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騙る道化と天使の記憶

 一瞬のことで、動きすら見えなかった。

 思い切り首を掴まれ、その勢いのまま背中から転倒する。したたかに打った後頭部が痛い。


「……っ!」

「あはっ、あのヒトの寝室にいるなんて君ナニモノ? まさか侵入者?」


 ぎり、と首筋に鋭い痛みが走る。息ができない。朗らかで残酷な少年の声。のしかかられて、いる。混乱しながらも彼女は必死に目を凝らした。

 へろりと曲がった角のような先を二つ携えた色鮮やかな帽子。被っているのは少年だ。顔半分に、左眼を中心にして星形が描かれている。その双眸がうっそりと笑みを作り、彼は楽し気にアンジェリカの首を締めた。声にならない悲鳴が喉元から滲み出る。


「……っ……ぐ、あ」

「高位魔族じゃあ、ないよねぇ。なぁんかよわっちいし。おっかしいなー、そんなかるっと侵入出来るような結界じゃないんだけどなー」


 少年は馬乗りになったまま、繰り言のように零して、アンジェリカの首を掴む力を強めた。身動きが取れない。膝で腕を踏みにじられる。


 ――――ぞわり、と背筋を悪寒が走った。


 どくどくと瞬く間に心臓が駆け始める。冷や汗が滲んで、吐き気がした。気持ち悪い。圧迫される首元よりも、この、姿勢。どっと押し寄せてくる記憶に呼び起こされた恐怖と嫌悪とが混じりあって濁った感情が爆発する。

 いや。いや、いや、いや。嫌だ。この、姿勢、だけは。いや。既視感などという生温い感覚ではない。ぶるぶると全身が震えて、今、少年が何を言っているのかも理解出来ない。気持ち悪い。嫌。甦るのは、ああ、触れる、手、指、熱。かかる息。下卑た笑い声。びりびりに破かれる衣服。叫び声も塞がれた。いやだ。やめて。あたしに。

 触るな。


「……ん、あれ? 君、まさか……――――」


 彼が何か言いかけた時には、アンジェリカは凄絶な悲鳴をほとばしらせていた。





   ***




 シキがその断末魔のような悲鳴に耳をつんざかれたのは、丁度一仕事終えたばかりのところだった。ぎょっと眼を剥き、娘がいる筈の部屋の方を振り返ってしまう。数少ない配下達は驚いたように顔を見合わせている。それも聞いたことの無い声だから余計動揺しているのだろう、声の方に行った方が良いのかどうか、まごついた様子で戸惑っている。シキはため息をついた。どうやら娘に何かあったようだ。何かは不明だが。そのような考えるまでもないことを思ってから、彼らを振り返る。


「少々席を外す」


 ざわつく彼らをおいて、シキはアンジェリカがいるはずの寝室に向かった。









「っ、あ、ぁあああああああああ!!」

「えっ、ちょ、いきなりどーしたのさ!」


 アンジェリカは非ん限りの声で泣き叫んだ。めちゃくちゃに両腕を振り回す。何とか少年の下から抜け出そうと無意識にもがいた。爪を立て、頭が痛くなるほど叫ぶ。


「ちょ、ちょっとちょっと、ってあいた!」


 頭の中は真っ黒だった。ガタガタと歯が鳴り、否応なく喉が枯れるほどの声がほとばしる。獣のように彼女は暴れた。腕だけでなく足も総動員させて足掻き、めちゃくちゃに少年を攻撃する。錯乱して、荒々しく扉が開いたことにも気付かなかった。


「あんれ、ナーニャ?」

「パレル様?! 何をなさって…………アンジェリカ様!」


 ああ、ナーニャさんの声だ。頭のどこか冷たい片隅が呟いた。けれども恐怖は薄れない。身体が熱くて底冷えする。その矛盾。がんぜない子供ですらもっとまともに訴えるだろう。しかしアンジェリカは止まらなかった。止まれなかった。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。悪意の固まるのような感触。怖い。いや。


