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第5話「新宿の香り」

一方、美咲は夜になると、友人たちから届いたメッセージに目を通しながら、出かける準備をしていた。鏡の前でメイクを仕上げながら、軽くため息をつく。「現実から逃れるには、これが一番」と自分に言い聞かせるように呟く。

「今夜クラブにでも行こうよ!」

メッセージの送り主は、スリル好きで社交的な俊樹だった。彼の誘いに、美咲は短く「いいね」と返信する。俊樹の誘いはいつも刺激的で、美咲にとって現実を忘れるきっかけになるのだ。

間もなく、俊樹からグループ通話が始まった。

「紗英は後から合流するってさ。」俊樹が軽い口調で話し始める。

「今日はどこのクラブ行く?」裕也が興味津々に尋ねる。

俊樹は少し得意げな声で答えた。「新宿のヤバいとこあるんだよ。今夜はそこで盛り上がろうぜ。」

「おお、それは楽しみ!」裕也が歓声を上げる中、雄太の声が少し控えめに響いた。「でも、美咲、大丈夫?昨日飲みすぎてたみたいだったけど、体調は平気?」

その言葉に、一瞬だけ沈黙が広がる。美咲は軽く笑ってごまかしながら答えた。「大丈夫よ、心配しないで。今日はちゃんと楽しめるから!」

雄太は少し眉をひそめながら、「無理しないでな。何かあったらすぐ言ってよ」と、優しく念を押した。

その様子に、俊樹が軽く笑って茶化す。「ほらほら、心配性の雄太くん。大丈夫だって、美咲が一番タフなんだから!」

裕也も同調するように、「そうそう、心配してたらクラブのノリに乗り遅れるぞ!」と笑う。

「まあ、せっかくだし楽しもうよ!」美咲は話題を切り替えるように笑顔で返し、心配してくれた雄太にも感謝の気持ちを抱きながらも、それを表に出さないまま会話を進めた。

「じゃあ、みんな新宿駅集合で!」俊樹が通話を締めくくるように声を上げた。

「了解!」「楽しみ!」それぞれの声が響き、美咲はスマホを切った後、静かに鏡の前に立ち直した。

夜の新宿駅へ向かう準備を整えながら、美咲は軽くリップを引き直し、バッグを肩にかけて静かに呟いた。「今夜はいっぱい楽しもう。」


通話を終えると、美咲は急いで身支度を整え、新宿駅へと向かった。金曜の夜、新宿の街はいつものように人々で溢れ、駅周辺は明るいネオンが灯っている。雑踏の中、待ち合わせ場所に向かうと、すでに友人たちが揃っていた。

「おーい、美咲!」雄太が手を振ると、俊樹と裕也も彼の隣で笑顔を浮かべている。

「遅れてごめんね。」美咲が申し訳なさそうに言うと、俊樹が大きく手を振りながら「今来たばっかだから!」と声を上げた。

「でも、美咲、なんか疲れてないか?」雄太が心配そうに問いかける。

美咲は軽く笑ってごまかした。「全然平気!心配してくれてありがとう。」

雄太はまだ気にしている様子だったが、俊樹が雄太の肩を軽く叩いて「ほら、せっかくの金曜の夜なんだから、楽しもうぜ!」と声を上げる。裕也も「そうだそうだ、もうすぐ紗英も来るしな!」と同調した。

「そうね、楽しもう!」美咲は笑顔を浮かべ、気持ちを切り替えるようにみんなに呼びかけた。

一行は新宿駅から歩いて数分の場所にあるクラブへ向かった。夜風が頬に当たる中、俊樹は得意げな顔で「今日は特別な場所だぜ」と言いながら先頭を歩く。

クラブの入り口に到着すると、派手なネオンと重厚な扉が目に飛び込んできた。エントランスではセキュリティが厳しい様子で客の身分証を確認していたが、俊樹がスタッフに軽く声をかけると、あっさりと全員が中に通された。

