君が残した、小さな旅路。
あれから君は、どんな景色を見たのだろう。
あの空の続きに、君は何を見たんだろう。
あれから、幾度の季節がすぎて。
僕はまだ、ここにいるよ。
けれど、君がいたあの頃よりも、空を見上げる日が、ほんの少し増えた気がする。
何も変わっていないようで、でも、全部が少しずつ変わっていった。
君が残した思い出を抱えて、 僕は時々、あの坂道を登る。
夕暮れに染まる街を見下ろすと、君の声が、ふと聞こえるんだ。
"ここなら、全部見えるね。"
君はそう言って、笑ってた。
僕はこれから、君がいた場所を辿っていく。
見逃してしまった景色を、君の想いと一緒に、もう一度。
久しぶりに、早起きをした。
いつもならもう、止まっている扇風機。
だけど今日はまだ、動いている。
机には、君の手紙が、昨日のまま。
僕は 何となく、机の引き出しを開けた。
2年も前の、古びた手帳。
中には、あの日と変わらないままの、君の文字。
手帳の隅に書き残された、小さな地図と、行きたい場所のリスト。
"私は忘れちゃうから、君の手帳に書くんだ。"
そうやって一緒に、笑いあったっけ。
"ここ、行ってみたいな"
そう言って、君が嬉しそうに指をさしたページ。
僕は、記憶をなぞるように、そっと指をのせた。
まだ見た事のない景色。
君が夢見た、あの日の続き。
鞄には、大きな荷物と、君との日々を少しだけ。
僕は身支度を終え、玄関で深く息をつく。
「……しばらく、ここに帰ってくることはないんだろうな」
ドアを開ける手が、少しだけ震えた。
だけど、不思議と迷いはなかった。
胸の奥が、静かに頷いていた。
まだ陽が昇りきっていないからか、どこか涼しい。
今日は、かつて君と通った道を、歩いてみる。
君と、よく話した公園と。
君の、お気に入りだった喫茶店と。
君が、何も言わずに立ち止まったあの坂道と。
僕の記憶に触れる度、ふと風に混ざって、君の匂いがした。
駅に着く頃には、すっかり陽が昇っていた。
朝の人混みに、少しだけ気が滅入る。
この駅を使うの、いつぶりだったっけ。
僕は、何度か迷いながらも無事に、ホームに着いた。
12両が連なる列車の、4両目。
僕は、決意とともに、乗り込んだ。
車内はまだ、静かだった。
通勤ラッシュには、少し早い時間帯。
僕は、窓際の席にそっと腰を下ろした。
窓の外には、住み慣れた街が見える。
朝の、静かな憂いを帯びていた。
僕は出発を待つ間、再び手帳を取り出した。
『行きたいところリスト。』
1つ目は、"海の見える町"。
その隣には、『晴れた日がいいね』と、君の文字。
思わず、口元が緩む。
君は、海が好きだった。
理由は聞いたことがない。
けれど、海辺で夕日を眺める君の横顔は、どこか満足そうな表情だった。
思い出に浸っていると、発車のアナウンスが列車内に響く。
窓の外の景色が、ゆっくりと後ろへと流れていった。
僕はそっと手帳を閉じて、目を閉じる。
耳元に届くのは、列車の軽やかな揺れと、遠ざかる街の静かなざわめき。
次のページには、まだ行ってない場所がいくつも並んでいる。
そのひとつひとつに、君の想いが宿っている。
だから僕は、旅に出ようと思う。
君と一緒に見るはずだった、あの景色の続きを探しに。