十五
部屋の中で二人が何かをしている。ちょっと笑いながら話しているのをヤドは眺めながら、軽くため息を吐いた。
「ため息なんかついてどうかしたのか」
背後から聞こえた声にヤドはすかさず振り返る。後ろに立っていたカラはじっと俺を見降ろしていた。彼の問いに答えないままヤドは歩き出す。今度はカラがため息を吐いて、彼の後ろをついていった。
「そんなに辛気臭い顔をするのならきちんと閃と話をしたらいいだろう」
「…分かってる」
「分かっていないだろう。ヤネが言っていたぞ。お前らが変な空気で息苦しいって」
それは申し訳ないと思っている。母にも郷にも気まずい思いをさせている自覚はあった。何より落ち度のない閃から距離をとっていることはやっぱりよくない。閃と話さなければならないことも、ちゃんと理解している。でも、やっぱり逃げてしまう。ヤドはむすっとして、
「俺に会ったら閃はありがとうとか言うんだと思うと嫌になる。ありがとうとさよならは別れの言葉みたいで聞きたくない」
「ガキかよ」
呆れた声にヤドは黙る。聞きたくないから避けるなんて子供みたいだと分かっている。だけど彼の顔を見るたびに、別れが近づいているのが嫌でもわかって、結局逃げ出してしまう。このままここにいてくれないかって、ずっと喉の奥から出てきそうになっていた。
下を向いてしまったヤドにカラはあえて軽い口調で、
「でもまた会おうと思えば会えるだろう」
俺が閃に会えたように、きっとまた会える。この村がある限り閃はここに戻ってくることができるのだから。励ますようなカラにどこか落ち着いた、落ち着きすぎていたヤドは、
「そうかもな。でも絶対はない。もう二度と会えないかもしれない」
風に泳がされた髪から見えた横顔は、悲痛な色に満ちていた。他の何も入り込めないような切なさが彼の中を覆っているようだった。それを見て一瞬、黙ったカラはゆっくりと口を開く。
「その不安は兄のことからきてるのか」
「…何で知ってんだ」
はー、とあからさまなため息を吐いたヤドは頭をちょっと掻く。そうして、眩しい空を見上げた。兄さんが居なくなった日もこんな天気だったか。
「カラはどこまで知っているんだ」
「お前の兄が徴兵に行ったってことだけだ」
ふーんと返事をしたヤドは、どこか遠慮がちなカラを見る。聞いていいのか迷っているのかもしれない。彼を横目で見ながらヤドは歩く。
「俺の兄は槍という。兄は六年前に徴兵に行った。今の俺と同じ十五歳で。特別な人だったからだと思う」
十八で徴兵。その原則から唯一外れた人だった。彼は郷や閃と同じ特別な力を持つ人だったから。
「兄さんには予知能力があった。それが國に知られて、他の人たちよりも早く徴兵に行かされた。まだ生きているかも俺は知らない」
淡々と、事実だけをヤドは述べる。
「力を隠さなかったのか」
「母さんは人に言うなと言っていた。でも兄は優しい人だった。村の人のために自分の力を使っていた。そのせいで國家の人間にばれたんだがな」
雨が降る時間。誰かが訪れる気配。怪我をする原因。いいことや悪いことの予感。毎日のちょっとしたことが兄には先んじて分かっていた。そしてその力を村の人のために使っていた。母さんはいい顔をしなかったが、それでも誰かの幸せにちょっとでも貢献できるならと兄は進んで伝えていた。
兄が連れていかれると分かったとき、兄の友人が國家に伝えたのだと自ら告白してくれた。彼はただ兄を自慢していただけだった。村の誇りとして、それを他の人に言ってしまったのだと。それでも結果的に兄が連れていかれたことにひどく責任を感じていた。
それでも兄は、彼を責めなかった。なに、三年早くなっただけだと、早くいったら俺の方が先輩だななんて言って、笑って見せた。兄はすごいと俺はそう思ってしまったが、そんなに単純な心持なわけなかった。
「俺は三年後、徴兵だ。三年後でも俺は恐怖している。それなのに兄は、十五で行って不安がないはずなかったのに…あの人はそれを誰にも見せなかった。誰も責めなかった。そして最後まで俺のことを気遣ってくれた」
”大丈夫、すぐ戻ってくるよ。また会えるから、だからそんな顔するな”
