第34話 雨中の襲来
「冷たっ」
突然頬を打った冷たい物体の正体を確かめるべく、俺は天を仰いだ。
空は、どんよりとした雨雲におおわれている。流れから見ても、そろそろ降り出しそうなのは明らかだ。俺の声を聴いて近づいてきたゴーシュにも雨粒が当たったらしく、同じように空を見上げている。
「つめってぇ……こりゃ一雨来るな」
「ああ、予定よりも早いけど、ここで休んだほうがよさそうだ」
すでに日は落ちているらしく、周囲はすでに暗い。予定ではもう少し進んで、中腹にある小高い丘で野営を行う予定だったのだが、この分だとここで休むほうがよさそうだ。そう考えて、俺とゴーシュで野営の指示を始めた。
現在俺たちはアルネイト東の平原地帯を抜けて、ゲーテルンドに続く山道を進んでいた。
この近は比較的ゆるやかな坂が続くが、岩山ということもあってか動植物の姿はない。代わりに続いているのは、寒々とした岩肌ばかりだ。この分ならよほど不幸でもない限り、魔物の類に襲われる心配はないはずだ。
そうなると問題になるのが、こういった山々に身を潜めてこちらをうかがっている山賊の存在である。以前レブルクへと向かう際に、ザクロの誘導があったとはいえ山賊たちに襲われたことは記憶に新しい。あの時は首領を撤退させたことで事なきを得たが、すべての山賊がそうとは限らないはずだ。そう考えると、自然に警戒も強まってしまう。
「……タクト?どうしたのよ」
「ん……あぁいや、なんでもない」
仏頂面をしていたのだろう、アリアに顔を覗き込まれた俺は、思考の海から意識を引き揚げる。見ると、テントのほうはすでに完成しているのが見えた。あとは食事をとって各々就寝という形になるのだろう。先ほど寝ずの番は俺が引き受けると言ったので、そちらに関しての会議はしなくても済む。が――
「タクト君、結構降ってきたわよ。このままじゃ火が焚けそうにないわ」
サラに言われて空を見上げると、ぱらぱらと小雨が降り始めていた。すぐに本降りになるのは明白だと考えて、自炊は中止となった。
***
しとしとと雨が降り注ぐ。晴れの日ならば焚火によって造られている薄明りもなく、岩肌にあたってはじけ飛ぶ雨粒によって遠くでは霧が形成されており、お世辞にも視界はいいとは言えない状況だ。雨音によって周囲の音もかき消されているため、寝ずの番には最悪のコンディションと言っても過言ではない。そんなさなか、俺は雨除けのローブを被って周囲を警戒していた。まぁ、警戒といっても平和なものではあるのだが。
――しかし、周囲に人がいないので当然暇になる。いっそのこと襲撃でも起こってくれ、とまで考えてかぶりを振る。そんなことあっちゃ困るというのに何を考えてるんだ、という心の声が聞こえてきて、思わずため息をついてしまった。その吐息も、雨音と雨粒にかき消されてすぐに溶け消える。
相変わらず雨はよく降っていた。ローブの内側に侵入した何滴かのしずくが髪の毛を伝い、ぽたりと垂れ落ちる――そんな状況を目で追っていると、不意にテント内で明かりがついた。だれか起きたのだろうかとそちらをうかがっていると、すぐに入口が開いて中からローブを被った人影が進み出てくる。
「うわ、ひっどいわねこの雨。タクト、こんな状況でよく寝ずの番なんてできるわね?」
出てきたのは、銀色の髪をいくつかのしずくで濡らしたアリアだった。ゴーシュのものを使ったのだろう、ぶかぶかのローブの中では蒼い瞳が呆れたように細められている。
「それが寝ずの番だからな。……眠れないのか?」
俺の問いかけに対して「起きちゃったのよ」と返してきたアリアは、そのまま数歩進むと俺の隣に小さくなって腰を下ろした。特に何かを話し出すようなそぶりもないので、俺はそのまま警戒に戻る。
しばらくたったのち、退屈そうにローブの中でもそもそ動いていたアリアが口を開いた。
「ねぇ、タクトはどうして旅をしているの?」
急な問いかけだったので軽く驚きつつそちらを見やると、そこにあったのは純粋な、好奇心だけで輝く蒼い瞳だった。嘘をつくのも躊躇われたし、ここは正直に答えておきたいのだが、どこから説明すればいいのやら。
「……アリアは、この世界とは別の世界から来た人間って信じるか?」