「さすが俊樹!」裕也が感心したように笑いながら言う。

「こういうの慣れてるからな。」俊樹は自慢げに肩をすくめ、みんなを促した。

扉の向こうは、まるで現実から切り離されたもう一つの世界だった。煙と香水が混ざった甘く重たい空気が鼻をつき、スピーカーから流れる重低音は足元の床を振動させていた。光が乱反射するフロアには、踊る人々のシルエットが浮かび上がり、全身が音楽に支配されるような感覚に包まれた。

「すごい……」美咲は初めて目にする光景に圧倒されつつも、どこか胸が高鳴るのを感じた。

「さ、まずは乾杯だな!」俊樹がバーカウンターへと向かい、すぐにお酒を注文する。裕也も「ガンガン行こうぜ!」と笑顔で続き、美咲と雄太もそれに続いた。

美咲はカウンターでグラスを軽く傾け、アルコールの味を確かめるように一口飲んだ。微かに赤らんだ頬と、ぼんやりとした視線が彼女の酔いを物語っている。リズムに合わせて体を揺らす彼女の姿は、無意識のうちに周囲の目を引きつけるようだった。

雄太はそんな美咲に自然と視線を向けていた。彼女の飲むペースが少し早いことに気づき、胸の奥で静かな不安が広がる。「大丈夫か?」と声をかけたくても、音楽の大音量がそのタイミングを奪い取るようで、彼は言葉を飲み込んでしまった。

美咲がふとグラスを置き、軽く笑う。その笑顔は一見楽しそうに見えるが、どこか無理をしているようにも感じられた。雄太はその表情に目を奪われつつも、彼女が無理をしているのではないかと心配になった。周囲の雰囲気に合わせようとしているだけなのではないか――そんな考えが頭をよぎる。

「大丈夫かな……」雄太は心の中で呟きながら、再び声をかけるタイミングを探る。しかし、目の前で楽しげに笑う美咲を見て、その言葉が余計なお世話になるのではないかという思いが、彼の口を閉ざさせた。

ふと、美咲が雄太の方に視線を向けた。その一瞬の目が合う瞬間、彼の胸はざわついた。彼女の瞳はどこか霞んでいて、酔いのせいなのか、何か別の思いが隠れているのかはわからなかった。それでも、その視線は雄太に何かを語りかけているように感じられた。

だが、美咲はすぐに目を逸らし、隣の俊樹との会話に戻る。その後ろ姿を見つめながら、雄太は軽く息を吐いた。彼女に声をかけられなかった自分に歯がゆさを感じつつ、どうか無理をしていませんようにと、心の中でそっと祈るような気持ちを抱いていた。

1時間後、クラブの熱気はさらに増していた。踊り続ける人々、次々と運ばれるカクテル、美咲もすっかり雰囲気に飲まれ、楽しそうに笑っていた。

そんな中、入り口付近でひときわ目立つ女性が現れた。黒のワンピースに揺れるイヤリング、そしてヒールで颯爽と歩く姿。肩にかかる髪がライトに照らされ、まるでステージに立つ女優のようだった。

「遅くなってごめんね!」紗英の明るい声が響く。その声だけで、一瞬フロアの熱気が和らいだように感じられた。俊樹が彼女に気づき、「お!やっと来たか!」と手を振る。

「ほんとに待ってたの?」紗英は笑みを浮かべながら俊樹に近づくと、そのままカウンターへと足を運んだ。今夜の紗英は、いつもの大学での姿よりさらに洗練されて見えた。メイクはナチュラルだが、目元にはさりげない深みがあり、その口紅の色が彼女の大人っぽさを引き立てていた。

「紗英……すごく綺麗……」美咲は思わず小さな声で呟いた。それを聞き取った雄太が、少し照れくさそうに「ほんと、今日の紗英は特にすごいな」と同意する。

確かに紗英はいつも洗練されている。けれど、今夜の彼女には、普段の大学での姿とは違う、さらに磨かれた大人の色気があった。美咲の目は自然と紗英が持っているバッグに向かう。

あれ、前にこんなの持ってたっけ?

