水晶の色彩
もう幾星霜の間その階段を昇り続けているのか、私には見当も付かなかった。時間の観念が、精神に訴えかけて来る時のその反復的な特徴を失ってしまってから既に久しかった。私がその重い足を最初の一段に踏み降ろしてから、優に数百年が過ぎ去っていた様な気もしたし、それがつい一瞬前の出来事だったかの様に思えることもあった。忘却の波は静かに、そして確実に過去とその残滓とを洗い流してゆき、通り過ぎて行く現在の瞬間瞬間だけが記憶の投げ網の暴虐を辛うじて免れていたので、私の意識にとって問題となるのは常に、今この瞬間に踏み出されて行く一歩であり、それが如何なる過程を経て来たものなのか、また如何なる展望を孕んで行われてゆくものなのか、それらは全く私の与り知らぬことであった。
何れにせよ私にとっては同じことだったろう、夏の日の雲の様に滾々と湧き続けては変化を繰り返しゆく鬱勃たる様々な想念を、まるで顔の周りを飛び回る蠅の様にうるさく思い乍らも、それらを強いて追い払う気力もなく、私は唯無感覚になるまで困憊し、疲れ果てていた。にも関わらず肉体に特有の苦痛が歩行を妨げる様なことが起きる訳でもなく、両足は次の段を踏み締めるべく休まず倦まず繰り出されてゆくので、私は、俯き加減に見下ろした暗い視界の端に覗く二本の脚が果たして自分のものであるのかどうか、時々確かめてみねばならなかった。局所的な動きと全体的な動きとの微妙で驚異的な均衡を保ち乍ら、誰の意志とも知れずその脚は動き続け、複雑な筋肉の構造が足裏から膝表へ、腰から腹部へ、肩から指先へと伝えて来る鈍く固い衝撃のみが、それらが私の身体に属していることを朧げ乍ら証明していた。硬い階段を私の靴が一段一段踏み続けていた以上、物音ひとつしない回廊には何等かの足音が谺し、また何等かの反響の類いがあって然るべきではあったのだが、私の耳はそれを聞いているのか聞き逃しているのか、そもそも私に耳と云うものがあるのかさえ、その存在を確証してくれる筈の音が全く私の脳裏に届かない為に、判然とはしなかった。
何故この陰鬱な行軍が始まったのか、私自身殆ど説明は出来なかったが、永年に亘って培った内面への緻密とは言えないが鋭さと枚挙性のある探索能力と、その自己流の心理分析に基づく全体への巻き戻し運動を活用してその答えを導き出そうと思えば出来ないことはなかった。頭の中にまだ幾許か残っている現在の記憶と過去のそれとを半ば惰性を利用してい結び付け、物憂い推測に屡々気力を殺がれ乍らも、可能な限り何とはなしに私は思い出そうとした。私が外界の生活を捨て、この単調極まりない陰影の支配する世界へと昇り下ったのは、この先に待っている筈の知恵の殿堂での救済を全面的に当てにしてのことではなかった筈だ。焦燥に駆られた知識への渇望は今だに私の中に燻り続けていたが、それはそう無闇に足掻いてみたところで破滅的な性格をしか持ち得ないものであり、結末は目に見えるものだった。私は外界でその循環の中を這い廻り続けることにいい加減倦み疲れ、出来ることと云えば独り歩き乍ら躰を蝕む病んだ思考の流れに身を委ねることしかなくなる迄に退屈していた。絶望も熱狂も哄笑も、疾うの昔に私を見捨てて何処かへ去ってしまっていた。それらは自分の意思に反して襲いかかって来る病気の様なものと思う向きもあろうが、嫌がる良心を無視するか或いは無理矢理押さえ付けておくかしてそれらに身を委ねるには、それなりの若さと情熱が要る。私にはもうそのどちらもが欠けており、それらを再び蘇らせようと云う悪魔的な希望もまた既に持ち合わせてはいなかった。
私が曾て希望し乍らも、自らには足を踏み入れる資格のないことを悟っているが故に敢えて、眺めてみることさえもしようとしなかったその入口は、静かな外海を見下ろす小高い崖の上に、蕭然として立っていた。高緯度の太陽が穏やかな、とても穏やかな暖かい日差しを辺り一面に降り注いでいたが、海から吹き付けて来る潮の香りのしない微風によって、体感温度は寧ろ肌寒い位に低かった。訪れる者とてなく、絶えず吹きつける潮風に晒されて些か色褪せ、彫りつけられた文字が所々磨り減ってはいたものの、その扉は閉ざされてはいなかった。だがそれはふと立ち寄って気紛れに開けてくれる何も知らぬ旅人を待つ風でもなく、唯私の様な奇矯な幻視者を除いては最早何人にも完全に忘れ去られて、長いこと空しい沈黙を守っていた。それを開け、中に入ってみようとしたのはふとした一時の気紛れか、さもなくば当て所のない彷徨のほんの序でだったに違いない。歩ける所ならば、何処でもよかったのだ。ひょっとしたら扉の向こうに待っている者が私を呼び寄せようとしているのでないかと想像してみたこともあったが、その可能性は直ちに却下された。私の様な無力な一夢想家を曲がりなりにも何か知ら必要としている者が誰かあろうとは考えられなかったし、まらそうした意思決定を行いそうな何者かが扉の向こうに居るものなどとは、当然乍ら最初から考慮の範疇の外にあった。
私の歩いていた階段は拱路式の回廊となるよう掘り抜かれたもので、大きさは人ひとりがすっぽり収まってまだ頭ひとつ分の余裕を残した位で、弓なりに反った天井は綺麗に磨き上げられていた。足下の踏み石はそれと対照的にごつごつと粗削りで、石工が手を抜いたのではないかと思わせたが、よくよく見てみると素材は壁や天井と全く同じ玄武岩質の黒い石で、唯違うのは、そこを通った人々自身の重さで次第に擦り減らされて初めて丁度良い凹凸になるように、入念に奇怪な審美的検討が加えられているのだった。天井や壁は、微かに燐光を放っているのではないかと思わせる程艶やかに濡れた滑らかさを保っていたが、階段は無骨な迄に手触りが粗く、それが近くで見た場合には単調さを感じさせず、一歩退いて眺めて見た場合にはよく刈り込まれた庭木の様な快さを齎した。明かりは所々思い出した様に穿たれた壁龕の中に小さな松明が燃えている位で、辛うじて十数段先は見ることが出来たが、加減によっては全くの暗闇になってしまっている所もあった。何度か鋭い曲り角を曲がった様な気もしたが、それぞれの距離も角度も不規則で、これと云った秩序は見られなかった様に思う。段はもう何百も続いている様にも思えたし、たった十三段で終わっていてもよかった。兎に角私はそこを、星々の分明定かならぬ時の中で、半ば微睡み乍らゆっくりと、しかし確実に一段一段を踏み締め乍ら歩き続けていた。
小さな明かりが前方に見え始めたのは、それこそ何時のことだったのか判らない。松明の炎の薄暗い、曇りの空に架かる夕焼けの様な鈍い赤さとは違って、その光は遠くからでもはっきり見えた。それは死者の頬の様に清冽な青白さを帯びた白い光だったが、突き刺すような鋭さは微塵もなく、輝く真昼の陽の光よりは、白夜に覗く青褪めた微光に似ていた。拱路は仄白く反射してうっすらと浮かび上がり、私はそれに惹かれる様にして顔を上げた。私の意思とは関係ないかの様に動き続ける私の脚は一向に速度を上げようとはしなかったが、少なくとも自分の息遣いが腹の底に感じられる程には、私は自由になった。私は歩いた。どの様に歩いたのかも、どれだけ歩いたのかも判らなかったが、出口はもう直ぐそこに迫っていた。それは予め用意され私を待ち受けていたのかも知れなかったし、私がそれを望んでいたのかも知れない、私がそこに向かわねばならぬと云うそれらしい何等の理由も原因も見当たらなかったが、階段は、恰もその小さな光の点を中心に無言で大渦を巻いて全世界を呑み込もうとしているかの様に求心的な力で私の躰を同化し、私の注意は一点に注がれてそこから離れようとしなかった。
