CROSS ROADS(2)
「いや~!!五十回目の退院おめでとう!!」
パンパパンッ!!
ど派手なクラッカーの音と耳を覆いたくなるほどの拍手が室内に響き渡る。
場違いなその光景に通りかかった看護婦が目を見開いている姿が見える。
海浜病院505号室。窓から海が見えるその病室で郁也は頭を抱えていた。
あの妙にリアルな夢から目覚めた後、彼はこの部屋のベッドに横たわっていた。
あれから数日が過ぎたが、結局一度もあの少女の姿を夢に見ることは無く退院の日を迎えてしまった。
「こんなに患者を助けられるとは、僕も医者になった甲斐があったというものだよ」
「…昴兄」
頭を上げて仰ぎ見た医者の左手には使用済のクラッカーがしっかりと握られている。
彼の名は叶昴。郁也の父親の兄の一人息子。つまり郁也の従兄弟である。
大学卒業後に医学の道に進み、3年前からこの病院に勤めている。
幼い頃から同じ叔父夫婦の下で育った為、今では実の兄弟のように仲が良かった。
「30回を越えた時はさすがの僕も焦ったけど…、まさかここまでいくとは…」
なにやら感慨深げにカルテを見つめ、パタンと閉じて言う。
「100回記念には何が欲しい?」
「やめてくれ!縁起でもないっ!!」
思わず振り下ろした腕の勢いは、枕の柔らかさに一瞬で吸収された。
「…はぁ~、もう」
行き場を失った怒りに重いため息をつくと、ぽんぽんと昴が肩を叩いてくる。
「まぁまぁ。それだけ誰かの命を救ってるってことだよ」
「………」
顔を上げてふと窓の外を見つめると雲一つ無い快晴だった。
いっそ大雨でも降ってくれていれば、こんな大台には突入しなかったのかもしれない。
(いや、そしたら誰かが滑って転んで…、…結局同じか)
何度目かのため息をつく。いつも最後はこうなのだ。
いろいろ考えても最後には諦め、受けとめる事しかできない。
どうしようもないのだ。このしょうもない自分の宿命というものは…
10歳の時だった。
数ヶ月前から貯めていたおこづかいを握り締めて、郁也はおもちゃ屋に向かっていた。
その日は昴の誕生日だった。
プレゼントはずっと前から決まっていたので、坂道を登る足取りも軽かった。
坂道の終着点に辿り着こうかというまさにその時、交差点の向こう側から1匹の猫が通りに飛び出してきた。
赤い信号機の色。猛スピードで迫ってくる車の影。考えるより先に体が動いていた。
目覚めると郁也は病院のベッドの上にいた。ベッドの傍らには郁也の手を握ったままその手にすがって泣く叔母の姿があった。その隣には叔母の肩を抱く叔父の姿。
2人共郁也が目を開けると目を見開いて驚き、まだ痛みの残る郁也の体をぎゅっと抱きしめて喜んだ。
昴曰く、吹っ飛んだ先がごみ捨て場であった為、上手い具合にごみ袋がクッションになって助かったのだろうという事だった。おそるおそる猫の安否を確認すると、事故に驚いてそれはそれは元気な姿で飛ぶように逃げていったそうだ。
―――それが一回目。
二回目はその2ヶ月後。橋の欄干から落ちそうだった子供を助けようとして落ちた。
三回目はその半年後。道路で立ち往生していた老婆を助けようとして電柱に激突。
十回目は11歳の春。飛び降り自殺をしようとしたサラリーマンに巻き込まれた。
二十回目は13歳の夏。川で溺れそうになった友人を助けようとして溺れた。
三十回目は14歳の秋。小学生の列に突っ込んできた車から子供をかばって衝突。
四十回目は15歳の冬。酔っ払ってホームに落ちかけたOLともみ合って転倒した。
そして五十回目―――、
どうも自分は頭よりも体が先に動いてしまうらしい。
冷静にならなくてはと思いつつも、体はすでに行動を開始している。
切羽詰った時ほど「考えるよりまず行動」という意識が働いてしまうのだ。
そんなこんなで今まで郁也が助けた人間は50以上、全ての生き物を含めたら100は余裕で越える。自分はなんてエコロジストなんだと真剣に悩んだ事もあった。
そして1つの結論に達した。
つまりこれが自分の宿命であり、逃れられない運命なのだと。
結局自分の力ではどうすることも出来ないのだと。
…いつからかそうやって決めつけている自分がそこにいた。
「これで自分が死んだらホント笑えねぇよな…」
視線を戻し、ベッドに腰掛けたまま呟く。
「…そうだね」
役目を終えたクラッカーをごみ箱に捨てると、昴が真面目な顔で言う。
郁也は昴の事を命の恩人だと思っている。事故現場に真っ先に駆けつけてくれたり、急患の郁也を出来る限り早く治療できるように病院の準備を整えてくれたりと、いつも郁也の事を第一に考えてくれた。昴がいなければ今の自分はきっとここにはいない。
もちろん叔父夫婦も同様に思ってはいるが。
「確かに…、誰かを助ける為に体をはるのはとても偉い事だけど、それで自分の大切なものを失ったら意味が無いんだ」
昴が以前話してくれた事がある。医者の静止を聞かず、一切飲み食いもせずに重病の夫に一日中付き添って、結局夫と共に死んでしまった女性がいたと。とても安らかな顔だったと語る昴の顔が今まで見たことが無い位、憔悴していたのを覚えている。
「一番大切なのは、…君が幸せでいる事だから」
そういってにっこり笑った。そして治療費もばかにならないしね、と呟いた。
郁也は苦笑しながらも、心の中で昴に謝っていた。
昴にはもう二度と、あんな顔はして欲しくなかった。