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想憶の砂  作者: 凡
16/22

十六


 雲一つない空。疑う余地もない、晴天だ。広がる空はどこまでも続いていて、近くにあるように見えて、決して届かない場所にあった。

 ふとヤドは空に手を伸ばす。それほど小さくないはずの自分の手がちっぽけな気がした。いや、手だけじゃない、俺は友人を笑って見送ることができないそういう小さな人間なんだ。

 心の波が大きく荒れていてどこにいても落ち着かない。それでも今日はきちんと伝えないと。カラと話したのだから。立ち上がって帰ろう。そして閃に話そう。心で何度も言ってはみるが、重い腰が持ち上がらない。ヤドはため息を吐いて、

「ダメだな、俺は本当に」

「お前がダメなら俺は何なんだよ」

 思わず溢れ出た言葉を遮るような、強い声がした。その言葉は非難めいていながらも、一種のやさしさが含まれていた。

「ヤド、ちょっと話そうよ。お前に避けられて割と傷ついてんだぜ、俺」

 肩をトンっと叩いて閃は横に座る。ヤドはバツが悪そうに顔をそらす。自分が悪いのはわかっていても、面を向って話すことにまだ少し抵抗があった。

 それに気づいてか、閃はあえてくだらない話をしているようだった。それでも、いつもと同じ他愛もない話なのに、何となくそこに流れる空気感が違っていて居心地の悪さをお互いに感じていた。

 途切れ途切れの会話をしばらく続けていたが、さすがに話題がなくなったのか、閃は急に押し黙る。ヤドはヤドで何を言えばよいのかもわからずにじっと地面を見つめていた。足元には穴の空いた落ち葉が、互いの穴を埋めあうように重なりあっている。

「ありがとうな」

 不意に出された言葉なのに、ヤドはそう言われるのがわかっていた気がした。

「別に礼なんか言うなよ。今の閃が言うとさようならに聞こえる」

 俺は何でこんな言い方しかできないのだろう。普通に返事をして、ありがとうと言ってそれでいいのに。ひねくれた自身が本当に嫌になった。

「そんな意味じゃ…いや、そうかもな」

 ぐっと何かを飲み込むように閃はうつむく。ヤドはそっと顔を上げて、むかつくくらいきれいな空を見つめていた。届かない。空も地面も繋がっていて、そのどこかにはきっと閃がいる。それでも彼が泣いているとき、苦しんでいるとき、それに気づけもしないんだろう。

「でも、俺は、とにかく感謝してんだよ。ヤドと郷が見つけてくれなかったら、あの林で野垂れ死んでたかもしれない。だから…」

「俺はお前に会えただけでよかった。」

 口から勝手に出てきた言葉に戸惑いながら、ヤドはかすかに笑う。

「俺は生まれてからこの村を出たことはない。同世代の友もいないし。違うな、こんな話をしたいんじゃない。ただ俺は、閃と郷と、一緒に過ごせてよかったってことが言いたくて、だから、本当にありがとう」

 そう告げた彼の瞳は今までのどんな時よりも優しくて、どんな時よりも悲しかった。それを見ているだけで鼻のあたりがツンとして、視界が少しぼやける。閃は下唇を強くかんだ。ヤドは彼を見て優しく笑いかける。本当はもっと言いたいことたくさんあった気がするけど、まあいいか。一番お前に言いたかったのは、ありがとうなんだ。特別なことなんか何もないけど、それでもお前が居た時間が、兄が居なくなってから一番楽しかったんだ。

「お前が居なくなったら、少し…いやかなり寂しいな」

 ヤドが泣き笑いしながら言うと、閃は顔を上げた。それを見てヤドはぎょっとする。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっている。顔から水を浴びたかのように濡れている。いつから泣いていたのか、瞼の上が少し赤く腫れていた。