そこにはぼんやりとした始まりの期待があり、それより更に微かな喪失の恐怖があった。未知は常に恐怖の可能性を孕んでいることを、私は形而上の諸々の事柄に関する積年の経験と研究とを通じて知っていたが、その時の恐怖はそれ迄私が知っていたどの様なそれとも性質を異にしていた。それは私が得ようとて得られなかった純粋の過去形の、従って死者にのみその存在が確認出来る類いの恐怖であった。しかしそれが何者にせよ、私の麻痺した感情に新たな経験をさせてくれた者に対しては、感謝と憎悪を抱くべきではあろう、私はこの不可思議な縁の仕組まれた様な偶然に自然と興奮を覚えたが、何処となく自分の居場所を間違えてしまった様な居心地の悪さや微かな罪悪感をも身中に感じ、またそれを否定しようとはしなかった。次第にその存在をはっきりさせてゆく光に近付くにつれその異和感は増大していったが、それに比例した爽快な高揚感もまた高まっていった。
しかし何より私を驚かせたのは、全体の意味に対する私自身の鋭い直感の能力への予感であり、切れ切れの断片ではあり乍らも、自分は形相の下に隠されている全く別の様相を呈した真実相を何の作為もなしに明るみに出すことが出来るのだと云う、明確な根拠はないが実に説得力のある確信が、急に沸き起こったのだった。それは我々が通常知性と呼び慣わしている能力よりもずっと掴み所がなく、曖昧で、恣意的と見えたが、半ば必然への飛躍によって世界の実相を理解することの困難の主たる原因が、取り込まれる変数の雑音によるものであり、そしてここには雑音など入り込む余地はないのだと云う確信に満ちた声が、何処からともなく発生し、私は何の苦もなしに、その分析が正しいものであると納得した。果たしてこの力が如何なる原理に基づいて発揮されるものなのか、また一体何者の権利に於てそれを為すものなのか、それは私自身にも到底説明することが出来なかったが、起源と過程に対するこの様な無知にも関わらず、何故かその結果については絶対的な信頼を措いてよいと云う気がした。私はその信頼に赤子の様に巻き込まれ乍ら、半ば朦朧として歩き続けた。
驟雨の様に降り注ぐ真っ直ぐな光のカーテンを潜り、その中へ吸い込まれる様にして足を踏み入れたその時、やわらかで甘美な白い洪水があらゆる角度から一遍に私の躰を真綿の如くに包み込み、そして鳴動する大気からあらゆる皮膚を通じて耳元へ、高らかな無言のオルガンの咆哮を運んで来た。私は、全方位を見下ろし乍ら吹き下りて来る山風に全身を取り込まれた時の様な陶酔に、一瞬目を眩ませられ、その後で、身の引き締まる冷たさの中にはっとなり、周囲に何があるのか見ようと欲した。
目は直ぐに光に慣れた。そこは大理石の殿堂だった。私の出た階段の出口は真っ白な曇りひとつない床に無造作に穿たれた小さな穴で、直ぐ近くで壁が直角に交わっているところからすると、四角い部屋の一隅に位置していると思われた。周囲一面を埋め尽くしていたのは、思い付く限り全ての色を集めたかの様に透明な質感をした白の一色であったが、それは一つに、床も壁も全てが汚れなき大理石で造り上げられていたからであり、また視界の届く限りの領域に薄い霧の垂れ幕が掛かっている所為でもあった。霧は厚く、十数歩先はもう静かで複雑なうねりの中に呑み込まれていたが、不思議と私の嫌悪して熄まない湿気のあの不快さは感じられず、息苦しさもなかった。
私は階段の最後の段を踏み終わり、それ自身は別に清潔ではないが使われることによって清潔さを齎す石鹸の様に背筋に快感を覚えさせる大理石の床の上に、暫し立ち尽くした儘、凝っと身動きせずに、全身でこの新世界を観じた。階段を昇って来たからと云ってわたしの息遣いが乱れることは一向になかったが、無感動な迄に呆然とした自分の胸の裡に、現状を識別出来る程の落ち着きを取り戻すべく、私は慎重に呼吸を整えた。肺の中に入って来る室内の大気は僅かな湿り気を帯びて鼻の奥を刺激したが、それは寧ろ頭脳に快かった。
幾度か血管を新鮮な血流が走り回り、手や足指の先に英気が戻って来ると、まるでそれと歩調を合わせるかの様にして、霧が薄くなり始めた。気流は目に見えぬ鋤で掻き寄せられる様にすっと引いて行き、やや躊躇いを見せるかの如くに白濁した痕跡を後に残し乍ら、私の眼前に大広間の全貌を明らかにした。
殿堂はかなり広かった、余りに長い為一本の線の様に見える程横長になっている向かい側の壁が、私から遙か離れた所で対の角を成して交わっているのが朧げに浮かび上がり、見上げてみると天井はそれに比して随分と低く、手を伸ばせば掌で触れることが出来ただろう。どの方角を向いても均整を保った同じ造りになっており、当然あってもよい筈の何等かの模様さえ全く欠如したのっぺりとした平面が六方向を固めていたので、距離間を掴むことは難しく、最初一瞥した時には地平の彼方を目にしたものかと思えて足元を掬われる錯覚に陥ったが、視力は弱くとも判別力には富んだ私の瞳は直ぐ、白一色の平行線の最中に垂直に支柱が幾本か等間隔で並んでいるのを捉えた。気が付いてみると私から十歩も離れていない所にも一本、同じものが床から天井迄伸びていた。その柱は同じく大理石製の、ドーリス様式のものによく似た真っ直ぐな刻み目と簡素な台石の付いた円柱で、充分に計算し尽くされた均衡を歳月とそれ自身の重みとによって破られることもなく、細部に至る迄、風化や彎曲の傷跡を全く残してはいなかった。工匠の手は巧みで、揺るがぬ安定を欠くことなく絹糸の様な繊細さを表現しており、直線と円を原則とするその幾何学的精密さは思わず知らず『原論』の壮大な体系を思い起こさせた。
私はその一本の円柱に暫し見蕩れていたが、その背後に全く同じ芸術作品が厳密な美的配慮の下に延々と配置されているのを見て取ると、遠く彼方に見えていた向い側の壁が、案外近くにあることに気が付いた。円柱は全部で数十を超えなかったが、それらが故意に歪められた比率によって造られているのではない限り、広間の形は略正方形で、一辺は千歩分に満たない筈だった。この奇怪な空間が一体何の為に、また誰の為に建てられたものかと訝しむよりも先ず、私は心中この驚異の構造物の、単純を佳とした調和に対して惜しみない賛嘆の辞を贈り、また同時に、その余りの素っ気なさに対しては奇異の念を禁じ得ずにいた。私はその場から一歩も身動き出来ず、唯自分の出て来た穴の傍らで惚けた様に目を見開いた儘、自分が何故ここに居るのか、自分がここでこれから何をすべきなのか、私をここに招いた者の意図が何処にあるのか、推量することも思い出すことも出来ずに、真っ白い風景の中に独り佇んでいた。私はこの行軍の結果が何等かの作為に基づくものであることを最早毫も疑わなかったが、それは壮麗な建築の交響楽に目を眩ませられたと云うよりも、私の在所定かならぬ記憶の奥底から沸き上がって来る或る力の声に、一も二もなく説得されてのことだった。
