八
今度はミドリが困惑する番だった。だって、声が聞こえるじゃないか。返事をしてくれているじゃないか。何をそんな変な顔しているんだ。
ミドリが静かに頷いた後、場はしばし沈黙した。沈黙の中、獣は再び光輝き、男の姿に戻った。そうして混乱しているミドリの頭を軽く叩いて、
「閃は俺みたいな人外のものと話せるんだよ。他の奴は無理だが」
男の大きな手がターバン越しに頭に触れる。彼の手を乗せたまま、ミドリは上を向いて男の顔を見つめる。
「え、でも、だって、お前、普通に話してくれたじゃん」
「人間には言葉として通じないんだよ。あいつらには吠えているようにしか聞こえなかったんじゃないか」
男の言葉にヤネは頷く。ヤドも郷も納得したような顔をしていた。そうか、みんなには言葉として伝わっていなかったんだ。だから俺のこと変な目で見ていたのか。でも、俺には聞こえた。はっきりと意味のある言葉として。
何で俺だけ。ミドリはわけが分からなかった。郷の力と同じなのか。人外って外にいる小鳥とも話せるのかな。俺は、俺は何なんだ。問いかけたミドリに男は淡々と、
「知らない。出会ったときからそうだったからな。お前に聞いたこともない」
ちょっと俯きながらそっかとミドリは呟く。便利だと呑気に思えたのならよかったが、どちらかというと不安の方が大きい気がする。郷ほどじゃないにしろ、俺の力は普通じゃない。黙ったミドリのターバンを、カラはおもむろにぐしゃぐしゃにする。
「最後まで話を聞け。俺が知らないだけだから、記憶が戻れば何か分かるかもしれないんだ」
「でも、記憶なんて簡単に思い出せるものじゃないだろ」
「それも含めて、俺はお前と話をしにきたんだ」
そこまで話して男はヤネの方を向いた。そして、
「ヤネ、悪いが何か飲むものをくれないか。できるだけ簡潔に話すつもりだが、閃も聞きたいことがあるはずだから、長話になるかもしれない」
男から離れ、扉の方へ向かいながらヤネは、
「ああ、分かった。すぐ持ってくる。待ってろ」
「ヤネさん、私が行きますよ」
郷がヤネの後を着いていく。ミドリも行こうとしたが、ヤネに手で制される。
「ミドリは残ってろ。ヤドが粗相しないように見張っててくれ」
「あー…確かに。分かりました」
さっきのことを思い出し元の方へ歩く。ミドリが戻ると二人は黙りこけていた。慌ててミドリは二人の間に入って座るように促す。そうして小声でヤドに、
「ヤド、あんまり失礼なこと言うなよ」
ヤネのいないところで険悪になられるなんて堪ったもんじゃない。なぜだかヤドはピリピリしていたし。じーっと顔を見つめられ、
「言うわけないだろ。俺もさすがに神獣相手に逆らう気はねえよ」
ヤドは呆れたようだった。彼の言葉に男は感心したように、
「何だ、気づいていたのか」
「真珠色の獣なんて他にいないだろ。人型になれるなんてまず普通の獣じゃないしな」
なるほどと男は呟く。そのまま話を続ける二人にミドリは置いてきぼりにされ、慌てて、
「ちょちょ、待て待て。勝手に二人で話進めんな。ていうか、神獣ってなんだよ」
「カラは土の神獣だ。五神獣でもある」
戻ってきたヤネはそれだけ言ってコップをミドリたちの前に置く。神獣という聞きなじみのない言葉にミドリは首をかしげて、
「神獣って何?」
「神獣というのは特別な力を持つ獣のことだ。土の神獣なら土を操ることができる」
説明しながら立ち上がったカラは、窓の方へ来るようにミドリを手招きする。近づいて外を見ると、土が人型になり、のそのそと動きだす。そうして今度は身体が崩れ、小さな動物となって窓に近づいてきた。ミドリは興奮する。
「へー、初めて聞いた。すげーな」
目を輝かせるミドリにヤドはため息を吐く。どこか呆れたような彼は、
「俺はこの前説明したぞ。覚えてないのか」
「そうだっけ」
「ミドリお前…話聞いてなかったのか」
失望したような表情を浮かべるヤドにミドリは慌てて弁明する。
「いやいやいや、難しいんだよ。一回で覚えられるか」
確かにヤドはいろんな話をしてくれたが、一回で覚えられる量ではなかった。國の成り立ちから土地の名前、今の現状など…。うん、俺悪くないよ。聞いて覚えられるもんじゃない。だがヤドはしれっと、
「郷はすぐに覚えたぞ」
「優秀ちゃんと一緒にすんな!俺は郷ほど頭の出来はよくないんだよ」
「だとしても言葉に聞き覚えがないなんて、話を聞いていないか、脳が機能していないかだぞ」
「機能してるわ!」
ぎゃいのぎゃいのと騒がしく二人が話すので、お菓子を持ってきた郷は申し訳なさそうに、
「すみません、騒がしくて」
郷が謝っているのにも気づかずに二人はまだやかましくしている。ヤネは呆れた顔でため息を吐いていたが、カラはどこか楽しんでいるようで、
「騒がしいくらいがちょうどいいさ。それに閃はもともとうるさい」
「おい、今俺の悪口言ったろ。聞こえてんぞ」
「事実を述べただけだ。悪口ではない」
からかうようにカラが言うので、ミドリはむっとする。笑っていた彼は急に真面目な顔になって、
「さて、そろそろ本題に入ってもいいか」
「俺は五神獣のカラ。五神獣っていうのはまあ、勝手に人間が決めたんだが、火、水、風、土、空の神獣だ。神獣の中ではそれらが一番とされている」
「へー…。それで俺とはどういう関係で?」
「閃は俺の友人で、恩人だ」
恩人、嘘だろとミドリは思う。彼のような強そうなやつを俺のような腰抜けがどうやって助けるんだ。ヤネもすぐには信じられなかった。それはそうだ。神獣はただの獣じゃない。中央の人間のように特別な力を持っている。特に五神獣は他の神獣よりもはるかに強い。それをただの人間であるミドリが助けるなどにわかには信じられなかった。
ヤドは黙りこけている。郷も少し驚いたようだが、特には何も言わなかった。そんな各々の様子を眺めながら、カラは、
「まぁ、別に俺のことはどうでもいいんだよ。本題はこれだ」
取り出したのは小さな球体であった。ミドリは近づいてそれを見つめながら、
「何それ」
「これはお前の記憶を戻す薬みたいなものだ」
ミドリと郷は驚いて目を見開いた。カラの手の中でそれはキラリと輝いている。ミドリはそれを受け取り、まじまじと眺める。薄青色の球体は小さく、ミドリの手の中で転がっていた。
「記憶が、これで戻るのか?」
疑いと、ほんの少しの期待。そのような気持ちでミドリが尋ねると、静かにカラは頷く。ずっと黙っていたヤドがこれは何なんだと問うと、
「それは『想憶の砂』。失った記憶を甦らせることができる」