そのバッグは、美咲が何度か雑誌で見たことのある有名ブランドのものだった。シンプルで上品だが、決して安くはないはずだ。普段の紗英の持ち物とはどこか違う洗練さを感じさせた。

最近の紗英は、以前よりもおしゃれに気を遣うようになり、どこか雰囲気が変わったように思える。髪のツヤやメイクの仕上がり、そして持ち物に至るまで、その変化に気づかない方が難しかった。もちろん、彼女は努力を怠らない人だ。けれど、それだけで説明できるのだろうか――そんな思いがふと頭をよぎる。

いつも自信に溢れていて、手の届かない感じ……でも、どうしてだろう。最近、紗英が遠くに見えるのは。

美咲の中で、小さな疑問が膨らんでいく。けれど、それを言葉にすることはできなかった。

紗英は美咲を見つけ、彼女の隣に軽やかに腰を下ろした。「美咲、楽しんでる?」その声は穏やかで、自然と相手の心をほどいてしまうようだった。

美咲は一瞬ためらいながらも、「うん、楽しいよ!」と笑顔で答える。だが、その表情の奥に隠された何かを感じ取ったのか、紗英はグラスを置き、彼女をじっと見つめた。「本当に?少し疲れてない?」

その問いかけに、美咲の心がざわめく。隠していた不安や迷いが、まるで紗英にはすべて見透かされているようだった。

「少し酔っちゃっただけだよ。心配しないで。」美咲はごまかすように笑みを浮かべるが、紗英は静かに首を横に振った。「美咲、無理をしなくていいの。ここにいるみんな、君の味方なんだから。」

その言葉は、美咲の胸にすっと染み込んだ。どんなに明るく振る舞っても、心の奥に抱えた孤独を紗英だけは気づいてくれる――そんな気がした。

「ありがとう、紗英……」美咲はぽつりと呟くように言葉を返した。その瞬間、どこか肩の力が抜けたように感じられた。

少し後、紗英は「踊ってるのを見るだけじゃ退屈だから、私も行こうかな」と立ち上がる。俊樹が「お、紗英まで踊るの?これは盛り上がるな!」と歓声を上げると、彼女は軽く肩をすくめた。「まあ、せっかくだからね。」

その言葉通り、紗英がフロアに足を踏み入れると、周囲の人々が自然と彼女に目を向けた。派手な動きではなく、音楽に身を任せるような自然なリズム。けれど、その動きにはどこか芯の強さがあり、彼女がそこにいるだけで場の雰囲気が少し変わるようだった。

美咲も紗英を見つめていた。ライトに照らされる紗英の姿は、ただ綺麗なだけではなく、彼女が纏う静かな自信が美咲には眩しく映った。「私もああなれたらいいのに……」そんな思いがふと胸をよぎる。

「美咲、一緒に来ない?」紗英が振り返って手を差し出す。その手に引かれるように、美咲もフロアへと進む。

「私、踊るの得意じゃないよ……」と小声でつぶやく美咲に、紗英は微笑みながら答えた。「大丈夫。誰も見てないし、見られるのを気にしなくていい。ただ、楽しめばいいの。」

その言葉に、美咲は少しずつ体を揺らし始めた。紗英と一緒に踊るうちに、緊張が解け、音楽の中に溶け込んでいく。いつの間にか、美咲の顔には自然な笑みが浮かんでいた。

フロアから戻ると、紗英は美咲を気遣うようにカウンターの席を勧め、「水を飲んでね」とグラスを渡した。美咲はその優しさに触れて、少し照れくさそうにグラスを受け取った。

「ありがとう……紗英がいると、なんか安心する。」美咲は本音をポツリと漏らす。その言葉に紗英は一瞬だけ驚いたような表情を見せ、次の瞬間には微笑んだ。「それならよかった。私も、美咲が楽しいなら嬉しいから。」

