食事の時こそゆっくりしたい
文官専用の食堂――通称《夢見の食卓》に、ロイドさんとふたりで到着した。
……いや、この名前、どうしてもムズムズするんだけど。
夢見? 詩的? 乙女ゲームの舞台にふさわしいけど、私の胃袋は現実的なのよ!
とか思いつつも、ここの料理は美味しいし、安くて量もそこそこあるからありがたい。
食堂はビュッフェ形式で、好きなものをトレーに取っていくスタイル。
ただし――料理名のクセが強い。
例えばこの「虹色の微笑み」、何かと思えば、彩りきれいな野菜と白身魚のテリーヌ。
「夜明けの追憶」は、普通に美味しそうなミートパイ。……うん、確かに焼き色は夜明けっぽいかもだけど!
そんな中、私は「月下のため息」(つまりチキンソテー・クリームソースがけ)と、「翡翠の雫」(グリーンピースのポタージュ)をチョイス。それと、シンプルなロールパン。
……ちなみにロールパンは、名前もそのまま「ロールパン」だった。
こだわるところとこだわらないところの差よ。なぜ。
ロイドさんはというと、
「暁の調べ」(ポークソテー・トマトソース)
「妖精の歓談」(たっぷり野菜のポトフ)
「夜明けの追憶」(さっきのミートパイ)
「泡沫の夢路」(フルーツババロア)
……と、バランスよくセレクトしていた。あれ? 私より健康的かも。
王家御用達のメニューだけあって、どれも本当に美味しい。あ、私もババロア食べよ!
この「泡沫の夢路」、甘さ控えめでちょっと洋酒の香りがして、甘い物好きにはたまらない!
ちなみに、この《夢見の食卓》の調理課には攻略対象のひとり――
やたらと詩的な引用をかますナルシストさん(名前:バーナード)がいるけど、今日は厨房の奥から気配すら感じない。
出てこないで……今は平穏なランチタイムを楽しませて……!
そんなことを考えながらロイドさんと静かに食事をしていると、食堂の入り口に見覚えのある姿が現れた。
リンジー副室長と、見た目三十代くらい? 少し疲れた雰囲気の男性。
「遅くなっちゃったかしら? ごめんなさいね、なかなかこの人が動かなくて」
「……リンジー、俺は食事一回くらい抜いても平気だ」
「水分も摂らないで倒れられたら困るのよ? ついでに食事も取った方がいいの。糖分が脳に届けば、もう少し思考速度も上がるはず」
「……甘いもの中心にしよう。取ってくる」
そう言って、その男性は、ふらりと料理の列へ向かっていった。
「いってらっしゃーい。私もすぐに行くわ」
そう答えるリンジー副室長に、私は思わず声をかけた。
「え、あの……今の方って?」
「ああ、彼が私の夫、セオドア・ケイよ。医療課で病理学を担当してるの」
病理学……って、解剖とか、検査とか、そういう系統だったはず。
ちょっと不健康そうなのは、仕事のせいかも?
それにしても、夫婦で同じ省庁にいて、しかも義弟も攻略対象って――
宮廷文官、恐ろしい場所すぎる。
私はふと思って、ロイドさんに尋ねた。
「そういえば、ロイドさんって何を担当されてるんですか?」
「僕? 僕は疫学と、公衆衛生をやってるよ」
「えっ、疫学……って、かなり珍しいですね。
病気の原因がウイルスだって認めないお年寄りとか、まだ多いんですよね? 割と新しい学問だし……」
実は、攻略ルートでもあんまり深掘りされてなかったのよね、疫学って。
でも、疫病イベント阻止のためには絶対に必要な知識。
「その、ロイドさんの論文があれば、読んでみたいです」
私が前のめり気味にそう言った瞬間、戻ってきたセオドアさんが口を挟んできた。
トレーの上には……ほんとに甘いものばっかり! 「琥珀の秘め事」プリンタルトに、「天使の宴」果物山盛りのパフェそれから「銀河の片隅」フルーツいっぱいのロールケーキまで乗ってる。名前なんで覚えてるかって?甘い物好きなんです!