とりあえずはその辺から聞いてみることにした。俺が異邦人だと信じてもらわないと話すことも話せない……と考えたのだが、帰ってきた返答は意外とあっさりしていた。
「ええ、信じるわよ。実際家に訪ねてきたこともあったってお父様が言ってたし。……ああ、そういうことか」
質問の内容から、俺の出自をおおよそ察したらしい。まだ14歳なのに大した洞察力だ――というのを15歳の俺が言ったら怒られるだろうか。誰にとは言わないけど。
「そういうことだ。……で、今俺は使命みたいなものを果たすために旅してるんだ」
「それが神殿めぐりってこと?」
「ああ。全貌はまだわからないけど、この世界になじみ始めた以上はやるしかないさ」
どうせ帰れるかもわからないし、帰った後でどうなるかもわからない。なら、いっそこちらに居座ってやろうか――というのが、最近の俺の思考だ。アレグリアで引き篭もっていたころはしきりに帰りたいと思っていて、それは冒険者として活動を始めた最初の頃も変わっていなかった。
でも最近は、こちらの世界もいいなと少しずつ思い始めている。というか、呼び出した王族が悪いだけでこの世界を嫌うのは筋違いだとようやく気付いた……といったほうがいいだろうか。
どちらにしろ、今の俺は確実に、着実にこの世界に馴染み始めている。むろん現実世界に未練がないわけでもないのだが、この旅が終わるころにはそれも断ち切れているだろう。自分でもそう言える自信がある。
俺の話を聞いて黙っていたアリアが、唐突に顔を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「かっこいいわね、そういうの。なんか、物語の主人公みたい」
「変なこと言わないでくれ。こんな珍道中がお話なんかになったら、確実に俺自殺するぞ」
彼女の言葉に思わず口を尖らせて、俺は別の方向を向いて座りなおす。なおもニヤニヤとこちらを攻撃してくるアリアが絶妙に精神をえぐってくるのがなんともいえない。これから一晩こんなのは嫌だ――なんて、そんなことを願ったのがいけなかったのかもしれない。
じゃり、という、何かが砂利道を踏みしめる音が、雨音に混じってかすかに俺の耳へと届いた。それと同時に、ほぼ条件反射で俺は腰を上げた。ローブを体から引きはがす準備をしながら、周囲へとまんべんなく警戒の目を向ける。音源は周囲からではなく、遠くから重なって聞こえてきていた。規則正しく聞こえてくる複数の足音は、間違いなく魔物の類ではない。野党の集団――それもかなりの数だ。
厄介なタイミングで現れてくれた。いくら足場が砂利とはいえ、雨の影響で周囲は若干滑りやすくなっている。身を隠せるような茂みもないし、こと戦闘においては明らかにこちらのほうが不利。
周囲をくまなく警戒する俺の姿を見て、アリアも何かを察したらしい。立ち上がって、ローブを脱ぎ捨てる準備をする彼女に、俺は小声で問いかけた。
「……たぶん相手は人間だ。戦えるか?」
「さぁ、対人戦は試合しかやったことないからわからない。……けど、なるようにしかならないわよ」
達観しているなぁ、こいつは。ぜひ見習いたいなと考えつつ、俺は音を立てずにゆっくりと剣を引き抜く。オーレ製の刃が鞘から完全に抜き放たれるその寸前に、突如として足音が殺到した。
「オラオラオラァァ!死にたくなきゃあ金と女を置いていきなぁァァッ!!」
いくばくもしないうちに、ひげもじゃのマッチョな山賊が俺めがけて手斧を振り下ろしてくる。今まで戦ってきた敵――レヴァンテとかノルンとかカダーヴェルとか――に比べれば、その攻撃はあまりにも遅い。臆することなく冷静に剣で受け止めて、アリアの手を引き後退すると同時に、俺は腹から声を放つ。
「敵襲だぁぁッ!!」
こうやって叫ぶのが妙に懐かしい。たしか以前山賊とたたかった時も、こうやってゼックに異常を知らせたっけ。あの時に比べると、自分の声の張りがよくなった気がするのは気のせいじゃないと思う。
