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第9話 二日目:ブランド魔法の愉悦

 二日目の朝。あたしはまだ、昨日の続きを生きているつもりだった。


 同じ部屋。同じ空気。ベッドが二つあるだけで、どこか合宿みたいな雑さがある。


 ヒモは先に起きて、窓の外を見ながら言った。


「今日も、昨日の続きでいけるよな。あの、体験ってやつ」


「体験版。最高の響き」


「無料って言い切るな。怖いから」


 あたしは枕元のスマホを掴んで、画面を点ける。


 現世のそれと同じ形なのに、ここでは呼び出しボタンが増えている。昨日、さらっと教えられたやつだ。


 困ったら、ここから呼べますよ、と。


 押した。



 空気が、薄い膜みたいに一枚めくれて。


 その隙間から、ふわりとリーボが現れた。


 丸くて、小さくて、光っている。声だけはやたら丁寧だ。


『おはようございます。本日もご案内いたします』


 ヒモが目を細めて、ぼそっと言う。


「名前の割に、見た目はかわいいな」


「だよね」


「ギャップで安心させるやつだ」


 リーボは否定もしない。


『本日は単発の回収業務をご案内できます。昨日の窓口へ向かいましょう』


「窓口って言い方、携帯ショップじゃん」


「近いです」


「近いんかい」


 あたしは笑いながら歩き出した。



 仕事の窓口は、やけに整っていた。案内板も、導線も、係員の笑顔も。


 優しすぎる運営は、だいたい後で回収してくる。


 ヒモの偏見が、今日はやけに現実味を帯びて見える。


「軽めのやつ、ください。軽めって、あるんですか」


 係員はにこやかに頷いて、短い案内票を渡した。


「あります。相対的に」


「相対的、って言葉は嫌い」


 ヒモが即ツッコむ。


 外れの回収フィールド。初日の登録者向け。危険度は低い。


 そういう説明だけが、やたら滑らかだった。



 フィールドは、街の外れの空き地みたいな場所だった。


 草はあるけど手入れはされてなくて、建物の影は遠い。昨日の「施設」から一歩外に出た感じ。


「よし。ここで、魔法……か」


「言い方が急に中二」


「だって魔法だよ。魔法。人生で一回は言いたいだろ」


 そこで、地面がぬるりと光った。


 透明な塊が、跳ねる。中に、金属みたいな光沢の丸い欠片をいくつも抱えている。


 ぴちゃ、ぴちゃ、と粘っこい音。


「うわ、コインっぽいの入ってる」


「コインに見せるな。絶対釣り」


 リーボが、さも当然の口調で言った。


『こちらは回収対象の低ランク個体です。俗称で、皆さんカスコインスライムと呼ばれてます』


「カスコインスライム」


 ヒモが繰り返す。


「名前がもう、触りたくない」


「触らなくていい。焼けばいい」


「焼く前提なの、順応早いな」


 リーボは続ける。


『動きは単純ですが、貼りつく性質があります。足元にまとわりつかれると転倒の原因になりますので』


「じゃあ、ヒモ。引きつけお願い」


「当然みたいに言うな」


 言いつつ、ヒモは一歩前に出た。スライムが、ヒモの足元めがけて跳ねる。


 ヒモは殴らない。避けて、誘導する。壁際へ、視線と動きで引っ張る。


「こっち。ほら。こっち来い、金モドキ」


「煽りが雑」


「煽りが雑なほうが、効くやつもいる」


 あたしはヒモの背中越しに、スマホを構えた。


 スライムを目で捉えた瞬間、画面が勝手に切り替わる。


 薄い板みたいな表示が、目の前にも浮かんだ。スマホと同じ内容が、空中にも出る。


「え、なにこれ。二重表示」


 リーボが簡潔に言う。


『戦闘時は視線を外さないよう、スマホ画面と同内容の操作画面を投影します。どちらからでも選択できます』


「便利すぎて怖い」