泣きそうになって歪めた顔を見て、兄は困ったように笑った。見送りに来た人たちに俺のことを頼んで、母さんに行ってきますと言って、彼は深くお辞儀をした。歩いていく兄は一度も振り返らなかった。背筋の伸びた綺麗な後ろ姿だった。でも多分、あえてそうしたのだろう。あの空気は決して覚悟の決まった空気ではなかった。振り返れば戻ってしまいそうだったからこそ兄は前だけを向いていた。
それから六年たった。兄の友人を含めた多くの人間が徴兵によりフールへ向かった。この村から出ていく人間を俺は何度も見送った。
「うちの村は兵役十五年だったか。だからかもしれないが徴兵に行った人間が戻ってきたのを俺は見たことがない」
兄の言葉を俺はずっと覚えていた。でも誰も帰ってこない。また会えるからなんて無責任だ。会える保障なんてどこにあるというのだろう。特に危険に満ちた場所で兄はもうどこにいるのかも分からないのに。黙って聞いていたカラにヤドは、
「あんたに初めて会ったとき、俺の態度悪かったこと覚えているか。あれも中央から人が来たと思って、それであんたを見てすごく嫌になった。神獣のあんたにこんなこと言いたくないが、俺は國家が嫌いだった」
嫌い、いや大嫌いだ。上から目線なところとか、悪態ばかりつくところとかそんなことはどうでもいい。國の上の人間は自分の子供を徴兵になんか行かせない。適当な理由で行ったとしてもほんの少し。兄には十五で行かせたくせに、あいつらは二十五でしかも一か月くらい。
中央には特別な力を持つ人間がいるんだろう。でもそいつらは兵役を早められたりはしない。身内には危険なことをさせないくせに、他の人間はどうなってもいいと思っている。そういうの全部、俺は腹立たしい。
「だがお前は徴兵に行くつもりなのだろう」
腹を立てながらも逃げ出そうという考えは彼には全くなかった。それだけ嫌悪しても彼は行くつもりなのだ。カラの問いかけに、ヤドは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「俺が徴兵に行かなければ何をされるか分からない。村には郷もいるし、危険な目には遭わせたくない」
徴兵は郷や閃のような流れ者には課されない。フールの密偵の可能性があるとして徴兵対象外だからである。だから村から逃げて他の村に居れば徴兵から逃れることはできる。しかし、過去そのようなことをした人間はいない。もしそんなことをすれば残してきた家族や友が危険な目に遭うからだ。
「今、國は荒れているんだろ。兄さんが守っていた場所は殲滅されたと聞いた。もう兄には会えないかもしれない。だったら尚更村にいる大切な奴らを俺のわがままで危険にさらすわけにはいかない」
「そこまで考えられる頭があるのに、なぜ閃と話さない」
ため息を吐きながらカラは言うが、ヤドは沈黙する。村を出た人間が誰も帰ってこないから別れを恐れているのだろう。その気持ちは分からなくもない。だけどそれと話をしないことは意味が違う。ヤドはぶすっとして、
「俺、あいつに酷いこと言う気がする。だったら話さない方がいいだろ」
「お前、俺が思っている以上にガキだな」
「ガキだ」
開き直ったヤドの頭を、カラはガシッとつかんだ。
「別に俺は笑顔で送り出せとは言ってはいない。だがもう二度と会えないかもと思うなら、言葉にしなければならないことがあるだろう」
嘘なんかつかなくていい。暗い感情も全部彼なのだ。閃はそれを知ったからと言って軽蔑するような人間じゃない。心の底からいってらっしゃいをいえないのは悪いことじゃない。ただ俺は彼と話をしてほしい。
「明日が当たり前じゃないのは人間だけじゃない。いつ死んでしまうかなんて俺たちは知りようもない。だから伝えられるときに伝えたいことをすべて伝えろ。思いを伝えることができるのがどれだけ幸せかお前が一番分かっているはずだ」
真っすぐ彼は漆黒の瞳で俺を見つめてくる。伝える幸せ…か。
「そう…だな。うん…そうだ」
カラに向かってヤドは静かに二度、頷く。カラは柔らかく笑ったような気がした。止まりかけていた風がヤドの背を押すように強めにふいていった。
すみません。編集してしまいました。




