第3話 初めての、APでステ盛り
異世界十二日目の朝、借金のほうから「おはようございます」って挨拶してきた。
もちろん、口じゃなくて──空中に。
「……ねえリーボ。そのピコピコ光ってるの、閉じていい?」
『ダメです。重要なお知らせなので、最低三回は目を通してください』
安宿の階段を降りてギルドへ向かう途中、頭上にふわっと開いた半透明のウィンドウには、きっちりした書体でこう書かれていた。
【通知:残債状況により、中央魔力信用機構での担保査定が推奨されています】
【※任意査定に応じない場合、強制担保判定ライン到達時は自動審査となります】
「はーい、強制って言葉をオブラートに包んだ推奨来ましたー……」
私がため息をつくと、横であくびしていたヒモが、画面を覗き込んで鼻で笑った。
「推奨って書いてある時点で、行かないと詰むやつだろこれ。
『任意』って、『今のうちに自分で選んでね、選ばないならこっちで勝手に削るからね』の任意だからな」
「わかってるけどさ。今日もクエスト行かないと日次の返済ヤバいし……。
ねえ、クエスト終わってからじゃダメ?」
『本日中にお越しになれば、早期返済プランのご案内も可能ですよ』
いつもの営業スマイル音声で、リーボが追い打ちをかけてくる。
借金の神様──もとい貸MP精霊は、今日も元気に働き者だ。
「早期返済プランっていう名前の、新しい罠の匂いしかしないんだけど」
「いいじゃんミノ。どうせ罠から罠にハシゴして生きてくんだし。
クエスト帰りに寄るってことで、とりあえず今日も稼がないと」
そう言ってヒモが肩をすくめる。
私も、素直にうなずくしかなかった。
──だって、こっちは「今日の飯」と「残債」と「明日のMP」が、全部一日延滞で崩れる身だ。
通知ウィンドウを端っこに縮めて、私たちはいつも通りギルドへ向かった。
◇
その日のクエストは、雑魚寄せ集めの討伐だった。
正直、内容は覚えてない。小銭とAPになるモンスターを黙々と切り刻んで、血と泥まみれでギルドに帰って、報酬を受け取って──それだけ。
『本日の回収見込みAPは……後ほどまとめてご案内しますね』
リーボが仕事モードの声でそう告げるころ、外はもう夕方に差しかかっていた。
「……で、寄るんだよね。中魔信」
「寄らないと自動審査なんだろ? 自動ってだいたいロクなことしないからなあ」
ギルド前の石畳を歩きながら、私とヒモは同時に同じところを見た。
通りを挟んだ向こう側──
白い壁と磨かれたガラス窓、金色のロゴが光る建物。
中央魔力信用機構。
この世界で一番キレイな顔をした地獄、ってやつだ。
◇
中に入ると、足元から緊張した。
床はぴかぴか、壁は真っ白。観葉植物は元気いっぱいで、受付嬢はみんなにこにこ。
なのに、ソファに座ってる客の顔色だけは、見事に全員悪い。
「……病院かな?」
「いや、もうちょい悪い場所だな。ここから治るやつ、何割いるんだろ」
そんな話をしながら、受付で用件を伝え、番号札をもらう。
「担保査定でお越しですね。少々お待ちください」
笑顔の受付嬢にそう言われて、私たちはロビーのソファに腰を下ろした。
目の前の壁には、ゆったりしたBGMと一緒に、「返済計画見直しキャンペーン」のポスターが流れている。
──平和。見た目だけは、すごく平和。
そんなことを考えていたときだった。
「番号札二一番のお客様、第二ブースへどうぞ──」
スタッフに呼ばれて立ち上がったのは、私たちではない。
筋肉ムキムキの、大きな背中の男だった。
隣の相談ブースに入っていく男の背中を、なんとなく目で追ってしまう。
すりガラス越しに、ぽつりぽつりと声だけが聞こえた。
「待ってくれよ、筋力だけは──あれ削られたら日雇いも、クエストも……」
『延滞三回目ですので、規約第三十条に基づき、強制差押となります』
事務的な声。
私の首筋に、薄い冷や汗が流れた。
「あー……出た、規約第◯条。一番聞きたくないやつ」
「しーっ、聞こえるって」
ヒモに肘でつつかれた、その数分後。
ロビーフロアの別の扉が開いて、さっきの男が出てきた。
さっきと同じ服装、同じ顔。
でも、なにかがおかしい。
一歩踏み出した瞬間、男は膝をつきかけて、壁に片手をついた。
肩で息をしながら、体を支えている。
上空には、小さなウィンドウが浮かんでいた。
【筋力:★★★ → ★】
【持久力:★★ → ★】
「……うわ」
思わず声が漏れる。
筋肉バキバキだった身体が、服の上からでもわかるくらい、しぼんで見えた。
あれだけの体力と筋力を削られたら──
