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第3話「偶然の再会」

金曜日の夜、美咲は少し早めに準備を終え、鏡の前で自分を見つめていた。いつもよりも少し落ち着いた服装を選んだが、どこか心の中で緊張感が募っているのを感じていた。手に取ったスマホを見つめ、紗英からのメッセージを確認する。

「準備できた?私はもうすぐ着くよ!」と、明るいメッセージが届いていた。

美咲は小さく笑い、深呼吸をした。「大丈夫……紗英が一緒なら大丈夫」と自分に言い聞かせるように呟き、バッグを手に取った。

銀座の街に着くと、夜の空気は少し冷たく感じられた。美咲と紗英は再び、数日前に訪れたバーに向かう。前回と同じように、バーのドアを開けると、柔らかなジャズの音楽と温かな照明が二人を迎え入れる。

「なんか、前回とはまた違う感じがするね」美咲は軽く笑いながら言ったが、その笑顔の裏に隠れた緊張は紗英には伝わっていた。

「うん、でも今日はリラックスして楽しもう。無理はしなくていいからね」と、紗英は美咲を安心させるように微笑んだ。

カウンターに座る二人は、ゆっくりとグラスを傾けながら周囲を見渡した。だが、期待していた由紀の姿はどこにもなかった。

「……今日はいないみたいだね」美咲はため息をつきながら、小さく言った。

「まあ、そういうこともあるよ。でも、また会える日が来るかもしれないしね。」紗英はあくまで軽い口調で返したが、美咲の肩に優しく手を置いた。「焦らなくても大丈夫だから。」

「うん……そうだよね」美咲は紗英に微笑み返したが、その瞳には少しだけ寂しさが浮かんでいた。

二人はしばらく静かに過ごし、軽い会話を交わしていたが、美咲の心はどこか落ち着かないままだった。バーテンダーの篤史に注文したカクテルの甘さが口の中に広がるが、まるで味がしない。次第に、カウンターの周りが重たく感じられ、由紀が現れない現実に美咲は失望感を抱いていく。

何杯も重ねるうちに、酒が美咲の理性をゆっくりと蝕んでいく。「こんなに気にしても仕方ないのに」と心の中で繰り返しても、その気持ちは収まらない。由紀が現れない事実に、美咲は自分がどうしようもない存在だと思えてくる。


「もう大丈夫よ……」美咲はふらふらと席を立ち、バーを後にした。銀座の夜風が彼女の頬を冷やすが、心の中は熱くざわめいていた。

バーを出た後、紗英は「また次に期待しよう!」と軽く言った。

「今日は一緒に来てくれてありがとう」美咲は笑顔を見せたが、その心はまだ重かった。

「前にも言ったけど、美咲は一人で抱え込みすぎるんだよ。私、何かあったらちゃんと聞くから。」

「……ありがとう。」美咲は少し視線をそらして答えた。「でも、ほんとに大丈夫だから。帰ったらすぐ寝るし。」

紗英はそれ以上追及せず、静かにため息をついた。「わかった。でも、無理はしないでね。何かあったらすぐ連絡して。」

紗英と別れた後、美咲は家に帰る前にふとコンビニに立ち寄った。

お酒で高揚した感情とあの強烈な女性、由紀に会えなかった寂しさが、彼女を衝動買いへと駆り立てる。アイスクリームやチョコレート、クッキーやポテトチップス――次々とお菓子をカゴに入れていく。


コンビニのレジで会計を済ませ、ふらつきながら店を出たその時、目の前に見覚えのあるシルエットが現れた。


---

「……え?」

美咲は立ち止まり、目を瞬かせた。その人こそ、あの由紀だった。街灯の淡い光の下で、彼女は美咲の記憶の中のどの場面よりも冷静で、どこか威圧的な美しさを放っていた。

由紀の視線が、美咲の酔った顔や手に持ったビニール袋にゆっくりと注がれる。その袋から覗く大量のお菓子を確認すると、由紀の眉がわずかに動いた。けれど、すぐに口元にごく薄い微笑みを浮かべる。由紀は軽く会釈した。「……こんばんは。」

低く、深い声。まるで夜の空気に溶け込むようなその響きが、美咲の耳をかすめた。

美咲は緊張で手の中の袋をぎゅっと握りしめた。

「あ、あの……こんばんは……」

彼女の声は震え、言葉が喉につかえた。けれど、次の瞬間、酔いを悟られないようにと、背筋をピンと伸ばし、できるだけシラフを装った。

「偶然ですね.....こんなところで会うなんて。銀座のバーでお会いしたことがあります…..」

無理やり作った笑顔が口元に浮かぶ。

由紀はそんな美咲の仕草を静かに観察していた。その目は探るようで、冷静だった。「……本当に偶然ね。」

美咲をじっと見つめたまま、ふっと息をつく。

「大丈夫ですか?」由紀は少し心配そうに問いかけた。

「ええ、大丈夫です!お会いできてよかったです......」美咲は目を逸らし、息を呑むように短く答えると、すぐにその場を立ち去ろうと身を翻した。「それでは....失礼します。」

