「こんにちは。またお会いしましたね」
「君は……昨日の」
そう、昨日の釣り大会でとなりに座っていた、ローブの少女だった。フードに隠れて目元は見えないが、相変わらずその口は楽しそうに笑っている。
どうやら俺のとなりが目的だったらしく、迷いのない歩みで俺のとなりにくると、手すりへもたれかかった。特に話しかけてくるそぶりもないので、俺も体勢を直してまた潮風にあたる。
しばらくあと、先に口を開いたのは俺だった。
「……ねぇ、俺と君って、昨日以外に何処かで会ったっけ?」
その問いかけに、おとがいに指を当ててしばらく思案したあと、少女が答える。「……そう、ですね。会ったことがあります。最も、貴方は覚えてないのでしょうが」
その答えは、俺に確かな衝撃をもたらした。
彼女が言うとおり、俺は昨日以前に少女と出会ったことはない。厳密にいえば、こんな格好の人間と出会ったことがないというだけだが。
顔をみればわかるかもしれない。そう考えてフードを外すように頼もうとした、その時だった。
かなり近いところで、水が弾ける音が聞こえる。それと同時に、俺の目の前で――
「…………はぁ?」
船の全長すら軽く超えそうな、巨大な「触手」が、海面から突き出した。
某神様の怒りに触れた塔のごとく真っ直ぐに天空へと伸びた、イカかタコのような触手は、不意にぐらと揺らいだかと思うと、急加速して船体に巻きついた。途方もない衝撃が船を襲い、船員の「敵襲だ」という言葉が、轟音にかき消される。
「うおわぁぁぁッ!?」
「きゃあぁぁぁッ!!」
俺の悲鳴と少女の悲鳴が、同時に周囲へと響いた。それを皮切りに、止まっていた周囲の乗客の時間も動き出す。
「く、クラーケンだぁぁぁ!!」
「逃げろ、食われるぞー!」
「船の姿勢を維持しろ!マストに近づけさせるなぁッ!!」
大小様々な悲鳴、号令を受けて、甲板にいた人間たちが例外なく動き始める。それを目にして、ようやく俺は自分が尻もちをつく格好でへたり込んでいたのを認識した。傍らには、同じくへたり込む少女。
その背後に、船へと巻きついていたそれとは別の触手が、高く伸びていた。
「――ッ!」
瞬間、俺の身体は勝手に動き出していた。大気を切り裂いて迫る触手に、彼女を潰されてなるものか、という思いが先行し、俺を導く。
結果として、触手が船に叩きつけられるその寸前で、へたり込んでいた少女を抱いて飛び退くことに成功した。ゴロゴロと甲板の上を転がって停止した俺は、無意識に安堵のため息をつく。
幸いにして、俺が抱え込む体勢で転がり込んだおかげか、少女にはめだって傷はなかったらしい。ぽかんと口を開きながら、一泊おいて感謝を口にしてくれた。
そのまま立ち上がり、少女に手を差し伸べる。俺の手に捕まって立ち上がった少女を見て、俺はわずかばかり驚いた。
「何から何まで、申し訳ありません」と腰を折る彼女の、フードに隠れていた顔があらわになっていたからだ。
プラチナブロンドの髪と、宝石のように真っ赤な瞳。顔をあげる動作につられ、ふわりと揺れる髪が、日差しを受けてわずかばかりの光沢をはなっていた。
可愛い、という感想と、綺麗だ、という感想が混じり、なんとも言えない気分になる。そのままわずかの間、少女の美貌に見入っていた俺は、今がそんなことしている場合じゃないと気づき、素早く周囲を見回す。みたところ、俺たち以外は比較的安全な壁際に寄っていた。それを見て、少女を促す。
「君は、向こうに行ってて。ここは危ない」
「え……ですが、貴方は?」
俺の格好を見て、何かしら不安に感じたのだろう。苦笑しつつ、クラーケンと呼ばれた巨大な触手群を指差して答える。
「あいつを倒してくる。だから、君は避難してて」
それだけ告げて、俺は踵を返して甲板の中央当たりへと歩く。
船内で休んでいたのであろう仲間たちは、乗員乗客に揉まれてこちらにくるのはしばらくかかりそうだ。その間――出来れば仲間に心配をかけるよりも早く、クラーケンを相手にし、撃退しなければならない。
時間にしてどれほど必要だろうか。そんなことを考えながら、俺は右手を天へとかざし、一言呟く。
「イーリスブレイド」
呟きに合わせて、掲げた手のひらで複雑な文様が展開。収束し、頼れる愛剣――イーリスブレイドへと姿を変えた。
パシッ!と音高く手に収まった精霊の大剣が、淡く黄色い光を湛えていた。見れば、はめ込まれている大地の宝珠が、自らを使えとでも言うかのように明滅している。
たしか、土属性は水属性に強いはずだ。なるほどと内心で頷き、感謝してから、俺はイーリスブレイドを構え、その先端から大太刀の刀身を――こがね色に染まった刃を生み出した。
同時に、イーリスブレイドから発される確かな殺気を感じ取ったのだろう。盛大な水しぶきをあげて、クラーケンの本体が姿を表す。
頭の部分は、タコとイカが合体したような外見だった。ヒレ付きの丸い頭、そのしたから伸びる足の数は、合計8本。どうやらタコに近いらしい。
けたたましい雄叫びをあげて、クラーケンが残る6本の足を振り上げ、俺めがけて落としてきた。流石にこれを回避してしまったら船が危ないので、ここはイーリスブレイドを用いて防御を行う。
「頼むぞ!」
掛け声に合わせて、切っ先を天へと向ける。俺の意図に反応した刀身が黄色い光の糸になって、蜘蛛の巣のように交差。クラーケンの足を受け止める、大きな防護壁に変わった。同時にクラーケンの足が殺到し、かん高い炸裂音が連続して鼓膜を揺さぶる。
だが、こちらは属性を司る大精霊から頂いた力の結晶。そうやすやすと破れるはずもなく、六本の足はすべて防護壁に受け止められた。そのまま柄を両手で持ち、クラーケンの顔面めがけて振り下ろすと、受け止められていた足ごと防護壁が移動。足ごと丸まって砲丸のような形に変わり、クラーケンに突っ込んだ。重い衝撃音が轟き、一泊遅れてクラーケンがぐらりと揺らぐ。
さすがというべきか、それだけで撃退というわけにはいかなかったようだ。海面でぐわんぐわん揺れてはいたが、直ぐに体勢を立て直し、今度は船からはがした二本を加えて、八本すべての足で攻撃を仕掛けてくる。
あまり受け止めていてばかりでは、 下手をすると船がダメージに耐えられず自壊する恐れもある。守るには、攻撃を行うしかない!