日雇いも、クエストも。さっき本人が言っていた通り、ほぼ詰みだ。
男は歯を食いしばりながら、ふらつく足取りでロビーを通り過ぎていく。
誰も声をかけない。みんな、見て見ぬふりをしている。
「……ミノ、顔色」
「そっちこそ」
ヒモが私の頬を指でつつく。
自分でもわかるくらい、血の気が引いていた。
──こんなの見せられて、「任意査定どうですか?」ってわけだ。
番号札の数字が進んでいく。
やがて、冷たい電子音が、私たちの番を告げた。
「番号札二三番のお客様、第三ブースへどうぞ」
◇
案内されたブースは、小さな個室だった。
薄い仕切りと机と椅子、でかい水晶モニターがひとつ。
「お待たせしました。担当のモルタと申します」
きっちりしたスーツに、疲れてるはずなのに笑顔のちゃんとした女性。
窓口担当なのか査定官なのか、その両方なのか──とにかく、プロの金貸し側の人間が目の前に座った。
「本日は、滞沢未納様・沼住紐介様の担保査定ということでよろしいですね?」
「推奨されちゃったんで、はい……」
「拒否権あったのかって聞かれたら、なかったですって答えますけどね」
ヒモがぼそっと付け足す。
モルタさんは、営業スマイルを崩さずに頷いた。
「現在、お二人の残債は──こちらですね」
水晶モニターの表面を軽く叩くと、空中にUIが開いた。
【滞沢 未納】
・残債:−15,xxxMP
・筋力:★★
・体力:★★
・知力:★
・魅力:★★★★★
・運 :★★★
【沼住 紐介】
・残債:−9,xxxMP
・筋力:★★★
・体力:★★
・知力:★
・魅力:★★
・運 :★★
ざっくりした星評価だけど、見慣れた自分たちのステータスだ。
xxxの部分に入ってる具体的な数字は、見なかったことにしている。
「強制担保ラインまで、あと数日から数十日といったところです。
このまま延滞なく返済を続ければ、自動審査までは時間がありますが……」
「延滞なくってところに、さりげなく無理ゲー条件入れてきますね」
私のツッコミを、モルタさんはやっぱり笑顔でスルーした。
「任意の担保査定に応じていただければ、以下のようなメリットがございます」
画面が切り替わる。
【任意担保査定のメリット】
・一部ステータスを担保に差し入れ → 残債の利率を軽減
・早期返済プランの対象となり、一定ラインまで自動的に強制差押しの優先対象から除外
・追加の前借り枠の審査が可能
「つまり、『今のうちに自分で売るものを選べば、利息ちょっと安くしてやるよ』ってことか」
「同時に、『何も選ばないと、そのうち勝手に筋力とかHP持ってくぞ』ってことでもあるよね……」
筋力★★★から★になったさっきの男の姿が、また頭に浮かぶ。
あれは、絶対イヤだ。
「担保にできるステータスは、最初は皆さんに基本的にこちをおすすめしてます」
画面に、アイコンつきで表示される。
【体力】【筋力】【知力】【魅力】【運】
「生命・行動に直結する【体力】【筋力】は、差押え量に制限がありますが……延滞が続くと、先ほどロビーでご覧になったような形で強制実行されます」
「やっぱり見せにきてたんだ、さっきの……」
「知力」
ヒモがニヤニヤしながら言う。
「これってさ、最初から低いもの担保にできたりします?」
「お前な」
あたしは即座に足を蹴り出した。テーブルの下で、ヒモのすねに軽い衝撃が入る。
「どこまでも能天気なんだから」
「痛っ……どうなのかなって。な?査定官さん」
「感情的なご判断は、おすすめしておりません」
職員はノーリアクションで、さらっと流した。
「残るは【魅力】と【運】ですね」
モルタさんの視線が、私とヒモを行ったり来たりする。
「魅力は、交渉やサービス、お仕事の紹介など、社会的な扱いに影響します。
運は、ドロップ率やクリティカル、致命傷の回避など、長期的な生存率に……」
「運はダメだろ」
ヒモが食い気味に言った。
「運削るのはギャンブラーとして自殺。
いやギャンブラーじゃなくても自殺。
ドロップ減るわ、避けられる攻撃当たるわ、マジで死にやすい体質になりますよね」
「……自覚あるのね、ギャンブラー」
私は思わず突っ込む。
でも、言ってることはわかる。
運を削るのは、たぶん、じわじわ効いてくるタイプの地獄だ。
じゃあ、残るは。
「魅力、か……」
自分のステータス欄を見つめる。
【魅力:★★★★★】
星五つ。
この世界に来て、数少ない「いいニュース」の一つだった。
元の世界より、ちょっとだけ盛られている気がして、内心ちょっと喜んだ数字。
でも──
「魅力って、いざとなったらどうにでもなる気もするんだよね。