すると突然、衣擦れの微かな音が、時間の停まった無人の絵画的光景の中に割り込んで来た。その瞬間、私はこの奇妙な空間が一体何の為に造られたものなのかを直感的に理解した。それ迄私に聞こえていたのは唯、耳朶を包む闃とした静寂の中に流れる、耳を聾せんばかりの霧のせせらぎばかりであったのだが、その衣擦れは、恰も大気中にある全ての細かい水の粒子が、背筋を這うが如き銅鑼の音のざわめきを次から次へと伝えているかの様に、ざらつきのある音の矢で至る方角から、四角い空間の全体を隅々迄包み込んだ。私は残響の長さから素早く幾つかの判断を下すと、再び円柱の配列に目を向けた。今やそれらが単に天井を支え視覚的な威厳を齎す為だけに立てられているのではないことは明らかだった。私は建築上の音響学に関する知識はそう大して持ち合わせてはいなかったが、それが実に効果的な結果を齎していることを聴いて取ることは出来た。柱の一本一本が、その質量としての禁欲的な役割を果たすのと同様に、それを基にして生み出される精神的な調和を奏でているのだった。この場所で起こった如何なる音も、その狭い発生源を明らかにすることなく、あらゆる場所から一度に発せられた様に響き亘り、どんな微かな呟きをも逃すことがない。恐らくこの場所は言論の力を公正な正義に迄高めた人々の論議が行われる場所であり、そこでは確かな説得力を持つ穏やかな弁論が相応の敬意と尊敬とを以て重視され、実際に人々を動かしているのだ、と、私は半ば冷たい熱に浮かされた様に推測した。彼等の精神は無私の知恵の探求のみに向けられており、話すべきこととそうではないことの区別が出来る分別を備えてはいるものの、その力を行使する必要に迫られることがない。私は、彼等の行動もまた、喜劇的な撞着を欠いた相互の尊重と、この広間と同じく美しさを云々するに足る調和に基づいていることを疑わなかった。
広間の壁いっぱいから反響する以前の生の音が、自分の近くから起こった様に思った私は、反射的に穴の傍らにある一方の壁を振り向いた。私から十歩と離れていない壁際に人影があり、その背後には出入口らしいものがあった。出入口と云っても用途と他に考え付かないからそう思っただけで、唯単に壁の一部を断ち切った様な装飾も何もない、天井と同じ高さの穴が開いていただけであるが。同じ穴が反対側の壁にも穿たれていた 様に思う。出入口からは同じく大理石で出来た渡り廊下が続いており、私の居た所からは、その先がどうなっているのかは見えなかった。
その渡り廊下にしても、古来から列挙し切れぬ程私の様な逍遥する思索家達が行き来していたに違いなく、そして彼等の築き上げた知性の彫刻と云ったら、恰もそれが一つの公理から順々に導き出された様に堅固な造りをしてい乍ら、それでいてたったひとつの多様性も、たったひとつの不可逆性も犠牲にすることなく、繊細で豊かな生産性を保ち続けているのだ。一見過度に見える建築の簡素さも、不必要な複雑さを嫌う抽象嗜好の結果であり、未だ花開かぬ創造力の蕾に最も力強く且つ美しい翼を与える権限は最も単純なものにこそあると云う格率を知っているが故であろう。つまりそこでは論理と慈悲深さが同居しているのだ。
衣擦れの音の主は女学徒だった。彼女は知恵に仕える学徒に特徴的な足首迄届く粗目のローブを肩から流し、足にはパピルスの如き概観の、形容し難い色をした鋲を打ったサンダルを履き、他は一切、余計な装飾品の類いは身に着けてはいなかった。年齢は定かでなく、唯目許と口許に広がる穏やかな浅い皺が、私よりは幾分歳月を重ねているらしいことを示していた。
女と云う不可解な性には、極く平凡な外見や立ち居振る舞いの中に突如、底知れぬ掴み所のなさが沸き水の様に現前することがあり、曾て私がその隠れ易い脅威を見逃すことはなかったし、また性格を形作る上での大きな力である習慣の力を借り、慣れることによってその不可解さを減じようとすることもしなかったが、彼女にはそうした微妙な陰影の輪郭はなかった。また逆に何処となく個性的な神秘を内面に秘め隠した様な面持ちをしてはいたが、時として俗っぽさや狭量さの基となる急かされた様な活動力の痕跡は見受けられなかったし、謎を抱えた人格に必ずついてまわる憂愁や哄笑の陰もなかった。永遠を不断に夢見ることの出来る者のみが見せ得る静謐さと恐慌は、私のものではあったが、彼女のものではなかった。彼女は永遠に飽く枯れていたのではなく、正しく永遠の中に住んでおり、しかも尚且つ、自らをその中に含まれ得るあらゆる反復の敵とする術を知っていた。その知識が、彼女を他の凡百の同性の獣共とは決定的に隔け離れたものにしていた。
彼女は、私の方へ視線を合わせるともなく顔を向けると、静かな口調で話し掛けて来た。とは云っても彼女は一言たりとも口を動かさなかったし、かと云って彼女が何か怪し気な精神感応の類いの神通力を持っていたと云う訳でもない。彼女が私に伝えていたのは如何なる意味に於ても言語の形態を採ってはいないものだった。いや寧ろその様な形あるもの、一面性に縛られたものに変換してしまうのを躊躇われる様な、繊細な屈折を持った万華鏡の如き煌めきだった。思弁の力場は幾つもの次元が同時に重なり合い、想念の力線は奔放に入り乱れて高速で交差し合い、対話と連想と、そして神々の如き荘厳な激しい闘争を繰り広げ、波紋の様に打ち消し合い、或いは増幅し合ったりしていた。彼女の意思は、彼女自体の存在そのものが持っている調和から発せられ、大気の振動の代わりに空間に充満するエーテルめいたものの微細な運動を通じて伝わり、そしてその意味するところははっきりとして明確だった。我々が覚束ない意思疎通を行うに当って極く当たり前の様に用いている言葉や象徴、重要な構成要素として限られた文脈に依存せざるを得ない記号や作為的な規則は彼女にとっては無用の便宜であり、疾うの昔に要らなくなった乳母車だった。彼女の疎通するそれは表象される以前の生の概念、思考の生み出される原盤から直接響いて来る綾成す論理のカンタータであり、確固たる志向性を有してい乍らも他の可能性を一切排除せず、それでいて理路整然とした美しい形態を少しも崩してはいない一片の韻文詩だった。それは理性の胚胎期からその成長を見守って来た者のみが抱き得る自己生成する対話であり、演繹的であり乍ら驚嘆すべき多面性を煌めかせていた。
知恵とは、一方的に蓄積され記録され、埃に塗れた保管庫の中にその身を終えたりその場その場の砂の城を築く為に用いられる情報の様なものではない、それは綿連として耐えざる万物の変転の泉の中から、無数の穴の開いた意識と云うそれ自体流れ行く椀を、論理と云うしっかりした詰め物で塞ぎ、甘美で且つ恐ろしい経験の深層を汲み出す能力の謂いである。彼女がその長い生涯の残りの全てを通じて仕えているのは、そうした流転の法則そのものに対する同一性の慰めであり、それこそが私の求めて遂に得られなかった平安を約束してくれるのだ。しかし私は曾てこれに造反した。その流業の一抹一抹の飛沫となって闇の幻想の領域へと帰って行く主観性の号泣にまだ愛着を持っており、知恵の殿堂でもやはり彼等を救済するのは不可能ではないかと疑っていたからである。私自身その時の決断にはずっと確信が持てずにいたのだが、恐らくは事前にも打ち拉がれる結果になることを知っており、自分には自分の身を終える力なぞないと心底納得してしまうのが堪らなく屈辱的だったのだ。その不安そのものが最終的な裁断の妨げとなっていることを知り乍ら、私は煩悶の日々を送ることをやめはしなかった。その私が何故、今、この場所に呼ばれたのか。