「閃、お前なんて顔してるんだ」

「お前がそんなこというからだろ。あー、我慢してたのに。俺、また行きたくなくなっちゃったよー」

 拭ってもぬぐっても零れ落ちる涙を何度も拭いて、閃は話す。あまりに閃が泣くので、ヤドは戸惑ってしまった。出かけていた自らの涙が引っ込んでいる。

「気持ちは分かるけど、そんなに泣くか?」

「なぐよ。俺、ホントにお前らのこと好きなんだからさー。ヤドの心配性なとことか、郷大好きなとことか、たまに小突くけど、でも優しいところとかさ…」

 しばらくの間、閃は泣きながらヤドと郷のいいところを話し続けた。聞いていて恥ずかしくなったが、それでもやっぱり嬉しくてヤドは少し笑う。

 涙が落ち着いて、閃は深呼吸をする。そうして、精一杯笑って、ヤドの前に小指を突き出した。

「なんだよ、これ」

「ゆびきり。郷としたんだ。ヤドともする。ほら、何でも約束するから、指出せ」

 困惑しているヤドの小指を無理やり掴む。彼の手は自分の手よりもごつくて、力強かった。ああ、この手で木を伐っているんだな。一人で、黙々と。閃はフッと思わず声が出る。これはかなわないな。

「早く、何でも約束してほしいこと、な」

「何でもって言ってもお前にしてほしいことなんて…」

「いいから、言ってくれよ」

 少し考えるような顔をして、ヤドは、

「またここに帰ってきてほしい」

 閃は虚を突かれた気分だった。ヤドのことだからちゃんとしろとか、他人に迷惑になるなとか、そういったことを言われると思っていたのに、意外にも彼から出たのは再会の約束だった。

「そんなの当たり前だろ。他にないの?」

「当たり前じゃない。俺はお前にもう一度会いたい。もしかしたら俺は徴兵に行ってしまって会えないかもしれないが」

 淡々と述べるヤドの横顔に蝋色の髪が落ちてくる。隙間から白銀の瞳が静かに輝いている。その瞳は輝きながら寂しい色をしている気がした。

 そんな彼を見ていると閃はどこか悲しい気持ちになった。そっか、当たり前なんかないんだ。ヤドはそれが分かっているんだ。当たり前とか絶対とか軽々しく言ってはいけないのか。でも、でもさ…。

「絶対、絶対に会おう」

「だから絶対は無理だと…」

「絶対だ。言えば叶うだろ。俺は必ず帰る」

 白い歯を見せて、閃は笑う。なあ、ヤド。お前はそういうの怖いのかもしれないけど、俺ちゃんと帰ってくるよ。そうしたら、お前との約束守ったことになるもんな。そしたらお前の不安とか少しくらい軽くなるだろう。未来に絶対はないけど、それは悪いことじゃないよ。可能性は希望なんだから。

 強い言葉だった。想いが伝わってくる。絶対、必ず。なんの根拠もないのに、なぜだかそれが叶えられるのかもしれないとヤドは思ってしまった。彼は軽く目を瞑って、そっと口角を上げた。

「わかったよ」

 それだけ言って、ヤドは突然、小指を離した。そうして、閃の手と自分の手を広げて、ギュッとつかんだ。ヤドの手にある豆がごつごつしていて痛い。

「ヤド?何してんだよ」

「多い方が効果あるだろ」

 何言ってんだと閃は呆れたが、それでも、ヤドが真剣そうな顔をしていたので、それ以上何も言わなかった。ヤドは深い息を吐きだすように、

「また会おう。もし旅をして辛かったら、逃げてこい」

 白銀の瞳に貫かれるような感覚。まっすぐで暖かい光が自分を見ているのを閃は感じた。掴まれた手を握り返す。

「そっちこそ、俺がいなくなって泣いたりするなよな」

 二人ぼっちの世界で、空は依然と青々としていて、地平線の彼方まで広がっていた。


すみません。編集してしまいました。

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