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第4話 落とし物

 十三日目――魅力★をひとつ、借金にくれてやった翌日。


 あたしは、朝からずっと、顔を触っていた。


「……うん。やっぱり、ちょっとツヤ落ちてない?」


 安宿の薄暗い鏡に向かって、ほっぺを押したり引っ張ったりしてみる。

 昨日までなら「盛れてるほう」の角度だったはずの角度が、今日はどう見ても普通に可愛いくらいで止まっている気がした。


 背後からヒモの声が飛んできた。


「鏡、あと三分で交代な。俺も寝グセチェックしたい」


「寝グセ気にする前に、借金気にしなさいよ。……っていうかさ」


 あたしは鏡から目を離さないまま、ぼそっと続けた。


「魅力★を担保に出してまで頑張ってるんだから、今日は軽めのクエストでサクッと稼いで終わりにしない?」


「はいはい。胃に優しい返済狩りね」


 ヒモは欠伸をしながら、パーカーのファスナーを上まで引き上げた。


「でもまあ、昨日みたいな精神攻撃食らうよりは、ちょい弱い債獣を数こなすほうがマシか。……腹減ったし」



 ギルドの受付カウンターには、朝から人の列ができていた。


 決算明けの翌日は、みんな今月こそペースを上げるぞって気合いが入るらしい。

 ……そのわりには、眠そうな顔とクマだらけだけど。


 順番を待ちながら、あたしは受付のお姉さんに声をかけるタイミングをうかがった。


「次の方、どうぞー」


 呼ばれたので、勢いで前に出る。


「今日はその、あの、胃に優しいクエストください。昨日の担保でメンタルやられたんで」


「胃に優しい、ですか?」


 受付嬢は一瞬だけ目を瞬かせてから、端末を操作した。


「でしたら……こちらの低ランク回収フィールドはいかがでしょう。市外れの廃ビル群に出る小型の債獣討伐です。危険度は低めですが、件数をこなせばそこそこ稼げますよ」


「いいですね、それ。胃に優しそう」


 横からヒモがひょいと覗き込む。


「報酬単価は安めだけど、回転率でカバーってやつか。まあ、今日はそれでいっか」


 受付の端末に、クエスト内容と注意事項が表示される。


【低ランク回収フィールド:市外れ第3廃棟エリア】

・対象:小型債獣(ランクD〜C)

