第6話 キラキラ先輩カップル
十四日目の朝、目覚まし代わりの鳥の声……なんて気の利いたものは、この街にはない。
安宿の天井をぼんやり見ていたあたしの耳に、聞き慣れない「ピコン」という通知音が落ちてきた。
『本日は利息計上日ですので、夜の決算に先立ち中間反映を行いますね』
枕元に置きっぱなしの端末から、リーボの落ち着いた声がする。
「……おはようございます、じゃなくて利息から入るの? ねえ待って、もうちょっと寝起きに優しいニュースはないわけ?」
『申し訳ありません。契約約款第七条に基づき、利息計上日は優先通知対象になっておりますので』
薄青いウィンドウが、寝ぼけ眼のあたしの視界にねじ込まれる。
【利息計上のお知らせ】
滞沢 未納:前日残高 −14,050MP
→ 利息加算 −1,500MP
→ 新残高 −15,550MP
沼住 紐介:前回利息計上時残高 −7,500MP
→ 利息加算 −1,000MP
→ 新残高 −8,500MP
合算参考残債:−24,050MP
「……ねえヒモ。昨日まで、なんだかんだ二万ちょいまで減らしてなかったっけ」
隣のベッドで丸まってた布団が、もぞもぞ動いた。
「なんだかんだのぶんが、全部利息に食われたってことだな……」
ヒモは顔だけ出して、ウィンドウを一瞥して、また枕にめり込む。
あたしは画面の「−24,050MP」という数字を見つめながら、喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。
(頑張っても頑張っても、数字が元に戻るって感覚。
現世のクレカ地獄と、何も変わってないじゃん……)
あのとき「借金一本化ボタン」を押した瞬間の、妙な解放感と安心感が、今年いちばんバカだった自分への証拠として胸を刺す。
「なあミノ……今日、一日寝てたら利息止まったりしないかな」
「止まらないどころか、働かなかったぶんだけ純増だからね? 現世の自転車操業とルールは一緒だよ?」
「うわあ……異世界でも家計は変わらないって書いてギルドに貼っとく?」
「まずはその前に、今日の飯代稼いでからにしよ」
布団を蹴飛ばして立ち上がりながら、あたしは自分で言っておきながら、気持ちだけがじわっと沈んだ。
——このままのペースじゃ、たぶん一生終わらない。
数字がそれを、静かに告げていた。
◇
「はいはい今日も今日とて返済クエスト〜。お姉さん、何かいい依頼あります?」
ギルドの受付カウンターに肘を乗せると、いつものお姉さんが、じろりとこっちを見てから、にこっと営業スマイルを貼り付けた。
「おはようございます、滞沢様、沼住様。本日の残債状況から見て……そうですね、低〜中リスク帯の債獣回収クエストがおすすめですが——」
と、そこまで言ったところで、お姉さんの視線があたしたちの手前で止まる。カウンターに立てかけられた、やたらポップな立て札だ。
「なにこれ」
あたしは、読まずにわかる嫌な予感を胸に、敢えて声に出して読んでみる。
「『二人で返せば、もっとラクに!』……うん、嫌な予感しかしないね。
『ペア返済プラン無料説明会 本日夕刻開催』……ほら来た。
『連帯債務カップル大歓迎♡』……はい地獄の匂い〜」
後ろからヒモが覗き込んで、鼻で笑う。
「ラクにのフォントで顔文字付けるなよな……。どうせカップルで借りたらお得!ってやつだろ?」
お姉さんは笑顔のまま、言葉を続けた。
「でもですね、お二人、残債状況から見て、ぜひ参加をおすすめしますよ。中魔信さんからも適格候補ってリストが来てまして」
「適格ってなんだよ、地獄にハマる資格かよ」
「そういうことは大声で言わないでくださいね?」
お姉さんは書類をめくりながら、小声で付け加える。
「今日の説明会に参加してくださった方には、日次決算時の回収APに少しだけボーナスが付きますよ。あと、軽食も出ます」
「飯……」
あたしとヒモの喉が、同時にごくりと鳴った。
「リーボ、ボーナスAPってどれくらい?」
『本日の条件ですと、参加特典はお一人あたり+20AP相当ですね』
「二人で40AP……モンスター一匹ぶんくらいか」
「それと軽食」
ヒモが真剣な顔で指折り数え始める。
「日中クエスト一件やって、夕方説明会行って、飯食って、ボーナスAPもらって……
説明会はタダ……」
「参加すると要注意債務者タグとか付く?」
『説明会参加自体は、信用情報にマイナスはありません。
——その後の行動次第ですが』
リーボが、いつもの穏やかな声で、さらっと怖いことを言う。
「その後の行動って、つまり——」
「契約とか?」
「だな」
あたしとヒモは顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「……まあ、説明聞くだけならタダだしね」
「聞くだけが一番危ねーんだよなあ……」
文句を言いながら、あたしたちは説明会参加の欄に署名した。小さな「機構マーク付き承認済」のスタンプが、ぱちん、と音を立てて押される。
