第3話 素敵な人
手配してもらった宿泊先は、地下シェルターの第3層にある施設らしい。
避難口G–7と表示された入口から地下へ下っていくと、天魔と染人が消えたという情報が入ったのか、シェルターから出て行く多くの人波とすれ違う。
「ところで腹減ったな。せっかくサッポロに来たんだから、海鮮丼とか食べたいよな!」
そう呟くナインのお腹から、空腹を報せる低音が響いた。
でも…私にだって譲れないものがある。
「海鮮丼……ですって? いいえ! サッポロといえば、『カニ』でしょう。地下シェルターといえども食べれるかもしれないから探すわよ!」
S・サッポロは観光客を増やすために、『カニ』の出荷制限を行っている。更には漁獲用が減少し、一般人では、なかなかお目にかかれない代物となっていた。
このチャンス、私は活かしてみせるわ!
「カニってあのモンスターみたいな高級食材?美味いのかなぁ?」
ナインも食べた事が無いのだろう、不信感のこもった表情を向けてきた。
地下1層は大きなスペースが連なっており、食事の支給所や共同の入浴施設等があるものの、店舗のような施設は無かった。
踏み入れた途端、鼻孔を突く不快な匂いは、そこら中に散乱したゴミによるものである事が容易に伺い知れる。
居住区は下層階にあるが、定員をオーバーしているのであろう、ここに寝泊まりする者も多かったに違いない。
早く、他のセクターも解放しなければ、という気持ちが私の中で沸き起こった。
「カニどころじゃないわね……」
残念ながら私達が口に出来たのは、必要な栄養だけ取れる非常食だった。
宿泊施設は下層階にある為、コンクリートで出来た無機質な階段を二人で下っていく。
「やっぱり、セクター長に連れて行って貰えば良かったかな? このセクターを救ったんだしバチは当たらなかっただろう?」
二人の足音が反響する中、ナインが少し残念そうな表情で同意を求めてくる。
内心、『そうかも…』と、思った矢先だった。
階段の踊場で物乞いをしている、やせ細った少年達を見つけ、ナインは真剣な表情を向ける。そこには、いつものヘラヘラした面影は無かった。
「やっぱり、行かなくてよかったよ。なあ、アクム、あの子達に恵んでやっていいか?」
ナインは子供たちに目線を向けたまま、私に問いかけて来る。私は無言で頷くとナインに封筒を渡した。
ナインはその中から半分くらいの紙幣を無造作に抜き取ると、「これで、何とかなるかい?」と、言葉とともに子供達に手渡した。
子供たちは一瞬驚いた表情を見せた後、涙を流してお礼を言った。
「これで、母さんの薬が買える…」と。
どうして……こんなに苦しむ子供たちが、どこにでも居るのだろう。
そして、ナインが唇を噛み、悔しそうな表情を浮かべているのを見て思う。
素敵な人だな……と。
出会った日から、助けて貰ったあの日から、
私の中に芽生えたこの想い。
でも、この想いは心の奥底にしまっておこう。鍵を掛けて……。
だって、私とナインは『別れる』運命にあるのだから。
たどり着いた宿泊先は必要以上にスペースを取った、実に豪華なものだった。
しかし、辺りを埋め尽くす動物の檻と言っても過言では無い宿泊施設とのギャップに不快感が込み上げてくる。
ナインの「俺は別の所に泊まるよ」という言葉に私もならったのは、権力に対する些細な反抗心だったのかも知れない。
── 翌日。
二人きりのリニアラインの車内。 向かいあって座るナインが真っ暗な窓の外を見つめながら「なあ、アクム」と、口を開いた。
「『天魔』が現れる前からも、世の中これだけの生活水準の差はあったのか?」
ナインは昨日の出来事を思い返しているのだろう。
その問いかけに私はゆっくりと答えた。
「ええ、あったわ。この国は昔、少子高齢化によって極端な人口減があったの。その時すでに国の赤字は膨大で、税収も減って国として成り立たなくなった……。 そこで、国は各地を分権化、いわゆる『企業化』させ、『セクター』と呼ばれる8つの自治区に分断し国の責任を押し付けたの。これが、今の『超格差社会』の始まりといわれているわ」
勿論、この内容は教科書には載っておらず、地域の特色を活かす為とか、意思決定の効率化など、良い風に記述されていた。
余談だが、当時は『聖徳太子』の国が8つに分断するという予言が現実になったと、大騒ぎになったらしい。
「だとすれば、この災厄はこの国を建て直すための天使達による、福音なのかも知れないな………って、冗談だよ」
冗談という割にはナインの表情は真顔だった。
実際そのようなものかもしれない。 この災厄を起こした者達の考えが正しいとした場合だが。
ナインに真実を伝えるべきだろうか?
『ウラギリモノ』には記憶が戻るまで伏せておけと言われたけれど……。
「ところで、アクムは災厄の起こる前は何してたんだ? 本当に、国の特殊戦闘員だったりして?」
ナインはいつの間にか、私に顔を向けていた。 その真っ直ぐな瞳に心が見透かされている気がして目を逸らしてしまう。
「私は…… 普通の女子高生だったのよ。何ら変わりのない」
その言葉と共に脳裏を掠めるのは、平和だったあの日々。
『この世界では』二度と戻らぬ日常だった。
「って事は、彼氏いたりして!大丈夫か~?こんな得体の知れない男と一緒にいて~?」
ナインがおどけた表情で顔を近づける。
「ちょっ、なによいきなり! いなかったら悪いの!?」
ナインは重い空気を変えようとしてくれたのだろう…本当に優しい人だ。
「俺はいたのかも…思い出せんが、なんか好きな人がいたような……」
そして、一言多い! まあ、いいんだけどっ!
「アクムの目的なんだけどさ、まだ教えてくれないか? 俺の記憶は全然戻らないけど、『パンドラ』を破壊しないといけない、という意思だけが残ってる事が気持ち悪いんだけど」
ナインが明るく話しかけて来るが、その言葉の中に不安が入り混じっているのが良く分かる。
記憶が無いなんて、ナインにとっては大きなストレスとなっているに違いない。
ナガノからサッポロに向かう際にも同じ質問があったが、『いずれ思い出すわよ』と、言葉を濁した。
言える筈もない。私がこの世界を終わらせる為に『ウラギリモノ』に協力しているなんて……。
「悪かったな、言いたくない事を聞いたみたいで」
よほど困った表情をしていたのだろう、ナインがその後の言葉を制止する。
その後、何だか気まずくなり、会話が途切れてしまった。
車両のスピードが落ちてくる。
S・フクオカに間もなく着くようだった。