一つ息を吸い込み、一泊おいてイーリスブレイドを袈裟懸けに振り抜く。動作に合わせてぐんとその身を長くしたイーリスブレイドの切っ先が、クラーケンの足の一本を捉えた。快音と共に、足先が切り落とされ、甲板へと落ちる。
幸い甲板はかなり頑丈らしく、直径2mはあるクラーケンの足が落下しても大それた損傷はなかった。安堵しながら、次の足を切るために駆け出す。
「りゃあぁッ!」
雄叫びと共に、イーリスブレイドで迫る触手を真正面から叩き切る。こがね色の衝撃波が飛び、クラーケンの足の一本を真っ二つにしてしまった。ミストレックスの時といい、本当にこの切れ味は凄まじい。
飛来した触手を剣の腹でガード、そのまま横薙ぎに振り抜いて衝撃波を繰り出して切断する。つづけざまに、背後から俺を貫かんと殺到してきた二本の触手を防護壁でガード。壁をほどいてこがね色の糸に変え、それを操って触手二本を纏めてぶつ切りに変えてやる。
さすがにイーリスブレイドの危険性を悟ったらしいクラーケンが、本気で俺を殺さんと触手を殺到させるが、俺はそれを直感の導くままに回避する。
だが、その回避行動をとっている途中、俺の目にあるものが飛び込んできた。刹那、それだけは壊させるまいと防護壁を展開しようとしたのだが、とっさの判断虚しくクラーケンの触手が俺のすぐ脇を通り抜け、背後にあった木の柱――つまり船のマストを、根元からへし折って行った。
「「「ノオオォォォーーーッ!?」」」という、一大スペクタクルを観戦していた船の乗組員たちが上げた悲鳴を聞きながら、俺は強く舌打ちする。
船のマストといえば、船そのものを動かす重要な機関だ。それが失われた今、船を動かすことがかなわない。
難儀なことをしてくれた。少々の怒りと共にイーリスブレイドを叩きつけ、クラーケンの足二本を纏めてぶった切る。
八本あった足の六本をやられて、いよいよクラーケンは怒り浸透だ。絵にしたタコのような口を露出させ、その中で何かを渦巻かせている。あれは撃たせたらマズいと考え、こちらも必殺の体勢をとった。
「――魔剣奥義『絶剣・百花繚乱』」
一瞬の後、クラーケンが反応するその前に、イーリスブレイドが幾千の糸へと姿を変える。こがねの糸は空気を裂いてクラーケンへとまとわりつき、瞬時のうちにその巨躯をブロック状に切り裂いたのだった。
***
「いやぁ、すまないな兄ちゃん。大精霊様の魔装をこんなことに使わせちまって」
クラーケンとの戦闘を終え、一息ついた俺は、今現在船首に腰掛け、イーリスブレイドを構えながらのんびりとしていた。理由は、話せば長くなる。
「いや、だいたい俺の不手際なんで……。速度はこのくらいで問題ないですか?」
「おう、なんならもう少しあげても構わんぞ」
マストを失った船は、先述の通り戦闘後も動けない状態だった。どうしたものかと議論している船員たちを眺めている時、ふと手に持ったままのイーリスブレイドが目についたのだ。
現在、オリエンスの港へ向けて進むこの船は、発生した海流に流される形で動いている。むろん自然に発生したものではなく、イーリスブレイドにはめ込まれた新たな力「水の宝珠」によって顕現させた力で、人為的に海流を発生させているのだが。
「……しかし、こんなことをできるなんてな。さすが『神龍の騎士』の力ってところか」
船長である男性の賛辞を受け、若干こそばゆい気持ちになったが、その中に気になるキーワードを聞き取り、男性に質問してみた。
「……あの、神龍の騎士ってなんですか?」
聞いた感じだと、何かしらの称号だろう。質問された船長は、意外そうな顔をしてからにこやかに説明してくれた。
「神龍の騎士ってのはな、大精霊様の武器と加護を携えた、強い人間のことだ。英雄って呼ばれることもあるけど、基本は神龍の騎士って呼ばれるな」
神龍の騎士。英雄に、強き者に送られる称号。
「……そう言われると、なんかめっちゃ照れますね」
引きつった笑いを浮かべながら、俺は再びイーリスブレイドの制御に集中するのだった。
騎士なんて大仰な称号が、よく似合うようにならないとな。そんな思考を、頭の片隅で展開しながら。




