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転生したらまさかの乙女ゲー世界!凡人宮廷文官アリアは、ハードモードな第三情報室で運命を書き換える  作者: 椿野蒔琉
第一章

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雨が降っている

2週間後

――通常勤務が終わった夕刻。

カイルの元に、地域管轄課から分厚い封筒が届いた。


事務的な挨拶文に続いて、中央局の印が押された報告書。

開いた瞬間、カイルの眉間に深い皺が刻まれる。


「……却下、だと?」


ゴルドリバーにある、養鶏場の封鎖要請に対する回答は「非現実的」との一言で片付けられていた。

添付された疫学資料には、今回の症状が“地域の風土的な風邪に類似しており、閉鎖の必要は認められない”と明記されている。さらに続く文面が、決定的だった。


「“目に見えないものを、過度に恐れる必要はない”……だと?」


唇の端が歪む。

無知ではない。むしろ、知識が古いだけだ。頭の固い老人たちが、その長年の経験と権威でもって、未知の脅威を封じ込めてしまっている。


ウイルスを、菌を、“見えない”という理由で否定する者たちが、国の未来を握っている。

――滑稽で、哀しい現実だ。


カイルは静かに報告書を閉じた。中身を叩きつけるような真似はしない。

それはただの怒りの発露でしかなく、今の彼に必要なのは次の一手を考える冷静さだ。


「カイル」


静かに声をかけてきたのは、悪友ジェイルだった。書類の束を抱え、いつもの軽口は一切ない。


「……言いにくいんだが、大嵐が来る可能性が高くなった」


カイルの指がピクリと動いた。


「いつだ?」


「おそらく一番ひどくなるのが明日夜。今の予測精度で言える限界だが、少なくとも確率は高い。しかも長引きそうだ」


無言のまま、カイルは椅子から立ち上がる。

このままでは、手遅れになる。


「……行くぞ。前任に話を通す。シェーガーに会う」


第三情報室の元室長――クラーク・シェーガー。王国警備課のたたき上げの人物だ。

現役を退いたとはいえ、その影響力は健在で、特に武装警備方面への根回しには強い。

書類で進まぬなら、現場で動かす。


同行したのは、クラーク・シェーガーの息子にして、現在第三情報室に所属しているコンラッド・シェーガー。

元宮廷課騎士部所属の彼ならば、軍との橋渡しも期待できる。







シェーガー邸。

その男は、静かに話を聞いていた。

歳はとっても、眼光は衰えていない。


「……つまり、上が動かん。だから俺に兵を回せ、そういう話だな?」


「現場で動ける者を増やしたい。王都から離れた地で、備えがなければ守れない」


「ふん、さすがはカイル坊や。言うことが昔よりも切迫してるな」


シェーガーは笑いながら、数通の封筒に素早くサインを入れた。


「持っていけ。私兵の一部と、王国警備課と宮廷課騎士部の有志の兵を動かす。正式な命令ではないが、俺の顔が通る程度にはな」


「感謝します」


「礼など要らん。……動け、坊主。雨はもう降り始めてる」


馬蹄が泥を蹴る音が、夜の空気に交じって響いていた。

空はどこまでも重く、灰色の雲が低く垂れこめている。


カイルの横に並ぶ馬には、コンラッドの姿。濡れたマントが風に揺れる。


「……嵐の中の強行。いい判断かは分かりませんが」


「判断は後から評価されるものだ。俺たちは先に、走るだけだ」


夜半。

風が荒れ、雨が土を叩くように降っていた。空を走る雷鳴は、ただの嵐では済まされぬ規模の到来を告げている。


だが、馬は止まらなかった。

水たまりを跳ね、泥道に足を取られながらも、カイルとコンラッドの乗る二頭は、養鶏場を目指し続けていた。


「……この先です。地図で確認した限り、入り組んではいない」


コンラッドが声を上げると、カイルは黙ってうなずいた。

視界は悪いが、目的の施設は山沿いにあるが、標識も見える。迷う要素はない。


そして、辿り着いた養鶏場の門先で、人影があった。


「……おい」


カイルが手綱を引いた。

粗末な雨合羽に身を包み、ぬかるんだ地面に足を取られながら、老いた男女が鶏小屋の方へ歩いている。


「養鶏場の閉鎖は解除されたんです。餌をやらねば可哀想でしょう?」

老婦人がそう言って、バケツを掲げた。手は小刻みに震え、雨に濡れた白髪が額に張り付いている。