その音が、微妙に手枷の鍵がかかる音と重なって聞こえたのは、きっと気のせいだ。
◇
夕刻、ギルド二階の会議室。
即席で並べられたパイプ椅子の列。その前には、魔導板を埋め込んだ白い板。見慣れた「中魔信」のロゴマークが、部屋の奥でやけにまぶしい。
「本日はペア返済プランでラクになる方法について、お集まりいただきありがとうございます」
前に立つのは、いかにも「爽やか営業です!」という顔をした中魔信の担当者。きっちり整った髪、えらくパリッとしたスーツ風ローブ。借金を焼きながら生きてるあたしたちとは、肌ツヤからして違う。
(借金焼く側の人間って、こんなにピカピカなんだ……)
『本日の資料はこちらになります』
リーボが端末越しに連動し、あたしの目の前にも、同じスライドが映し出される。
【1. 個別債務の問題点】
・利息が二重三重でかかる
・生活費を分担しづらい
・どちらか片方の負担が過剰になりがち
「まず、皆様のようにお一人ずつご契約いただいている場合の課題です」
担当者は魔導板を指し示しながら、テンプレっぽい口調で続ける。
「片方の方が多く稼いでおられても、利息はそれぞれ別々にかかります。
また『生活費はどちらがどれだけ持つか』という点で、後々トラブルになるケースも——」
(そうそう。
どっちが家賃多く出してるとか、光熱費の割合がとか、現世の同棲とか、だいたいそれで揉めるんだよね……)
あたしは、どこか遠い目になりながら、現世で見た友達カップルの修羅場を思い出していた。
「そこで、中魔信がおすすめするのが——」
スライドが切り替わる。
【2. ペア返済プランの仕組み】
・二人分の債務を合算し、一本化
・二人のステータスを共同担保として評価
・金利が低下/返済期間短縮の可能性
「二人の債務を一本化し『ペア返済プラン』として管理する方式です。
お二人の戦闘実績、獲得AP、ステータスを総合的に評価し、単独よりも有利な条件でのご返済が可能になります」
「有利な条件って言葉、借金の世界で聞くと怪しさ三倍増しなんだけど」
あたしが小声で漏らすと、隣でヒモが口元だけで笑った。
「でも、数字だけ見れば、得は得なんだろうな」
「出た、期待値厨」
担当者の声が続く。
「さらに連帯債務カップル契約を結んでいただくと——」
【3. 連帯債務カップルのメリット】
・片方が一時的に働けなくても、もう一人がカバー
・与信ランクUPで高ランククエスト参加資格も
・共同生活の計画が立てやすい
「といったメリットがございます」
そこで、会議室の扉が開き「先輩カップルです」と紹介された二人が前に呼ばれた。
仲良さそうに腕を絡めた男女。ぱっと見はラブラブなのに、目の奥だけ、どこか光り方が固い。
「連帯債務にしてから、意識が変わりました」
「一人じゃサボっちゃうけど、二人なら頑張れるんです」
「最初は怖かったけど、今は運命共同体って感じで♡」
淡々とした台本みたいな言葉の合間に、ちらっちらっと目配せが混ざる。
(なんか……これ、宗教の体験談聞かされてる気分なんだけど)
あたしが眉をしかめると、ヒモがぼそっと付け足した。
「でも、あそこまで行ったらもう戻れなさそうだしな。
俺らも結局、どこかの時点で何かには縛られるんだろ」
「ちょっと詩的なこと言って誤魔化すのやめてくんない?」
◇
「それでは後半、簡易シミュレーション体験に移ります」
担当者の合図で、係の職員から、参加者一人ずつに小さな端末が配られる。リーボが自動で接続し、画面が切り替わった。
想定返済期間:現在ペースのまま……推定 8〜10年
「……八〜十年」
画面に表示された数字を見て、あたしは思わず笑った。
「一生って書かれるよりリアルで嫌なんだけど」
「十年は人生カテゴリだろ。八年でも充分だわ」
ヒモの声は笑っているのに、目だけが笑っていない。
『お二人の一日平均回収APは、現状おおよそ200〜220AP。
利息換算分が一日あたり約150〜180MP相当ですので——』
「——つまり、毎日30〜50MPぐらいしか減ってない、と」
『はい。順調にいけば四〜七年ほどでの完済が見込まれます。
順調にいけば、ですが』
「順調にいけばって、四年も七年も、この世界で生き延びる自信ないんだけど……」
ヒモのぼやきに、あたしは返す言葉を失う。
担当者が各席を回りながら、あたしたちの端末を覗き込んだ。
「お二人とも、しっかり稼いでいらっしゃいますね。
ただ、このままだと利息に追いつくのがやっと、という印象です」
「ですよね」
薄々わかってたことを、きれいな言葉で突きつけられると、図々しいくらいに心が削られる。
「では、ペア返済プラン適用時のシミュレーションに切り替えてみましょうか」
担当者の操作で、画面がスライドする。
【ペア返済プラン適用時(連帯債務)】
金利:現状より ▲◯%
想定返済期間:4〜7年 → 2〜3年(回収AP増加を見込む場合)
高ランククエスト参加資格:条件付き付与
あたしが固まっている横で、ヒモが先に口を開いた。
「……さっきの倍速で進むってこと?
