十二
「俺が閃ってことは思い出した。でも、それだけなんだよな。ちゃんと記憶って言えるのは母さんの記憶だけなんだ」
ミドリー閃は天井を見上げる。はっきりとしていたのは母が消えたあの時の記憶だけ。それだって夢かもしれない。今の閃には夢と記憶の区別もきちんとはついていない。
母の記憶以外は場面が途切れ途切れに浮かんでくるのみ。いくつもあるのにそれが繋がらず、全体としては記憶を失っていた時となんら変わりはなかった。
郷もヤドも難しい顔をしている。点がいくらあってもそれが形を生まなければ意味がない。断片的な記憶だけじゃ閃について何一つ分からない。
「どうするんだ。想憶の砂を全部使ってもこれだし」
ヤドはカラに問うが、彼は何も言わない。何かを考えているようだった。漆黒の瞳は真剣で、ヤドは困ったと言わんばかりに深いため息を吐く。
閃はもう一度目を瞑り、記憶を探る。自分がその場所にいてそれをしたことは確かなはずだが、そこに介在するはずの感情が思い出せない。だから今のところそれは、記憶というよかただの行動記録にとどまっていた。
「まあ、少しでも思い出せてよかったよ。あ、カラ、ごめんな。カラと会ったっぽいのはわかったんだけど、いまいちピンときてなくてさ」
確かにカラと会った記憶は存在している。が、それも一場面だけであの時自分が何を話したのか、カラが何を言ったのかはぼんやりとしていた。
相変わらずカラは自分の世界に入ってしまっていて、閃の言葉が聞こえていないようだ。ヤドがおい、と強めに呼ぶとようやく彼は顔を上げた。
「何だ」
「やっぱり聞いてないな。どうするんだ。閃の記憶は完全に戻せていないままだ」
きつめにヤドが言うので閃は少し慌てた。仮にもカラは神獣なのにそんな言い方でいいのか。郷も同様に感じたようで、ヤドをたしなめる。ヤドはふくれっ面のまますまないとだけ告げて、そっぽを向いた。
ただ、当のカラは気にしていないようで、そうだなと呟く。そうして、
「これからお前が取れる行動は二つ。一つ、記憶を取り戻すことは諦めてこの村で暮らす。もう一つは記憶を探しに行く」
「探すって、そんなことできるの?」
困惑したように閃はカラを見る。探して見つかるようなものなのか、閃にはわからない。手がかりでもあるのだろうか。
そんな彼の心を代弁するようにヤドは、
「想憶の砂を使ったってのに他に方法があるのか」
「多分な。閃に思い出してもらいたいこともあるが」
そうしてカラは真面目な顔をして閃の方を向くのだが、閃は困ったように頭をかく。そもそも記憶ないのに、どうしろというのだろう。
「あの、一個いい?」
スッと手を挙げて郷はカラを見る。カラがうなずくと郷は、
「想憶の砂ってカラさんだけが持っていたもので全部なの?」
初めて見たときから郷はずっと気になっていた。確かに『想憶の砂』は普通の砂ではないのだろう。だが、あの少ない砂にミドリの記憶がすべて入っているとは到底思えないのだ。
カラは郷の方を向いて、首を振る。ヤドはなるほどと理解していたが、閃は少し首をかしげている。カラは一から説明することにした。
「俺が持っている砂は閃と別れるとき直接渡されたものだ」
「ずっと閃と一緒にいたわけではないのか?」
「これでも神獣なんでな。まる十年、閃と行動していたわけではない」
地方では排除されることが多かったが、中央ではまだカラに頼る人間もいた。他の五神獣とのやり取りもあった。
「最後に会ったのは…三年くらい前かな。その時渡されたんだよ。大事なものだからカラが持っててくれって」
お守り替わりだなんて言って渡されたそれを、その時は使うなんて思ってもみなかった。たった三年の間に閃が記憶を失くすなど。
「離れなきゃよかったな」
小さくカラが呟く。閃は驚いたように、
「え?」
カラはそれ以上何も話さなかった。気にはなるがたいしたことではないのかと閃は流すことにした。
頬杖をついて、何かを考えていたようなヤドはなるほど、と呟くと、
「じゃあ、カラと別れてから三年分は他の誰かが持っている可能性があるのか」
「いや、それだけじゃない。多分、それ以前の記憶も他のやつのもとにある。俺の持ってたのだけでは十二年分には足りない」
ようやく閃は理解したようだ。彼の記憶を持っている人なり獣なりを見つけることができればすべてを思い出すことができるかもしれない。
「誰が持っているのかを思い出せってことか。でもそれは、かなり厳しいぞ」
うなるような声を出しながら、閃は立ち上がって近くをうろつく。断片的な記憶しか俺にはない。そこから砂を渡した相手を探すのは今の俺には難しい。俺の記憶の中にその相手が残っているかどうかもわからないのだ。
カラは閃に座るように促す。そうして彼が座ると、
「無理に思い出す必要はない。他にも方法はある」
「え、方法って何?」
じっとカラを見ると、彼は、
「砂を作った布野のところに行く」
「そんなことで何か分かるの?」
どこか訝し気に閃は問う。作った人間のところに行って聞いたところで俺のことなんか分からないだろうに。が、カラはこくりと頷いて、
「この砂は布野の人間にしか作れない。閃が布野の人間に会った可能性は高い」
「でも、俺のことなんか忘れてるんじゃないのか」
「初めに話しただろう。想憶の砂は珍しいものだ。それこそ伝説なんて言われるくらいにはな。そのくらい珍しいのだから布野がこの砂を渡したのは少人数だ。それなら閃のことを覚えている可能性はあるし、そこに残りの記憶があるかもしれない」
確かにそれなら、適当に探すよりは見つかるかもしれない。母のこともカラのことも思い出せる可能性は高い。あの少しの砂でも断片的とはいえ記憶が戻ったのだ。全部見つけることができれば、きっと、きっとすべて甦る。でも…。
どうするんだ、と問いかけたカラに閃はすぐに答えることができなかった。記憶を戻したいはずなのになぜだかうん、と即答できなかった。どこか迷っている横顔を郷は眺める。そうして、
「すみません、カラさん。ミドリくん、びっくりしたみたいだから、少し考える時間をあげてほしいです」
「そうだな、それがいい。閃、ゆっくり考えろ。それで、お前が望む道を選べ」
軽く肩を叩いたカラは部屋を出ていった。閃はその後ろ姿を見つめながら、どこか居心地の悪い感覚を感じていた。
すみません。しばらく更新できるか分かりません。




