嵐が来る
室長室に入ると、セシリアさんは背筋を伸ばしてきちんと座っていた。よかった。泣いてない。
泣かれると本当に困るのよね。ハンカチ取って水用意して、そのうえ慰め言葉の選定までしなきゃいけないんだから。
室長が小さく息を吐いてから口を開いた。
「セシリア嬢、すまないが、最初から話してくれ」
セシリアさんはまばたきを二、三度して、それから思い切ったように口を開いた。
「その……もし、“前世の記憶がある”って言ったら……信じてもらえますか?」
――今、なんとおっしゃいました?
私の思考も、口も、ついでに呼吸すらも一時停止。
大きく息を吸って再起動
耳がおかしくなったのかと思って、一瞬聞き返しそうになったけど、目の前のセシリアさんの真剣な瞳がそれを許してくれなかった。あの金の瞳、昨日はどこか浮ついて見えたのに、今は底に何か沈んでる。何かこう――言葉にならない、濁流みたいなもの。
「えっと、ちょっと待ってください。まずその“前世”って、いわゆる……生まれ変わり的な?」
「はい」
即答。
「で、それを私に聞くってことは……もしかして、自分に前世の記憶がある、とか?」
「はい」
さらに即答。
私の口の端が勝手に引きつるのを感じながら、室長の方をチラリと見ると、彼もまた軽く眉をひそめていた。けど、怒ってるわけじゃない。――困ってるのだ。
「……それは、どんな内容ですか?」
私の問いにセシリアさんは少しだけ目を伏せて、整えるように一呼吸。それから、ぽつぽつと話し始めた。
「ここの世界……“ホシコイ”っていう、アプリゲームの中の世界なんです。ヒロインがいて、攻略対象がいて、私はそのヒロインで、乙女ゲームで……」
うん、支離滅裂。
いや、心の中でだけ突っ込む。まずは落ち着いてもらおう。
私はできる限り柔らかく、ゆっくりとした声で言った。
頭の中で「リンジー副室長ならこうする」と唱えながら。
「大丈夫。ゆっくりでいいですよ。順序を追って、始めからお話してください」
セシリアさんは頷いて、もう一度息を整えた。
「半年くらい前、私、疫病にかかってしまって……高熱が何日も続いて、何も食べられなくて、ふらふらで……」
「それは大変でしたね」
「寝てたら、ある時ふっと、『ここ、ニホンじゃないわ』って思ったんです。思い出した、っていう感覚で」
「それから?」
「それで、私は中学生だった、って思い出して。でも周りから『あなたは20歳よ』って言われて、意味が分からなくて、いっぱい泣きました……。前の私はどうなっちゃったの、今の私は何なのって」
「……それは、つらかったですね」
セシリアさんはうなずいた。ほんの少しだけだけど、私の言葉が届いた気がした。
「でも、ある日思ったんです。“あのイベントを止めるために生まれ変わったんだ”って、そう思うことにしたんです」
――前向きだなあ……その考え方、嫌いじゃない。正直に言うと、ちょっと好感度上がった。
でも、イベントってなに?なにか……あったっけ?思い出せ、思い出すんだ!私の脳!
私は内心で眉をひそめながら問いかけた。
「その“イベント”って……何のことですか?」
セシリアさんの目が、ぴたりと私を見た。さっきまでふわふわしていた印象が、急に真っ直ぐな芯に変わる。
「禁止薬物の事件です。ゲームでは“パヴェラム・シュガー事件”って呼ばれてました」
……あ。
セシリアさんの声が、私の胸の奥に鋭く届いた。
「街に出回ってたワイン専用の新型の甘味剤。それを摂ると、しばらくの間すごく幸せな気分になるんです。でも、摂り続けるとあとで取り返しがつかない副作用が出るんです。記憶障害とか、暴力衝動とか……最終的には……」
そこまで言って、セシリアさんは言葉を詰まらせた。
「止められなかったんです。ゲームの中では。だから今度は、止めようって。たとえ、誰も信じてくれなくても」
その目は、真剣だった。
――ただの冗談じゃないかもしれない、と思った。
そこにはたしかに“見た者の目”がある。
私自身、最近になって妙に気になる報告がいくつもあるのを思い出していた。
私はそっと口を開いた。
「……ひとつ、聞いてもいいですか」
「はい」
「“黒い羽根が舞う中で、赤い目の誰かに囁かれる夢”、見たことあります?」
セシリアさんの瞳が、大きく見開かれた。
「あるんですか……!?アリア様も……?」
私たちの間に、言葉にできない何かが、ぴたりと重なった気がした。