髪型とか、服とか、メイクとか、言葉遣いとか……ほら、努力で盛れる部分というか」
「出たよ、努力で盛れる」
ヒモがテーブルに頬杖をついて、わざとらしくため息を吐く。
「ミノ、今でも充分愛想でどうにかしてるじゃん。
それ削ったら、ギルドの受付嬢からの態度とか、商人のまけ率とか、全部ちょっとずつ悪くなるんだぞ?」
「言い方ァ!」
『補足いたしますと、魅力ステータスの低下は、対人交渉時の成功率・優遇度合いに、一定のマイナス補正を与えます』
リーボがいつの間にか、机の端にちょこんと浮かんでいた。
『ただし、魔法や装備で一時的に補うことも不可能ではありません。
長期的な影響を考えると、【体力】【筋力】【運】よりは、リスクの分散がしやすい担保と言えるでしょう』
「やっぱり魅力じゃん」
ヒモが即答した。
私の胸が、ちょっとだけチクっとする。
「お前、今の説明聞いて、『体力』『筋力』『運』から切り出す勇気ある?」
「……ないけどさあ」
ない。
筋力削ってさっきの男みたいにヨロヨロになるのも嫌だし、体力削って一撃で死にやすくなるのも嫌。
運なんて、むしろ上げたい。
「ミノ様の【魅力】は、現状星五つ。
任意担保として、星一つぶんを差し入れていただくプランであれば、現行の返済ペースを維持したまま利率を一段階引き下げ、強制差押え猶予も延長できます」
モルタさんが、すらすらと条件を述べる。
「なお、担保として差し入れたステータスは、ロックされます。
日次決算でAPを振って強化することは可能ですが、ロックぶんを完全に取り戻すには、相応の期間とAPが必要になります」
「ロック、ねえ……」
画面に、小さな南京錠のアイコンが表示された。
魅力の星のうち一つが、灰色に塗りつぶされて、錠前マークが重なるイメージ。
「一生じゃない。一応、完済までです」
モルタさんは、さらっと地獄みたいなことを言った。
「完済するまで生きてたらの話ね」
思わず本音が口から滑り出る。
ヒモが苦笑して、テーブルの下で私の手をつついた。
「……ミノが嫌なら、別のもん考えるか?」
「いや」
私は、自分のステータス欄をもう一度見た。
この中で、「差し出してもまだ戦える」と思えるのは。
「魅力、でいい。
あたしの星、一個くらいなら、どうにかする」
口から出た声は、自分でも驚くくらい、震えていなかった。
モルタさんが、満足げに頷く。
「では、滞沢様の【魅力】星一つを、任意担保として差し入れる契約に……よろしいですね?」
差し出される契約端末。
リーボの体も、じんわりと淡く光り始める。
『ご契約内容の要点を読み上げますね』
機械的な読み上げが続く。
担保差入れ利率軽減強制差押し優先順位の変更──
どれを聞いても、あまり気が楽にはならなかった。
「ミノ」
ヒモが、私のほうを見る。
「無理だと思ったら、やめてもいいぞ。
……顔は、金で買えないからな」
「何そのフォロー。
今さら優しいこと言っても、もう魅力差し出すって決めちゃったし」
笑ってごまかしながら、私はペン型の入力デバイスを握りしめた。
画面の一番下──
【任意担保差入れ対象:滞沢 未納】
【対象ステータス:魅力★ → ロック★】
そこに、自分の名前を書く。
ペン先を走らせた瞬間、胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
顔がよかったって、お金にはならない。
元の世界で、それは嫌ってほど味わってきた。
でも、何だかんだで、「まだいける」「ワンチャンある」って思わせてくれてたのも、この顔だった。
チリン、と小さな音がして、UIの星がひとつ、すっと色を失う。
【魅力:★★★★★ → ★★★★(ロック★)】
同時に、全身をかすめるような、妙な寒気が走った。
外見は何も変わっていないはずなのに、鏡を見ていないのに、なんとなくわかる。
なにか、大事なものを、一本、抜かれた感じ。
『任意担保差入れ、完了しました。
おめでとうございます、お二人は前向きな返済姿勢を評価されました』
「おめでたくない……」
私がうめくと、ヒモが苦笑いした。
「まあ、筋力★★★ → ★よりはマシだろ。
……ありがとな、ミノ」
「礼言われるとムカつくね。利率軽くなっても、あんたの残債も減るんだから」
ヒモは「ですよねー」と肩をすくめて、契約端末を眺める。
これで、私の魅力は一つロックされた。
そしてたぶん、私たち二人の人生も、さらに一段、ローンの鎖にきれいに絡め取られた。
◇
その夜。
安宿の安いベッドの上で、私はリーボに合図をした。
