3 遊び人の素顔
ジステッド公爵家に向かう馬車の中で、ヘンリーはいささかくたびれた様子で剣を抱きしめた。
「いやー、マジで死ぬかと思った」
「すみません。うちの使用人たちが過激で……」
――メイドが大騒ぎしたせいで、ミゼルの部屋には家中の使用人たちが押し寄せた。
庭師は手にシャベルを、シェフは肉切りナイフを、洗濯メイドは熱々になったコテを……といった具合におのおの武器をたずさえて、血走った目でミゼルのベッドに上がったヘンリーを取り囲んだ。
一方、ヘンリーの方も黙ってやられる気はなく剣の鞘を掴んだ状態でニヒルに笑う。
「君のおうちの人は過保護だね。こういう場合、だいたい侍女長が駆けつけてきて、オレに金を握らせて『お嬢様と関係をしたのを黙っていろ』と命じてくるのがお決まりなんだけどな」
「婚約者がいるご令嬢でしたらそれが最適解だと思います」
別の男と浮気をしているのが露見したら、せっかくの婚約が破談になってしまう。
お金で引いてくれる男なら懐柔しない手はないだろう。
執事に腕を引っ張られてベッドから降ろされたミゼルは、黒い背広の後ろから告げる。
「みなさん、私は乱暴されていません。ヘンリー・トラデス子爵令息は、昨晩とある事情で相談にいらっしゃったのですが、眠すぎたので私が寝落ちしてしまって、不遇にも同じベッドで眠るよりなかっただけなので」
「お嬢様、かばいたてする必要はございません」
髪を撫でつけた執事は、残念そうに首を振った。
「どんな事情があろうとお嬢様の部屋に忍び込んできた時点で、この男はわたくしどもの敵なのです」
そう言って、彼は胸ポケットから先の尖った錐のような武器を取り出した。
彼がこの屋敷にやってくる前、暗殺に用いていたものだと聞いたことがある。
見慣れない武器を目にしたヘンリーは、とたんに焦り顔になった。
「暗殺者までいるわけ? どうなってんだよ、このお屋敷は」
「悪気があるわけではないんです。母が亡くなった後、父と兄では一人娘の私を守れないと心配した祖母がやり手を集めてくださって……」
「君のおばあさまって何者なの??」
祖母は女だてらに伯爵家当主を務めた女性だ。
婿入りした夫に先立たれた彼女は、まだ幼かったミゼルの父が成人するまで家を守りきった。
その間にさまざまな経験をしたらしく、今ではご意見番として一部の貴族の話し相手を務めているし、ミゼルにも人生に役立つ助言をしてくれる。
「祖母は、そう……ほんの少し慧眼の女性です。みなさん、武器を収めてください。ヘンリー様が暴漢だったら、おばあさまが差し向けた配下が昨晩のうちに始末して、庭に埋めているはずです」
「それもそうですね」
執事たちは納得した顔で武器をしまった。
それを見たヘンリーが「監視されてんの、この屋敷?」と青ざめたのは言うまでもない。
――その後、ミゼルはヘンリーを出勤前の兄に紹介し、二人で朝食をとってから家を出た。
クリーム色の衿付きドレスに同色のカチューシャをつけたミゼルを、寝癖がそのまま無造作にセットしたように見えるヘンリーは「似合ってるね」と褒めてくれた。
そよ風のように軽い言葉にはさして感情がない。
彼は、いつもこうして心にもない言葉で女性を褒めているのだろう。
ミゼルも特に嬉しがったりはせず、「ありがとうございます」と返した。
好きでもない男性との距離感はこのくらいでちょうどいい。
女性慣れしていない男性は、微笑みかけただけで好意を持たれていると勘違いして迫ってくるけれど、ヘンリーは自ら女性にアタックすることはない。
(変に距離を詰めてこないので安心です)
世の女性がモテる男性を好きになってしまうのは、こういう理由もあるのかもしれない。
ヘンリーがミゼルにちょっかいを出してこないのは、祖母の監視を恐れているためでもある。
だが、今さら冷や汗をかいてももう遅い。
祖母の配下は、昨晩のうちにミゼルの寝室のベランダによじ登って侵入したヘンリーの素性を調べ上げて、祖母に報告しているだろう。
(おばあさまが何もしてこないのも珍しいですね)
以前、伯爵家に強盗がやってきた時は制圧まで三十分もかからなかった。
そういう意味では、ヘンリーは排除しなくてもいい人物だということだ。
しかし、以前として警戒を緩めないヘンリーは、馬車に乗ってからも剣を抱きしめて手放さない。
「そんない警戒しなくても大丈夫ですよ」
「警戒なんかしてない」
ヘンリーはむすっとした顔でミゼルの手首を掴んだ。
掴んだというよりは支えているくらいの力なので、痛くも痒くもない。
「わかってると思うけど、オレの方が腕力は上だから舐めないでよね? ミゼルちゃんにいかがわしいことをしようと思ったらできるんだから。君のおばあさまがちょっと怖いけど!」
強がるヘンリーに、ミゼルは思わず笑ってしまう。
「ヘンリー様が文字通りの暴漢だったら、寝落ちした私に無体を働いているはずです。ですが、なさらなかった。同意のない色恋沙汰には手を出さないと決めてらっしゃるからですよね。あなたは、ただの遊び人ではないと思います」
「……本気で言ってる?」
「はい」
ヘンリーは鳩が豆鉄砲を食らったように真顔になった。
(これが本性でしょうか?)
たった一晩の関係だけれど、ヘンリーが下手に心を開かない人間だということはうっすら感じていた。
出会い頭も今朝も、彼は〝騎士〟や〝遊び人〟といった肩書きの奥にある彼自身を見せない。
本当の自分を知られないために、それらの要素で塗り固めた自分をわざと演じているようだった。
(面白い方です)
黙って見つめていたら、ヘンリーはひくっと口角を引きつらせて手を離した
「君、令嬢らしくないね。サバサバしてるって言われない?」
「婚約を解消して吹っ切れたんです。そのきっかけをくださったのが、これから訪問するマリアヴェーラ様なんですよ!」
ミゼルは両手を組み合わせて、心から敬愛する親友に思いをはせた。
「マリアヴェーラ様はおっしゃいました。本物の恋は相手から何も奪わないと。婚約破棄されても気丈に恋がしたいとおっしゃる彼女のようになりたくて、私も覚悟を決めたのです」
「へえ。じゃあ君も恋がしたいんだ?」
「それは、どうでしょう?」
ミゼルは自分に恋がしたいか問いかけてみて、まったく答えが出ないことに面食らった。
したいと思うのが自然なはずなのに、何の欲求も湧かなかったのだ。
言われてみれば、パーマシーとの関係を清算した後に、積極的に男性のいる場に出かけたり、誰かにいい人を紹介してとお願いしたりはしていない。
「……元婚約者には感じなかった情熱的な想いを教えてくれる誰かがいるなら、してみたいと思います」
どうせ、そんな人はいないだろうけれど。
分かった上での発言には、やるせなさが漂っていた。
令嬢らしくない枯れた発言に呆れられるかと思ったら、ヘンリーはそっと手をつないできた。
顔は知らんぷりするように車窓の方をむいている。
驚いたけれど、剣の稽古で硬くなった皮膚の感触はサラサラしていて嫌いではない。
「見つかるよ。大丈夫」
今度はミゼルの方が慰められているようだ。
何が大丈夫なのだろうと思いつつ、ミゼルはジステッド公爵家につくまでヘンリーの手を振りほどけなかった。