「パレル様、アンジェリカ様をお離しくださいませ!」

「え、知り合い?」

「お願い致します、早く! その方は……っ」

「…………何の騒ぎだ」


 低い声がナーニャの台詞に被さるように割って入った。闇色の双眸。その暗い眼差しが一瞬、驚愕したようにアンジェリカを捉える。

 シキ。

 混濁する視界の中、彼女はその瞳を見た。だんだんと意識が薄れていく。完全に気を失う寸前、どっとその願いが胸から溢れでる。シキ。

 シキ、シキ、シキ。

 ねぇ。

 あたしを、



「――――パレル。その娘から離れろ」


 

 殺してよ。










 喉がからからして、身体中が何だか痛かった。塩辛い味が口内に沁みる。瞼がぱりぱりして開けられない。だけどふっとその目尻に、何かとてもやわらかいものが触れた。そっと、慎重に、なだめるような。それはとても優しくて、ささくれだった自分でさえ素直に心地良いと感じるようなものだった。冷たくて、少しあたたかい。綿毛の涙のような感触。ひぐ、と喉が引きつって、酸っぱい味がこみ上げた。するとそのやわらかなものは頬に滑り、何かを掬いあげてから、ふわりふわりと髪に触れた。砂糖菓子にだってこれほど忍びやかに触れはしないだろう。ああ、これは一体何だろうか。


 そう思った時、彼女はふっと目を覚ました。


 一瞬前の夢はさざなみのように揺れて薄れていく。ぱちり、と瞬き視線を巡らせ————最初に視界に飛び込んだのは、半分を星形に塗られた顔だった。反射的に悲鳴を上げかけると、彼は慌てたように両手を振り回した。


「わーっ! 待って待って! もう何もしないから! ごめんねぇ、さっきはちょおっと勘違いしちゃっててさ」


 本当に申し分けなさそうにぱんと両手を合わせて謝られ、彼女は大人しく口をつぐんだ。まだあまり意識がはっきりしていなかったのもある。しかし本能のようなものなのか、未だ警戒は解けない。横たえられた寝台の、敷布を引き寄せてじりじりと後ずさる。少年はしゅんと肩を落とした。


「てっきりあのヒトをたぶらかしにきた淫魔か何かか、それとも普通に暗殺者なんかかと思ってねぇ。君の匂いも気配も全く馴染みなかったし。早とちりしちゃったよ。本当にごめんねぇ」


 その言葉に、幾分彼女は冷静になった。ふるりとかぶりを振る。自分も反応し過ぎたと思う。……喉を掴まれただけなら良かったのだけれど。あの、体勢が。あれが駄目だった。自分の意思とは無関係の場所で拒絶反応を起こし、不意を突かれ、甦った記憶に刺激されてしまった。劣勢の、あの、悪夢を。

 

「……もう、良い。けど、あんた、誰?」

「僕は『騙り部』だよ。名前はパレル。種族は色々ごっちゃになってて混血っていうかもう意味不明状態だから勘弁してね。って言っても分かんないかあ。いちおー聞くけど、君、人間だよねぇ」


 アンジェリカは眉をひそめた。どういう質問だろう。アンジェリカの暴れっぷりがあまりに酷かったからなのだろうか。いまいちよく覚えていないのだが。


「人間、だけど……? シキ達だって、そうでしょ」

「はれ?」


 不服を込めて言ったつもりが、少年はびっくりしたように飛び上がった。まじまじと大きな両眼で穴が空くんじゃないかってくらいに見つめられる。……何だというのだ。居心地悪い。


「……なに」

「君、もしかして知らないの?」


 あんれー? と彼はなおも不思議そうになる。それからにぃっと笑った。


「ちっちっちー。違うんだなあ、これがあ。あのヒトは魔族の中の魔族、偉大なる魔王の一族フルベ家に名を連ねる、現、」


 うひひっ、とまさに道化の如く。

 パレルはアンジェリカの金の瞳を覗き込む。一定の距離を保ち、しかしその星形の内の双眸が面白気にきらめくのが分かるほどの位置で。




「我らが現、魔王陛下さ!」



 

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