美咲はグラスを傾け、カクテルを一口飲むと、微かな甘さとアルコールの刺激が喉を通り抜けた。隣では紗英がバーテンダーに向かって注文をしている。

「すみません、アイスを少し多めにお願いできますか?」

その言葉を耳にした瞬間、美咲は思わず紗英の方に視線を向けた。

「アイス……?」

紗英はその視線に気づくと、小さく笑みを浮かべて、美咲に目を向けた。「あら、何かおかしかった?」

「ううん、別に……ただ、なんか『氷』のことを『アイス』って言うのが、ちょっと意外で。」美咲は軽く笑いながら答えた。

そんな二人のやり取りを見ていた雄太が、小声で「やっぱり紗英ってすごいな」と呟く。裕也が「ん?何がだよ?」と尋ねると、雄太は少し間を置いて答えた。「なんていうか、紗英がいるだけで場が落ち着くっていうか……安心するんだよ。」

裕也は笑いながら肩をすくめた。「まあ、それが紗英の魅力だよな。でも、そう思うのは雄太だけじゃないだろ。」

カウンターで微笑み合う紗英と美咲の姿は、まるでその場の喧騒から切り離された静かな光景のようだった。その温かい空気が、美咲の胸に小さな安らぎをもたらしていた。


夜が深まる中、俊樹が「外に出よう」と誘い、紗英も軽く頷いたことで、美咲は自然と二人についていった。新宿の雑踏から少し外れた薄暗い路地に入り、俊樹がポケットからタバコを取り出すと、「一本吸う?」と笑みを浮かべて差し出してきた。

路地裏でタバコを吸いながら、美咲は俊樹に軽く笑いかけた。「こうやって外でタバコ吸うのも、なんか久しぶりだな。」

俊樹は驚いたふりをして大げさに言った。「おいおい、誰が初めて教えてやったと思ってんだよ?」

美咲はくすっと笑いながら、「もちろん、俊樹先生のおかげですよ。」と冗談交じりに答えた。タバコを軽く吸い込みながら、彼女は中学時代の記憶を思い出していた。

中学の頃、俊樹はいつも美咲を新しい世界に引き込んでくれる存在だった。最初にタバコを吸ったのも、クラブの音楽を聴いたのも、俊樹がきっかけだった。当時の俊樹は大人びた振る舞いをしていて、美咲にとって少し危なっかしくも憧れのような存在だった。

「覚えてる?あの時、放課後に公園でこっそりタバコ吸ったら、見回りの先生に見つかりそうになって全力で逃げたこと。」美咲が懐かしそうに話すと、俊樹は大きく笑い出した。

「当たり前だろ!あの時お前、めちゃくちゃ慌ててたくせに、一緒に走り切った後に『もうやらない』って言ってたのに、結局次の日にはまた吸ってたじゃん。」俊樹は笑いながら美咲を指差した。

「だって、なんか俊樹が楽しそうにしてると、私もつい付き合っちゃうんだよね。」美咲は少し照れたように言いながら、タバコを灰皿で消した。

そんな二人のやり取りを、紗英は静かに見守っていた。彼女は二人の間に漂う空気から、中学時代からの深い絆を感じ取っていた。

「俊樹って、昔から美咲にいろんなこと教えてきたんだね。」紗英がふと口を開くと、俊樹は得意げに笑いながら言った。

「そりゃあな、俺がいなきゃ美咲はきっとつまんない人生送ってたと思うぜ。」

「何それ!」美咲は笑いながら俊樹の腕を軽く叩いた。

「でも、たしかに俊樹のおかげで知ったこと、たくさんあるよ。いいことも悪いこともね。」美咲は半分冗談めかして言ったが、その声には少し感謝が滲んでいた。

紗英はその言葉を聞いて、優しい笑みを浮かべながら二人を見つめた。「なんだかいいね。中学の頃からずっと一緒にいられる友達って、特別だと思う。」

俊樹はタバコの煙を吐き出しながら、「まあ、俺は先生であり友達だからな。」と茶化すように答えた。その声にはどこか照れくささが混じっているようだった。

美咲は微笑みながら、改めて俊樹を見つめた。中学時代からずっと自分を引っ張ってくれる存在。今も変わらず、刺激的で楽しい世界を教えてくれる彼に対し、感謝と少しの懐かしさを感じていた。

