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淫蕩な朝

 軽い性描写を含みます……苦手な方はすみません、スルーでお願い致します。



 当然のように寝台に仰向けに寝転がされて、彼女は茫然と男を見上げた。驚いたのは行為の予兆にではなく、男の髪の色だった。

 あまり気にしていなかったが、彼の髪は溶けるような淡い、青みがかった黒で、さらさらと闇が落ちるように彼女の上にこぼれてくる。


(夕闇の色だわ)


 瞳は緑がかったような、どこか陰鬱な闇色をしているのに、髪の色はとても優しい夜の入りの色だ。

 ふ、と男が覆い被さってくる。そろりと腕から頬を撫でられた。ぞわりと肌が粟立つ。一瞬無様にも泣きそうになって、けれどすぐに、どうでもいいような気分になる。もう、良いって、決めたじゃないの。そういう風に。


「あっ……」


 ぴり、と首筋を痛みが走った。噛むようにくちづけられ、鎖骨に降りる。


「あ、ぁ……ん、む」


 黙れ、と言うように唇が重ねられる。貪るように深いくちづけは一瞬の恐怖を打ち消すまでゆっくりと、宥めるように続いた。だんだんと意識が朦朧としてくる。はたりと腕が敷布に落ち、全身の力が抜けた。気を失おうかと試みた丁度その時、ごくなにげない仕草でワンピースの裾をはだけられた。するりと脱がせられ、手の届かないところに捨てられる。綺麗な服だったのに、と少しばかり申し訳ない気分になった。男の呼気が直に肌に触れ、その無骨な手が慎重に下着へ伸びた。自分の意思と関係なく羞恥がこみ上げてくる。


「……っは、あ」


 あっという間に裸に剥かれ、腹にくちづけられる。それは滑るように胸元までのぼっていき、頂を含まれた。びくんっ、と身体の仰け反る。


「ゃ、あ……っん、ぁあ!」


 やわやわと胸を揉まれた。身体中が痙攣する。嬌声が無意識にはみ出る。落ち着けと促すようにまた深いくちづけを降りてくる。高く水音が鳴って舌が絡み合った。かたかたと震える彼女の背骨から撫でるように男の指が這い降りていき彼女の身体を味わっていく。


 ふと、彼は眉をひそめた。けれども彼女はそれに気付かず、泣く寸前の声で喘いでいた。そろりと彼を直視しようとすると薄く色づいた胸を食まれて、再び甲高い声が出る。舌先で転がされ、意識はさらに白濁していく。そんな中、男の声がふっと耳に飛び込んできた。


「……本当に、よく分からん娘だ」


 愚痴をこぼすように言って、彼はその娘の腕に赤い痕を刻み付けた。





   ***







 窓一つない部屋の中で、彼女は鳥の鳴き声を聞いて目を覚ました。一糸纏わぬ姿のまま、敷布をたぐり寄せてゆるゆると瞬く。ああ、と吐息が洩れた。

 ああ、また、朝がくる。


「……起きたか」


 彼女は声がした方に目をやった。身体が泥のように重い。昨夜の静かな、そしてどこか冷たい責め苦のせいであるのは明白だった。

 男は縞模様の壁に寄りかかり、偉そうに腕を組んでいた。鬱々とした目がじろりと彼女を捉える。


「……最後までは……されていないようだったが」


 何を言われているのかはすぐに分かった。彼女は嘲笑う気力すら沸かなくて、ただ吐き捨てるように言った。


「関係ないわよ。汚されたのには変わらないんだから」


 触られたことがもうおぞましい。点滅するように悪寒が走る。思い出すだけで吐き気がする。気持ち悪い。

 寝台の上で気怠く項垂れる少女の姿を暫く眺めていた男は、空気を変えるように口を開いた。


「約束通り、ここに置いてやる。身上は……俺の玩具、ということになるだろう。ふん、外聞が悪いにも程があるな」


 忌々し気に舌打ちして、それで、と彼は続けた。


「お前、名は何と言う」


 彼女はきょとんと、ここにきて初めて何の含みもないまっさらな顔になった。

 名前。

 あたしの、名前は。

 

(……あれ?)


 口の中がからからした。頭痛が酷くなる。名前。あった、はずだ。つい数日前まで呼ばれていた、はずだった。だけど、何て?

 自分は何と呼ばれていたのだ。

 彼女は茫然とした。思い浮かばなかった。綺麗さっぱり忘れている。まるで洗い流したように。……身の汚れの代わりに、名前を。


「おい?」


 不審そうな声が早く名乗れと促してくる。だけどどんなに頭を捻っても浮かんできてはくれなかった。ほろりと零れる。


「分かん、ない」

「………………何?」

「なんか、抜けて、る」

「…………何の冗談だそれは。名前だけ忘れるだと?」


 そんなことあたしが聞きたい。彼女は憮然となった。だって分かんないんだもん、と口の中で呟く。男は何事か考え込むように黙り込んでしまった。

 けれども暫くして、彼はその闇色の不思議な虹彩を持った双眸を押し上げた。

 射抜かれる。

 何故だかそのように感じた。



「――――アンジェリカ」



 低い、透徹とした声だった。色を持たず、冷徹で、事務的な、けれども深く浸透するような柔らかな甘さを持った声だった。壮絶な矛盾。彼女はぼうっと男を見た。見ながら、このひとは本当に、綺麗だな、とそんなことを思った。男なのに、何故だか怖くは感じなかった。無茶な願いを呑んでくれたからだろうか。


「お前はアンジェリカだ」


 ようやっと、彼女は理解した。アンジェリカ。ひとの名前。それが名前。あたしはアンジェリカ。

 あたしの名前。

 彼女は思わず重い身体を引きずり、寝台を這おうとした。けれども男と目が合って牽制される。ごくりと生唾を呑み込み、彼女は留まった。代わりに問う。


「あんたの、名前は?」


 男は少々驚いたように瞬いた。名前を聞かれるのがそれほど珍しいことなのか。男ははじめて笑った。微かに唇の端を引き上げ、冷たい印象を与える漣のような笑み。


「シキ。この屋敷の主だ」


 シキ、と彼女はその名前を舌先で転がした。忘れないようにしよう。何故かそう思った。


「何か用があればナーニャかベルダンを呼べ。暇なら屋敷をうろついても良い。屋敷の者に迷惑をかけない程度、好きにするがいい」


 素っ気なく言いおいて、彼はさっさと部屋から出ていった。

 彼女はぱたんと扉が閉まるを待ってから、ふと首を傾げる。シキ。不思議な音の名前。しかしそれ以上に、どこぞで聞いたことがあるような気もした。


「……なんだったっけ……」


 気になるが、自分の名前すら忘れているのだ、どうせ思い出せまい。彼女はため息をついて、とりあえず服はないのかな、とずうずうしいことを思った。


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