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1 真夜中の侵入者

 婚約者にお金をせびられる時、ミゼルの脳裏にはいつも「婚約解消」の四文字が浮かんでいた。

 でも、実際に解消にむけて動き出すことはなかった。

 なぜなら怖かったからだ。


 貴族は政略的に娘を嫁がせて有力者との絆を深めるものだと思われがちだけれど、それは貴族の中でも上流も上流の方々の話である。


 ミゼルの家は伯爵という真ん中くらいの立場。 

 歴史ばかり立派な家系で、平民と比べれば食べる物も着る物も高価だけれど、金銀財宝に囲まれたきらびやかで華々しい暮らしとは縁遠い。


 しかも上昇志向のない親のもとに生まれたために、ミゼルは婚約相手を自分で見つけなければならなかった。


 父も兄もミゼルの好きな相手を選んでいいと言う。

 貴族学園に通ったり夜会に出たりしつつ、じっくり考えて決めた相手が伯爵令息のパーマシーだった。


 パーマシーは美形ではない。

 体も少しぽっちゃりしていたけれど、性格が穏やかで、ささいなことで笑ってくれる人だった。

 兄がいるので家督を継げない彼は、結婚後は真面目に働いて生活を支えていくと言ってくれた。


 ミゼルにとって自慢の、真面目で優しい婚約者。

 情熱的な恋はできないけれど、確かに運命を感じる相手だった。


 しかし、そんな日々は突如終わりを告げる。

 パーマシーが悪い投資話に騙されて変わってしまったのだ。


 何度も「そんな上手い話はない」と諫めたけれど、そのたびに「なぜ反対するんだ」と罵倒された。

 あげくの果てに、パーマシーはミゼルの家から投資資金を引き出そうとしはじめた。


 それからは毎日、婚約解消を考えた。

 でも、言い出せなかった。

 解消したら周りにどう思われるか。想像するだけで怖かった。


「少しくらい我慢できなかったの?」

「婚約発表した後でよく解消なんてできるわね」

「家族に迷惑をかけるとは思わなかった?」


 どんなにまっとうな理由があろうと、ミゼルが悪く言われるのは目に見えていた。


 パーマシーに罵声を浴びせられた時は、石になったつもりで心を閉じて耐えた。

 でも、社交界に自分の悪評が広まったらと思うと、とたんに心が折れそうになる。


 だからミゼルは、ずるずるとパーマシーにすがるよりなかった。


 ――そんな私を導いてくださったのがマリアヴェーラ様だったわ。


 マリアヴェーラ・ジステッド公爵令嬢。

 またの名を高嶺の花。


 彼女はミゼルにパーマシーと別れる決心をさせ、彼がはまった投資話の黒幕を暴き出して、ミゼルの婚約解消が致し方なかったのだと証明してくれた。

 そして自らも苦難を乗り越えて、今では第二王子レイノルドの正式な婚約者になっている。


 見た目の高貴さとは裏腹にかわいい物好きな彼女が、ミゼルは大好きだ。

 もちろん友人としてである。

 親友という絶好の位置で、マリアの話を聞いてサポートできる今の状況がとても楽しい。


 マリアと一緒にいられるなら、もう男性なんていらないとすら思えるほどだ。


 しかし、父と兄はミゼルの身の上を心配している。

 早く別の婚約者を見つけてほしいと毎日のように言われている。


 ミゼルは困った。まったくもって男性に興味が湧かないのだ。


 たぶん、恋ができないわけではないと思うけれど……。

 いっそ、このまま独身を貫いて、マリアを支える女官になるのもいいかもしれない。


(独り身でいるなら、家に迷惑をかけないように仕事をしたい)


 夫人のサロンに参加して、女官の登用試験についての情報を仕入れたミゼルは、マリアや家族には内緒で勉強をはじめた。

 一人きりになる夜の時間を狙って、ランプを灯して参考書を開く。


 しかし今日は、読んでも読んでも内容が頭に入ってこなかった。


(夜更かしばかりしているせいかとても眠い……)


 諦めて眠った方がいいかもしれない。

 ミゼルはランプを消して、大急ぎで寝る準備をすると、倒れるようにベッドに突っ伏した。


 やっと眠れる――。


 意識を手放そうとしたその時、カタン、と窓の向こうで音がした。

 そちらは狭いベランダになっている。

 

(夜風で鉢でも倒れたのかしら?)


 ウトウトしながらベッドを出たミゼルは、ベランダへ続くガラス戸を開く。

 すると、やけにギラギラした紫色の瞳と視線があった。

 

「こんばんは~、ミゼルちゃん?」


 ベランダの柵を乗り越えて降り立った青年は、顔なじみに挨拶するようにヘラッと笑った。


 夜風に揺れる赤い髪は襟足が長い。

 着ているのは近衛騎士団の制服である。

 二階によじ登っても息ひとつ切らさない身体は猫のようにしなやかで、なにより、深夜に女性の部屋に侵入しようとするふらちさ――。


 青年の正体に思い当たったミゼルは、重たいまぶたをこじ開けて問いかけた。


「ヘンリー・トラデス子爵令息ですか?」

「大正解。オレってそんなに有名だったかな?」


 おどけるヘンリーを、ミゼルは半分しか開かない目で見つめた。


「ええ。とても悪い意味で、ですけれど」


 若くして近衛騎士に召し上げられたヘンリーは、貴族学園に通っていた頃から女性人気が高かった。

 垢ぬけた雰囲気や色気のある大人びた顔立ちが、同年代の幼稚さが抜けない男子たちにはない危険な魅力を放って、令嬢たちを惹きつけたのだ。


 ヘンリーは令嬢と火遊びをしては次々と相手を変えるので、泣かせた女性は数知れない。

 悪い噂が流れて校内で相手が見つからなくなると、街に出て酒場の女性と関係したりもしていたようだ。


「オレ、君に会いに来たんだ」


 こんな真夜中に? 何のために?


 尋ねる間もなく、ミゼルはヘンリーに抱きしめられていた。

 ぎゅっと肩を包まれて、顔が団服に押し付けられる。


(甘い、匂い)


 毒のある花ほど蜜は甘いというけれど、確かにヘンリーからはお菓子のような匂いがした。

 剣をふるってきたえた腕は力強くて、つい体を預けそうになる。


 必死に足に力を入れるミゼルに気づいて、ヘンリーはクスリと微笑んだ。


「品行方正なお嬢さんって感じで嫌いじゃないけど。オレさ、抵抗されると余計に燃えるんだよね」


 耳朶にチュッと口づけされて、ミゼルは何がなんだかわからなくなった。


 なぜヘンリー・トラデスは、自分に愛撫みたいなキスをしているのか、とか。

 こんなところを誰かに見られたら、伯爵家はじまって以来の大騒動になってしまう、とか。

 もしも一夜の過ちが起きて妊娠でもしようものなら、マリアを支える夢が絶たれる、とか。


 さまざまな事柄が頭をめぐって――いや、眠すぎてそれどころじゃない。


「ぐーーー」

「は?」


 やっと身を任せてきたと思ったら寝息が聞こえて、ヘンリーの余裕は吹っ飛んだ。


「いやいや、どう考えても今から良い雰囲気になる予定だったじゃん! ミゼルちゃん、起きてー! こんな色男の前で寝ちゃったらかえって危ないよー!」


 肩を掴んで揺さぶる。

 しかし、ミゼルは首を前後にぐらんぐらんさせながらも、ぴくりとも起きる様子がない。


「ぜんぜん起きやしねえ……マジかよ」


 すっかり眠りに落ちたミゼルを抱えてヘンリーは、大きなため息をついたのだった。

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