「そろそろ戻ろっか。紗英もここでタバコの煙吸わされるの、嫌でしょ。」美咲が声をかけると、紗英は軽く頷いた。「気にしないで。でも、そろそろ雄太たちが騒ぎ出してるかもしれないし、戻りましょ。」

俊樹は「よし、じゃあ行くか!」と大きな声を上げ、クラブの入口へと戻っていった。


クラブに戻った3人を迎えたのは、再び音楽と熱気に包まれたフロアだった。俊樹が笑いながら「さあ、続き行くぞ!」と声を上げると、裕也は軽快に拳を突き上げて応えた。しかし、雄太は美咲が席に戻るなり、微かに漂うタバコの匂いに気づいた。

「美咲……吸ったのか?」雄太が真顔で尋ねると、美咲は一瞬だけ動揺したが、すぐに軽い笑顔を作って「ちょっとだけね」と答えた。

その言葉を聞いた瞬間、雄太の胸の奥にわずかな怒りが湧き上がった。「なんでそんなことするんだよ。タバコなんてやめたんじゃなかったのか?」

「別に大したことじゃないよ。たまに吸うくらい、いいでしょ?」美咲は軽い調子で返したが、その声にはどこか後ろめたさが混じっていた。

雄太は眉をひそめ、少し低い声で言った。「俊樹に言われたのか?あいつ、いつも美咲を巻き込むじゃないか。」

その言葉に美咲は驚き、少し険しい表情になった。「巻き込むって……俊樹が悪いわけじゃない。私が自分で決めたことだよ。」

雄太は一瞬言葉を詰まらせたが、静かに続けた。「でも、俊樹は美咲にとっていい影響を与えてるとは思えない。前からそう感じてた。」

美咲は口を開こうとしたが、すぐには言葉が出なかった。俊樹は確かに自由で刺激的な存在だ。彼がいることで新しい経験をしてきたのは事実だが、雄太の言うことも一理あると感じていた。

その時、俊樹が戻ってきて、雄太の態度に気づいたのか、「どうした?なんか険悪な雰囲気じゃん」と軽く茶化すように言った。

「別に。ただ、俺は美咲に変なことさせるなって言ってるだけだ。」雄太は目を逸らさずに俊樹を見つめた。その視線には、俊樹に対する苦手意識が隠しきれていなかった。

俊樹は一瞬だけ黙ったが、すぐに煽るように笑った。「変なことって、タバコくらいで大げさだな。美咲はガキじゃないんだぜ?自分で決められるだろ。」

雄太は反論しようとしたが、美咲が間に入った。「やめて、二人とも。せっかく楽しい夜なんだから、喧嘩しないでよ。」その声には、二人を宥める優しさと少しの疲れが混じっていた。

俊樹は「悪い悪い」と軽く手を挙げてその場を収めたが、雄太は納得していない様子だった。それでも、美咲のためにそれ以上何も言わず、カクテルグラスを手に取った。

美咲はそんな雄太の横顔を見て、胸が少し痛んだ。彼が自分を本気で心配してくれていることはわかっている。だが、それをどう受け止めればいいのか、わからなかった。

夜が明ける頃、朝の4時を回ったタイミングで、一行はクラブを出て解散した。紗英は「美咲が心配だから」と言い、男子たちと一緒にタクシーで美咲の家までついてきた。

美咲の部屋に到着すると、薄暗い空が少しずつ明るくなり始めていた。美咲は部屋の明かりをつけ、疲れた足を引きずるようにしながらキッチンへ向かった。冷蔵庫から炭酸水を取り出し、みんなにグラスを手渡す。

「始発まで、あともう少しだね。」美咲がそう言いながら自分のグラスを手に取り、一口飲むと、炭酸が喉を刺激して少しだけ目が覚めたようだった。

紗英はソファに腰を下ろし、軽くため息をつきながら「久しぶりにこんなに騒いだ気がする」と微笑んだ。その横では裕也がリラックスした様子で、「いやー、今夜も最高だったな!」と満足げに声を上げる。

