第16話 厄災の日
「メア…あれは…何?」
アズサが隣で空を見上げ呟いた。
上空に突然現れた、天使と女神に似て非なる者達が、ゆっくりと舞い降りて来る。
周りの人達は、『凄いショーだな!』や、『素敵っ!』などと浮かれ気味の者が多かったが、私の中では近寄ってはいけないと本能が警鐘を鳴らし続けていた。
「なんて事だ…イヴに…」
トオルの声は今までに聞いた事が無い程に低いトーンで、その言葉には私と同じく危機感を感じ取っている様子が感じられた。
それらが地上に降り立った。
刹那、歓声は悲鳴へと変わり、凄惨な光景が目の前に広がってゆく。
あるものは、女神の槍に貫かれ…
あるものは、天使の矢に射抜かれる…
── 阿鼻叫喚。 辺りを一気に覆い尽くす血の匂いと目の前に繰り広げられる出来事は、まるで現実味が無く映画のワンシーンに迷い込んだのかも知れないと錯覚する程だった。
そして…私達の目の前に女神に似た、後に天魔と呼ばれる厄災が立ちふさがる。
私は我にかえると、「アズサ!トオル!逃げなきゃ!!」と叫ぶが、二人は天魔の虹色の瞳を直視したまま、微動だにしなかった。
「なにしてるの!早くっ!」
その、私の言葉は届かない。
突然、トオルが雄叫びと共に走り出す。
そのスピードはもはや人とはかけ離れていて、何が起こったのか私の頭は理解しきれずにいた。
一方アズサは天魔と向き合ったまま立ち尽くすが、その髪の色はトオル同様に白く変わっていた。
「しっかりして!」
駆け寄りアズサの肩を揺らすが、虚な瞳の中に私の姿は映っていなかった。
彼女の両手がゆっくりと動き、私の首元にそっと触れる。
無表情のアズサは私の首を絞めた。
「ア…ズ…サ…何…で…」
突然の出来事に抵抗するものの、アズサの両手は力が増していく。
意識が遠のいていく中、女神のような『天魔』の瞳が、まるで観察するかの如く私に向けられている気がした。
私の意識が飛ぶ直前だった。
間近で布生地が破れる大きな音が鳴り響く。
隣にあるカフェのシェードを突き破り、何か墜ちてきたようだった。
しかし、その原因を確かめる余裕もなく、『もう駄目だ』と諦めかけたその時、アズサの力が緩み……。
「ゲホッ!ゲホッ!」
間一髪、私の意識は繋ぎ止められた。
「あ…アズサっ!」
アズサは無表情なまま、虚ろな目をして立ち尽くしている。
そして、先程までいた無数の天魔達の姿は、つゆの如く消え去っていた……。
脳に酸素が行き届くと、現実が私の目の前に残酷なほど鮮明に広がっていく。
無数の屍、血の海と化した道路。
苦痛と恐怖の表情で発狂する人々。
何処かへ行ってしまったトオル。
アズサ同様に白髪となり立ちすくむ者達……。
私は、その場にへたり込むと茫然自失してしまったかの様に焦点が合わなくなる。
しかしそれは、現実を直視しない為の自己防衛だったのかもしれない。
そんな状況が変化したのは突然だった。示し合わせたかのように、白髪と化した人達がトオルの走っていった方向に向け歩き出したのだ。
「アズサっ!どこ行くのよ!」
私はとっさにアズサのコートの袖口を掴むが、その手を振りほどかれ、アズサは歩いていく。
そして、私の手元にはアズサの緑色のコートが残った。
彼女たちが向かう先は…かつての中央塔、灰色の球体と化した『何か』の方向だった。
「何が…一体…どうして…?」
無意識に涙が頬を伝う……。
── お父さん!お母さん!
二人は無事だろうか!? と、急いでPICTを発信するが電波が悪く、目の前に映し出されたノイズだらけのモニターに白髪の虚ろな瞳をした二人が一瞬映り、すぐに通信は途絶えた。
……言葉が、出なかった。
私は体の中から全て吐き出したいかの如く、その場に嘔吐する。
しかし、空っぽの私に入って来るのは絶望しかなかった。
思考が停止していたのか時間の感覚が曖昧な中、『う…うぐ…』という声で私は現実に引き戻された。
涙で滲む視界をそちらに向けると、血まみれで横たわる青年が苦しそうに呻いていた。
倒れている位置と体に絡みつく生地から、先程、シェードを突き破って落ちて来たのは、この青年だったのだろう。
銀色の髪をした血まみれの青年……。
絶望の中、最後の希望となった人物。
それが初めて出会う『ナイン』だった。
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── ふふっ、懐かしい悪夢ね…
彼は瀕死の状況にも関わらず、その後現れる『触手の天魔』から私を守ってくれた。
そして『ウラギリモノ』から初めて通信があり、アズサのコートを羽織った私はアクムと名乗ることになったんだっけ。
そうそう、ナインの名前は私の聞き間違いだったわね… 彼の本当の名前は有斗くん。
ジェネシスでズイムと対戦した、あのアルト。
自問自答出来るって事は、もうすぐこの悪夢から醒めるって事かしら?
目覚めたら、アクムの続きが始まるのね……。