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第8話 一日目:カスランド

 連帯債務カップルになった十五日目の夜から、少しだけ時間を巻き戻す。


 あたしとヒモが、このカスランドに放り込まれた、一日目の話だ。



 目を開けたとき、最初に見えたのは、真っ白な天井だった。


 次に、安っぽい蛍光灯と、天井の角に貼られた「ヒビが入りましたが安全です」という雑なシール。


 ……え、ここどこ。


 思わず声が漏れた。


 ソファみたいな長いベンチに寝かされていて、その向かいにも同じベンチが並んでいる。

 病院の待合室と、市役所のロビーと、ゲームセンターの休憩スペースを雑に混ぜたみたいな空間だった。


 横を見ると、ヒモがだらしなく口を開けて寝ていた。


 ……おーい、生きてる?


 つつくと、彼はびくっと肩を跳ねさせて起き上がる。


「……え。もう朝? 今日シフト入ってたっけ」


「ここ、うちの部屋じゃないからね」


 ようやく視界が合ったらしく、ヒモはきょろきょろと周りを見回した。


「……なにここ。役所? ハロワ? 地獄の待合室?」


「地獄にしては、椅子ふかふかだよね」


 軽口を叩きながら、あたしも上体を起こす。

 フロアの奥には、受付カウンターがあって、その前に人が並んでいた。


 泣き叫んでいる人はいない。

 パニックで走り回っている人もいない。


 みんな、ただ――眠そうな顔と、ちょっとだけ不安そうな目で、番号札を握りしめて順番を待っている。


「……役所寄りだな。やっぱり」


 ヒモがぼそっと言う。


「地獄っていうか、たぶん借金のほうのなんとか窓口」


「たしかに」


 あたしは苦笑した。


 最後の記憶は、自分の名前と数字と「一本化」って文字が並んだ画面。

 大きくて、それっぽくて、どこかで見たことのある金融機関のロゴ。


 あれをタップして、画面が真っ白になって――


 そこから、ここ。


「……夢じゃないよね」


「夢なら、もっと優遇されてたい。とりあえず一発で元本チャラとかさ」


「現実逃避の仕方が、借金持ちなんだよなあ」


 そんなことを言い合っていると、壁の電光パネルに数字が表示された。


【二三番の方、受付一番窓口へお越しください】


 番号を見て、隣のベンチの人が立ち上がる。


 あたしたちの手元にも、同じような札があった。

 見ると、番号は【二七】。


「……並ぶのは、どこの世界も一緒かあ」


 ため息をつきながらも、番号が進んでいくのをぼんやり眺める。



「二七番の方、どうぞー」


 呼ばれて、あたしたちは立ち上がった。


 受付カウンターは、銀行の窓口よりちょっと低いくらい。

 透明な仕切りがあって、その向こうで職員らしき人がにこやかに頭を下げた。


 ――のと同時に、あたしの視界の端で、なにかがふわっと浮かび上がる。


『お呼び立てして申し訳ありません。こちらの窓口をご利用いただき、ありがとうございます』


 目の前に、小さな光の塊が現れた。


 手のひらサイズの人型。

 スーツっぽいラインの服を着ていて、胸元にはさっき見たロゴに似たマーク。

 やたらと整った笑顔で、宙にぷかぷか浮いている。


 あたしとヒモが同時に固まると、そのちびスーツは、ぺこりとおじぎした。


『本日、お二人の担当をさせていただきます。中央魔力信用機構認定ファイナンス・エージェント、リーボと申します』


「……肩書き長い」


 思わず漏らす。


「名前の割に、見た目はかわいいな」


 口にした瞬間、ちょっとだけ気恥ずかしくなる。


 リーボは、笑顔の角度をほんの少しだけ柔らかくした。


『そう言っていただけると、励みになります』


「えっと……ここって、どこなんですか」


 あたしが聞くと、リーボは姿勢を正して、改めて名乗るみたいに口を開いた。


『ここは、信用資産連結領域Credit Asset Settlement Land、──C.A.S. Land、です』


「クレジットなんとかランド……」


 ヒモが顔をしかめる。


「略してカスランドだな」


『そのように略して呼ばれる方も、一定数いらっしゃいます』


「最悪な響き」


 あたしは苦笑いする。


『お二人のように、現世での生活が少しだけ行き詰まった方々に、こちらで一定の条件を満たしていただき、再スタートの機会をご提供する場所です』


 再スタート。


 その言葉に、胸の奥がちくっとした。


「人生やり直せる系ってこと?」


『人によっては、そのように感じられる方もいらっしゃいますね』


 リーボは言葉を選ぶように少しだけ間をおいてから、そう答えた。


 やり直せる。


 そのフレーズに、喉がひゅっと鳴る。


(いやいや。そんなうまい話あるわけ……)


