第8話 一日目:カスランド
連帯債務カップルになった十五日目の夜から、少しだけ時間を巻き戻す。
あたしとヒモが、このカスランドに放り込まれた、一日目の話だ。
◇
目を開けたとき、最初に見えたのは、真っ白な天井だった。
次に、安っぽい蛍光灯と、天井の角に貼られた「ヒビが入りましたが安全です」という雑なシール。
……え、ここどこ。
思わず声が漏れた。
ソファみたいな長いベンチに寝かされていて、その向かいにも同じベンチが並んでいる。
病院の待合室と、市役所のロビーと、ゲームセンターの休憩スペースを雑に混ぜたみたいな空間だった。
横を見ると、ヒモがだらしなく口を開けて寝ていた。
……おーい、生きてる?
つつくと、彼はびくっと肩を跳ねさせて起き上がる。
「……え。もう朝? 今日シフト入ってたっけ」
「ここ、うちの部屋じゃないからね」
ようやく視界が合ったらしく、ヒモはきょろきょろと周りを見回した。
「……なにここ。役所? ハロワ? 地獄の待合室?」
「地獄にしては、椅子ふかふかだよね」
軽口を叩きながら、あたしも上体を起こす。
フロアの奥には、受付カウンターがあって、その前に人が並んでいた。
泣き叫んでいる人はいない。
パニックで走り回っている人もいない。
みんな、ただ――眠そうな顔と、ちょっとだけ不安そうな目で、番号札を握りしめて順番を待っている。
「……役所寄りだな。やっぱり」
ヒモがぼそっと言う。
「地獄っていうか、たぶん借金のほうのなんとか窓口」
「たしかに」
あたしは苦笑した。
最後の記憶は、自分の名前と数字と「一本化」って文字が並んだ画面。
大きくて、それっぽくて、どこかで見たことのある金融機関のロゴ。
あれをタップして、画面が真っ白になって――
そこから、ここ。
「……夢じゃないよね」
「夢なら、もっと優遇されてたい。とりあえず一発で元本チャラとかさ」
「現実逃避の仕方が、借金持ちなんだよなあ」
そんなことを言い合っていると、壁の電光パネルに数字が表示された。
【二三番の方、受付一番窓口へお越しください】
番号を見て、隣のベンチの人が立ち上がる。
あたしたちの手元にも、同じような札があった。
見ると、番号は【二七】。
「……並ぶのは、どこの世界も一緒かあ」
ため息をつきながらも、番号が進んでいくのをぼんやり眺める。
◇
「二七番の方、どうぞー」
呼ばれて、あたしたちは立ち上がった。
受付カウンターは、銀行の窓口よりちょっと低いくらい。
透明な仕切りがあって、その向こうで職員らしき人がにこやかに頭を下げた。
――のと同時に、あたしの視界の端で、なにかがふわっと浮かび上がる。
『お呼び立てして申し訳ありません。こちらの窓口をご利用いただき、ありがとうございます』
目の前に、小さな光の塊が現れた。
手のひらサイズの人型。
スーツっぽいラインの服を着ていて、胸元にはさっき見たロゴに似たマーク。
やたらと整った笑顔で、宙にぷかぷか浮いている。
あたしとヒモが同時に固まると、そのちびスーツは、ぺこりとおじぎした。
『本日、お二人の担当をさせていただきます。中央魔力信用機構認定ファイナンス・エージェント、リーボと申します』
「……肩書き長い」
思わず漏らす。
「名前の割に、見た目はかわいいな」
口にした瞬間、ちょっとだけ気恥ずかしくなる。
リーボは、笑顔の角度をほんの少しだけ柔らかくした。
『そう言っていただけると、励みになります』
「えっと……ここって、どこなんですか」
あたしが聞くと、リーボは姿勢を正して、改めて名乗るみたいに口を開いた。
『ここは、信用資産連結領域Credit Asset Settlement Land、──C.A.S. Land、です』
「クレジットなんとかランド……」
ヒモが顔をしかめる。
「略してカスランドだな」
『そのように略して呼ばれる方も、一定数いらっしゃいます』
「最悪な響き」
あたしは苦笑いする。
『お二人のように、現世での生活が少しだけ行き詰まった方々に、こちらで一定の条件を満たしていただき、再スタートの機会をご提供する場所です』
再スタート。
その言葉に、胸の奥がちくっとした。
「人生やり直せる系ってこと?」
『人によっては、そのように感じられる方もいらっしゃいますね』
リーボは言葉を選ぶように少しだけ間をおいてから、そう答えた。
やり直せる。
そのフレーズに、喉がひゅっと鳴る。
(いやいや。そんなうまい話あるわけ……)
自分で自分にブレーキをかけるみたいに、口が先に動いた。
「……まあどうせ、借金は残ってそうだけど」
『はい』
即答だった。
「即答かあ」
ヒモが小さく肩を揺らす。
『ただし、ここではその借り入れを、現世とは違うかたちで整理していくことが可能です』
「違うかたち、ね」
◇
リーボは、カウンターの上に小さな案内板をぽん、と表示した。
紙ではなく、薄い光の板。
『本日のご案内は、ざっくりと三点だけになります』
指先で一つずつ、光の項目を示していく。
『一つ目。ここでは、お仕事をしていただくことができます』
「仕事って、あたしら今までやってたバイトみたいなやつ?」