彼女は何も説明はしなかった。恰も事の成り行きそれ自体がこれら一連の事態の正統性を申し立てするとでも言いたげに。彼女は唯、私が彼女の指差す方向に行くことになっていると云う事実のみを伝え、それきり黙ってしまった。私が半ば途方に暮れ乍らその指先を辿って行くと、私達から最短距離にある壁面の下部に、
格子も何も覆いの掛けられていない大きな丸い穴がひとつ、黒々と口を開いているのが見えた。ついさっき見回した時には全く何もなかった所だったのだが、何時の間に出来たものやら見当は付かなかった。だがそれがそこに在るのは当然のことだった。それは恰も、小川の水が一時くるくると小さな渦に流れ込んで行く様に、至極自然なものだった。入口は、その時、そこに、在るべくして在ったのだ。
私は尋ねた、貴女はそも一体何者の代行者なのか、私をここに招いたのは誰なのか、私を呼んだのは貴女自身なのか、それとも誰かより上位の意志決定者が居るのか、この知恵の殿堂は曾て私が想像していた通りのものなのか、その渡り廊下の向こうには誰か待っている者が居るのか、殿堂の全容とその中で行われる探求はどうなっているのか、あの穴の中には何があるのか、何故私をそこに行かせたいのか、思い付く儘のことを矢継ぎ早に、急にぶり返した絶望的な焦燥を鎮めようとまた焦る儘に。これは私が掴んだ久し振りの手掛かりであり、しかも答えの得られる可能性は大いにあった。私は私の抱える謎を解きたかったし、謎をその儘にしておいて先へ進むよう急かされるのは気に喰わなかった。彼女がどれだけ近付き難い威厳を備えていようと、私は回答を得たかったし、若しこの飢えを満たすことが出来ないのであれば、その威厳も大して内実を備えてはいないことになるのだと不遜なことをさえ思った。
彼女が何も言わず、自分が先に言ったことは命令ではなく当然の事実であり、それを私が早く実行すべきなのだと云った態度で唯待っている様子だったので、私は堪らず彼女の傍らに駆け出し、彼女の躰で遮られている出入口の向こうに何があるのか見てやろうとした。
出入口は簡単に見ることが出来た、そして、私は驚愕した。
幅は五、六人も通れる位だろうか、そこから同じ幅の大理石の渡り廊下が真直ぐに延々と他の道と交わることもなく続いており、余りに長い距離の為に先の方は半ば霞の中に埋もれ乍らも、その遙か先頭は次第に幅を失った白い線となって、凡そ限界と云うものを忘れてしまったかの様に地平線上の或る一点を目指して躊躇うことなく突き進んでいた。私が戦慄き乍ら畏怖を覚え始める迄加速度的に地を走らせて行った視線の先には、周囲の変転を全てその中にくるりと呑み込んでしまったかの様に凝然と静まり返っている、何かぼんやりとした巨大な塊が、赤茶けた剥き出しの大地と背後の茫漠たる天空とを一身に包み込んで、皓々と広がっていた。一面の景色は別段眩しい光に溢れていた訳でもなく、かと云って闇に閉ざされている訳でもなく、唯白い霧が酸味でも帯びたかの様に仄かに赤黒く蠢いていたのだが、視界はこの上なくはっきりしていた。しかし乍ら余りの遠さに、瞥見したところはそれがどんな形状をしており、またそれが一体何なのかはさっぱり見極めが付かなかったのだが、私が曾て潜った扉のこちら側にあり得るものが何なのかと云うことにいざ思い至ってみると、それは、私の予想を遙かに上回る冒涜的な迄に巨大な大伽藍に違いなかった。天球を支え、地の核脈を繋ぎ止めているのは他ならぬこの自分だと言わんばかりに傲然と聳える巨壁は、その中身を見ずとも、到底人間の手になるものとは思われなかった。両際の壁に遮られた狭い視野からはとてもその全貌は伺えなかったが、建物自体の大きさは、それと比ぶらば人どころかキュクプロスさえ、唯の蟻や点や、また漠たる大洋の中の一瞬の雫と何等変わるところなしと思わせる程に、虚蕩で、威圧的で、天地創世の昔の際限なく続く峨々たる山脈がその儘姿形を変えたかたの様に、全てを圧して巍然と存在していた。材質は、遠目にはよく判らない乍ら大理石ではない様に見えたが、あれ程の厖大な質量を自ら支え得る物質が自然界に存在し、また仮令人為的にであれ存在し得る筈がなく、その不敬な牙城を存続させる為に、この世を成立させている理法に対して一体如何な悍ましい暴虐が加えられているものか、その想像が一瞬頭を掠めただけで、鋸の歯の様な戦慄が私の体内を引き裂き乍ら駆け回った。
建物は丁度私の真正面、渡り廊下の行き着く先を頂点として櫛で梳き上げた様に三角形に纏まっていたが、その様子は、下の礎石から気の遠くなる程大量の巨石をひとつひとつ積み上げていったと云うよりも、地を揺るがして天に咆哮を轟かす一団の雪塵ががもんどりうって天空へ向かって雪崩上がって行ったと言う方がぴったりした。一番上の部分は、凄まじい高みから周囲を完全に圧倒し睥睨していたが、全体的な構成は本物の山脈の様な幾何学的な対称性を持たず、乱杙歯の様に立ち並んでいた為、三角に見えるのも、ひょっとしたら単にその余りの巨大さが視界にとってそう見せているのかも知れない、これも自然が屡々見せる驚くべき悪戯のひとつかも知れない、とも思われた。しかし、確かに私の理解を遠く遙かに超えてはいたが、所々に窺われる何等かの規則性が、その表面を支配しているのが複雑な作為性であることを紛れもなく明らかにしていた。あれ程巨大な質量を抱えてい乍らも輪郭が直線を基本としているところからすると、恐らくは近くで精確に測定した場合には随分歪んでいることがはっきりするだろう、その設計に当たっては多次元的な非ユークリッド的数学が多用されているのに疑いはなくそして、若しこの忌わしくも輝かしい同一性の擁護者達の要塞が、何時始まったのかも知れやらぬ過去と、これまた何時迄続くものやら分からない未来に亘ってその存在を主張し続けるのであれば、その設計者は間違いなく、時間と空間とのいやらしく嫌悪すべき膠着的な依存関係について、些か常軌を逸した洞察を抱えているものに違いない。
その一瞬の光景の持つ微妙極まりない陰影の質感から或ることに気が付いた途端、私はそれにも況して打ちのめされた………砂岩だ! あの城は砂岩で出来上がっているのだ! この時如何なる霊感によってこうした飛躍的な洞察が私に可能になったのかは私にも全く詳らかには出来ない。恐らくは、過去と現在とを同じタペストリーに織り込もうとする疑似記憶の深秘がその時の私を欺いていたのであろう、それは遙かな過去からの想起に由るものか、或いは未だ見ぬ可能的な知が仮象として姿を現したものであったろう。何れにせよ、この奇怪にして明白たる久遠の事実を目の前にして、私の過去や未来が一体、どれだけの意味を持つものであっただろうか? この信じられぬ圧倒的な存在を前にして、この事実が成立した事情や経緯が、一体何だと云うのであろうか? 私が如何に首を横に振ろうとあの傲岸不遜たる巨大城砦は消えはしない。己が卑小と無力をか細い声で嘆く以外の一体何が、この私に出来ようと云うのだろう? あの砂岩は私の知っている類いの砂岩ではなく、あの物質は私の知っている類いの物質ではない。そしてあの大伽藍が頭上に僅かにその存在を許している無力な天界とは、果たして何であるのだろうか?