・想定件数:5〜10体

・報酬:1体あたり30AP+ドロップ品査定

・備考:構造老朽化につき、足元注意


「あ、足元注意って書いてありますけど……」


「廃ビルなんで、床抜けとか階段の崩落にはお気をつけくださいね」


 受付のお姉さんは、にこにこと言った。


「債獣そのものより、そっちのほうが危ないかもしれません」


「胃じゃなくて、膝に優しくない系だった……」


 思わず漏らしたあたしの愚痴に、後ろの冒険者の誰かがくすっと笑う。


「でもまあ、魅力担保よりはマシだろ」


 ヒモが肩をすくめる。


「昨日のあれに比べたら、床抜けくらいどうってことないって。たぶん」


「たぶん、って言うな」


 リーボが、いつの間にか肩のあたりにふわりと浮かんでいた。


『本日のクエスト選択、悪くないと思いますよ。低ランク帯は債獣由来APも安定しており、精神的ストレスも比較的少なめです』


「比較的って枕詞がもう怖いんだよね」


 そうぼやきながらも、あたしたちはクエスト票を受け取り、ギルドをあとにした。


 今日は軽めに稼いで、さっさと寝る。

 ――それが、この朝の時点での予定だった。



 市外れの廃ビル群は、昼間でもなんとなく薄暗かった。


 ガラスの割れた窓、剥がれた看板、錆びた鉄骨。

 風が吹くたびに、どこかのフロアでガタガタと何かが鳴る。


「うわ、ここ絶対出るタイプじゃん。債獣じゃないやつが」


「やめて、そういうの。心霊現象は契約外」


 あたしは足元の割れたタイルを避けながら、片手を空けて、いつでも前に突き出せるように構えた。


 リーボが前方に目を向け、声のトーンを切り替えた。


『では、そろそろ反応範囲に入ります。ミノ様、前衛支援はいつも通りでよろしいですか?』


「了解。あんたは壁、あたしは焼き担当」


「役割雑じゃね?」


 ヒモが杖――という名の鉄パイプを肩に担ぎながら、あたしより半歩前に出る。


 廊下の先、薄暗い踊り場のあたりに、もやもやとした影が浮かび上がった。


 人間だった頃の輪郭を無理やり引き伸ばして、そこにカードや紙切れの破片が貼り付いているみたいなシルエット。

 目にあたる部分だけが、異様に赤く光っている。


「来た、来た。今日のターゲット」


『小型債獣・ランクD。お二人なら問題なく対処可能です』


 リーボの声を合図に、ヒモが一歩前に出た。


「おーい、こっちだって。今日のサンドバッグは俺だぞー」


 わざとらしく鉄パイプで床を鳴らし、もやに向かって挑発する。

 赤い光がぴくりと揺れて、債獣の顔がヒモのほうを向いた。


 次の瞬間、もやの塊が弾かれたみたいな速度で突っ込んでくる。


「うおっ、速っ……!」


 ヒモが鉄パイプを横向きに構え、そのまま盾みたいに体の前に押しつけた。

 鈍い衝撃音と一緒に、ヒモの靴が床をずりずりと滑る。


「いってぇ……! ほらミノ、今のうち! タンク料高いからな!」


「はいはい、壁さん感謝してまーす!」


 あたしはヒモの少し後ろ、債獣と真正面にならない位置に踏ん張る。


 胸のあたりに集めた熱を、息と一緒に前へ押し出すイメージ。

 掌の先で、空気が一瞬だけきゅっと縮んで――


「……燃えろ」


 短くつぶやいたとたん、ヒモの肩越しに、細長い炎が走った。


 真っ直ぐ伸びた火の筋が、債獣の胸あたりを貫く。

 もやもやした輪郭が、そこからじわじわと崩れた。


「もう一発!」


 ヒモの背中がまだ踏ん張れているのを確認して、追い打ちをかける。

 今度は面で押しつぶすように、低く広がる炎をぶつけた。


 赤い光が一瞬だけ大きく瞬いて、それから一気にしぼむ。


 ヒモは鉄パイプを盾みたいに構えたまま、ぐっと踏ん張るだけで、殴りにはいかない。


「……よし、沈んだ」


 あたしの声とほぼ同時に、債獣の輪郭は完全に崩れた。

 燃え残った欠片が床にぱらぱらと落ち、黒い煙のような何かが天井に吸い込まれていく。


『討伐確認。回収見込みAP、現在のところ一体あたり平均三十AP前後です』


「うん、やっぱり胃に優しい」


「俺の肋骨にはあんまり優しくなかったけどな……単価低いし」


 ヒモが肩で息をしながら、鉄パイプをコツンと床に立てかける。


「ほら、次の階行――」


「ちょっと待って」


 あたしは、足元に視線を釘付けにされたまま、その場から動けなくなった。



 債獣の崩れた跡に、奇妙なものが散らばっていた。


 焼け焦げたプラスチックカード。

 銀色の縁がかろうじて形を保っている、どこかの銀行っぽいキャッシュカード。

 角が溶けて丸くなった社員証。黒焦げだけど、端っこに会社のロゴらしきものが見える。

 それから、金具の壊れた小さなフォトホルダー。


 中の写真は、半分以上が炭みたいになっていた。


 けれど――笑っている誰かの輪郭だけは、ぎりぎり残っている。


「……ねえ、これ」


 あたしはしゃがみ込んで、それらを凝視した。


「どう見ても、普通の財布の中身だよね。どっかの世界の」


「たまたまここで死んだ奴の持ち物が残ってただけかも――」


 ヒモが、いつもの調子で流そうとする。


 でも、あたしには、さっきまで燃やしていたもやもやと、この焦げたカードたちが、一本の線で繋がって見えてしまっていた。


 キャッシュカードの名前欄は、煤で一部が欠けている。

 読めたのは、名字の一文字だけ。


「田……?」


 ありふれた漢字。

 だからこそ、誰でもあり得るって感じがして、余計に気持ち悪い。


(さんざん燃やしといて、今さら何言ってんの?)