「ちょっと待って。」

由紀の冷静な声が、その場の空気を一瞬で凍らせた。美咲の背後で静かに響き、その足を止めさせるには十分だった。

美咲が振り返ると、由紀は一歩も動かず、ただ視線だけで美咲を捉えていた。その目は、どこか底知れない力を秘めていた。彼女の唇がゆっくりと動く。「そんな酔った状態で、帰れるのかしら?」

「それは……家が近いので……」美咲は言い訳がましくつぶやくが、その声は由紀の視線の前でかき消されそうだった。

「そう。」由紀は短く答え、少し間を置いて続けた。「でも、夜道は危険よ。それに……」彼女の視線が再びビニール袋に落ちる。

美咲は羞恥心と緊張で顔が熱くなるのを感じた。

「本当に大丈夫ですから……」

美咲は弱々しい声で答える。だが、次の瞬間、由紀が一歩前に進み、美咲との距離を詰めた。

必死にシラフを装おうとする彼女の態度が、余計にその脆さを際立たせている。

美咲は一歩を踏み出そうとしたが、アルコールが体を支配しているのは明らかだった。足がもつれ、次の瞬間、彼女はバランスを崩して大きくふらついた。

由紀はすかさず美咲の腕を掴んだ。その動きは冷静で、ためらいがなかった。美咲は驚いた顔で由紀を見上げたが、言葉を発することができなかった。彼女の手の温かさと確かな力が、美咲の乱れた呼吸を少しだけ落ち着かせた。

「無理しないで。」由紀は静かに言ったが、その声にはどこか強い決意が感じられた。「こんな状態で放っておくなんて、できないわ。」

「……でも、私、一人で……帰れます。」美咲は震える声で言い返したが、その瞳には弱さがにじんでいた。

「そうは見えないわ。」由紀は冷ややかに答えると、美咲を支えた腕を離さないまま彼女を見つめた。

美咲はなんとか自分を落ち着かせようとしたが、由紀の視線があまりにも強く、まるで心の奥を見透かされているようだった。「……どうして、そこまで……」美咲はつぶやいた。

由紀は答えずに微笑んだ。その微笑みは控えめながらも確信に満ちていて、美咲の胸に小さな動揺を残した。「送るわ。」彼女はそれだけを言い、美咲を促すように歩き始めた。

マンションのエレベーターの中、二人の間に静けさが広がった。美咲は無言で由紀の存在を感じ、複雑な感情が胸の奥で渦巻いている。恐怖、憧れ、期待。

「……すみません、こんな迷惑をかけて。」美咲は視線を落としながら、ぽつりと呟いた。

由紀は美咲の目を見て優しい声で言った。「迷惑だなんて思ってないわ。ただ、あなたが無事で家に着けることが一番大事。」

美咲の脳裏に、ふいに叔父との過去の記憶がよぎった。あの嫌な記憶が浮かび上がるたびに、美咲は不快感を覚え、手汗がじわじわと出始める。その手を隠すように、ぎゅっとカバンのストラップを握りしめる。しかし、どうしてもその視線から逃れることができない。胸の中で鼓動がどんどん速くなり、息が苦しくなるのを抑えようと、深く息を吸い込んだ。

由紀の横顔に視線を向けると、彼女は無言のままペットボトルを取り出し、軽く水を飲んだ。

その瞬間、エレベーターの中に由紀が飲む水の音がはっきりと響いた。小さな音だったはずなのに、美咲の耳には大きく聞こえ、静寂を破るかのように不気味に感じられる。

由紀が静かにペットボトルのキャップを閉める音さえも、妙に重たく感じられ、視線を逸らしたくても、再び彼女の動きに引き寄せられてしまう。視線を交わすたびに、美咲の心臓はさらに速く鼓動を打ち、まるでその鼓動がエレベーター内に響き渡るかのように感じられた。

「驚くかもしれないけど、実は私もこのマンションに住んでるのよ。」由紀は、ふと告げた。

「えっ……あ、そうなんですね……」美咲は少しぎこちなく答えたが、どこか視線が泳いでいる。

「もしかして、知ってた?」由紀は美咲の反応に軽い好奇心を抱いた。

「えっと……まあ、その……」美咲は言葉を濁しつつも、小さな声で付け加えた。「この間……引っ越し業者が来てて、郵便受けに『高瀬由紀』って名前があったので……それで……」

