第46話 ミヅキ
到着した刑務所は、まるで濃い霧に溶け込んでいるかのような灰色の建物だった。
さすがに私の、いや、アズサのコートは目立つため、通りすがりの店で購入した灰色の薄いコートを上から羽織っている。
オオサカの特徴だろうか、非常に昔の道具が売られており、購入した上着は雨を弾く『カッパ』というらしい。それにしても通気性が悪く快適とは言い難いものだった。
刑務所を囲む壁を見上げると、等間隔に自動操銃が配置され、塀の内側を監視している。まずはあれを何とかしなければならないが。
「面倒だから壊してしまおう」
私は重力の方向を変換して塀の上まで飛び上がり、一閃を放つと瞬く間に自動操銃が跡形もなく吹き飛んだ。
「右から3番目、下から5番目だったわね」
格子窓まで飛び上がり、鉄格子に掴まって中の様子を伺う。牢の中では、オレンジ色の囚人服を着た女性が机に向かい、何かを書いていた。
「ミヅキさんですか?」
声をかけると、女性は驚いてこちらを振り向く。
「えっ!?ええっ!!」
明らかに驚いている。無理もないが。
「静かに。ユダさんからのお願いで来ました。話せますか?」
「ユダ」という名前を聞いて、女性は落ち着きを取り戻すと話し始めた。ここ数ヶ月、見回りは来ないという。恐らく、厄災の日が原因だろう。この建物は電波を遮断する素材で作られており、そのおかげで囚人たちは無事だったらしい。食事も自動供給システムによって維持されているようだ。
私は鉄格子を切断し、中に体を滑り込ませた。
薄暗い部屋の中でも、女性の顔立ちは美しいことがわかる。アクムという名前は警戒されるだろうと思い、私は本名を名乗った。
「はじめまして、私はメアと言います。突然ごめんなさい。ユダさんにお願いされて、ここに来ました」
警戒が解けたのか、その女性は静かに口を開く。
「サカエ ミヅキです。それで、貴女はどっちの人なの?」と問われ、私は仮想世界側の者だと答えた。
「そうよね。早く、ユーピテルの粛清が始まればいいのに……」
どうやら、彼女は計画が失敗したことを知らないようだ。私が現実世界に上書きされることを望んでいると思っているのだろう。
「実は…… 計画は失敗しました。私はユダさんの依頼で、あなたを現実世界に連れ戻すために来たんです」
その言葉に、ミヅキは目を見開き、驚きの声をあげた。
「失敗したですって!そんなの嘘よっ!」
彼女は私の両肩を強く掴んだ。
「私たちの努力は? お願い、嘘だと言って!」
私はユダさんから聞いたことを伝えた。ある青年がユーピテルを封印し、計画を阻止したこと。今の仮想世界は天魔の出現により壊滅状態であること。 計画失敗のため、ユダさんがミヅキに戻ってきてほしいと望んでいることを…。
「その天魔っていうのは『セレクター』のことね……。まさか、そんなことになっていたなんて」
ミヅキはコンクリートの冷たい床に崩れ落ちた。
「ミヅキさん、私たちと一緒に来てくれませんか?」
私がそう尋ねると、意外な返答が返ってきた。
「お願い。 私を、その刀で『殺して』」と。
突然、PICTが受信し牢獄内に着信音が響く。
『ミヅキ!何を言ってるんだ!お願いだ、帰ってきてくれ!』
それは、ユダさんの悲痛な叫びだった。
「ユダさん。久しぶりね。私に帰る場所がないのはわかっているでしょう?どうしてそんなこと言うの?」
『ミヅキ!僕は君のことを愛しているんだ!お願いだ、一緒に生きよう!』
一瞬驚いた表情を浮かべたミヅキは、すぐに冷静さを取り戻し言った。
「私の刑期はあと十年あるわ。現実世界では逃亡犯だから、さらに長くなるでしょう……。それに、今の現実は間違っている。私はそんな現実に戻りたくない!」
『僕は何だってする!セクター長の地位を捨てたっていい!君さえいれば』
ユダの言葉に、ミヅキは黙って首を横に振った。
「少し外の景色を見たいわ……」
そう言って、彼女は椅子を窓の下に持っていき、踏み台にすると外を眺める。
「ユダさん、私のことを想ってくれてありがとう。ガーディアンの皆と過ごした時間は、とても楽しかった。 覚えてる?あなたの自慢のカメラで、カイセさんの庭で何十枚も私の写真を撮ったこと。最後はポーズまで指定して、その真剣さが面白くて笑っちゃって……」
ミヅキは涙を流しながら声を震わせ始めた。
「その時撮った写真が…芸術だって言われて……」
彼女の声が胸に突き刺さり、私はうつむいた。何があったのかはわからないが、社会の歪みによって、ミヅキは何らかの犠牲になったのかもしれない。
『ミヅキ。僕は、社会を正したい。それができるかどうかはわからないけど、これからずっと、僕の隣で支えて欲しいんだ』
ユダの言葉にミヅキは感情が高まった声で答えた。
「まさか、プロポーズされるなんて思ってもいなかった……。嬉しいわ」
私は無機質な床を見つめながら思う。正しいこととは一体何だろうか。私の信じる正義の概念とは……。
「でも、ダメよ。ありがとう。 そして……さようなら」
『ガタッ』という音に私は反射的にミヅキに目を向けたが。
── いない!まさかっ!
