プロローグ
── 幹線道路沿いのビルが立ち並ぶ中、私は弾力のある歩道を歩いていた。この歩道には発電装置が組み込まれているが、私はその歩き心地が嫌いだ。フワフワと現実感のない感覚がする。今や都心部では硬い大地を歩くことは叶わなくなった。
私はフード越しに空を見上げると、目眩がしそうな高層ビルが取り囲んでいた。その間を縫うように飛んでいるのは飛行車だ。全てが人工知能の『ADM』により電子制御された社会の象徴ともいえる。
2022年の後半、世界は大きな転換を迎えた──人工知能(AI)の登場である。それは後に第5次産業革命と呼ばれることとなり、その後の世界は急速に発展した。当初は変革に対する拒絶で反対する者も多かったが、加速度的に進む時代の激流には逆らえず、全てが飲み込まれていった。
人智では辿り着けなかった超高速演算システムの誕生から、反物質エネルギー、反重力装置の開発など、人々の生活からエンターテイメントに至るまで全てをAIが担う時代の到来だった。
──しかし、人は気付いていない。いつしか管理者から、管理される側に回ってしまった事実に。
「鍵を早く見つけなきゃ」視線を前に戻した時、首元に装着しているウェアラブルデバイスの『PICT』が着信を告げた。応答すると、目の前に『sound only』の文字が浮かび、男の声が鼓膜を震わせた。
「ユノ。例の計画はどうだい?こっちも進展があってね……」
「ええ、その件で今向かってるわ」私は短い返事で通信を切ると、路地を抜け、ある豪邸の門前で脚を止めた。
「照合どうぞ」私はその言葉と共に、深く被っていたフードを脱ぐと、二つに束ねた青い髪がハラリと肩に垂れ下がった。
ゆうに3メートルを超える高さの、超高張力鋼材で組まれた門扉。そこに仕込まれたセンサーが照合を終えると、きしみ音と共にゆっくりと開いていった。私の目の前に広がったのは、庭に敷き詰められた本物の花畑。私は目を閉じ、深く息を吸うと、様々な色彩が鼻腔の奥に広がっていった。
洋式の豪邸へと続く石畳を踏みしめながら、私は水の無い噴水を横目に通り過ぎる。
── 彼女は『ADM』に接続できたのだろうか?
脳裏に浮かぶ優しい笑顔。私を抱きしめてくれた甘い香り。……彼女はもう、戻らない。この屋敷に居るのは、彼女の外観をした別人。
レッドシダー材の玄関ドアを開くと、その女性が笑顔で出迎えてくれた。「ユノさん、お帰りなさい。お父さんが地下で待ってるわよ」清楚な長い黒髪に柔らかな目元。その美しい女性を見上げながら私も笑顔を返した。「ただいま。大丈夫?無理してない?」私の問いに、その女性は嬉しそうに口を開いた。
「お義父さんには黙ってろと言われたんだけど……。あたし、成功したのよ」
一瞬で私の中が熱くなる。「え?!ADMに接続できたの?!」
その女性は嬉しそうに頷く。──遂に始まるのだ。あとは、私が『鍵』を見つけるだけ。お父さんの理想郷は現実のものになる。私は隠された地下へ続く階段を急いで降りると、そこに父はいた。
広大な面積の、壁一面に投影されたディスプレイに向かう父の背中。彼は振り返ることなく、発した言葉が地下の空間を反響した。「お帰り、ユノ。その様子だと、イーライが話してしまったみたいだね」
「彼女をイーライって呼ばないで。彼女はエリって名前があるんだから」
「それは済まなかったな」その男が振り返った室内には、埋め尽くすほどのコンピューターが並び、絶え間なく作動音を発していた。その光景はまるで、無数の配線が入り組む密林の中で、虫達が歓喜の歌を唄っているかのようだった。
父は中央に設置している、蔦の絡まる大木のような太い配線に両手をあてて、目を瞑る。「そう、エリはやってくれた。本当に済まないが、今後はお前の協力が必要だ。母さんの犠牲を無駄にしないためにも、必ず『鍵』を見つけてくれ」と、落ち着いたトーンで話しかけた。
私は頷くと、その配線を取り巻くように吊り下がる2メートルほどのカプセルを眺めた。この空間を限定して言えば、それはまるで大木から垂れ下がる奇妙な果実のようで、合計で6つ。その中の2つは淡い緑色に輝いていた。
私は発光するカプセルの1つに手を伸ばし、撫でながら「ええ、勿論よ。成功すれば、父さんは英雄だもの。必ず見つけるわ」と、歯を食いしばった。
私は、『ふぅ』と一息つき暗い天井を見上げる。「私は……母さんを奪ったこんな世界を許さない。絶対に」
その言葉は、肌寒い地下室の温度を僅かに上昇させた気がした。
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親愛なる観測者の皆様
ようこそおいで下さいました
ここはかつて日本と呼ばれていた国で
私の…救いたい世界……
またお会いできる刻を楽しみにしております
── ※※ィ※