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第1話 ただいま返済中

 十日目の朝、あたしは今日も返済のためにモンスターを燃やしていた。


「——細かい計算はあとで!今は燃えて!」


 声を張り上げると、手の先から飛び出した火の玉が、通路の奥でうごめいていた黒い塊をまとめて包み込んだ。

 じゅっ、と嫌な音がして、モンスターたちが煙になって消える。鼻をつくのは血の匂いじゃなくて、焦げた紙幣みたいな、やたらリアルな金の匂いだ。


「おお、まとめ焼き。やればできんじゃん、ミノ」


 すぐ後ろで、のんきな声がした。沼住紐介——通称ヒモ。

 相棒にして、あたしと一緒にこの地獄ツアーに申し込んだバカその一である。


「褒めても何も出ないよ。ていうか出したのは火の玉だからね」

「はいはい、本日のご利用ありがとうございますっと」


 ひょい、とあたしたちの間に、小さな影が割り込んできた。

 手のひらサイズのスーツ姿。丸っこい体にちっちゃいネクタイ、そして満面の営業スマイル。


 貸MP精霊——リーボ。


『ただいまの債権回収結果を反映しますね』


 リーボがぱちんと指を鳴らすと、その頭上に半透明の板がぱっと開いた。

 空中に浮かぶ青白いウィンドウ。十日経っても見慣れない、借金アプリの画面だ。


【債権回収フィールド:第三区画】

【本日ここまでの回収AP: 120AP】

【内訳】

・討伐モンスター数  :16体

・うち債権対象ランクC: 4体

・ボーナス      :+20AP


『おめでとうございます。本日も順調にご返済のためのご狩猟が進んでおります』


「……“ご”とか付けなくていいから」

「ってか、まだ朝なのにもう働いた感すごいんだけど」


 あたしとヒモは、同時にため息をついた。


 ここはカスランドの外れ、街道から一本入った、公式には「債権回収フィールド」と呼ばれているエリアだ。

 シンプルに言うと——借金した人間が、借金のカタにモンスターを狩らされる場所である。


 空はどんより曇り。足元には黒ずんだ石畳と、ところどころに残る焦げ跡。

 角を曲がるたびに、さっき焼いたみたいな黒い塊——債権対象がぬるっと湧いてくる。


「なあミノ、今日のノルマ、あとどんくらいだっけ?」

「ノルマって言い方やめて。なんか悪徳営業みたいで嫌なんだけど」

「いや、悪徳営業に借りた側が言うセリフじゃねえだろ」


 ヒモが肩をすくめる。

 その言い方にちょっとムカつきながらも、あたしはリーボのウィンドウをにらみつけた。


「……今日の目標AP、いくつだっけ、リーボ」

『はい。本日十日目の、滞沢様と沼住様の推奨回収APは——』


 リーボの目が、内蔵ディスプレイでも見ているみたいにくるりと上を向く。


『生活費を最低限に抑えた場合で……350AP前後ですね』


「前後ってなに。前後って」

「お、すでに120AP稼いだから、残り230前後だな。余裕じゃん?」

「余裕なわけないでしょ!? あんた、APの価値わかってる!?」


 AP (Asset Point)。

 この世界であたしたちが一日かけて稼ぐ、ポイントのことだ。


 モンスターを倒すと、体の中に溜まってる何かがAPとして金融機関に回収される。

 そのAPを、あとで「生活費」「MP回復」「ステータス強化」なんかに振り分ける——それが、毎晩行われる日次決算だ。


「じゃ、続き行くか。返済のためのご狩猟」

「そのフレーズ、やめなさいって。脳が削れる」


 そうぼやきながら、あたしは次の通路を見やった。

 薄暗い先で、また黒い塊がもぞもぞとうごめき始めている。


 ——あれが、元・人間だっていう話は、まだちゃんと信じてない。


 信じたら、多分、燃やせなくなる。



「ほら来た。右、三体」

「見えてる!」


 ヒモが半歩前に出て、手にした鉄パイプを構える。

 あたしは少し後ろで魔法陣を展開した。


 黒い塊が形を変え、人の腕とも獣の牙ともつかないものを伸ばしてくる。

 口みたいな穴から漏れてくるのは、言葉じゃない。でも、たまに——


「……か、え、し……」


 そんなふうに聞こえるから、やめてほしい。


「ミノ、集中」

「わかってる!」


 頭を振って、目の前の数字だけをイメージする。

 モンスター一体、10AP。ランクCなら20AP。

 今出てきた黒いのは——


「どう見てもCランク三体。つまり——」

「——30AP+ボーナス。焼き尽くす価値あり」


 あたしとヒモの声が重なった。


「ファイア!」


 今度の火の玉は、さっきより一回り大きい。