あの不可能なるものの個なる実体化を見てしまったからには、あの赤い大地に、尋常なる昼や夜が訪れようものであるとか、地上全てに行き渡っている筈の寒暖や色彩の原理が働いているとか、結晶瞬く深い夜空に恒久たる星々が存在しているであろうとは、最早絶対に信じることは出来ない。唯の変則的な離反や例外が生じているのではない、太陽も衛星も、ここでは通常の安寧な櫓を捨て去り、通常知られるものとは異なった次元の秩序で動いているのだ。それは私が生存を続けていた世界の苦悩や歓喜にとって、朧げにその存在を予感したり感知したりすることは出来ようとも、決して了解することの能わぬ性質のものなのだ。それでも私は尚も、この焦赤の大地と天とを統べる法則が、アポローンの日車を駆るパエトーンの如く、単に一時見掛け上狂った軌跡を描いているだけではないかと云う疑いを、どうしても拭い去ることは出来なかった。だからと云って、誰がこの私を嗤うことが出来ようか?
彼女が余り間を置かずに私の視界を遮ったのは、私にとって寧ろ有難かった。私はこの言語を絶する万魔殿を、ほんの一時ちらりと窺っただけだったが、それは出し抜けに、私の意識を奥底迄貫いて現れた。その時不意に、自分が今居るこの場所もまた、ああした巨塊に連なる建物の一部なのだと云う直観が、頭の中を駆け巡った。私の強大な帰還的意志と謂えども結局は私のつまらぬ自我を支えるものにしか過ぎないのだがと、常々自戒はしていたのだが、彼等にとっては、私と云う存在の全ても全くの無に等しいと云うことを、今や私は骨の髄迄思い知ったのだ。私はこの様な、最早比較の対象とは呼ぶことの出来ぬ大きさを持ったものに対して、何等かの抵抗を試みたり、その意図を疑ってみたりすることの、如何に愚かで無為であるやを悟ると、もう彼女が何を私に命じようと、その意の儘にどんな悍ましい行為でもやり遂げる状態になっていた。
女学徒は小さなつむじ風に舞うひとひらの枯れ葉の様に私の前に立ち塞がると、相変わらず穏やかな表情を崩さない儘、再び片手を挙げて或る方向を指し示した。気を落ち着けて再度そちらを見直してみると、私の出て来た穴から程遠からぬ壁の、床に接する面の近くに、先程迄存在していなかった筈の横穴が開いており、私が入るのを待っていた。大きさは丁度人が一人身を屈めて潜れる程で、中は暗く、先がどうなっているのはか全く分からなかった。
彼女は、ローブの裏に吊り下げていたらしき小さなランプを取り出すと、落ち着いた手付きで無言の儘、私にそれを手渡した。私は驚愕に呆然となり乍らも精一杯の恭しさを込めてそれを受け取ったが、その時、明言は出来ないが、何処とはなしにそのランプに見覚えがある様な気がした。それは極くありふれた手提げ用のランプで、単純な曲線を描いて中太りになった硝子の覆いは使い込まれて厚みにばらつきがかかり、その中で黄色い炎が燃えていた。特に目を引く様な点もない幾何学模様を彫り込んだ青銅の灯油入れが下にぽっこりとぶら下がり、上には、緩やかな襞の付いた黒い嵩を載せていた。焦げ跡のある油芯の先に灯った小さな火は、下から上へ丁寧に梳き上げた様に綺麗な流線形を保っており、微かに何時迄も続く現在の波に埋もれてしまった遠い記憶の姿を探るかの様な、仄暗い明かりを発していた。
示威的な雰囲気を彼女は微塵も纏っていた訳ではなかったが、私は唾を飲み込むのも忘れた儘、その驚異の赴く儘に自分の足が穴へ向かって歩を進めるのを傍観することさえ出来なかった。私は彼女の方を振り向きもせずに大理石を踏み締めて行ったが、その時になって初めて、その床が殆ど音を立てないことに気が付いた。
丸みを帯びた穴は黯い口を深々と開けて私を待ち受けていたが、彼女と同じくこの状況に対して何等かの説明を仄めかす様なところは何ひとつなかった。それは唯々真っ暗に広がり、強いて言えばそのこと自体がその状況全体の不可解さを代弁していた。私は頭を屈めて恐る恐るランプを前方に突き出したが、その鈍い光も打ち黙している暗闇を貫くことは出来ないらしく、視界は無きに等しかった。私は黙って膝を屈し、両手を前に突き出して穴の内側の表面に触れた。感触は極く滑らかだった。ランプによって私の手の周囲がぼうっと僅かに浮かび上がったのだが、岩肌には、まるで岩そのものが胎動しているかの様な細かいうねりが走っていた。それは秘めやかに、ランプの灯りがゆらゆら揺れるのに合わせてゆっくり蠕動しているかの錯覚を覚えさせたが、はっと気が付いて我に返ると、それが何の生命もない死せる岩で、自分では動くこともなく唯凝っと沈黙しているのだと云うことが見て取れるのだった。私はこの手足を縛られた様な鬱屈した状況に対して慎重に構え、一歩一歩靴底で前方の地面を確認し乍ら、恐々とそしてやや苦しい姿勢の儘進んで行こうとした。ところが数歩分も進まない裡、霧よりも何かじっとりと重く、不潔に濡れた空気が周囲に垂れ込めていることを、私の指先が微かに感じ取った変化によって知らせてくれたことに気が付いた。
私は一瞬息を凝らし、鼻腔に神経を集中させて歩を進めた。全くの無明の中、足を支えてくれるものが不意に何もなくなってしまったので、一瞬恐慌に陥ったが、慌てて右へ左へと足元を探る裡に、直ぐに固い地面に足が着いた。瞳を凝らしても、目の前に広がるのは周囲を包み込む泥炭を溶かした様などろりとした漆黒ばかりで、明かりは殆ど役に立たなかったが、この、ものがものとして自明の輪郭を持つことの出来る世界との頼りなくか細い絆である弱々しい灯火だけが、今は唯一私の視力が正常であることを証明してくれるものとなっており、若しそれが無かったとしたら、私は恐らく自分が急に盲目になったのであると言われたところで、それを信じてしまったに違いない。
それでも、瞳が段々と暗い視界に慣れて来ると、非常にぼんやりとではあるが、自分が今居る場所が、直径が私の身長の一倍半程の円形の洞窟であることが判った。私がその中へ思い切って足を踏み出した時には、ひんやりと冷たい感触が伝わって来た筈なのだが、足は感覚が麻痺してしまった様に何も感じ取らなかった。足元には足首迄漬かる水がちょろちょろと流れており、何故か知ら厚い靴の外皮にその流れが異様に敏感に感じられ、その水の澄み切った冷たさ迄感じられるかの様だった。洞窟は、その細部はでこぼこしてはいるものだったろう。下水道かとも思えたが、下水道につきもののあの酷い臭気は全くなく、いやそれ以前に匂いと呼べるものが少しもその存在を現さず、そもそも私に嗅覚と呼べるものがあるのかさえ、定かではなかった。