「運営がしっかりしてるの逆に怖い、ってやつ」


「今そのボケいらない」


 カテゴリが並ぶ。プチプラ、ノーマル、ブランド、セール……。


 ノーマルを開くと、いくつか名前が見えた。


 ファイア。サンダー。ウォーター。ほかにも、同じ調子の並びが続いている。


「とりあえず、ファイア」


「無難」


「無難で勝てるなら、無難が一番」


 指を落とした瞬間、掌の前の空気が熱を持った。


 燃える、というより、熱が線になって走る感じ。派手じゃないのに、ちゃんと怖い。


 スライムの表面が一瞬で乾いて、膨れて、ぱちんと弾けた。


「……うわ、効く」


「感想が軽い」


「効いたのが軽くて何が悪い」


 ヒモが引きつける。あたしが焼く。


 もう一体。もう一体。


 短い。分かりやすい。勝てる。


 調子に乗るには、十分だった。



 四体目が出た時、ヒモがわずかに足を取られた。


 貼りつく粘りが、思ったより強い。靴底がぬるっと滑る。


「おい、こいつ地味にうざい」


「地味にうざいのが一番うざい」


 あたしは焦った。


 ファイアで削れる。けど、あと一手間かかる。


 その一手間が、いまは怖い。


 視界の端で、ブランドの文字がやけに輝いて見えた。


 飾りみたいに金色のアイコン。やたら長い名前。



 ルッソ・ヒュージ・エクスプロージョン。



「ちょ、待て。いま、それ絶対――」


「一発で終わらせる」


「だから怖いって言ってんだよ」


 あたしは、目の前の板みたいな表示でそれを選んだ。


 タップした瞬間、名前だけで胸が上がる。


 バカみたいに長い。なのに、言いたくなる。撃ちたくなる。


 確定した瞬間、指先から手首にかけて金色の線が走った。


 熱くはないのに、皮膚の内側で、カードを切ったときの「ピッ」が鳴った気がした。


 足元に、薄い金色の円がぱっと広がる。


 炎の紋章でも古代文字でもない。硬貨の模様とか、紙幣の透かしみたいな幾何学が、同心円に並んでいる。


 世界の色が、すっと抜けた。


 草の緑も、土の茶色も、遠い建物の影も、急にモノクロ寄りになる。


 残ったのは、白と金だけ。


 まだ何も起きてないのに、髪と服の裾がふわっと上に持ち上がった。


 空気が先に吸い込まれている。


 耳の中で、細い高音がちりちり鳴った。ガラス片が擦れ合うみたいな、シャラシャラした音。


 狙っているスライムの頭上に、小さな光の粒がひとつ、ふっと灯る。


 ろうそくの火くらい。


 こんなもんで本当に終わるの、と一瞬思った次の瞬間には、その光が空へ向かって伸びていた。


 白金色の柱。


 柱の中で、金貨みたいな光の円盤や、契約書の紙片みたいな残像がぐるぐる回りながら吸い上げられていく。


 数字みたいな細い光も混ざっていて、読めないのに、なぜか目だけが追う。


 柱が伸びきった瞬間。


 一拍遅れて、胸を内側から殴られたみたいな重い音が来た。


 どん、じゃない。


 どんっ、って体の中で鳴るやつだ。


 遅れて、外側の爆音が追いついて、ヒモが反射でしゃがみ込むのが見えた。



 柱の中心から、透明な衝撃の円盤がぶわっと広がる。


 地面の砂利と土が、輪っかの形で跳ねる。空気が、横から思いっきり叩いてくる。


 炎は赤くない。


 中心は白と金。外縁はオレンジに薔薇色が混ざった変な上品さ。


 さらに外側に、紙吹雪みたいな光の破片と、虹色の火花が散った。


 花火とCMを足して、無駄に高級にしたみたいな爆発。


 爆心地のスライムは、輪郭だけ一瞬白く抜けて、そのまま光の粒になって四散した。


 生々しい破片じゃない。ガラス片とか紙吹雪みたいに、さらっと消える。


 きらきらした煙が立ち上る。


 黒煙じゃない。灰と金が混ざった、ラメみたいな煙。


 匂いは、甘い焦げと金属の熱が混ざって、一瞬だけ高級ショップの香りと勘違いしそうな最悪さ。