 自分でそう思うのに、目が離せなかった。


 フォトホルダーの透明カバー越しに見える、半分炭になった笑顔。

 家族か、恋人か。

 それとも、ペットだった何かかもしれない。


 その全部が、今は黒いシミになっている。


「触らないほうが――」


 ヒモが言いかけたとき。


『失礼いたします』


 リーボの声が、いつもよりわずかに固くなった。


 ふわり、とあたしとカードの間に滑り込むように飛んできて、彼は淡い光を広げた。

 光の膜が、カードや写真の残骸をまとめて包み込む。


『回収対象から出た物品は、すべて金融組合の管理下で適切に処理されますので。お手に触れないようお願いいたします、未納様』


「適切に、って……捨てるってこと? それとも、どっかに返すの?」


 口から出た声は、自分でも驚くほど乾いていた。


 リーボは、いつもの事務的な口調で答える。


『必要な情報はすでにシステムに登録済みですので、物理的な媒体は廃棄または再資源化されます』


「再資源化」


 ヒモが、苦笑とも溜息ともつかない声を漏らした。


「まあ、紙とプラだしな。エコだなあ」


「エコの問題じゃないでしょ」


 あたしは光に包まれたフォトホルダーを、じっと見つめる。


 中の笑顔は、もうどんな表情だったのか判別できない。

 それでも、そこに誰かがいたことだけは分かる。


『回収対象の記録データは、債務整理と与信管理のために必要な範囲で保管されます』


 リーボは淡々と続けた。


『さきほどの債獣も、過去においては何らかの契約者であった可能性が高いですが、現在は資源として処理されています』


「資源」


 あたしはその単語を、心の中で何度もなぞる。


 さっきまで暴れてたあれも。

 財布の中身も。

 フォトホルダーの笑顔も。


 全部、資源。


 どこかのシステムの中に数字として取り込まれて終わり。


「ほら、ほらな」


 ヒモがあたしの肩を軽く叩いた。


「もうデータなんだよ、データ。気にし始めたらキリないからさ。次のフロア行こ?」


「……うん」


 うなずいたものの、足は少しだけ重くなった。


気にし始めたらキリがない。


 現世で、督促メールの通知をまとめて消すときにも、何度も自分に言い聞かせた言葉だ。


 見なければ、少しだけ楽になる。

 でも、見なかった分だけ、何かがたまっていく。


 ここでも同じなのかもしれない。



 クエストを終えてギルドに戻る頃には、夕方のざわめきがフロアに満ちていた。


 カウンターで報告を済ませていると、隣の列から会話が耳に入ってくる。


「この前さ、債獣の残骸から指輪出てきたんだよ」


 低い男の声だ。話しているのは、革のジャケットを着た先輩冒険者っぽい二人組。


「しかも刻印入り。絶対あれ元人間だって」


「元人間だから何? こっちはこっちで生活かかってんの」


 もう一人が、淡々と返す。


「考え始めたら飯食えなくなるだけだぞ」


「まあなー。でもさー、もし自分の指輪が出てきたらどうする?」


「そのときは……お前が俺を燃やしてくれよ。ちゃんと金になるようにさ」


 二人は笑いあっている。

 冗談半分、本気半分の笑い方。


(知りたくなかったわけじゃない)


 あたしは思う。


 でも、知ったところで何も変えられないって分かってるから、みんな見ないふりをしてるだけなんだ。


 あたしだって、そうだ。

 さっきのカードや写真を、いつまでも引きずってても仕方ない。


 ……仕方ない、んだけど。



 夜。安宿近くの路地裏。


 いつものように、リーボが宙にウィンドウを展開した。


『では、本日の決算を行いますね』


 透明な板に、赤と青の数字が浮かび上がる。


【13日目の決算】


・滞沢 未納:現在債務 −14,050MP(前日比 +250MP)

・沼住 紐介:現在債務 −7,500MP(前日比 +30MP)

・合算参考残債:−21,550MP


・本日の総回収AP:340AP

・配分内訳:

 生活費    :80AP

 MP回復    :240AP

 ステータス強化:20AP(ミノ魅力にちょびっと)


・ステータス変動(抜粋):

 滞沢 未納・魅力:★4.2 → ★4.25(表示★4のまま)


・次回利息加算まで:あと1日

・現世帰還達成率(試算):0.4%


「ねえリーボ」


 数字を眺めながら、あたしは口を開いた。


「今日倒したあのモンスターにも、こういう画面、前はあったと思う?」


 リーボは、一拍おいてから答えた。


『回収対象の詳細な履歴はお客様に開示できませんが……この世界のほとんどの方が、似たような画面を一度はご覧になっていますよ』


「ほとんど、ね」


 ヒモが、壁に背を預けて見上げる。


「つまりあれも、どっかの誰かの−◯◯,◯◯◯MPだったってことか」


「かもね」


 あたしは、自分の【−14,050MP】の数字を見つめる。


(あたしは、いつか帰るための数字だと思ってこの画面を見ている)


 現世に戻る条件。

 債務ゼロ。

 魅力と運の買い戻し。

 それから――よく分からない達成率のゲージ。


 全部まとめて、ここに積み重なっている。


(でも、あの残骸の持ち主も、最初はきっとそう思ってたんだろう)


 最初は、帰れると思っていた。

 最初は、終わらせられると思っていた。


 その違いがどこにあるのか。

 どこで道が分かれたのか。


 今のあたしには、分からない。


『本日の決算は以上です』


 リーボの声が、静かに締める。


 ウィンドウがふっと消えると、路地裏には夜風の音だけが残った。


 あたしはジャケットの前をかき合わせ、肩をすくめる。


「……明日は利息の日か」


「胃に優しいどころか、胃に穴あく日だな」


 ヒモが笑う。


 あたしもつられて笑った。少しだけ。


 笑っていないと、たぶん、さっき見た焦げた写真が頭から離れなくなるから。


 十三日目の夜。

 あたしは、自分達の【−21,550MP】の数字を思い浮かべながら、ふと現世のことを思い出した。


 ――そういえば、あたしにも最後の明細を見た日が、あったっけ。


 その記憶の入り口まで、指先がようやく届いた気がした。

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