だが、その反応とは対照的に、雄太の視線は俊樹に向けられたままだった。俊樹が無邪気に喋るたび、その言葉の一つ一つに苛立ちを覚えるように、彼の目は微かに鋭さを帯びていた。

俊樹はその視線に気づいたのか、少し挑発的な笑みを浮かべながら、「おいおい、そんな顔するなよ。楽しい夜だったろ?」と軽く肩をすくめた。

雄太は少し口を開きかけたが、紗英が「まあまあ、二人とも、もう少し落ち着いて」と場を和ませるように声をかけたことで、その場の空気は何とか収まった。

そんな微妙な空気を感じ取っていた美咲は、手を軽く叩いて立ち上がると、「私、シャワー浴びてくる!」と明るい声を上げた。そして続けて、「みんなも浴びてから帰りなよ。疲れたまま帰ったら大変だからさ。」と言い残し、バスルームへ向かった。

紗英はその言葉に少し微笑みを浮かべ、「じゃあ、後でお借りするわ」と答えた。一方で、裕也は「マジで?ありがとー!助かるわ!」と大げさに感謝の言葉を口にした。

俊樹は腕を組みながら「さすが、美咲のホスピタリティは完璧だな」と軽口を叩いたが、その背後では雄太が無言のまま俊樹を睨むような視線を送っていた。

「本当にお前、いつまで美咲を巻き込むんだよ……」と心の中で呟きながらも、それを口に出すことはなかった。

バスルームからシャワーの音が聞こえ始める中、紗英はそんな雄太の表情に気づき、小さく息を吐きながら彼の隣に座った。「雄太、大丈夫?少し顔が怖いわよ。」と優しく声をかけた。

雄太はハッとしたように顔を上げ、「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた。」と曖昧に答えた。

その言葉に、紗英は一瞬だけ彼の表情を探るように見つめたが、それ以上は何も言わなかった。ただ、グラスの炭酸水を少し飲み、静かに朝を待つ時間が続いた。


美咲がシャワーを浴び終わると、次に紗英がタオルを手に立ち上がった。「じゃあ、次は私ね。」と軽く言い残し、バスルームへ向かった。

バスルームから聞こえるシャワーの音を聞きながら、部屋には一瞬の静けさが訪れた。裕也はソファに深く腰を沈め、眠そうに欠伸をしながら「俺も帰ったらすぐ寝そうだな……」と呟いた。

俊樹は椅子に足を組んで座り、何かスマホをいじりながら「今日は本当、楽しかったわ。次はもっとすごい場所、知ってるから行こうぜ」と楽しそうに話していたが、それを聞く雄太の返事はどこか曖昧で短かった。

やがて紗英がシャワーを終え、髪を軽くタオルで拭きながら出てきた。「お待たせ。次、どうぞ。」その声に俊樹が立ち上がり、「よし、俺行くわ。」と軽い調子でバスルームに向かった。

美咲は部屋の隅で髪を乾かしながら、静かにその様子を見ていた。彼女の心にはわずかな疲労感と、夜を一緒に過ごした安心感が入り混じっていた。

俊樹がシャワーを終えた頃には、朝の5時に近づいていた。窓の外はすっかり明るくなり、街からは早朝の活動音が聞こえ始めていた。

「じゃあ、そろそろ帰るか。」裕也が立ち上がり、荷物をまとめると、他のメンバーもそれに続いた。「今日は楽しかったね。」紗英が笑顔を浮かべながら言うと、美咲も微笑みを返した。「また遊ぼうね。」

「お前、ちゃんと寝ろよ。」雄太が小さく声をかけると、美咲は軽く頷いた。「ありがとう、気をつけて帰ってね。」

全員が部屋を出ると、始発の電車に乗り込み、それぞれの家へと帰っていった。

美咲は部屋の静けさに包まれながら、リビングに置かれた空のグラスや散らばったタオルをぼんやりと眺めた。心地よい疲れが全身を覆い、片付ける気力も湧かないままベッドに倒れ込む。

「楽しかった……でも、疲れた。」小さく呟くと、すぐに瞼が重くなり、深い眠りに引き込まれていった。

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