世界を揺るがす魔術具の完成
前回のあらすじ
領主モンアードが亡くなった病気と同じ病名がラガーに診断されました。
その事にワドやルクル一家は心を痛め、苦しんでいます。
「俺っちの力不足で申し訳ないニャ……」
そうクシマ博士は項垂れながら言い、モノクルの中に涙を溜めている。
そんな事は無い。そう言いたくても、言葉は出て来ない。
何故なら「どうして出来ないの?」という思いもあるからだ。でも、ほとんど寝ないでクシマ博士が尽力している事を知っているだけに、それも言えない。
「クシマっち。諦めたらダメだ。他国からも情報を得つつ頑張ろうよ」
「ルクル様の言う通りっス。まだやれることはあると思うっス」
ルクルとクリス助手が博士の言葉を否定する。
クリスは博士の背を優しく擦り、クシマ博士も立ち上がって白衣の襟を正してその背中と尻尾を伸ばす。
僕も「絶対に諦めない」その思いだけを強くしていた。
……そうして時間は過ぎて、節を跨ぐ。
ルクルや博士たちが医療関係で手を尽くす中、子供たちも事態の変化に気付き始める。
「ねぇ、ワド。お兄ちゃんが絵を教えてくれなくなったの。私にイジワルじゃないのになんで?」
「えと、それはね……」
元気な頃のラガーはケミラに色々と教えていたし、絵は好きなようで何度も教えていた。
でも、ここ最近で腕が上がらなくなったラガーだと教えられないのだろう。ラガーは病気の影響で寝室から出る事も無くなっている。
それに、絵や画材用具を見るのにも拒絶反応を起こし、癇癪を見せるようになった。
「ワド……ワド!ラガーを元気にしてくださいませ!わたくし、神様のワドならそれができると思います」
ピルナから「できますよね?」と念を押され、僕は無力感に涙が出そうになる。
(ダメ。僕は泣いちゃダメなんだ)
二人のために必死に涙を堪えて、明るく振る舞う。
普段よりも大袈裟に身振り手振りを加えて、二人が安心できるように何度も、何度も。
以前は皆が辛い時に明るく振る舞う人を変に思っていた。でも、今はその凄さを理解する。
心が辛くても、周囲の人が少しでも楽になるように敢えて道化を演じるその意味を。
だから僕も繰り返す。根拠の無い励ましを。
「大丈夫!ラガーは回復に向かっているから!」
二人が「ワドが言うなら」と少し安堵の表情を見せた事が、僕の中にチクりと刺さっていく。
偽りの言葉を信じて貰う事が、痛くて苦しい。
(嘘って、こんなに辛いんだ……)
……数日が経った。けれど、一向に好転しない。
何も知らないケミラが「お兄ちゃんと一緒に遊びたい」と言葉を続け、周囲の雰囲気から何かを察しているピルナは言葉数が少なくなる。
いつもおもちゃの後片付けをしていたラガーが動けないからか、ルクル宅の子供部屋は積み木や絵本が散乱したままの日が増えた。
それを代わりに片付けながら考える。
(何か……何か僕にできる事はないの?)