「ふーん。」由紀は興味深げに美咲を見つめる。「じゃあ、もう私が住んでるって知ってたのね。エントランスですれ違ったりしてたんじゃない?」

美咲は顔を少しうつむいた。「えっと……何回か……見かけましたけど……声をかけるのも変かなって思って……」

「そう?」由紀は微笑みながら首を傾げた。「じゃあ、私のどこか悪いところでも見ちゃったのかしら?」

「そ、そんなことないです!」美咲は慌てて顔を上げた。「ただ、すごく大人っぽくて素敵だなって……」

美咲の口をついて出た言葉に、由紀の笑みがわずかに深くなる。「まあ、褒めてくれるのは嬉しいけど、そんなに警戒しなくてもいいわよ。」

美咲は困ったように目をそらし、鞄のストラップを再びぎゅっと握った。「警戒とかじゃなくて……ただ……由紀さん、少しオーラが強くて……」

「オーラが強い?」由紀は思わず吹き出してしまう。「それ、褒めてるのかどうか微妙ね。」

「いえ、もちろん褒めてます!」美咲は慌てて否定した。「由紀さんって、なんかその……近寄りがたいけど、でも……素敵で……」

その言葉に、由紀は微かに口角を上げて答えた。「そう、近寄りがたい……ね。」

エレベーターが目的の階に到着し、二人は無言のまま歩き続けた。美咲の部屋に着くと、由紀は美咲をそっとソファに座らせ、キッチンに向かった。彼女が水を汲んでいる間、美咲はぼんやりとその背中を見つめていた。


由紀が水を手に戻ってきて、美咲の前に座る。彼女は少し躊躇しながらも、静かに尋ねた。


「……あなたの名前は何だったかしら?」


その質問に、美咲の心臓が跳ね上がった。由紀が自分の名前を忘れていたことに、少しショックを感じたが、同時に彼女が尋ねてくれたことに、どこか期待のようなものも感じていた。「……遠山美咲です。」彼女はか細い声で答えた。


由紀はその名前を聞いて、思い出したように表情を柔らかく変えた。「ああ、そうだったわね。美咲さん……銀座のバーで会ったとき、名前を聞いたのに、そのときはあまり話せなかったわね。でも、あなたのことはちゃんと覚えているわ。」


その言葉に、美咲は一瞬、驚きと喜びが混ざり合った感情に包まれた。自分が由紀の記憶に残っていたことに、安堵と嬉しさがこみ上げてくる。由紀にとって、自分がただの一夜の出来事で終わらなかったことが、何よりも嬉しかった。


「覚えていてくれたんですね……」美咲は少し照れくさそうに微笑み、視線を落とした。心の中でずっとくすぶっていた不安が、わずかに和らぐのを感じた。


「もちろんよ。」由紀は微笑みながら、グラスをテーブルにそっと置いた。彼女の仕草には、どこか優しさと落ち着きが感じられたが、その裏にはまだ言葉にできない葛藤があった。


美咲を目の前にしながら、

「どうして、そんなに飲んだの?」由紀は落ち着いた声で問いかけた。

美咲は由紀の視線を避け、少し戸惑いながらも答えた。「別に……ちょっと、ストレスが溜まってて……」


由紀の目をまっすぐ見られなかった。自分が由紀のことをずっと気にかけていたなんて、もちろん言えるわけがない。美咲の中で、憧れや不安、そしてもっと深い感情が混ざり合いながらも、言葉にするのができない。


「そう……」由紀は短く応じたが、美咲はその声を聞いた瞬間、由紀は自分の気持ちを見透かしているのではないか――そんな不安が心を締め付けた。


美咲は、由紀の冷静な視線を避けたくて、膝を見つめながら体を縮こませた。誰に対しても初対面からオープンに接するはずの自分が、なぜか由紀の前では心を閉ざしてしまう。


「今日はゆっくり休んで。無理はしないこと。」由紀は静かに立ち上がり、玄関へと向かう。その背中には、何かを言いたいような気配が漂っていたが、それ以上何も言葉にしなかった。彼女の一言一言が、美咲の心を強く揺さぶっていた。


美咲は彼女を引き止めたい衝動に駆られたが、何を言えばいいのか分からなかった。目の前にいる由紀が、ただの人ではない――その事実が彼女の胸の中で膨らんでいく。


---


「……高瀬さん……」美咲は思わず手を伸ばしかけたが、その手が空中で止まった。由紀の背中に言葉が届いたのかどうかは分からない。ただ、その名前を口にするだけで精一杯だった。


由紀は一瞬立ち止まるが、振り返らずにそのまま歩き出した。「おやすみなさい、美咲さん。」そう言い残して、由紀は静かにドアを開け、外へと出て行った。


ドアが静かに閉まる音が部屋に響き、美咲はそのままぼんやりとした意識の中で、彼女の残り香だけを感じていた。そして、アルコールの影響もあり、彼女はその場で静かに眠りに落ちていった。


---


由紀は自分の部屋に戻る途中、先ほどの美咲の姿が何度も頭の中でよみがえる。美咲が昔の自分と重なって見えた。

「なぜ、こんなにも彼女を放っておけないのか……」由紀は深く息を吐きながら、複雑な感情に揺れていた。


由紀はふと足を止め、バッグの中からメモ帳とペンを取り出した。何かを書き込んで美咲の部屋のポストに差し込んだ。そこには、彼女の電話番号が記されていた。


「もし何かあれば……」電話番号だけを書き残して、由紀は静かにその場を後にした。

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