ランプをぐるりと回してもっとよく見ようとすると、突然何の前触れもなく、ざわざわと周囲の大気が鳴動した様に思った。それは恰も、下水道そのものが一箇の生命を持ち始め、自らの意志によって蠢き出したかの様であった。その後に起こったことは、全てあっと云う間の出来事で、耳を塞ぐ暇もなかったのだが、仮令私に耳を手で押さえ付け、受け付けたくはない振動を遮断する余裕があったとしても、その声の力に逆らうことが出来たものかどうかは判らない。それは、私の鼓膜を通して聞こえて来ると云うよりも、魂そのものの内奥へ直接強引に鳴り響いて来て、それを震撼させた。
起こったのは、豚の様な泣き声の大洪水が一瞬その暗闇に襲いかかり、突風の様に直ぐ退いて行ったということである。それは一見、嗄れただみ声の持ち主が大声を張り上げた様でもあり、また夜明け近くに鳥が何度も不吉な鳴き声を繰り返す様や、夏を迎えた蛙共が歓び勇んで穢れた大合唱を聞かせる様に、またそれは癲癇の患者が発した断末魔の絶叫の様に、無知に根拠を持つ呪詛、迷信深く暗愚な農民共の野卑な罵声にも似た恨みがましい怨嗟の声の様でもあった。それは嘲笑にも似ていたが、決してその様なものである筈がなかった。嘲笑する精神に見られる反対象的な次元の特性を、奴等は全く欠いており、バッコスの祭りにて狂乱の裡に贄を引き裂いていた信徒共でさえ、奴等に比べれば余程気高い行為をしていたと言えるだろう。従ってそれが嘲笑と聞こえたのは偏に私の思い込みに違いなく、奴等にはそもそも自らの邪悪さを省みると云うことがなく、また理解も出来ないのだ。従ってそれは純然たる狂気の発露、即ち白目を剥いて口から泡を吹き乍ら、自らの使命感に駆り立てられて矛盾に塗れた戯言を叫び続ける白痴共のどよめきと同様なのだった。
心を持たぬ盲目の巨大なる意志が、泡を跳ばし乍ら混沌の裡に這い寄り、猛り狂い、吼え上げ、最初の乳も与えられぬ儘打ち捨てられた幼児の怨念を込めた唸り声が、或いは未だ生まれやらぬ時分に外界の不浄にて連れ去られた胎児の号泣が、今ぞ今生の晴らし時とばかり、声の限りに喚き立て、ぞめき立て、泣き散らした。その声の主には、虚無のイデアを想定することがまるで馬鹿馬鹿しい試みであるのと同様、凡そ魂と呼べる様な代物が完全に欠如していた。それは救いなき絶望や当て処のない不安、回避することの不可能な無遠慮な現実から来る屈辱や、悍ましき馴れ合いと苦悶、堕落や頽廃さえ知らぬ邪悪の興奮、口にするのも憚られる忌わしき行為によって退化し、尚悪いことにそれを謳歌し続ける生命の陶酔等、凡そ人智の及び得る限りのありとあらゆる涜らわしきとこどもを力強く高らかに謳い上げ、それらを全て、永転する宇宙的な恐怖の大渦の中に巻き込んでいた。
濃厚な、どろどろに溶けた重い蝋の様な恐怖が周り一体を包み込み、強烈な圧迫感が私の身ぬちを嵐の如くひと撫でして駆け抜けて行った。遠のきつつある意識の中、よく聴くとそれに混じって、巨大な、謂わば母豚の、大地そのものが移動を始めたかの様な全てを揺るがす忌わしい大音声の雄叫びが一声、それらの通奏低音となって響き渡り、四方八方に跳び散る雑多な喚声を、ひとつに纏め上げていた。そしてまたそれに不協和音を以て和するかの様に、きいきいと云う仔豚共の甲高い鳴き声が何層何重にも重なり合い、瞬間、恰もひとつの邪悪な一大交響楽をがなり立てているかの様に、何度も波紋を広げる幾つもの波の様に押しては退きを繰り返して、複雑な絡み合いを見せた。私の手にある小さなランプの光の他には何ひとつ照らし出すもののない奇怪な暗黒の下水道の中、叫びがエーテルそのものを満たした。
私は衝撃にその刹那気も狂わんばかりになったが、その持続の短さが幸いしたのだろう、耐え難い恐怖に全身を貫かれ、心の正確な所在を不明にし乍らも、尚私は正気を失わなかった。自分が何をしているのかと云うはっきりとした自覚は何ひとつなかったが、恐らく暫しの間凝っと下流側の暗闇に目を凝らしていたのであろう、常闇と思われた状況の裡にも次第に僅かな手掛かりに焦点が合わさり、それぞれの細部は他の部分との目紛しい往復運動を繰り返して次第に全体を構築していった。だが、そこで私はこの上もない戦慄を見出すこととなった。それは、いっそその儘永久に見ないでおればよかったと思わせる体のものではあったが、それと同時に、妥協と意図的な隠蔽を許さぬ私の想像力は、若し何時迄も見ないでいたならばその後一体自分はどうなっていたであろうかと、無視することの出来ぬ暗澹たる可能性を冷厳に示唆するのであった。意識はまだ半ば奈辺に遠のき乍らも最初に気が付いたのは、洞窟の壁の一面を覆い尽くす、無数の巨大な鼠共の存在であった。一匹一匹の詳細は見て取れた訳はないのだが、私は、残念乍ら奴等がどの様な有り様をしているかを、迷走する神経の戦慄きの裡にもしっかりと把握することが出来た。奴等は私の方を向いて、威嚇でもする様に、ぞっとする膠質の、水滴を弾く剛毛を逆立てて、ざんばらに生えている太く長い鬚を震わせ、萎びた薄い皮膚に覆われた、干涸びた人参にも似た奇怪な指に渾身の力を込めて下水道のはっきりしない壁にしがみつき、それを埋め尽くしているのだった。そして、奴等の背後には、永劫へと続く凶々しい深淵が轟とばかりに口を開け、その源泉を推し量ることを許さぬ、永劫よりこの方、未だ日に光を浴びたことがないのではないかと思わせる黒い水が、渺茫たる底知れぬ黯黒の大洋を目指して音もなく滔々と流れていた。
奴等の図太い犬歯やいやらしく細い牙には、今だ犠牲者達の淋漓たる血潮がこびりついているかに思われた。そして奴等の目は、完全な暗闇を擁していた。その瞳のない丸い目は、全く反射をしない。その中に自らの存在を声高に主張しているのは、何者をも呑み込んでやろうと云う盛んな気概に溢れた、活発に活動する虚無だった。それでいて彼等は虚無を自在に操っていると云う訳でもないらしく、虚無そのものの性質から来るのでもあろうか、全ての者が死滅し、寂滅した異世界への扉を、その体内に戦慄き乍ら孕んでいるかの様だった。
奴等の実体が一体何であるのか、四つの秘めたる文字によって大声で囁かれる傲慢なる者の計画に、反逆者の存在と行動さえもが、その必要不可欠な一部として初めから書き込まれている様に、奴等も何か知ら私の与り知らぬ偉大なる調和の一員なのであろうか、それとも奴等は、常の反抗を誓った一大勢力なのであろうか、若しくは、この先の常闇に潜むであろうものを管護し、或いは守護し且つ監視すべく、何者かによって遣わされた高貴な番人の化身なのであろうか、英雄がその敵にとって恐ろしい人外の魔物であろうが如く、これら生命そのものに害を為すしかしない外界の住人達に見えるものどものまた、偉大なる奸計に則って動かされる駒のひとつなのかも知れない、怪異がその存在を現すに当って選ばれる姿がどの様な基準によって選ばれるのか、自分が知ることの如何に少ないかを思い起こすがいい………そうしたことどもを、当然私は気に掛けるべきであったのであるが、私の頭脳は何故か凍り付いた儘、何処か安全な避難場所から、この状況を冷ややかに眺めていた。まるで自分が、純粋な視覚的存在となって、自分自身から遊離しているかの様に、私には嗅覚も、聴覚も、触覚さえ存在しなかった。厚い硝子窓を通して外を吹き荒れる大吹雪を眺めている時の様に、奇妙な非現実感が支配していた。
