二十一
陽は今日も姿を現していた。しかし海沿いの風が吹くおかげで、比較的すごしやすい。風が頬に優しく触れる。それは柔らかく俺を包み込んでいるようだった。
「こっちが加工場で、こっちが秘密基地!でねーこっちが…」
案内を任されたのがよほど嬉しかったのか、モルは意気揚々と歩いていく。小さな手足を大きく動かす彼を見ているだけでなんだか微笑ましい。ヤドたちのところにはこんなに小さい子はいなかったからかもしれない。
村を歩くたびに多くの人に会うので閃は軽く会釈をする。すれ違う村人たちは忙しそうにもしていたが、それ以上に生き生きとしていた。モルもそうだが、キラキラと輝く光が彼らからは見えた。充実しているのだろう。いい場所だ。そんなことを考えながら歩いていると、多くの船がある場所にたどり着いた。
「うわぁ、船すげーな」
昨日も見たというのに閃は再び新鮮に驚いた。特に大きな船は近づいてみると迫力が違う。見上げても一番上が見えない。圧倒的な威圧感。でもそれ以上に心が躍る。
「これはちゅうおうに行く船だってお父さんが言ってた」
「へぇ、じゃあこっちは?」
「うーんと…」
「分村の方だな」
どこからどもなく聞こえた声の方を向いて、閃は大きくのけぞった。
「うわっ、カるっ、セラ。お前来ないんじゃなかったの」
「俺が居て何か問題でもあるのか」
「そうは言ってないけど…それで分村て何?」
「海糸が管理している二つの村だ」
海糸はこの本拠地とともにあと二つ村を管理している。本拠地であるこの村を本村としたとき、残りの村は分村と呼ばれていた。
「國から許可をとって海上において重要な土地を複数管理しているんだ」
分村だからと言って必ずしも本村より重要性が低いわけではない。むしろ海においては海糸の分村は重要な拠点であった。そこを海糸に管理させることで國は海の安全性を守ろうとしているのである。
「ふーん、そうなんだ。知らないとか言ってたのに詳しいな」
「閃よりは知識はある。お前がものを知らなすぎるだけだが」
「ひどいこと言うな」
「事実だろう」
「うるせー。仕方ないだろーが。さ、モルくん、次のとこ行こう」
カラの言葉に不貞腐れた顔をして閃はモルに声をかける。が、彼はじっとカラを見ていた。閃は不思議そうに、
「モルくん?どうかした?」
「ううん。白いお兄さん、大きいね」
モルは年相応の無邪気な表情でカラを見上げている。憧れのようなものだろうか、ワクワクしているようなそんな感じであった。そんな風に見られるのが新鮮なのか、カラは少し黙った後しゃがみ込んだ。そうして、モルと目を合わせると、
「…肩車でもしてやろうか」
「ほんと⁉」
ああと軽く返事をして柔らかくカラは笑いかけた。そうして軽々モルを背負って歩き出す。まだ幼いモルは目を輝かせて、いつもと違う景色を眺めている。
「うわぁ、高い」
はしゃぐモルに優しくカラは返事をする。先ほどまで不貞腐れていた閃も喜ぶモルを見て、まあいいかと笑う。
「よかったなモルくん」
「うん!…僕もこのくらい大きくなれるかな」
「うーん、カセラは身長高いからな…でも俺くらいにはなれると思うよ。嬉しくないかもしれないけど」
「そうかなぁ」
「そうそう。モルくんも大きくなれたらいいな」
柔らかく笑いかける閃にモルはそうだねー、と返事をする。風に乗った無邪気な声が村中に響いていった。
遠くで誰かの笑い声がする。こういう声を聞いていると安心できる。そうして、やっぱりこの村を守らねばと思う。痛みを、苦しみを誰にも感じてほしくない。
机の上を片付けて、モトは立ち上がる。と同時に、扉を叩く音が聞こえた。モトが返事をすると慌てたように男が入ってくる。
「失礼します、緊急で」
「どうかしましたか」
「あいつらの船がやってきました」
いたって冷静に受け答えをしていたモトはピタリと動きを止める。そうして、わずかな間の後、
「分かりました。すぐに向かいます」
険しい表情でモトは走りだす。男はどこか不安げな様子で彼の後を着いていく。
「最近奴らが来る頻度が増えてますよね。なんでだろう」
「理由を探るのはあとにしましょう。とにかく今は行かなくては」
淡々とモトは述べつつも、彼自身気にはなっていた。ここまでの頻度で彼らが来たことは過去にもあまりない。それにモトが村長になってから海糸の持つ海の支配権は強化されたはずなのだ。それなのに彼らはやってくる。微かな胸騒ぎを感じながらモトは走っていった。
「ん、なんだあれ?」
先を歩いていた閃は海の向こうから何かが近づいてくるのに気付いた。船であることは確かだが、この村にある船とは異なる不思議な形をしている。カラの上でモルは目を細めると、
「海のね、わるいひとたちが乗ってるの」
「悪い人?」
「海でね、やっちゃいけないことするんだって」