 自分で自分にブレーキをかけるみたいに、口が先に動いた。


「……まあどうせ、借金は残ってそうだけど」


『はい』


 即答だった。


「即答かあ」


 ヒモが小さく肩を揺らす。


『ただし、ここではその借り入れを、現世とは違うかたちで整理していくことが可能です』


「違うかたち、ね」



 リーボは、カウンターの上に小さな案内板をぽん、と表示した。

 紙ではなく、薄い光の板。


『本日のご案内は、ざっくりと三点だけになります』


 指先で一つずつ、光の項目を示していく。


『一つ目。ここでは、お仕事をしていただくことができます』


「仕事って、あたしら今までやってたバイトみたいなやつ?」


『内容は少し異なりますが、報酬を得て生活していただく、という点では同じです。こちらではクエストという形式でご用意しております』


「ゲームっぽい言い方して、ごまかそうとしてない?」


 ヒモのツッコミを、リーボは笑顔で受け流した。


『二つ目。お仕事や日々の暮らしのために、一定範囲で魔法をお使いいただけます』


「魔法?」


 思わず、声が一段高くなる。


「って、あの魔法? 杖振って、どーんってするやつ」


『どーん、まではご希望に応じて、ですね』


 言いながら、リーボの周りに小さな火花みたいなものがぱらっと散る。


「演出がいちいち上手い」


「営業だろ」


 ヒモがぼそっと言う。


『そして三つ目。こちらでは、登録者の方々が生活できる宿舎と、簡易食堂と、お仕事の受付窓口が揃っています』


「……ちゃんと暮らせる場所なんだ」


 あたしは案内板に書かれた、建物のイラストを見る。


「異世界ってさ、もっとこう、野宿して焚き火囲んで、みたいなやつかと思ってた」


『そういうスタイルがお好みであれば、外での活動時間を増やしていただくことも可能ですが……初日は、まず環境に慣れていただくのがよろしいかと』


「運営がしっかりしてるの、逆に怖いなあ」


 ヒモがぽつりと言う。


『ご安心ください。こちらの運営は、皆さまの継続利用を第一に設計されていますので』


「その言い方もなんか怖いんだよね」


 そう突っ込みつつも、あたしの胸のあたりのきゅうっとした感じは、少しだけほどけていた。



 受付で簡単な確認が終わると、リーボはあたしたちをロビーの奥へ案内した。


『こちらが宿舎棟の入口になります。お二人には、まず簡易ペア個室を一部屋ご用意しています』


「ペア個室」


 思わず復唱すると、ヒモがにやっと笑う。


「やっぱ同室か。地獄仕様の新婚旅行って感じだな」


「誰が新婚」


 口では突っ込むけど、知らない世界で一人きりじゃないことに、少しだけホッとしている自分もいた。


『奥が食堂フロア。その向かいが仕事の受付窓口です。明日以降、お仕事をご希望の際は、そちらでクエスト一覧をご覧いただけます』


「接客だけ一流だな、ここ」


 あたしが半分冗談で言うと、リーボは胸に手を当てて、わずかに頭を下げた。


『ありがとうございます。皆さまに安心してご利用いただくのが、私たちの役目ですので』


 案内の合間合間で、彼は必ずそうやって一言、安心材料を差し込んでくる。


 それが計算なのか、本心なのかは分からない。


 でも、今のあたしたちには、その人の形と、柔らかい声が、普通にありがたかった。



 宿舎の前で、リーボが小さなカードキーを差し出す。


『では、お部屋の鍵は……はい、こちらになります』


 カードには、あたしとヒモの名前が並んで印字されていた。


「ちゃんと名前二人分入ってる」


『本日から、こちらが未納様と沼住様のお部屋になります。何かお困りのことがあれば、現世からお持ち込みの端末から、私をお呼び出しいただけます』


「端末?」


 ポケットをまさぐると、指先に覚えのある固い感触が触れた。


 取り出してみると、そこにはいつものスマホがあった。

 画面には見慣れないアイコンがひとつ、勝手に増えている。


「……生きてるんだ、スマホ」


『通信先はこちらの機構内に切り替わっていますが、呼び出し用のアプリはすでにインストール済みです。そちらからリーボと呼びかけていただければ、可能な範囲で対応いたします』


「やっぱり携帯ショップ感がすごい」


 ぼそっと言うと、リーボはくすっと笑った。


『身近な窓口でありたいと考えておりますので』


 スマホを握りながら、ふと、さっきの案内板の二つ目を思い出す。


「……あのさ」


『はい』


「ここって、その、魔法が使えるって言ってたよね」


『はい。お仕事や安全確保のために、一定範囲でご利用いただけます』


「それってさ、今日から?」


 聞いてから、ちょっと子どもっぽい質問だったかな、と後悔する。


 でもリーボは、笑顔にほんの少しだけいたずらっぽさを足した顔をした。


『そうですね……せっかくご登録いただきましたので』


 一拍置いて、さらっと続ける。


『明日、お試しで体験していただくことが可能です』


「体験」


『はい。魔法の扱いに慣れていただくための、軽いお試しです。もちろん、この段階では使い心地を知っていただくのが目的ですので』


「……無料?」


 つい、食いついてしまう。


『はい。まずは体験から、が基本です』


「おお。体験版」


 後ろでヒモが、いつものノリで言う。


「最高の響きだなあ。魔法打ち放題」


『打ち放題かどうかは、明日のお楽しみですね』


 リーボがそう言って、くすっと笑った。


 疑う隙を与えない程度に柔らかくて、全部分かっているみたいに落ち着いている。


 ……なんかさ。


 スマホとカードキーを握りしめながら、あたしは自分の胸のあたりを見下ろした。


 異世界だし、借金だし、たぶんロクなことにはならないんだろうなって、頭では思ってる。


 それでも――魔法が打てるってだけで、明日はちょっと楽しみになった。


 カスランド一日目。

 あたしは、体験版の明日を楽しみにしてしまっていた。

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