暗惨たる大気そのものに、悪意ある沈黙が充満していた。鋼鉄を思わせる暗闇は、指で弾けばさぞかし硬い音を立てるのではないかと思われた。奇妙なことに、そしてまた思い返すだにこの上もなく愚かしい分裂を呼び起こすことに、私は一瞬、自分が奴等の牙にかかってずたずたの肉塊になる場面を、背筋に冷水を浴びせかけられそこから全身を一気に切り裂かれる様な緊張と高揚の裡に、想像していた。それは堪らない程の快楽であり、大声で笑い出したくなる程の愉悦であった。と云うことはどうやら私の中には、恐怖を創造し、恐怖それ事態の為に離別と接近とを、喪失と愛着とを、疎隔と威圧とを追い求めると云う、文明を形作るあの究極の動因が、まだ死に絶えずに蠢いているらしかった。それが嘆くべきことであったのか、それとも慶賀すべきことであったのかは問うまい、その時私は、人喰い虎に魅入られた犠牲者が死の恍惚に捕われる様に、ゴルゴーンに睨まれた若きギリシァの兵士の様に微動だにせず、鼠共々凝然とその光景の胎内で対峙した儘、ひたすらその恐怖と陶酔の気分の中に沈み込んだのである。青銅の彫刻が強硬症にでも陥ったとしても、斯くの如き固い様相を呈することは先ずあるまい。今私が目にしているのは純然たる邪悪の結晶なのだ、と云う好奇に惹かれるに似た想いが、私の脳裏の隅々を支配していたのだろう、直ぐにそこから逃げ出さねばならぬと云う気は起こらなかった。ひょっとすると、それもまた私の隠された低次の意図によるものではなく、何者がそうなることを望んだからだったのかも知れない。だがそれも、つまるところどうでもよいことなのだ。聞こえるのは唯、蛇の様に足元を撫でて、無言の儘下流へと下って行く水のせせらぎばかり………そこには、砂漠や極地を行く勇敢なる者が経験するが如き、鋭い刃物の様に我が身をつんざく清澄さが併存していた。
………私がその気の滅入る閉塞的な風景の中で凝固してから、何れの時が経過したものやら、私には定かではなかった。或いは永遠そのものが過ぎ去っていたのかもしれない、その時系列に於て事象の一意的な同時性が成立する為の間隔が、その事象自体の影響によって余りに大きくなっているが為に非常に永く感じ取られる瞬間が、ほんの幾つか過ぎ去っただけなのやも知れない、しかし平坦な時流の区分と云うものを捨て去ってここに来た私にとって、凡そ時と云うものが一体どれだけの意味を持とうと云うのであろうか。
その時背後から漂って来た無言の音楽に、私がゆっくりと振り返ると、世界の全体がそれと一緒に回転した。出所の判らぬ水面にゆらめく様な淡い光のレースが視界を導き、私を導いた。私の躰がくるりと回り、よろめく様な足取りで進み始めると、上流の方には小さな段差があり、そこに小さな滝のせせらぎが出来ていることが判った。至純なる水が、私の足にぶつかって小さく波を立て、その側を回り込んで下流へと流れて行った。ランプの光はやがてそこにあることさえ忘れられた。光は一層その輝きを増し、その全体から、何かが迫り上がって来た、いや、初めからそこにあったものが徐々に見えて来た、私は盲目に出会う備えをした。
光に包まれた女性が独り、清浄な水の上で遊んでいる。洞窟の中は悉く浄められ、光を受けぬ影の部分は存在しない。何処も彼処も全て、同一の光の無限性の現れを表し、その鱗片にすら諸々の世界の無数の輝きが交差し、無限の全体が互いに喰らい付き、呑み込み、それらの全体がまた更に全体を成しているのを覗かせる。彼女の肢体に纏わり付いているのは、光に照らされ、光を包み、光を透して、そしてそれ自身もまた光を発している薄いヴェールで、何処からか、或いは光から吹いて来る風にたなびきはためく毎に、彼女のほっそりした肢体は大きく、巨大にさえ見えて来る。光は、洞窟から、ヴェールから、彼女の姿を私の目に映し出している大気から、そして彼女自身から、万遍なく発している。私はその光が、あの無言の回廊で私を導いたあの光と同一のものであるか、或いはその源であることを疑わなかった。あれ程春の雨の様にやさしく降り注ぐ光、あれ程尽きせぬ慈愛に満ちた豊穣な光………それでい乍ら、何物も容赦せず刺し貫き、見透かし押し潰して来る様な鋭さもまた備えていると云うのは、矛盾しているだろうか? 光は、そして光の焦点にして中心たる彼女の眼差しは、人間のあらゆる情炎を、冷徹に、いや、冷徹とさえ言えない、余りに無感動な無比の精神で以て、遙かなる高みから、超然と望見していた。そして彼女の残酷な迄の清澄さの根もまた、そこに発していた………彼女は、人間的と呼び得るものとは凡そ無縁の存在なのだ、人間の姿に似てはい乍ら、何か言い当てることは出来ないが、人間の持つ決定的な要因を何処か欠いている存在なのだ、人間以上の、遙か太古より夢見、夢見られ、そうあり続ける存在、私は陶然と戦慄した………。
正に、天上の栄光とは斯くばかりのものやと想われた。肉感的な傾勢の裡にあり乍ら精神の高みへと向かう傾向性を有していると云うのではない、そんなものは向こう岸から詠嘆したり賛美したりする術のみを知っている哀れな鑑賞者の後知恵であり、言い逃れに過ぎない。そこに具現されていたのは、完全なる一性に於て纏め上げられた星辰の霊気であり、宇宙万象の狭間に漂う、深淵を覗かせる亀裂であり、星雲の星々の律動であり、一切の真実を漏らさず、而して血塗れの断片をも厭わず、それでいて非地上的な、何人にも傷付けることの決して叶わぬ鎧を身に纏っているが故に決して涜れることのない、完全なるものであった。信じ難い程整然とした秩序と調和であり乍ら、それはまた、解き明かされず、また決して解き明かされることのない、永遠より来たりて永遠の彼方に迄存在し続ける、無窮の深秘であった。
