もしかしなくてもホントにヤバい
翌日。
朝の連絡業務がひと段落したころ、リンジー副室長が笑顔で私に話しかけてきた。
「昨日の話、進展があったわ。セオドアが気を利かせてくれてね。今日の午後、ロイドの論文草案を見せてもらえることになったの」
「ほんとですか!?」
思わず前のめりになってしまった。内心、無理を言いすぎたかなって不安だったんだけど、セオドアさんが気を回してくれたらしい。ありがたすぎる……。
「献体は見せられないけどね。感染の危険があるし、そこは仕方ないわ」
午後、カイル室長と一緒に医療課が入っている建物へ向かう。
渡り廊下を抜けていくこの場所、どこか役所っぽいんだよなあ。うん、これ……県庁?
思わず口に出していた。
「なんか、県庁みたいですねここ」
「県庁……?そう言われれば」
カイル室長はちょっと考えてから頷いた。
「そろそろ課ごとに建物を分けた方がいい気がしている」
あ、真面目に返された。変な例えしてすみません……。
ロイドさんがいる特別室に案内されると、そこは静かで、だけどどこか張り詰めた空気が漂っていた。
「来てくれてありがとう」とロイドさんが顔を上げる。
「それから献体をしてくれた方に、まずは感謝を伝えたい。あれがなければ、ここまで症状は掴めていなかった」
机の上には、書きかけの論文の束があった。
「亡くなったのは、60代の男性。郊外の養鶏場に勤めていた方だ。一人暮らしで、亡くなる10日前から咳と発熱に悩まされていた。水分を摂っても吐いてしまい、最後は衰弱死。体力のある成人男性が、たった10日で……」
私は、背中に冷たいものが走るのを感じた。
「鶏……は……?」
息を呑みながら尋ねると、ロイドさんは小さく頷いた。
「数羽、死んでいるのが確認されている。まだ死因まではわからないが、偶然とは言いづらい」
うわ、これ絶対あれじゃん。
前世のニュースで見た、鳥インフルエンザ。人間にも感染するってやつ……!
やばいやばいやばい、普通にパンデミック案件では!?
「室長……」私は慌てて隣のカイル室長を見た。
でも彼は冷静だった。すぐさまロイドさんに向き直る。
「その養鶏場、今も稼働しているのか?」
「報告では、はい」
「封鎖すべきだ」
ピシャッと迷いなく言った室長に、私はちょっと感動しかけたけど……。
「それはこちらでは出来かねます」
ロイドさんの返答はあっさりしていた。
「医療課の判断では、そういう行政的な措置は取れません。地域管轄課か、王国警備課に通す必要があります」
ああ、たしかに……。行政と医療が別の権限持ってるの、忘れてた。前世でもそうだった。
「ならば、そちらに掛け合おう」室長が言うと、ロイドさんが少し困ったように肩をすくめた。
「待ってください。僕からも調整はしてみます。けど、封鎖に踏み切るにはそれなりの証拠が必要になるはずです。論文が仕上がったら、そちらから正式に地域管轄課へ出してもらえますか?」
「了解した。それまでは、現地への出入りを最小限にしておくべきだな」
私は、小さくうなずいた。
ただの「イベント」としてしか認識してなかった出来事が、いま現実になって私たちの目の前にある。
前世の記憶と、いまこの国で起きている出来事が重なり合って、嫌な予感がどんどん強くなっていく。
――これ、ほんとに防げるのかな……。
医療課のロイドさんの部屋から出た私は、これからのことを思って大きなため息をついた。そんな事を気にしてないようで、カイル室長は私に向かってこう言った。
「これから気象天文課に向かう」
このひと言で、私の中の警戒アラートが一気に鳴り響いた。
……ちょっと待ってください、室長。
なんでそんな当たり前のことみたいに言うんですか。
「ランチ行く?」みたいな軽さで。
「え? な、なんでですか?」
私は反射的に聞き返していた。
だって気象天文課って――たしか、また別の攻略対象者がいる場所じゃん!?
一人でもうお腹いっぱいなんですよ! 恋愛イベントとか恋の予感とか、回避したい!全力で!
室長は、まったく動じずに返してきた。
「嫌でも行くぞ。なぜならゴルドリバーで大雨が降ると、爆発的に感染が広がるからだ」
……う、うわぁ……。
真面目な理由!超納得!
でもそれはそれ、これはこれ!攻略対象者とは会いたくない!頼むから回避ルートを選ばせて!
「でも、気象天文課で誰とも会う約束はしてないはずです」
私の声には微妙に希望が混ざっていた。誰とも約束してないなら、こっそり資料だけもらって帰ってきましょ?ね?それでよくないですか?
でもカイル室長は、どこか楽しげな顔で言った。
「気にするな。あそこには悪友がいる。過去のことを掘り返せば、無理にでも会ってくれるさ」
……ん?
え、なにそれ……。
それってつまり、何かこう、えげつないやつでは?
過去のことを掘り返すって……あの室長が笑って言ってるってことは――たぶん、普通の手段じゃない!絶対ちょっと黒い!
ちょ、ちょっと待って!? 悪友って、そもそもどんな人!? どれだけ強引に会おうとしてるの!? やばいやばいやばい!
思わず私は、ぽつりとつぶやいてしまった。
「……なんか腹黒……」
「あ?」
カイル室長が、静かに私の方を見た。
あっ、やば!聞こえてた!? いや、でも聞こえない距離で言ったはず!いや、バレたか!? どっち!?(混乱)
「なーんにも言ってませ〜ん!」
私は満面の笑みを浮かべて、軽く手を振ってごまかす。あっぶなー!口が滑りそうになる癖、ほんと直さなきゃ……。
でもまあ、仕方ないよね。室長の言い方がなんか策士っぽかったんだもん。
――とはいえ、事態は事態だ。感染の拡大を防ぐためには、気象天文課からの正確な降雨情報が必要不可欠。雨の多い地域は、水を媒介にして感染が広がる可能性が高い。
前世のニュースでもそうだった。湿気と高温が続くと、ウイルスって異様に元気になるんだよね……。つまり、雨が降るってだけでリスクが一気に跳ね上がる。
うー、地味に現実的……!
でも、でも!
心構えくらいはさせてくださいよ!
“悪友”とか“過去を掘り返す”とか、何その意味深ワード。気象天文課、絶対ただの天気予報屋さんじゃない……。
覚悟しよう、アリア。
カイル室長が“使えるものは使う”ってスタンスなら、私も学ばないとね。
よし、何がきても驚かない!はず!たぶん!……できるだけ!
というわけで――私たちは、攻略イベントの香りがプンプン漂う、気象天文課へと向かうのであった。
(お願いだから誰とも目を合わせませんように……!)