 地面には、黒と金が混ざった焦げ跡が残った。


 鏡みたいにテカっている。焼けたのに、妙に上品。


 気づいたら、あたしは笑っていた。


 何がおかしいのか分からないのに、笑いが出る。


 心臓が二段階で跳ねた。


 一発目は反動。二発目は快感。


「……やば。なにこれ。気持ちよすぎる」


「気持ちよがってる場合じゃない!」


 ヒモが叫ぶ。


 リーボの声が、いつもと同じ丁寧さで落ちてきた。


『本日のご利用、ありがとうございます』


 その言い方だけが、寒かった。


「……ご利用?」


 あたしの声がひっくり返る前に、ヒモが食いついた。


「今、ご利用って言ったよな。昨日、体験って言ってたよな」


 リーボは笑顔のまま、言葉を選ぶみたいに一拍置いた。


『体験の範囲内でのご案内も含め、ご利用として記録されます』


「言い方が急に銀行」


 ヒモが吐き捨てる。


 あたしはスマホを見る。


 さっきのアイコンの端に、小さく何かが書いてある気がした。


 読んでない。読めてない。読む余裕がない。


 その言い訳が、いま一番ダサい。



 しかも、追い打ちみたいに、もう一体出た。


 さっきのより小さい。だけど、ヒモの足元に一直線。


「来る、来る、来る!」


「くっ……」


 ヒモが避ける。誘導する。けど、粘りが増えている。足が鈍い。


「ミノ、ファイアでいい! 普通でいい!」


「普通で間に合わなかったら?」


「間に合わせろ!」


 あたしはノーマルの欄へ指を戻しかけて、止まった。


 勝てる。でも、遅い。


 遅いのが怖い。


 怖いから、派手なほうへ手が伸びる。


 リーボが、静かに促した。


『続けてご利用になりますか』


「やめろその言い方!」


 ヒモが叫ぶ。


「今それ言ってる場合じゃない!」


 あたしも叫んだ。


 叫びながら、画面の選択肢を押した。


 短い確認。指が勝手に同意する。


 その瞬間、嫌な確信が胸に刺さった。


 これは、押しちゃいけないやつだ。


 でも、押した。


 もう一度、あの白金色の無駄が来る。


 空気が圧縮され、光が走り、スライムが泡立って消えた。


 勝った。


 勝ったのに、胸の奥だけが冷える。


 リーボは変わらない声で言う。


『処理は完了です。お疲れさまでした』


 変わらない声で、変わってしまったことだけが分かる。



 宿へ戻る道すがら、ヒモが低い声で言った。


「なあ。いまのさ」


「言わないで。分かってる」


「分かってるなら、なんで押した」


「死ぬよりマシだと思った」


「死ぬとか言うな。二日目だぞ」


「二日目だから怖いんだよ」


 リーボは、ふわりと隣を漂っている。


 あたしはスマホを握りしめた。見たくないのに、目だけが勝手に引き寄せられる。


 表示の一番上。


 さっきまで曖昧だったところに、はっきりとマイナスの気配が生まれていた。


 喉がひゅっと鳴る。


「……え」


 ヒモが覗き込んで、顔をしかめる。


「ほらな。だから言っただろ」


「だって、告知なかった」


「告知は小さくて、読めなかっただけだろ」


 リーボが、いつも通り丁寧に締めに入る。


『本日は初回のため、最小限の手続きで処理しました。詳細は後ほど、分かりやすくご案内いたします』


「後ほどって言葉、いま聞きたくない」


 ヒモが言う。


「分かりやすく、って言葉も怖い」


 あたしは笑おうとして、笑えなかった。


 勝てた。魔法も撃てた。


 なのに、胸の奥だけが嫌な音を立てている。


 体験のつもりで押した指が、いつの間にか、借りる側の指になっていた。

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