私はその光景の不作法な闖入者ではなかったろうか? 現に、私が姿を現す迄の彼女は自足して永遠の戯れを戯れていたと云うのに、今やそのたおやかな手を止め、こちらを向いてその大きな瞳で私のことを見詰めているではないか? いや、そうではない、私は予定になかった珍客などでは決してなかった、彼女は、私を待っていたのだ、永遠とも思える時を閲して………私はそのことを知っていた。彼女が何者であるのか、いや少なくとも私のこの貧相な烙印を捺された精神に理解し得る限りでどの様な存在たり得るのか、そしてこれとは別の現実に於ける彼女の名前を、そしてまた更にもうひとつあり得ぬ筈の別の名前を、私は、その逆説的な潜在性に於て、ずっと以前から知っていたのだ。いや、私が現在の私と呼べる様な存在として存在し始めたその生誕の瞬間から、それは予め定められた則として、決まっていたことなのだ。
言葉はなかった。
彼女は両手を広げ、私を差し招いた。曾て見た美そのものの顕現を、再び私は現実に目にしているのだと云う想いが、私の全存在を満たした。私の全てを形成し、私と云うものの界面とその辺縁とを作り上げていた果てしない闘争の局面の結節点が全て、一旦バラバラに解かれ、再び結び直された。全く見たことも想像したこともなかった光芒が放たれ、そして私は方向を見定めた。繊維質の水晶の如き光の壁の中を、必然に導かれ、私は前へ進んだ。
この先の一切を語る果して如何なる言葉があり得ようか。共通の認識基盤を持っていない者同士の間に、正常な意思の疎通などあり得る筈があろうか。神々と人間とが同一の言語を有している筈がない様に、また永劫よりやって来て吹きすさび、エーテルに乗って荒涼たる原初の砂漠を吹き抜ける壮絶な風が、全てを見、全ての問いに答える用意があり乍らも、答えを嘆願する哀れな祈祷者に何の語りかけもしない様に、言葉と云う哀れで貧相な符牒を用いていたのでは、永久に伝達は達成されない。私が経験したのは、正に私以外の何人にも経験出来ぬ様な性質の経験であり、或いは私自身さえ経験し得なかったとさえ言える経験であって、そこには語られるべき言葉、語るべき言葉は存在しないのだ。唯でさえ極度に合意が不足しているこの貧相な世界では、唯目覚めと現との淡い境界、曖昧模糊たるまどろみの世界に於てのみ、その何たるかを朧に予感することが出来るであろう。それまでの私のつまらぬ生涯が経て来た経験の一切は、これを十全に理解し尽くすに充分ではなかった。沈黙の驚異がふつふつと全身の細胞から沸き上がって来てい乍らも、あの微細な存在領域へと私を拉し去ったあの必然については、正にそれが必然であると云う理由によってこれを述べることは不可能である。現行の息苦しい言語による束縛は既になくなり、過去だったものが今や現在となり、未来だったものが今や過去となった。約束されていたことが果されたのであり、契約されていたものが正式な承認を経て履行されたのである。それは既に起こってしまったことであり、また現に今起きつつあることであり、またことから起こるであろうことでもあった。全ては、生命と精神との深奥より招かれた、生成と消滅を繰り返す幾つもの時空連続体を横断して存在する、永遠の現在の上で起こったのである。そしてその背後で、扉の向こう側にあるものが、今や輝かしく顕現していた。予感も悔悟も、その本来の意味を失った。
私の屍体が、無限の縞瑪瑙の橋が架かった超純水の流れを下り、恰も七つの海を放浪する船乗りが港々で粗雑な欲動の赴く儘野卑な安らぎと憩いとを求める様に、雪花石膏の小石を散らした縞瑪瑙の橋の下の、琥珀色をした大きな結晶が生い茂る曲り角で何度か暫く迷いを見せるかの様に立ち止まり乍らも、やがて再び流れに身を任せ、最後に、さやさやとかそけく秘めやかな音を奏でている清冽なる水晶の葦の茂みに引っ掛かったのは、それから数日が経ってからのことだった。未だ曾て晴れたことのない永遠の朝靄がうっすらと立ち込める中、微光に包まれた世界を映し乍ら、俯せになった私の屍体は、光彩陸離たる水晶の輝きをその身に充分に吸い込むと、やがて霊妙な流れを優しく周りに纏い始め、ふいと自分の行き先を思い出したかの様に茂みを離れ、人間と云う名の極く無知な部類に分類される矮小な存在が知り得る限り、凡そ有機質と呼べる様なものが何ひとつ存在しない、完全に無機物ばかりの海へと、静かに流れ込んで行った。そこに太初が存在した。
それが新たなる生命の源となるか、単純な分解の過程を経た後一握の塵となって終わることになるのか、私は愉しみに待っている。私の肉体が辿ることの出来る選択肢は極く限られているが、私には、私の胸を無惨に砕き、踏みしだいて、その上で狂った様に踊り続ける、大いなる死せるパーンの姿が、今もこの目にはっきりと見える様だ。曾て生は死であり、死は生であった。今やその約命は全き形に於て実現されるべきだ。契約は果されるべきなのだ。しかしどちらの道が歩まれようとも、何れ全ては判ること。私が知りたいと思うものを全て私は知ることが出来る。全知と云う訳ではないにしても、神ならぬこの卑賎な身にとって知が齎す恐怖については、私はよく知っている積もりではあるのだが、肉的個と云う重い桎梏から解き放たれた今となっても、復讐者の如き一途な探究の執念は、私を捕えて放さない心積もりの様だ。私は喜んでその下僕となろう。
最後の別れを白く輝く砂浜から送ると、大空を舞う鳥の様に、一片の躊躇いなく私は飛翔した。最早何者も私を脅かすことは出来ない。何れの局面もまた私であり、何れの局面も決して、私であることはない。以前は遠く彼方に避難所を仰ぎ見ていたものを、この王国では私自身がかそけき忘却の民達の避難所となっている。今や私は、あの大伽藍にさえ、怖じることなく軽やかに足を踏み入れることが出来るだろう、彼女が、或いは、この無機質の幻想郷の皇帝達が導いてくれる儘に。………いや、最早私には、導きさえ必要ではなかった。今の私には空を飛ぶ為の翼があり、地を踏み締める為の足がある。輝かしい王国もまた、何の警戒もなく私の前に広がっているではないか? 私は先ず真っ先に、あの傲岸極まりなき殿堂の扉をこじ開け、ずっと知りたくて仕方のなかった諸々の事柄について、今度こそ余すところなく知ることになるだろう。日が落ち続け、また昇り続けるこの地で、私は生命と精神の秘密を知り、〈原理〉の最深部へと向けての旅を始める積りである。
ここに円環は閉じられようとしている、いや、ここに円環の始源が開始されようとしている。やがて世界が、何物も忘れてしまうことなく、何者ものその合一を果すべき相手と別れ別れの儘に放っておくことなく、その大いなる胸襟を開いて私を待ち受けてくれることだろう。その時には、私は自分の鍵を握り締めた儘、扉は開かれた儘になるだろう、失われた扉ともまた、今度こそ再会を果たせるだろう、今を望む遙かなる未来に於て、約束は果されるだろう。
そしてその時にこそ、私の旅は始まるのだ。そう、私は生まれるのである。
夢にて夢見られし壮麗なる諸々の都の住人達よ、斯くして我等が王は眠りに就かれたのであった———と、語り手は語った。