『内容は少し異なりますが、報酬を得て生活していただく、という点では同じです。こちらではクエストという形式でご用意しております』
「ゲームっぽい言い方して、ごまかそうとしてない?」
ヒモのツッコミを、リーボは笑顔で受け流した。
『二つ目。お仕事や日々の暮らしのために、一定範囲で魔法をお使いいただけます』
「魔法?」
思わず、声が一段高くなる。
「って、あの魔法? 杖振って、どーんってするやつ」
『どーん、まではご希望に応じて、ですね』
言いながら、リーボの周りに小さな火花みたいなものがぱらっと散る。
「演出がいちいち上手い」
「営業だろ」
ヒモがぼそっと言う。
『そして三つ目。こちらでは、登録者の方々が生活できる宿舎と、簡易食堂と、お仕事の受付窓口が揃っています』
「……ちゃんと暮らせる場所なんだ」
あたしは案内板に書かれた、建物のイラストを見る。
「異世界ってさ、もっとこう、野宿して焚き火囲んで、みたいなやつかと思ってた」
『そういうスタイルがお好みであれば、外での活動時間を増やしていただくことも可能ですが……初日は、まず環境に慣れていただくのがよろしいかと』
「運営がしっかりしてるの、逆に怖いなあ」
ヒモがぽつりと言う。
『ご安心ください。こちらの運営は、皆さまの継続利用を第一に設計されていますので』
「その言い方もなんか怖いんだよね」
そう突っ込みつつも、あたしの胸のあたりのきゅうっとした感じは、少しだけほどけていた。
◇
受付で簡単な確認が終わると、リーボはあたしたちをロビーの奥へ案内した。
『こちらが宿舎棟の入口になります。お二人には、まず簡易ペア個室を一部屋ご用意しています』
「ペア個室」
思わず復唱すると、ヒモがにやっと笑う。
「やっぱ同室か。地獄仕様の新婚旅行って感じだな」
「誰が新婚」
口では突っ込むけど、知らない世界で一人きりじゃないことに、少しだけホッとしている自分もいた。
『奥が食堂フロア。その向かいが仕事の受付窓口です。明日以降、お仕事をご希望の際は、そちらでクエスト一覧をご覧いただけます』
「接客だけ一流だな、ここ」
あたしが半分冗談で言うと、リーボは胸に手を当てて、わずかに頭を下げた。
『ありがとうございます。皆さまに安心してご利用いただくのが、私たちの役目ですので』
案内の合間合間で、彼は必ずそうやって一言、安心材料を差し込んでくる。
それが計算なのか、本心なのかは分からない。
でも、今のあたしたちには、その人の形と、柔らかい声が、普通にありがたかった。
◇
宿舎の前で、リーボが小さなカードキーを差し出す。
『では、お部屋の鍵は……はい、こちらになります』
カードには、あたしとヒモの名前が並んで印字されていた。
「ちゃんと名前二人分入ってる」
『本日から、こちらが未納様と沼住様のお部屋になります。何かお困りのことがあれば、現世からお持ち込みの端末から、私をお呼び出しいただけます』
「端末?」
ポケットをまさぐると、指先に覚えのある固い感触が触れた。
取り出してみると、そこにはいつものスマホがあった。
画面には見慣れないアイコンがひとつ、勝手に増えている。
「……生きてるんだ、スマホ」
『通信先はこちらの機構内に切り替わっていますが、呼び出し用のアプリはすでにインストール済みです。そちらからリーボと呼びかけていただければ、可能な範囲で対応いたします』
「やっぱり携帯ショップ感がすごい」
ぼそっと言うと、リーボはくすっと笑った。
『身近な窓口でありたいと考えておりますので』
スマホを握りながら、ふと、さっきの案内板の二つ目を思い出す。
「……あのさ」
『はい』
「ここって、その、魔法が使えるって言ってたよね」
『はい。お仕事や安全確保のために、一定範囲でご利用いただけます』
「それってさ、今日から?」
聞いてから、ちょっと子どもっぽい質問だったかな、と後悔する。
でもリーボは、笑顔にほんの少しだけいたずらっぽさを足した顔をした。
『そうですね……せっかくご登録いただきましたので』
一拍置いて、さらっと続ける。
『明日、お試しで体験していただくことが可能です』
「体験」
『はい。魔法の扱いに慣れていただくための、軽いお試しです。もちろん、この段階では使い心地を知っていただくのが目的ですので』
「……無料?」
つい、食いついてしまう。
『はい。まずは体験から、が基本です』
「おお。体験版」
後ろでヒモが、いつものノリで言う。
「最高の響きだなあ。魔法打ち放題」
『打ち放題かどうかは、明日のお楽しみですね』
リーボがそう言って、くすっと笑った。
疑う隙を与えない程度に柔らかくて、全部分かっているみたいに落ち着いている。
……なんかさ。
スマホとカードキーを握りしめながら、あたしは自分の胸のあたりを見下ろした。
異世界だし、借金だし、たぶんロクなことにはならないんだろうなって、頭では思ってる。
それでも――魔法が打てるってだけで、明日はちょっと楽しみになった。
カスランド一日目。
あたしは、体験版の明日を楽しみにしてしまっていた。




