尋問はご遠慮します
「これから一週間で、基本的な仕事の流れを覚えてもらう。その後、王都の隣のゴルドリバーの街へ赴く予定だ。これが資料だ。上下水道整備の予算申請が、妥当な金額か確認する」
「はい!」
「それと、隣室に副室長のケイがいる。我々が出張している間、第三情報室を預かってもらっている女性だ。案内しよう」
そう言ってコーシェ室長はすっと立ち上がった。
(……脚、長っ。無駄がない動きってこういうのを言うのね)
隣室の扉をノックして開けると、すぐに中にいた女性がこちらに気づいた。
三十代手前くらいだろうか。豊かな金髪に、知性を感じさせる柔らかな紺色の瞳。華のある、美しい人。
「あら。今日から来た子ね?」
「そうだ。紹介しよう。アリア・アマーデュー子爵令嬢だ」
「アリアさんね。よろしく。私はリンジー・ミューター・ケイ。あなたと同じ子爵階級よ」
「これからお世話になります! よろしくお願いします!」
軽く緊張しつつ、ぺこりと頭を下げると、リンジー副室長はふっと笑った。
「この子が室長のお眼鏡にかなった子なのね? ……納得だわ」
「だろう? 髪も瞳も地味な茶色、見た目は目立たんが――文官試験の成績は、上位十指に入る優秀さだ」
容姿おとしめるとは失礼な。室長、後ろから張り倒してもよろし?
「ふふ、そりゃあ期待しちゃうわね」
リンジー副室長の指導は、丁寧かつ実践的だった。
「この報告書、出張から戻ったあとの精査用ね。表と照合して矛盾があったら印つけておくの」
「は、はいっ!」
資料の山に押し潰されそうになりながらも、私はひたすらメモと格闘していた。
そんな中、ふとリンジーさんが手を止めた。
「ねえアリアさん。気になってるでしょう? どうしてあなたが室長付きになったのか」
「……はい、正直、ちょっとだけ」
すると彼女は、自分の髪を指先で軽く弄びながら微笑んだ。
「私は昔から――目立つのよ。金髪紺の眼、背も高くて、服の趣味もちょっと派手でしょ?」
「い、いえ、素敵だと思います!」
「ありがとう。でも、私の容姿って、地方視察ではとても不利なの。どこへ行っても顔を覚えられて、場合によっては……命を狙われたこともあった」
一瞬、冗談かと思ったけど、その瞳は笑っていなかった。
「今は、ようやく平穏が手に入ったところ。子どもができて、もう三ヶ月目。無理はできないわ」
「……そうだったんですね」
「だから、あなたが室長付きになるのは、必然だったのよ。安心して。期待してるから」
そして、あっという間の一週間が過ぎた。
地図の読み方、報告書の見方、情報の裏取りの仕方。覚えることは山ほどあったけれど、私は必死に食らいついた。
そうして、とうとう初の出張日――目的地は「ゴルドリバー」。
馬車の中。コーシェ室長と二人きり。
沈黙が流れていたのは、ほんの数分のはずなのに、やたら長く感じる。
「……聞くが。お前の言っていた“ゲーム”とやら、その内容を詳しく教えろ」
唐突に低くて落ち着いた声が飛んできた。びくっと肩が跳ねる。
「な、なんで急に尋問モードなんですか!? 馬車の中って逃げ場ないんですよ!?」
「逆に言えば、逃げ場がない今だからこそ、聞きやすいのだ」
「ちょっとぉ〜……」
「当然だろう。異世界の知識を持った新人が、どうしてこの部署にいて、俺を“知っている”のか……気になるに決まっている」
「うーん、でも室長、言いにくいんですよね……」
「なぜだ?」
「だって、室長……モブだったんです」
「……モブ?」
目を細めたその顔に、私は慌てて両手を振った。
「モブって言っても、空気とか背景とかじゃないんですよ!ちょっとだけ喋るし、仕事はできるし、キャラ立ちもしてました!ただ、恋愛イベントがまったくなかっただけで!」
「……それは慰めになっているのか?」
「……微妙ですね……」
カイルはひとつ深く息を吐いたあと、少し黙ってから呟いた。
「つまり、俺は“攻略対象”ではなかったと」
「はい、ホシコイには七人の攻略対象がいて、それぞれ部署が違ったんです。で、室長は……第三情報室の室長ポジで、主人公のサポート役止まりでした」
「……なるほどな」
「でも私、室長けっこう好きだったんですよ?」
「……」
「まじめで冷静で、でもちょっと天然入ってて、“仕事人間だけど不器用な優しさがある”って感じで」
「……それは……キャラ設定として、か?」
「ん〜……いえ、いまの室長を見て、実感しました」
ふいに、カイルの目がこちらを見た。けれど、その目には怒りや失望ではなく、淡い戸惑いのようなものがあった。
「参考になった。ありがとう」
「……え、あ、はい」
――ちょっとだけ、耳が赤い?
あれ? なんか、かわいい……とか思っちゃったじゃないの。
馬車は静かに揺れながら、ゴルドリバーへの街道を進んでいく。
この人が"モブ"だったなんて、信じられない。
だって、今の室長、ものすごく「主役級」に見えるんですけど――。