 燃え上がる炎が黒い塊をまとめて包み込み、嫌な悲鳴とも蒸気ともつかない音を立てて弾ける。


 しばらくして、炎が消えたあとに残ったのは、黒い灰が少しと——


『お見事です、お二人とも』


 またリーボだ。

 炎の中からスーツのままぴょこっと飛び出してきたその姿は、ちょっとだけムカつくくらい可愛い。


『ただいまの討伐で——追加30AP、ボーナス10AP。合計40APの加算です』


【本日ここまでの回収AP: 160AP】


「よし、昼飯代は確保って感じ?」

「その言い方やめて。命がけの昼飯って何なの」


 ヒモは汗をぬぐいながらも、どこか楽しそうに笑っている。

 この人、現世でも大体こういうテンションだった。


「てかさ、あんだけド派手に燃やして40APって、割に合わなくない?」

『火力と収入は必ずしも比例しません。効率よく債権対象を減らしていただくのが、当機構としても望ましいためでして』

「効率よく、ねえ……」


 つまり、ちまちま倒しても、派手にまとめて焼いても、もらえるAPは大して変わらない。

 このシステムを考えたやつは、一生分のカラオケ代を返済に回してほしい。


「ミノさ、今のちょっとオーバーキルだったな」

「わかってるよ。でもまとめて燃やした方がストレス解消になるんだもん」

「ストレス解消でMP使ってちゃ世話ねーな、多重債務者」


 図星すぎて何も言い返せない。


 ——そう、MP。


 本来は魔法ポイントだとかなんだとか言われているけど、あたしたちにとっては違う意味しかない。


 ——残債=MP。


 日次決算ウィンドウに表示される、あの忌々しいマイナスの数字。

 それが増えれば借金が増え、減れば借金が減る。


 だから、魔法を撃つってことは、そのままあたしの借金の元本をかじる行為になる。

 さっきのファイアだって、本当はもっとケチんないといけない。


「……もうちょっとプチプラ魔法で我慢しようかなあ」

『ビリヒ・バーンへの切り替えをご希望ですか? 消費MPが抑えられて、お財布に優しいですよ』

「あんたが勧めると全部うさんくさいんだよね」


 リーボはにこにこと営業スマイルを崩さない。

 この十日間でわかったことがある。


 ——この精霊、たぶんあたしたちの味方じゃない。



 昼を大幅に過ぎた頃には、さすがに息が上がってきた。


「っはー……あと何体狩ればいいわけ」

「リーボ、あとどんくらい?」


『本日の推奨回収AP350に対して、現在の達成値は290APです』


【本日ここまでの回収AP: 290AP】


『もう一息ですね。なお、この数値はあくまで推奨であり、未達成の場合には——』

「——利息が増えるんだろ。知ってる」


 ヒモが苦笑いしながら、腰を伸ばした。


『はい。お二人の現在の残債水準ですと、一日あたりの利息換算は概ね80〜100MP相当になりますので』

「はいストップストップ。具体的な数字出さないで。心が死ぬ」


 80〜100MP。

 つまり、今日一日で少なくともその分は返さないと、借金が勝手に増えるってことだ。


「ねえヒモ。あたしら、現世でも毎月こんな計算してなかった?」

「してたな。してたけど、こっちはサボると普通に死ぬからな」

「現世も割と死ねそうだったけどね、精神的に」


 自虐を挟まないと、やってられない。


 十日目ともなると、さすがに異世界すげー!みたいなテンションはとっくにない。

 あるのはただ、朝起きて、安宿のパンをかじって、モンスターを狩って、数字を見る——それだけの生活。


『滞沢様、沼住様。そろそろ日が傾きますので、本日の狩猟はこの辺りで切り上げて、日次決算の準備に入られることをおすすめします』


 リーボが、すこし柔らかい声で言った。

 こいつなりの気遣いなのかもしれない。


「……まあ、300APは超えたしね」

「そうだな。あとは、夜の配分でなんとかするか」


 なんとかする。

 この十日間、あたしたちはずっとそう言ってきた。


 そしてそのたびに、なんともなってないってことを、数字が教えてくれるのだ。



 夜。


 安宿の四人部屋。

 他のベッドの住人はまだ帰ってきていない。薄暗いランプの下で、あたしとヒモは向かい合って座っていた。


『それでは——本日の十日目の日次決算を開始します』


 リーボがベッドの間にふわりと浮かび上がり、ぱん、と手を叩く。

 空中に現れるウィンドウは、昼間よりも一段と細かい。


【10日目の決算】


【本日の総回収AP】

・合計: 320AP


【AP配分(案)】

・生活費   :80AP

・MP回復   :240AP

・ステータス強化:0AP