「……素人に理解できるか? 専門用語だらけだぞ」
「おかえりなさい、セオ」
リンジー副室長が微笑んで言葉を返す。
「ふふ、そんなふうに言うから皆に一歩引かれるのよ。“説明してあげるよ”って素直に言えばいいのに」
「……そういうこと言うの、君くらいだ」
「じゃあ、兄さんが嫌なら僕がやろうか?」
その軽口に、リンジー副室長がさらりと釘を刺した。
「それはやめた方がいいわ。カイルに刺されるわよ?」
「え、本当に?」
とロイドさんが答えた直後、副室長は立ち上がった。
「さあ、どうでしょうね?…ちょっと、私も料理取ってくるわ」
颯爽と去っていく副室長を見送りながら、私は内心で叫んでいた。
ま、待ってください!副室長!この状況で残されるのはキツイです!
そんな私の心を見透かしたように、セオドアさんが淡々と口を開いた。
「……カイル・コーシェのお気に入りか。安心しろ、手は出さない」
「うん、出せない」
追い打ちをかけるように、ロイドさんが微笑みながら頷いた。
だから!こういうのが一番居た堪れないんです〜!
……そのあと、副室長が選んできた料理は、「風の置き土産」(スパイスの効いた煮込み料理)と、「星屑の微睡み」(彩り豊かなサラダパスタ)だった。
うん、今度あれにしよう。見た目も美味しそうだったし、何よりこの空気から逃れるには新しい料理に集中するしかない。
そして、私は心の底から思う。
疫学の知識を得たいのに……恋愛イベント邪魔!
そりゃあゲームで第三情報室ルートがハードモードなわけだよ。だって、主人公が恋より仕事に生きてるルートなんだもん。これ以上、攻略対象者なんていらない。ホントにいらない!
……でも、人はそれをフラグという。
突然、食堂の扉が勢いよく開いて、屈強な男性がどやどやと十人ほど入ってきた。
しかもその先頭には――
あ、あれは、宮廷課騎士部の攻略対象者
アルバート・ファタ!(体育会系爽やかなお兄さん)
なんで!? なんで貴方がここに!?
……どうやら、武官専用の食堂が満席で、こちらに回ってきたらしい。
このお店、美味しいけど、文官向けの量しかないけど……足りるのかな、あの人たち。
いや、もう知らない。今のうちに帰ろう。
それで、カイル室長にも食事に行ってもらおう。
私はスッと立ち上がり、踵を返して急ぎ足で食堂を後にした。
リンジー副室長は、相変わらず医療課の兄弟と談笑しながら楽しそうに食事中だったけれど――
「私は先に出ますね! リンジー副室長は、ごゆっくりどうぞ!」
ひと声かけて、私はその場を後にした。
* * *
「カイル室長〜、戻りました!」
「戻ったか。……何かあったのか?」
さすが、鋭い。表情だけで察知されてしまった。
「えっとですね、リンジー副室長の旦那様と、その弟さんと、あと何故か騎士部の攻略対象者と、そのお仲間たちが文官食堂に……」
「騎士部が? なぜだ?」
「どうやら、武官食堂が満席で食べられなかったようです」
「……今から行っても、まともな食事は残ってないか。仕方ない、今日は抜くか」
「行ってください」
「……それはどうして?」
「リンジー副室長の旦那様の弟、ロイドさんが疫学担当なんです。おそらく、今後の疫病イベントに関係してくる人物かと」
その言葉に、カイル室長の目が細くなった。
「……なるほど。わかった。行ってくる」
「いってらっしゃ〜い! 留守は、ちゃんと守ってますから!」
「頼んだ」
軽く手を挙げて、カイル室長は扉の向こうへと消えていった。