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『希』  作者: 森 神奈
2/5

リードの切れる音

学校からの帰り道。

季節は少しずつ秋へと傾いていた。

通学路の途中、白いバンが道を塞いだ。

嫌な予感がしたときには、もう遅かった。

「久しぶりだな、帰ろうか」

笑っていたのは、あの人――

父親。かつて俺の世界を壊した張本人だった。

声は出なかった。

反射的に足が動かなかった。

全身が凍ったように、その場に縫いとめられていた。

気がついた時、俺は、あの家にいた。

懐かしい匂いが吐き気を誘う。

壁には俺の名前が貼られたまま。

俺の部屋、俺の机、俺の檻。

「ほら、戻ってきたじゃねえか。やっぱり家族が一番なんだよ」

優しい言葉。

でも、拳が飛んできた。

世界が回って、記憶が白く途切れた。



助けは、意外と早く来た。

かんなが、帰ってこない俺を心配して通報してくれた。

あの人は、そういう人だ。

心配性で、寂しがり屋で、俺のことをすぐに探してくれる。

警察に救出されたとき、俺は自分が夢を見ているんじゃないかと思った。

でも、かんなの顔を見た瞬間、堰が切れたように涙があふれた。

「大丈夫、大丈夫だよ。もう誰にも、渡さないから」

彼女の手が、首を撫でた。

かつては絞められたその手が、今は俺を守っていた。



だが、安心は長くは続かなかった。

児童相談所が動いた。

「未成年との不適切な関係」「監護権の侵害」――

役所も、マスコミも、俺たちを“事件”として取り上げた。

テレビには、モザイク越しの俺の写真。

かんなは会社を解雇された。

家の前には、毎日マイクとカメラが押し寄せる。

俺たちの生活は、音もなく崩れていった。



再び俺は、施設へ。

白い天井。

無機質な部屋。

あの時と、同じだった。

だけど -今回は違った。

警察が、助けてくれた。

俺の家庭環境を知っている隣人が証言してくれた。

児相と役所の対応の問題点が取り上げられた。

そして、親からの慰謝料。

警察からの支援。

新しい住居の提供。

何より、かんなが再び働けるように、警察が職の仲介もしてくれた。

小さな一軒家。

決して贅沢ではないけれど、俺たちが「ただ生きていける」場所。

そして何より、

一緒にいられることが、何よりの贅沢だった。



「どう? 狭いけど」

新居に初めて入ったとき、かんなが照れながら言った。

玄関には並んだ靴。

キッチンには、二人分のマグカップ。

窓からは風の音。

静かで、暖かくて、少し泣きそうだった。

「……なあ、かんな」

「ん?」

「もし、また全部壊れてもさ……俺、お前と一緒にいるから」

彼女は笑った。

今まで見た中で一番優しい顔で。

「じゃあ、私も壊れるまで離さない」

かつてのような狂気はなかった。

今はただ、静かな執着と、確かな愛。

もうリードはいらない。

絞めることも、絞められることもなく。

ただ、「隣にいる」ことが、俺たちのすべてだった。


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