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少女と嘲笑

「何だっていいのよ。ここに置いてくれるか、あたしを殺すかしてくれるなら。あんたは好きなだけあたしで遊べばいいの」

 

 皮肉気に口の端を歪め、彼女は投げ捨てるように言った。切り破られ、ほとんどないも同然の布切れのようなワンピースの内側から土と痣と鬱血した痕にまみれた細い身体が覗いている。長椅子の上で右膝を抱え、だらしなく、誘うというより己の何もかもを放り出すような(てい)だった。彼はその自傷的な有様を見てただ、いつの間にこの人間は起きたのだろうかと、そんなどうでも良いことを考えた。




   ***





 

 煮えたぎるような憎悪が消化するとともに、次にはどうしようもない嫌悪と自虐心が浮かんできた。地に這いつくばったまま浅いため息を吐く。殴られた個所よりも蹂躙されたあちこちが痛くて、それからおぞましかった。身体中が穢れ果てて、神様にすら救われないような気分だった。娼婦というのはきっと、とても強い人間なのだと馬鹿みたいな考えが頭を過り、そしてまたため息が出る。しかしそれは弱々しいにも程がある、吐息と変わらないため息だった。覆い茂る木々は暗くざわめき、月には軽蔑されながら嘲笑されるような気までする。刺すような雨が怯懦に震えた手をさらに冷たくさせた。

 瞼が落ちる。ああ、これで、死ねるだろうか。そんな甘い考えが浮かぶ。死ねるもんかと漸く戻ってきた冷静な自分が鼻で嗤った。目を閉じて、眠りに落ちて、雨に打たれて。身体中は傷だらけ。確かに死ねそうだ。でも死ねない。人間っていうのはそんなに脆い生物じゃない。精神ではなく、肉体の話ではあるけれど。朝が来ればまた目覚めて、また自分が気持ち悪くてたまらなくなる。それからまた、獣に怯えるのだ。冷えきっていく身体を気にも留めず、思考はどんどん皮肉げに回っていく。地べたに転がったまま、彼女は視界が真っ暗に染まるのが分かった。あれ、やっぱ、死ぬのかな。そんな風に思い直した時、その真っ暗が揺れた。泥にまみれた右耳と雨に濡れた左耳がおぼろな音を拾う。じゃり、という靴音と、何か、そう――――人の声のような。


「……い、おい。娘。起きろ」


 ふるり、と睫毛が震えた。干涸びた喉が喘鳴を洩らす。明らかに弱くひび割れかつ醜い声だった。しかし相手は聞き取れたらしい、続いて「生きているな」とのっぺらぼうな声音で呟いた。

 彼女は手を伸ばした。地べたに這いつくばったまま。ぶるぶると震える腕のまま。


「……ぁ……」


 どんな相手だろうが関係なかった。人。人だ。ああ、言いたい、ことが、ある。でも声が出ない。意識もそろそろ落ちそうだ。彼女は唇を噛み締めた。視界がぼやける。落ちる。

 寸前、冷たい指が彼女の手を捉えた。

 その一瞬後には彼女は気絶していた。










 起きた時、彼女は何故か長椅子に寝かされていた。見たこともないような豪奢で質の良いダークブラウンの革張りの椅子。目覚めたその場所は薄暗かったが、調度品は一目で良い値がつくと分かる上品で高級そうなものばかりだった。

 だがしかし、その時彼女にとって最も重要だったのは、その部屋の中にいたのが長い髪で、黒いローブを羽織った男ひとりだったという一点のみだった。

 反射的にぞっと血の気が引き、長椅子から飛び上がり、けれどすぐさま自虐的な笑みが浮かんだ。ばっかみたい。どうせもう穢れ切っているのに、何を怯えているっていうの。

 後々考えれば彼女の無意識的な恐怖も嫌悪も当然のことだったのだが、その時の彼女は何もかもが気持ち悪くて、侮蔑の対象で、全て余すことなく捨て去りたいくらいどうでも良かった。

 いっそのこと全部壊してもらいたいくらいに。

 そう思った瞬間、彼女は片膝を立てて錆び付いた真っ暗な眼差しで男を睨みつけていた。嘲りとそう変わらない下手な微笑を浮かべ、枯れた声で呼びかける。


「ねえ」


 男はローブを脱ぐのに忙しいらしく、一拍置くまで彼女が起きたことにも呼びかけられたことにも気付かなかった。しかし数瞬後、ゆっくりと大きな背が振り返る。陰鬱な闇色の目が彼女を見た。


「あんたは男よね」


 彼は不可解そうに眉を寄せながらも頷いた。彼女は嗤った。


「じゃああたしを好きなだけ組み敷いていいからここに置いてよ」

「…………何?」

「好みじゃないならなんか違うこと要求してくれたらいいわ。あんたがあたしで鬱憤晴らして、その代わりにあたしの願いを聞く。そういうのがしたいの」

「願い?」


 そう、と彼女は軽やかに首を揺らした。どうしてだろう。先程まであれほど疲れ果てていたのに、こんなに調子が良くなっている。


「あたしをここに匿うか、あたしをさっさと殺すか。殺すならなるべく痛みのない方法でやってほしいわ」


 男は沈黙した。次いで、お前は、と苦々しい声を出す。


「お前は何を言っている。……そもそも、お前は俺が何か分かっているのか」

「何って」


 陰惨で醜悪な笑みが顔中に広がるのが分かった。今までで一番最悪な笑顔だった。だけどそんなことはもうどうでも良かった。は、と吐き捨てる。


「何だっていいのよ。ここに置いてくれるか、あたしを殺すかしてくれるなら。あんたは好きなだけあたしで遊べばいいの」


こんにちは、はじめまして。

年齢制限大丈夫だろうかとひやひやしながら頑張ります。楽しんでいただけたら幸いです。

ご感想などいただけましたらとっても嬉しいです。

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