CROSS ROADS(4)
「……君。…叶君」
目を開けると心配そうに覗き込む男子生徒の姿があった。
「……たち…ばな…?」
橘は郁也の声に頷くと、安心したように「よかった…」と息をはいた。
「ずっと目を覚まさないから心配したよ」
と言って隣のベッドに腰掛ける。
ベッドで目を覚ます自分。それを呼び起こす声。ああ、またこのパターンか。
どうせまた誰かの事故に巻き込まれたのだろう。目覚めたばかりで思い出せないが。
「ああ…、悪かったな」
適当に謝りながらぼんやりと今回のケースを思い返す。確か前回は猫だった。
その猫を偶然道で見かけて追いかけたところまではなんとなく覚えている。
その先の記憶が曖昧だった。学校に行ったような気もするのだが…。
頭を抱えて記憶をたどりながら、ふと隣のベッドに腰掛ける橘の姿を見る。
「あ」
「?」
(そうだ。猫を追っていったらそこにいたんだ。こいつが校舎裏で猫を飼っていた。
その猫に俺がえさをあげようとして…、それで…。)
「…なんか…、いっぱいあって…、こんなに…、いらねぇよなぁって…」
記憶が鮮明になるにつれて、だんだんと怒りがこみ上げてくる。
「だ、大丈夫?叶君」
記憶の中の橘の顔が目の前の橘の顔とリンクした。
「おまえかあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「わああぁぁぁぁぁぁっ!?」
胸倉を掴みあげてそのまま橘を押し倒す。ベッドが激しく軋んだ。
「あのな!俺今日退院したばっかなんだぞ!
退院したその日に入院なんて笑えねぇよマジで!!」
「ご…、ごめん…」
あっさりと謝罪の言葉を口にする橘に向かって、もう一声怒鳴ろうとして口ごもる。
橘は怖がりも泣きもしなかった。ただ本当に申し訳なさそうな顔をしていたのだ。
どこか思いつめたような表情。それはあの時あの猫に向けていたものと同じだった。
ため息をつきながら郁也が手を離すと、橘はもう一度「…ごめん」と呟いた。
勢いで押し倒してしまっただけに、妙に気まずい空気が流れる。
「……謝りゃいいってもんじゃ……、……どこだここ?」
その空気を振り切るように辺りを見回す。保健室ではなかった。近くの病院だろうか。
(昴んトコじゃない…な)
海浜病院の全ての病室を回って見たわけではないが、数十回もの入退院を繰り返した為、ベッドの配置や枕の形など基本的な構造はしっかりと頭に記憶されていた。
「あ、えと…ここは病院じゃない…みたいだよ」
おずおずと橘が言う。
「…病院じゃないって、じゃあ何処だよ。橘んち?」
橘が首を振る。確かに部屋にしては妙に殺風景ではあった。
「…あ、えと…、そうでも…なくって…」
「ここは病院じゃないわよ」
凛とした声が橘の言葉を遮る。その声には聞き覚えがあった。
尤もそれは夢の中でなのだが…。
「あ」
驚いて振り向いた先にはあの少女が立っていた。
「ホントにここ。俺達がいた所と違うんだな」
砂浜から水平線を見つめてつぶやく。
ここには一つの建物とそれを囲うように広がる砂浜しか存在していない。その周りには果てのない海がどこまでも続いている。
郁也と橘は目覚めた部屋があるその建物から外に出てきていた。
部屋の掃除をするから邪魔になる、と二人揃ってあの少女に追い出されたのだ。
「…うん。異空間って本当にあったんだね」
橘の言葉を聞きながら、郁也は部屋を出るまでの少女との会話を思い出していた。
『…病院じゃない?』
少女が頷く。
『というか、あなた達がいた世界とも違うけど』
淡々と告げる少女。やはり夢でなかったのか、それとも今が夢なのか。
そんなことを考えていた為、郁也は少女の言葉に反応するのが数瞬遅れた。
『…ん?世界って…?ここ、日本じゃないのか??』
『…ニ…?それがどんな存在を示す言葉かよく知らないけど、…ここはあなた達がいた所とは全く別の場所よ。……空間的な意味で』
『?なんだそりゃ』
『……異…空間ってこと?』
疑問符を浮かべる郁也の脇で橘がつぶやく。頷く少女。
『ここには時折あなた達のような人が流れ着くの。現実空間からの…迷い人が』
『迷い…って何に?』
『生きることに』
びくっと橘の体が震える。
『……俺。別に迷ってないけど』
『あなたは単に巻き込まれただけね』
郁也の膝からカクッと力が抜ける。
『ああしたかった。こうすればよかった…。そういう命を落とす寸前の強い思いが…、
この空間への道を紡ぎだすの。そしてこの砂浜まで流れ着く』
そう言って、黙り込んでいる橘へと視線を移す。
『…貴方にも何かやり残した事があるんじゃない?』