急いで窓から外を覗くと、地面に横たわるミヅキの姿が見えた。
「あ…あ…そんな……」
彼女の体から流れ出る大量の血液は霧の中でコントラストを失い、まるでミヅキを中心に大きな花が咲いていくようだった。
『ミヅキー!!うわあああっ!!』
ユダさんの悲痛な叫びが、ミヅキをもう救えないという現実を告げていた。
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── 私はPICTの通信を切った。
ユダの悲痛な叫びが、あまりにも苦しく、聞き続けることはできなかったから。
ふと、さっきまでミヅキが何かを記入していたノートが目に入る。手に取り、ページをめくると、そこには彼女の過去、そして彼女の想いが綴られていた。
ミヅキは、かつてセクター・オオサカで幼稚園の先生をしていた。
それは、昔からの夢だったようで、高校を卒業してすぐ、先生の道を選んだのだ。
当時の彼女は夢と希望に満ちており、子供たちの未来のために、一心に愛情を注いでいた。
しかし、ある日のこと、クラスの男の子が女の子の髪を引っ張っている現場を目撃する。
ミヅキが注意しても、その男の子は聞かずに女の子をいじめ続けた。
耐えかねた彼女は、その男の子の腕をつかみ「乱暴はいけない」と諭した。
それは彼の将来を考えてのことだった。悪いことは悪いと教える必要があったから。
しかし、その男の子はセクター長であるハシダの息子だった。
男の子は家に帰り、父親に「みんなの前で恥をかかされた」と訴えたのだろう。ここから、ミヅキさんの人生は大きく狂い始めた。
ハシダは警察と結託し、ミヅキさんを傷害罪で起訴し、その結果、彼女は懲役10年の実刑判決を受けることとなった。
── 権力とは一体、何なのだろう。
私は自分が不幸だと思っていた。
現実から目を背け、私の生きる仮想世界を壊そうとしていることを。
だが、本当に不幸なのは正義を権力に踏みにじられた者たちだ。 自分のためではなく、他人を思いやり、そしてその想いをエゴで押しつぶされてしまった人々の事だ。
不幸な者は、この世界に星の数ほど存在するのだろう。
刑が確定したミヅキは、その後、ユダたちガーディアンに逃亡という形で救われることとなった。
ユダは他のセクターに干渉するという危険を冒してまで、彼女を助けたのだ。
「人道上、許せなかったから」と彼はミヅキさんに語ったという。
それから、彼女はセクター・ナガノでガーディアンの一員となり、理想の社会の実現を目指して、仲間たちと共に暮らし始めた。
その生活は楽しかったようだが、彼女は常に実家の両親のことを心配していた。自分のせいで、両親が不遇な目に遭っていないかと。
ノートの随所に、両親を気遣う言葉が散りばめられていた。
やがて、ガーディアンはユーピテルの互換性がある人物を仮想世界で探し始めた。
現実世界へオリュンポスのデータ移行するには強い精神力が必要で、現実の世界での制御する器。生身の身体が必要だったのだ。
ミヅキさんは自分の身体を使って実験してほしいと立候補した。
現実に戻れないことを承知の上で、より良い現実を願いながら彼女は生贄となった。むしろ、喜んで。
『歪んだ社会を正すことが出来る。私は嬉しい』
ノートは、そこで終わっていた。
強者が弱者を踏みにじる。
これが今の社会の仕組みなのだろうか。
ガーディアンの想いも、あながち間違っていないのかもしれないと脳裏を掠めるが。
── ねえ、ナイン。
それでも私は、現実を書き換えることが正しいとは思えないの。
どれだけ今の社会が歪んでいても、簡単に理想を押し付けるのは間違っている。
それは困難から逃げることと同じだから。
少しずつでも、現実の人々が自分のエゴを知り、他人を思いやり、強者が弱者を助け、弱者は甘んじることなく強くあろうとする。
そんな社会を目指すべきだと思うの。
間違ってないよね?
でも……。正しい選択なんて、誰にできるのだろうか。
── 人工知能?
セクター長たちをまとめているはずのADMは、何をしたの? 何か変わった?
結局、特権階級のために作られた、責任逃れのための都合のいいシステムだったのではないか?
きっと、ナイン。いや、アルトは現実を守るために、大きな決断をしたのだろう。
ズイムも理想の社会を実現するために、とても大きな決断をしたのだろう。
私はユダさんから真実を聞いて、アズサやトオル、両親を守るため、この世界を壊すことを決めた。
でも、それは自分で決めたことではない。
ユダさんに与えられた道を、仕方なく歩んでいるだけだ……。
そうか。
私は、何でも他人のせいにしていたんだ。
今なら心の底から思える、この国を救いたいと。
少しでも、より良い社会を作りたいと。
── セクター長になりたいな。
そんな想いが頭をよぎる。
この世界の私には、叶わない夢だと知りながら。
だから、祈った。
この気持ち……。現実の私に届いてほしいと。
私はノートを手に、小窓をくぐるとミヅキの元へと降り立った。
彼女は安らかな表情で、静かに瞼を閉じていた。
「死」でしか安らぎを得ることができなかったのか?
亡くなった人に言いたくはないけれど、後に残された者の苦痛を。
私のように「生きたい」と願う者の思いを。
それは、裏切りにも似た、自己中心的な解決法ではないのか……。
── 世界改変への願いと同じように。
私は、ミヅキと彼女のノートを青い炎で火葬した。
彼女は一瞬で散り、霧の中に溶け込んでいった。
「ごめんなさい、あなたの理想には協力できない。私は、私の信じる正義を貫くわ」
── ミヅキさん。どうか安らかに眠ってください。 私は強くないけれど、これからは強くありたい。 他でもない、私の意志で!
刑務所の塀を越えたとき、霧は晴れ、遠くの山に虹が架かっていた。
それは、迷いの消えた私を、天が祝福してくれているようだった。