『本日はこのような配分をご提案いたします。生活費を削れば、MP回復にもっと回すことも可能ですが——』


「いや、これ以上削ると、パンから空気しか食えなくなるからね」

「ステ強化0ってのが、なんか泣けるよな」


 ヒモが乾いた笑いを漏らす。


「いいよステは。鍛えても、借金減らないし」

『ただしステータスを強化することで、将来的な回収効率の向上が見込めるという試算もございまして——』

「将来って、具体的に何年後?」

『お二人の現状の残債水準ですと、ざっくりと三〜五年……』

「はいはい聞こえなーい」


 あたしは耳をふさぎたくなる衝動を、ぐっとこらえた。


「……いいよ。それで決算して」

『承知しました。では、本日の配分を確定します』


 ウィンドウの数字が、すっと書き換わる。


【AP配分(確定)】

・生活費   :80AP

・MP回復   :240AP


『つづきまして——残債と利息の反映です』


 リーボの声が、ほんの少しだけ真面目なトーンに変わる。

 ウィンドウの下段に、見慣れた——でも、見たくない数字が現れた。


【債務残高】

・合算参照残債: −23,410MP

 (前日比: +140MP)


【利息計上】

・本日利息相当: 100MP

・本日返済分 : 100MP


【現世帰還条件達成率(概算)】

・ 0.5%


「……マジでちょっとしか減ってないじゃん」


 思わず、声が漏れた。


 昨日から40MPしか減ってない。

 モンスターを二十何体も狩って、一日中汗だくで走り回って、その成果がこれ。


「おお、減ってるだけマシじゃん。昨日までは微妙に増えてたりしたろ」

「慰め方がブラック企業なのよ、あんた」


 ヒモはベッドの縁にもたれながら、天井を見て笑っている。


 ——この人、本当に強いのか、それとも壊れてるのか。


『お二人とも、本日も一日お疲れさまでした』


 リーボが、少しだけ丁寧に頭を下げた。

 その仕草が妙に人間くさいせいで、余計に腹が立つ。


「ねえ、リーボ」

『はい、滞沢様』

「もしさ。今日みたいなペースでこれからも頑張ったら……この−23,410MPって、いつゼロになるわけ?」


 あたしの質問に、リーボは一瞬だけ固まった。

 そして、営業スマイルをほんの少しだけ弱めて、淡々と答える。


『本日と同程度の回収と配分が安定して続いた場合——おおよそ、四〜七年の範囲と推定されます』


「よ、四〜七年……」

「うわ、一生って書かれるよりリアルに嫌なやつだ」


 ヒモが顔をしかめる。


『もちろん、その間に追加借入や延滞が発生しなければ、という前提ですが』

「そのもちろんが一番難しいんだけどね?」


 あたしはベッドにごろんと仰向けになった。

 薄いマットレスが、ぎし、と情けない音を立てる。


 ——四年。もしくは七年。


 現世でも、ローンの契約書の端っこにそんな数字が書いてあった気がする。

 ただ違うのは、ここでは払えなかったら家がなくなるじゃなくて、払えなかったら自分がモンスターになるって噂が、そこら中でささやかれていることだ。


「なあミノ」

「なに」

「ステータス強化、やっぱちょっとだけやってみる? 明日からでも」


 ヒモの声が、意外と真面目だった。


「強くなれば、もっと楽に稼げるかもしれねーし。今は0だけどさ、いつか——」

「……いつかって言葉、ローンの営業で聞き飽きたんだけど」


 そう言いながらも、あたしは少しだけ笑ってしまう。


「でもまあ……そうね。ステ上げ、選択肢としてあるってだけ、忘れないでおこ」

『はい。ステータス強化のご利用は、いつでも受け付けております』


 リーボが、ちゃっかりと営業トークで締めてきた。


「……とりあえず今日はもう、何も考えたくない」

「賛成。寝よ」


 ランプを落とすと、薄暗い部屋の中に、さっきまで見ていたウィンドウの残像が浮かぶ気がした。


 −23,410MP。

 ゼロになる気配のない、でっかいマイナスの数字。


 でも——その横には、ちっちゃく「0.5%」って書いてあった。


 現世に帰れる条件を満たすまでの、おそろしく遠い距離。

 笑っちゃうくらい低い、達成率。


 それでも、まったくのゼロじゃない。


(——まあ、いいか。とりあえず、今日もただいま返済中ってことで)


 そんなふうに心の中でつぶやいて、あたしは目を閉じた。


 十日目の夜。

 借金も、MPも、人生も、まだ減った気がしないまま——あたしたちの返済生活は、静かに続いていった。

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