「……じゃ、今日の決算、お願いします」
『かしこまりました。本日十二日目の決算を表示しますね』
天井と床のあいだに、いつものウィンドウがすべり出る。
【12日目の決算】
【本日の回収AP】
・総回収AP:260AP
【配分候補】
・生活費
・MP返済
・ステータス強化
「さて」
ヒモが、ベッドの端に座って画面を覗き込む。
「とりあえず生活費は固定で八十。
MP回復は……今日ちょっと使いすぎたから百? 残り八十」
「いつも通りなら、その残り全部、返済にぶち込んでたよね」
「だな。
でも今日は……」
ヒモが、ちらっと私を見る。
私は、縮こまった膝を抱え込んで、魅力の欄を睨んでいた。
【魅力:★★★★(ロック★)】
星四つ。灰色でロックされた星がひとつ。
たったこれだけの表示なのに、さっきのあの寒気が、また背筋を撫でる。
「……ねえリーボ。ステータス強化、魅力に振ったらどのくらい戻るの?」
『本日のAP残高八十をすべて魅力強化に使用した場合──』
ウィンドウの一部が計算中の表示になって、すぐに結果が出た。
【魅力強化プラン試算】
・使用AP:80AP
・結果:魅力★★★★ → ★★★★☆(ロック★)
『ロックされた星そのものは解除されませんが、基礎値に対する微増として反映されます。
対人交渉時の印象補正が、わずかに改善される見込みです』
「わずかにって言ったな今」
「改善される見込みっていう、保険かかった言い方もしてたな」
ヒモと二人で同時にツッコむ。
でも、笑いは出なかった。
AP八十。
それをそのまま返済に回せば、利息ぶんを含めて、明日の残債がほんの少し軽くなる。
でも、今日削られた魅力は、このままだと、そのままだ。
ロックされた星は、ずっと灰色のまま。
……嫌だな。
自分で納得して差し出したくせに、心のどこかで、ものすごく嫌だと思っている。
このまま「借金が優先」とか言って魅力を放置したら、たぶん一生、「あのとき戻さなかった自分」を恨む。
「ミノ」
ヒモが、いつになく真面目な声で呼ぶ。
「俺は、今日は魅力に振っていいと思う。
利息なんて、どうせ逃げないし」
「それ、普通逆じゃない?」
「いや、利息は逃げないからこそ、だよ。
魅力は……削られたままだと、多分、じわじわ効いてくる」
さっき、ブースで言ってたのと同じだ。
態度、サービス、紹介。
全部、少しずつ、悪くなる。
そして私がそれを、「自分のせいだ」と一生思い続ける。
「……ヒモが真面目なこと言うと、余計に怖いんだけど」
「ひどくない?」
軽口でごまかしながら、私は深呼吸を一つして、画面をタップした。
「リーボ。残り八十、全部。魅力に」
『承りました。
ステータス強化項目:魅力。使用AP:80AP』
画面上で、小さな光が、魅力の欄に吸い込まれていく。
星の右横に、小さな半分の星がぽっと灯った。
【魅力:★★★★☆(ロック★)】
『おめでとうございます。魅力ステータスが、わずかに上昇しました』
「……わずかにって、ほんとに好きだね」
思ったより、何も変わらない顔が、ウィンドウの隅の簡易ミラーに映っていた。
髪の跳ねかたも、目の下のクマも、相変わらずだ。
でも、確かに、どこかが違う。
胸の奥で、さっき感じた寒気が、ほんの少しだけ和らいでいる。
差し出したぶんを取り返すために、今日稼いだAPを、ほとんど全部つぎ込んだ。
借金は、そのぶん減ってない。
「……バカだな、あたし」
思わず、笑いながらつぶやく。
「利息は逃げないのに、魅力に八十もAP使ってさ。
効率悪すぎ」
「でも、いいと思うけどな」
ヒモがあくびをしながら、床にごろんと転がる。
「バカやってる自覚があるバカのほうが、まだマシだろ。
何も考えずに、筋力削られてヨロヨロになるより」
「比較対象が悲惨なんだよ」
私は枕に顔を押しつけて、 籠った声で笑った。
借金は減ってない。
魅力も、完全には戻ってない。
でも今日は、初めて──
「自分のステータスを、自分の意思でいじった」日だった。
それが良いことなのか、悪いことなのか、まだわからない。
ただひとつだけ、はっきりしているのは。
魅力でも筋力でも運でも、この世界では全部、「数字」で、「担保」で、「商品」で。
その売り買いの上で、あたしたちが生きているってことだ。
『本日の決算は以上です。
おやすみなさい、債務者様』
「おやすみ、リーボ」
ウィンドウが静かに閉じて、部屋が暗くなる。
こうして私は、魅力の星をひとつロックされて──
その鍵を、自分で握ったまま、眠りに落ちた。




