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想憶の砂  作者: 凡
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 静かな風が沈黙した二人の間を通り抜けてゆく。沈みかけの夕陽が影を作っていた。ミドリはぼんやり遠くを眺めて、

「そっか、郷は…。」

 苦しい思いをしていたのだ。でもその理由は分からない。漠然とした恐怖心は今でも残っているのだろう。それがどれだけ怖いことか、想像しただけでも苦しくなる。ヤドはふう、と息を吐いて、

「今はだいぶ元気になったけどな。だけど、ちょっとしたきっかけで思い出すことだってある」

 怪我をして傷ついた記憶が甦るかもしれない。そうしたらまた郷が辛い思いをする。それは、それだけは嫌だった。

「郷に何があったのか俺には分からないけど、いや、分からないからか。何も考えずに笑っててほしいんだ」

 これは自分勝手な願いだ。もしかしたら郷は記憶を取り戻したいかもしれない。記憶が戻って傷ついてほしくないのは、ただ俺が望んでいるだけのことだ。それでも、辛い現実から目を逸らしてでも無邪気に笑っていてほしい。

 膝のあたりに顎を乗せ、俯き加減のヤドにミドリはそっと笑いかける。顔を上げたヤドは変な顔をしていた。

「ああ、ごめん。いやさ、俺の想像の数倍、ヤドって郷のこと大切なんだなって」

「それは…まあ、そうだが。俺はミドリに対しても同じように思っているぞ」

 ミドリは少し笑った後、真面目な顔をして、

「なあ、ヤド。俺さ、お前の気持ちも分かるよ。俺だって郷とかヤドとかにはバッカみたいなことで笑ってくれればって思ってる。だけどほんとに大事なことは、本人の意思を尊重してやってほしい」

 大切な人の悲しい顔なんてみたくない。そんなの当たり前だ。だけど、進む道くらいは自分で選んでほしい。記憶を取り戻したいと思うのなら、それを尊重してほしい。たとえ苦しい道のりだとしても、進む気持ちがあるならば、どんなことでも乗り越えられるはずだから。

 ヤドは渋い顔をして、約束はできないと言う。いかにも彼らしい言葉だった。頑固者で、でも優しいやつ。ミドリは声を出して笑いながら、何度かうなずく。

「まー、いいけどさ。それよりヤド、あんまり過保護だと郷に男としてじゃなくて、鬱陶しい父親認定されるぞ」

「もうされてる…と思う…」

 ミドリは苦笑いを浮かべながらヤドの肩を叩いて励ます。そうしながらふと考える。存外居心地の良いこの村にいると記憶を失っている不安が和らいでいる気がする。それでも何かきっかけがあったら、俺は記憶を戻そうと思うのだろうか。たとえそれが苦しみを伴うものだとしても。

 ぼんやりと思い浮かべて首を振る。今はいいんだ。その時になれば答えは自然と決まる。遠くにある夕陽のほとんどが地平線に飲み込まれていく。再び吹いた風が、先ほどより優しく二人を包み込んだ。


 雲一つない空から太陽が陽射しを降り注ぐ。乾いた空気だが、熱が直接当たってきてとても暑い。拭いても拭いても流れてくる汗が、地面に落ちていく。滴り落ちる汗にうんざりしながら、郷はいつもの林を歩いていた。一緒に来たミドリは慣れない道に少し戸惑っているようで、ゆっくりと足を動かす。

「大丈夫?ミドリくん」

「大…丈夫。郷すごいな、全然迷わないで。俺よりも体力ありそうだし」

「ミドリくんは記憶ないから、体力もどっかにいっちゃったんだよ」

「どういう理論なんだ、それは。いいよ、フォローしてくれなくて。単純にうんどー不足なだけ」

 情けなくもこの間の伐採で身体の節々が痛んでいた。俺ってまだ若いよな。実年齢四、五十とかじゃないよな。あまりに動かぬ自身の足に不安を覚える。ミドリは郷の手を借りながら、少しずつ、本当に少しずつ前に進んでいった。


「うわー、なんだここ。めっちゃきれいだな」

 薄暗い空気から一転、明るい場所に出た。一言で言うなら神秘的で、ミドリは思わず走り回っていた。まるで子供のように駆け回っている彼を見て、郷はクスクスと笑う。走りつかれたミドリは乾いた土の上に寝ころぶ。心臓が脈打つ音がはっきりと聞こえてきた。

「はあ、はあ。無駄に走ったら筋肉が…」

「もう、何してるの。じゃあ少し休んでからいろいろ見てみよっか」

 郷はそう言いながらしゃがみ込んで、地面をじっくりと見ている。慌てて起き上がったミドリも同様にしゃがんで、落ちているかもしれない何かを探す。しばらく二人は黙々といろんなところを歩き回って、ミドリに繋がるかもしれない何かを探し続けた。

 それから時間は過ぎていったが、何一つ見つかりはしなかった。ミドリは一度座って、大きく息を吐く。どうやら俺はこの場所に手がかりがあることを少なからず期待していたらしい。

「そんなに簡単じゃないか」

「そうだね。何にも見つからないや」

 戻ってきた郷はミドリの横に座りながらため息を吐く。青紫の髪が静かに吹いた風によって揺れ、どこか幼い彼女の顔を隠す。落ちた髪を耳にかけている郷の横顔を見つめながら、ミドリは口を開く。

「郷はさ、記憶戻らないままでいいのか」

 うーんと軽く空を見上げながら郷は、

「半々…ってとこかな。私がいなくなって心配している人がいたらとかは気になっちゃうけど、思い出すのが怖かったりもする」

「そっか」

「ミドリくんはやっぱり思い出したい感じかな?」

 問い返されて、ミドリは少し考えた後でうなずく。血眼になってまで探し出したいとか、そこまでの気持ちはないにしても、分かるのなら知りたいとは思う。自分が誰なのか、どうやって生きてきたのか。

「俺は郷みたいな怖い感覚とかもないから、何も考えずに知りたいって思えるんだろうけど。なあ、郷、思い出したいってさ、過去にこだわってるってことなのかな」

「全然、そんなわけないじゃん。失ったもの取り戻したいっていうのは普通のことだよ」

 そうかな、そうだよ。そんな会話を続けると郷はおもむろに立ち上がった。優しい色を帯びた濃紺の瞳が、そっと俺を見る。

「私は思い出すの怖いけど、でもミドリくんの気持ちも分かるから。だからもう一回探してみよ」

 暖かな笑顔を見せる郷に礼を言いながらミドリも立ち上がる。そうして頭を掻きながら、

「はあ、手がかりの方から歩いてくれないかな。記憶でもいいからさ」

「あはは、それなら苦労しないね」

 くだらないやり取りを続けていたその時、地面が揺れた。二人は思わず顔を見合わせる。戸惑う二人の目の前に、真珠色の獣がゆっくりと姿を現した。


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