なるほどと呟いて閃はじーっと海の方を見る。海賊のようなものだろうか。だとしたらここも危ないのか。でもモルも呑気に構えているし。うーん…。
閃がしばらく黙って遠くを眺めると突然、頭に何か暖かい感覚がした。閃が見上げると、モルは小さな両手で閃の頭を優しく撫でていた。そうして、にっこりと笑いかけて、
「だいじょーぶだよ。お父さんが追い払ってくれるから」
自分よりはるかに小さい少年によしよしとされ、一瞬口を開け、目を見開いた閃は柔らかく微笑んだ。
「そうかー、それなら安心だな」
そうだよーと答えるモルを見て再び閃は笑う。多分、俺が怖がっていると思って心配してくれたのだろう。彼の小さな優しさがなんだかこそばゆかった。うん、嬉しいんだよ俺は。小さい子に心配されて恥ずかしいとかじゃない。だからカラ、笑うのやめろ。心で呟いて閃はカラを軽く小突いた。
船が徐々に近づいてくる。さすがに近づく勇気はないので少し離れた場所で沿岸の様子を伺うと、モトが慌てた様子でやってきた。後ろには見知らぬ男もいる。気づいたモルはどこか嬉しそうに、
「あ、ほら、お父さんきた」
「でも二人だけじゃ危ないんじゃ…」
閃がモルに問うのとほとんど同時に、海の方から強い音がした。慌てて音の方を向くと、閃は自身の目を疑った。穏やかだったはずの海で大きく波がうねって船を今にも飲み込もうとしている。沿岸にいたモトは右手を海の方へ向けていた。
「なんだ…あれ」
「お父さんはね、すごいんだよ」
誇らしげに語るモルに閃は何も言えなかった。モトは片手を軽く動かして、それと同時に海がうねりを上げる。ふと、郷のことを思い出す。この感じ、俺知ってる。この間見た。だけど、だけどさ…これはちょっと規格外すぎないか?
「さすがモトだな」
気の抜けた声でカラとモルが話すのを聞きながら、閃は自らの顔が引きつっているのを感じた。こいつらも少し感覚おかしいな。すごいとかそういう話じゃない。ああ、やっぱ怖いな、モトさん。
「うわ、ホントにモトさんだけで追い払っちゃったよ」
大きな船はいつのまにかいなくなっていた。海にのまれたのか、その前に逃げたのか俺には分からないが、とりあえず平気そうだ。海は何事もなかったのかのように静かに揺れている。
「ねー、すごいでしょすごいでしょ。白いお兄さん、降ろしてくれる?」
ニコニコ笑ってモルはカラから降りて、閃の腕を掴んだ。そうして、モルは突然、モトの方へと駆け出して行った。
「っちょ、モルくん!」
引っ張られながら一緒に閃も走る。無邪気だな、お父さん大好きなんだな…走るの速いな。
「お父さん」
聞こえた声に少し驚いたようなモトは声の方へ振り返る。そうして、輝く笑みを浮かべるモルと完全にばてている閃を見て苦笑いを浮かべた。
「モル、お兄さんに迷惑をかけてはいけませんよ…大丈夫ですか?」
「はい…はい…何とか。いい運動でした…はは…はぁはぁ」
息を切らしながら閃は無理やり笑顔を作る。困ったようにため息を吐いてモトは謝罪する。が、当のモルは終始キョトンとしていた。それもそのはずだ。同じ距離を走っていたのにモルは汗すら掻いていない。彼にとってはこんな距離を走るのなんて大したことないのだ。俺はみじめだが。息を整えて閃はモトの方を向いた。
「あの、あの大丈夫ですか」
「ええ、今日のところはあいつらももう来ないでしょう。心配ありません」
「あー、そうですか。よかった…のかな」
少し笑いかけたモトを閃はじっとを見る。心なしかモトの顔色が悪いように見える。海を操ることができるモトの力は凄まじいが、彼自身に悪影響などはないのだろうか。そんな閃の懸念に気づいてか、モトはあえて気楽な口調で、
「私はしなければならないことがあるのでそろそろ行きますね」
「あ、はい、えっと、無理しないで」
軽く手を上げたモトの後ろ姿を閃はぼんやり眺める。本当に平気なのだろうか。見送った方がいいのではないか。でも変にモルくんを心配させるのもなぁ。ちらりとモルの方を見ながらうーんと閃は考える。と、
「あいつは俺が見てるからお前は行け」
聞きなれた声が上から降ってくる。見上げるといつの間にかいたカラはこくりと頷いてモトが居なくなった方へと歩き出した。あいつ、俺の心でも読んでんのか。でも今の俺にはだいぶ助かる。
「あれ、白いお兄さんどっか行っちゃうの?」
「うん、野暮用だって。俺と二人じゃ嫌かもしんないけど、次行こうか」
うんと元気な返事をして、モルは走り出す。あ、待って、速いって。
「お兄さん、次はこっちだよー早く早く」
いつの間にか遠くにいるモルに呼ばれ閃も走り出す。彼の後ろで静かな海に小さな波ができ始めた。
備考
海糸の一族:海を操ることができる一方で、その他の水は全く操ることができない。