十年かも、が二〜三年になるって」
「ざっくり申し上げれば、そのようなイメージです」
担当者はにこやかに頷く。
「お二人はすでに実績もありますし、滞沢様は魅力担保済み、沼住様は運とMPの適性が高い。バランスも良好ですので優良ペア債務者様といって差し支えないかと」
(優良なペア債務者。
ただの事務用ラベルなのに、“優良なカップル”って褒められたみたいに聞こえた自分が、一番キモい)
自分への嫌悪感をごまかすみたいに、あたしはわざと軽口を飛ばした。
「優良って……借金の枷、自慢してどうすんのよ」
「でもさ」
ヒモが、ため息混じりに笑う。
「四〜七年が二〜三年になるなら……“人生の刑期”が半分ぐらいにはなるじゃん」
「刑期って単語をさらっと使わないで?」
担当者は、そんなあたしたちのやりとりに、慣れているのかいないのか、穏やかな表情のまま、さらに追い打ちをかける。
「もちろん、連帯債務契約に際してはリスクもございます。
いくつか重要な条項だけ、ご説明いたしますね」
画面の端に、小さな注意書きがスクロールする。
・二人の債務は一本化され、「連帯債務残高」として管理されます。
・それぞれが残債全額について返済義務を負います。
・一方の破綻・行方不明・死亡時、残債は生存側に移管されます。
・「債務残滓化防止特約」が自動付帯し、一定ライン超の延滞で機構介入が発動します。
(防止特約って言ってるけど、絶対ロクな介入じゃない)
「俗に紐付き契約とか鎖契約なんて呼ばれたりもしますが——」
担当者がさらっと言った瞬間、会場のあちこちから乾いた笑いが起きた。
「名前からして重すぎでしょ……」
「でも、数字的には悪くないよなあ……」
あたしとヒモも、顔をしかめながら笑う。笑うしかない種類の話だった。
◇
説明会が終わって、ギルド裏の細い路地を歩く。
夕暮れの空はくすんだオレンジで、うっすら湿った風が、黙り込んだあたしたちの間をすり抜けていく。
「ねえ」
先に口を開いたのは、あたしだった。
「正直どう思った?」
「連帯債務とかマジありえねえって笑ってたはずなんだけどさ」
ヒモは頭をかきながら、ぼそっと続ける。
「数字見せられるとさ……八年と四年って言われたら、そりゃ四年選びたくなるだろ」
「四年なら頑張れるかもって思った時点で、もう騙されてない?」
言いながら、自分の胸にもその言葉が刺さる。
リーボが、あたしたちの間に漂う空気を読んだのか、少しだけ声色を柔らかくした。
『騙すという表現は適切ではありませんよ。
制度としては、きちんと利点とリスクを明示しておりますから』
「だからこそタチ悪いんだよ」
ヒモが、踵で小石を蹴り飛ばしながら言う。
「ピカピカの資料と優しそうな担当者で、全部説明されて……
はい自己責任でーすってやつだろ」
『ただ、お二人の場合、現状のペースですと、利息に追いつくのがやっと、という試算結果も出ております』
リーボの声が、さっきのスライドの数字を思い出させる。
『個別債務のままですと、四〜七年。
ペア返済プランを適用すれば、二〜三年。
どちらがマシな地獄かは、お二人の価値観次第です』
「……マシな地獄って言い切られた」
「だって実際そうだろ」
ヒモは苦笑した。
「話聞くだけが一番危ないんだけどな。
でも、聞かないと本当に詰みそうってのも事実」
あたしはしばらく黙って歩き、それから観念したみたいに息を吐いた。
「……個別相談、だっけ。
あれも話聞くだけって言ってたよね、中魔信」
『はい。個別相談を受けたからといって、必ずご契約いただく必要はございません。
——契約されるかどうかは、その後お決めいただけます』
「そのその後のときには、もう逃げにくいとこまで追い込まれてるんだろうけどね」
笑いながら言うと、ヒモも同じように笑った。
「でも、行かないとさ。
本当に、このまま利息に追いつくだけの人生で終わりそうで」
「つまり、行くのね」
「行くしかないだろ」
短い沈黙のあとで、あたしたちは目を合わせた。
「……じゃあ、予約する?」
「するか」
ギルドに引き返し、受付で「ペア返済プラン個別相談」の予約欄に、二人並んでサインをした。
また「機構マーク付き」のスタンプが、ぱちん、と音を立てて押される。
その小さな音を聞きながら、あたしは心の中で、自分に言い訳をした。
(——明日は、話を聞くだけ。
聞くだけで、帰ってくる)
わかってる。
そういうときの「あたし」が、一番当てにならないってことくらい。
それでも、ペン先は、迷いなく自分の名前をなぞった。
(——こうしてあたしたちは、話を聞くだけのつもりで、
連帯債務の窓口に向かうことになった)