「駄目です」


カイルの声は低く、そして決して威圧ではなく、真っ直ぐだった。


「この風と雨では、どこに何が飛んでくるかわからない。あなたがたにも、鶏にも」


「……でも」


一歩、前に出たのはコンラッドだった。

落ち着いた声で、彼は笑みを浮かべながらバケツを受け取る。


「お二人とも、どうか家で休んでいてください。餌やりなら僕がやります」


老夫婦が目を瞬く。


「……こう見えても、昔は養鶏場で働いてたんですよ。餌のやり方、ちゃんと心得てますから」


「……そんな、でも」


「本当に危ないときは、止めてでも小屋を閉じます。今は僕に任せてください」


言葉の端々に滲む誠実さと、経験に裏打ちされた信頼感。

老夫婦は短くうなずくと、静かに頭を下げ、家の方へと戻っていった。


それから二時間。

雨はさらに勢いを増し、風が屋根を鳴らす音が、街の静寂を乱していた。


ぬかるんだ地面を、重たい足音が鳴り響く。

松明と灯籠の明かりが、川のようになった街道に揺れた。


兵が到着したのだ。

数は限られていたが、全員が王国警備課や訓練された私兵で、顔には疲れよりも使命感が浮かんでいる。


カイルは泥の跳ねる道を歩いて、先頭に立つ男へ声をかけた。


「ご苦労だった。明るくなったら、川沿いの住民の避難誘導を頼む」


男は頷いた。

言葉は交わさずとも、必要な情報は既にシェーガー経由で通達済みだ。動きは早い。


空はまだ黒く、風は止まない。

だが、確かに準備は整いつつあった。


あとは、朝が来るまでに――どれだけ守りきれるか、だ。


夜が明けたはずの空は、なお墨を流したように暗く沈んでいた。

厚い雨雲が太陽を覆い隠し、時刻が昼に近づいているというのに、空気はまるで夜の続きのようだった。


だが、人々は動いていた。

騎士たち、私兵たちが夜通しで整えた避難の準備により、川沿いに住む住民たちが一人、また一人と安全な市街地へと誘導されていく。

雨脚は弱まるどころか、さらに強まっていた。まるで、何かを洗い流すかのような激しさだった。


「急いで、濡れたままでいい、荷物は後回しだ」

「ご老人はこの馬車に!子どもは先に奥の部屋へ!」


命令と報告、そして濡れた衣擦れの音が交錯する。

クァナーマの旧屋敷――今や避難所と化したその石造りの構内は、雨風を防ぐ唯一の拠点となっていた。


一方で、カイルとコンラッドは別の棟へ向かっていた。

養鶏場の老夫妻と共に、私兵によって急遽清掃・隔離された小棟――感染の可能性がある者たちのために用意された場所だ。


「足元、滑りますよ。どうか手を」

コンラッドが老婦人の手を取り、ぬかるんだ地面を慎重に進んでいく。

カイルは最後尾から、背負った荷と道を交互に見つめていた。


風が吠える。屋根の瓦がどこかで落ち、空の悲鳴のような音が響いた。


ただ祈るしかなかった。

これ以上、何も起こらないように。

雨が、風が、すべてを飲み込む前に、ひとまず今日が終わるように。


だが、夕刻。

その願いは、崩れ落ちる音と共に断ち切られた。


――ドオォンッ!!


まるで空を裂いたかのような轟音が、全市街に響いた。

その音を聞いた瞬間、カイルは外に駆け出していた。

騎士たちの報告はすぐに届いた。


「養鶏場の裏手の山の斜面が崩れました! 土砂が……施設ごと飲み込まれた可能性があります!」


カイルは一瞬、目を閉じた。

静かに、息を吐く。


「人は……?」


「いません。全員、こちらに避難済みです。今のところ、巻き込まれた者はいません!」


その言葉に、カイルはほんの僅か目を細めた。

だが、決して喜びではない。救えた命の重さと、かすかに遅れていたらという恐怖が、胸を締め付けていた。


雨はなお止まなかった。

空は暗く、風は収まらず、今もなお人の力を試すように暴れ続けている。


だが、川は氾濫しなかった。

目視ではっきりとわかる――あれほど溜まっていたはずの雨水が、流れている。


「……間に合ったか」

カイルの呟きは、雨に消えていった。

交換された下水パイプが、役目を果たしたのだ。わずかな差が、街を守った。


――一つの懸念は、確かに消えた。

だが、まだもう一つ。

見えない脅威の行方を、アリアたちは王都で探っている。




クラーク・シェーガーのイメージは清川元夢さん


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