嵐の予感
今日はペタンコの靴で本当に良かった。
じゃないと走れなかった――いや、そもそも文官が王宮の廊下を小走りって、それ自体が間違ってるかもしれないけど。
(でも、必要なときは走らなきゃやってられないって!)
そんな言い訳を胸に、私は第三情報室の室長室まで急いだ。実は去年から少しだけ筋トレしてるんです。疫病の時に動けなかった自分が悔しくて。だから今は――息切れもしてません!
目的地に着いて、きちんとノックして(ここ大事)、ドアを開けると、室長が顔を上げた。書類に目を通していた手を止めて、まっすぐに私を見た。
「早いな。どうした」
「コンヴェイノー第二情報室室長が、娘さんの件で面会希望だそうです」
「ああ……それで、いつ?」
その問いに答える間もなく、低く響く声が私の背後から聞こえた。
「……今でも構わん。手間は取らせない」
……え、え、今って……もう来てる!?早くないですか!?
振り向くと、はい、やっぱり。ノックなしで堂々登場されました、第二情報室室長・コンヴェイノー公爵。
……あれ、これって親子揃って“ノックしない派”? ちょっと遺伝を感じてしまうの、やめてほしいんですけど。
カイル室長は、明らかに一瞬眉をひそめたけれど、冷静な声で返した。
「……手短にお願いします」
「当然だ。もう娘は帰らせた。親がこういう場に口を出すのは本意ではないが……あの格好はイカン。働く以前の問題だ」
「……わかりました」
静かに、でも確かに、室長は納得していた。
コンヴェイノー公爵はそのまま無言で室長室を出ていき――
私はその場に立ったまま、ふぅっとひとつ息をついた。
……なんか、緊張した。というか、これで明日から大丈夫なのかな?
そして、翌朝。
第三情報室に現れたセシリアさんは――
昨日とは別人のようだった。
光を受けてやわらかく揺れる空色のツーピース。軽やかだけれども華美ではなく、きちんとした“働く人”の装い。彼女のストロベリーブロンドの髪は丁寧にまとめられ、表情は――どこか怯えていた。
それでも、挨拶の声は、震えていなかった。
……うん、頑張ったんだな。
そしてセシリアさんが、意を決したように言った。
「あのっ、コーシェ室長にお話があります」
声が少し震えていたけれど、目だけはまっすぐだった。
室長は短く「わかった」と答えると、彼女を連れて室長室へと入っていった。
……なんとなく、残された私たちは自然とひと塊になっていた。
メンバーは、私、ケネスさん、エドモンドさん。それに、昨日お休みだったコンラッドさんとウォーレスさん。
あ、ウォーレスさん、長期休暇どうでした?あとでお土産くれるんですか!?いやっほう!
ウォーレスさんはカイル室長の従兄弟にあたる方。背格好とか本当にそっくり。影武者も務めたこともあるとか。ピーコックグリーンの瞳もきれいだけど、エメラルドグリーンの方が私は好きだなあ。
集まった場所は――なぜか、ヴィーさんの机の周り。
コンラッドさんが腕を組みながら、ちらりと廊下のほうを見やった。
「あれが昨日来た新人か」
「そうよぉ、なかなかの子よ」
ヴィーさんが、いつもの艶やかな笑顔で答える。
「それって……どっちの方向で?」
ウォーレスさんが控えめに尋ねると、
ヴィーさんが
「うふふ、推して知るべし」
と言った。
ケネスさんがぼそっと、
「カイル室長は“考え方は甘く、口が軽い”って言ってましたっけね」
「ああ……そういう感じか」
コンラッドさんが、どこか遠い目になって頷く。
「コンラッドは苦手なタイプやろ」
エドモンドさんがにやっと笑う。
「そうですね。関わりは少なめにしたいところです」
真顔で言い切るコンラッドさん、ブレない。
「で、指導担当は誰なんです?」
ウォーレスさんの質問に、ヴィーさんが軽く右手を挙げた。
「あ・た・し」
……はい、声にハートマーク飛んでましたね。
でも、なんか、目元にうっすら疲れが見えたのは気のせいじゃないと思います。
ヴィーさん……お疲れさまです。
「でも、室長に何の用だったんでしょうね?」
私がふと漏らすと、
「それはもう、アレでしょ」
と、ケネスさんが即答する。
「アレ?」
「一身上の都合で、本日限りで退職コース」
「十中八九、それだね」
ウォーレスさんまで真顔。
「ヴィー、そんなに指導厳しくしたのか?」
コンラッドさんはヴィーさんの方向を向いて言った。
「まあ……ちょっと厳しくしたのは認めるわ。腰掛け気分じゃ困るもの。“お嬢様”でいるのは悪いことじゃないけど、“働く人”にはなってもらわないとね」
……さすがヴィーさん、頼れる兄貴……もとい姉御。
うっかり口に出したら怒られそうだから胸にしまっておきます。
「でも、エドモンドもケネスも見てたでしょ?あたし、そこまでひどかったかしら?」
「最近のアリアちゃんへの指導のほうがよっぽど厳しいと思いますよ?」
エドモンドさんが笑いながら言って、
「一昨日怒られてたな、ヴィー、いや、イヴァンに」
と、コンラッドさんが追い打ちをかける。
……はい。そうです。私です。やらかしました。
課外秘の資料(※原則、持ち出し禁止)をうっかり鞄に入れようとしたところを見つかり――
そのときのヴィーさんは、完全に“男の姿”になっていて、
「お前は何やってんだ!!」
(↑とっても野太い声)
って怒鳴られたんです。あれはもう、本当に心臓止まるかと思った。それから1時間尋問と説教でしたよ。
思い出すだけで胃がキリキリしてきたその瞬間――
バタン、と室長室のドアが開いた。
「……ちょっとアリア、来てくれ」
えっ、わたし⁉
え?なに?え?なんで?って、頭の中にハテナがいっぱい浮かぶ。
でも、皆の視線が「行ってこい」と言ってるので、私は重い足取りで立ち上がった。
――なんだろう。
退職届の証人とか……じゃないよね?