どうやらテントの中の仲間たちも、外から聞こえてきた他の誰でもない声に気付いていたらしい。各々が武器を持って、雨よけのローブさえまとわずに次々と飛び出てくる。それを見て、そういえば俺もローブをつけっぱなしだったのに気が付いた。道理で動きにくいわけだと一人納得しながら、左の手でローブをひっつかんでバサァッ!とかっこよく脱ぎ捨てた。雨が冷たい、ローブが飛んでいく、メリットがない。今度からやめとこう。
「夜番お疲れ、タクト!ナイス警報だったぞ」
「サンキュ、ゴーシュ。……集団対集団の対人戦ははじめてな気がするぜ」
以前戦った山賊たちとはほとんど一騎打ちの状態だったので、こういう状況になるのは初めてだった。俺たち五人が円陣を組むと同時に、雨音を掻き消すかのように雑踏が襲来し、たちまち俺たちを取り囲んだ。命の危険がないだけ臆する敵ではないのに、若干目線が怖いのは気のせいだろうか。いや女性陣はその迫力――主に劣情を込めた目線だが――を受けてじりと後ずさっている。無理もない、俺が女の子だったらまず間違いなく同じ反応をしているだろうからなぁ。
そんなどうでもいいことを考えながら山賊たちをにらんでいると、唐突に一人の山賊――先ほど俺が攻撃を受け流したあの男だ――が笑みを浮かべて口を開いた。
「おい、ガキンチョとオッサン。悪いことは言わねえ、その女たちを置いていけば、お前らはただで見逃してやるぞ?」
やはり女性陣が目的らしい。よくもまあそんなことを平然と言えるもんだなと感心しながらも、俺はありったけの敵意を込めた目線で返事を返してやる。
「あいにくだけど、全員大事な旅の仲間なんでね。お前らみたいに小汚い悪党に渡すわけにはいかない」
威勢よく啖呵を切ったが、この数だ。全部が全部対処しきれるわけでもないらしい。まぁ、その辺は想定していたことだ。せいぜい二人三人なら女性人でも対処できるはずだ。そうかんがえて、俺は突撃してきた山賊の一人めがけて駆け出す。
「ならくたばれやぁぁぁぁ!」
「金輪際お断りだぁぁぁぁ!」
そいつの持っていた棍棒と、俺の剣がかち合った。衝撃が腕に伝わってくるが、その軽さには拍子抜けした。前に戦った連中のほうが強かった気がする。というか飛び出てきたやつは見るからにヒョロかったので、そのおかげだろうと辺りをつけて楽々吹っ飛ばした。
「さぁ次来いよ!」とあおりながら、俺は抜くのを忘れていたもう片方の剣を引き抜いて戦闘態勢に入る。その間、血が上ったらしい盗賊連中が俺に突撃をかけてきた。が、あまりにもこちらに目をやりすぎて、ほかの存在を忘れていたらしい。
「がら空きだぞ!」
瞬間、俺の背後から襲い掛かっていた数人がドミノ倒しに吹っ飛んだ。見るまでもなく、聞こえてきたゴーシュの攻撃だろう。軽く手を挙げて感謝の意を記しながら、俺は前から突っ込んでくる相手に向けて剣を振り下ろした。
「ぜいっ!!」
気合を入れて振られた鉄の刃は、わずかな風切音とともに山賊の鼻先数センチをかすめていった。「ぬおあっ!?」とのけぞった相手に柄頭の打撃を叩き込んで黙らせ、後ろから迫ってきたやつには回し蹴り――というかローリングソバットを食らわせる。対人戦になると殺生できなくなるのはやりにくいところだが、けが人が出るだけで済む分良心も傷まないというものだ。というか山賊に慈悲をくれてやるつもりはないが。
そんなことを考えながら、俺はさらに迫っていた連中に向けて光の波動を打ち込んで一斉になぎ倒す。なんだろう、某無双ゲームをやってるような感覚だ。というかこの山賊ども弱すぎやしないか?人海戦術でどうにかなるとか思ったんだろうか――と首をかしげていると、不意に前方に転回していた山賊たちが左右に分かれた。そこから、周囲とは違う雰囲気を持った男が進み出てくる。
「――――っ!?」
そして、そいつの顔は俺も見覚えがあった。忘れるはずもない。今の俺が得意とする衝撃波攻撃を俺に見せつけて、そしてその脅威を存分に俺へと知らしめてくれた、黒い髪の若武者。
「……フ、こんなところで再会するとはな」
衝撃波を操る黒髪の刀使い――ザクロが、そこに立っていた。
2014/05/22…
PV5万オーバーありがとうございます!
こんなにもたくさんの方々に見ていただき、感謝の極みにございます…
。・゜・(ノД`)・゜・。