少し前まではこんな事を全く考えなかった。それなのに最近は毎日のように考えてしまう。
僕にできる事は少ない。それでもその少ない事を全力で頑張ると決めていた。
「サブロワ君、これでいいかな?」
「ありがとうございます。ワールドン様。あともう少しで完成しますから……絶対に完成させますから」
今日もサブロワ君のラボで体液を大量に提出した。
ラボの中は薬品や炉の香りと混ざって、研究員の体臭が酷い。お風呂の時間も惜しんで作業を続けているのだろう。
僕も、サブロワ君が限界ギリギリまで頑張っている事を知っているし、奥さんのメルも、旦那が帰らない日々に不満を覚えつつも応援していた。
「ワド、ラガーが呼んでいるのですわ」
僕は、ラガーから会いたいと望まれる事が増え、毎日に近い頻度でルクル宅へと通っている。
みるみるうちに痩せ細ってくラガーを直視するのは辛い。けど、どうにか笑顔を向けた。
「ラガー、今日は体調がいいの?何か絵本を読む?」
「……要らない。ワドが一緒に居てくれたらそれでいい」
ケミラは変わらず遊んで欲しいとせがんでいて、それに対しラガーは力なく微笑むだけだ。
ラガーが嫌がっていないので止めるべきかどうか悩む。
僕は何か力に成りたいと考え、「望みはある?」と尋ねた。
「……僕、ドラゴン学院に入学するのが夢だよ」
「じゃあ、しなきゃ!大丈夫!再来年にできるから!学習机を次の誕生節のお祝いに贈るね!」
そうした日々の中で、僕は自分の事が嫌いになる。
苛立ちから頑張っているサブロワ君へ心無い言葉を浴びせてしまった。
「なんで早く作れないの!早く作ってよ!」
「ごめんなさい。これでも全力でやっています。あと少しなんです」
「あと少しってどのくらい!?何時間何分何秒!?」
沈痛な表情で謝り続けるサブロワ君。
言葉を繰り返すほどに、サブロワ君と僕自身を傷つけた。
でも、それすら可愛いものだったと知る。
「この数日は山場ニャ。なるべく一緒に居てあげるといいニャ」
博士からそう告げられてからは、連日ルクル宅に泊まり込みで看病した。
ラガーの望みを聞き、それに全力で応えながら必死に四大神へと祈る。
……そして訪れた真の凶報。
その日は大勢がルクル宅に集まり、皆でラガーを囲みながらクシマ博士の信じられない言葉を聞いた。
「……人馬節25日15時14分。ご臨終ニャ……幼いのによく頑張ったニャ。ゆっくり休んで欲しいニャ」
(嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ!博士は嘘を言っている!)
僕はクシマ博士に詰め寄り、力なく項垂れる博士を強く揺さぶった。
「博士!なんでそんないい加減な嘘を言うの!?早くお薬を処方してよ!」
「ワド。それ以上、クシマっちを責めるな。クシマッち、最後まで手を尽くしてくれてありがとう」
「なんでルクルはそんなに冷静なのさ!?だって、だって!こんなのおかしいよ!」
僕は僕の言葉が許せない。でも、どうしても納得できなくて勝手に口から出てしまうんだ。
誰も悪くない。だけど、誰かのせいにしないと心が保てない。こんな気持ちになるなんて思わなかった。
隣にはまるで眠っているかのようなラガー。
昨夜、「……お絵描きセット……」とラガーが発したので彼の胸元には絵具一式があり、それを大事そうに抱えたままラガーは動かない。
僕がラガーの胸元に置き、抱きかかえるように彼の手を動かしてあげた時の笑顔が頭から離れないし、あの言葉がラガーの最期の言葉だなんて、とても受け入れられなかった。
心が苦しくて、僕はクシマ博士やルクルへと暴言を何度も叩きつけてしまう。
「ワールドン様。お願いします。わたくしはワールドン様を嫌いになりたくありませんわ。ですから、今だけは黙って下さいませ」
「エリーゼ……」
誰にも屈せず、何事も曲げる事のないエリーゼが、涙を流している。
そのエリーゼが、僕の言葉を否定した。
僕よりもルクルやエリーゼの方が悲しんでいるはずだ。僕はただ黙る事しか出来なかった。
(どうしてこうなったの?)
僕の心の中の問いに、答える人は居ない。
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……あれから丸一年が経過した。
印刷の魔術具で出した元気だった頃のラガー。その遺影へと手を合わせる。
この一年は全ての事が辛かった。
ルクルたちからは笑顔が消えて、ケミラも時間を経てラガーに会えない事を理解し始めた。
最初の頃、「お兄ちゃんに会いたい!お兄ちゃんどこ?」というケミラの言葉に何度もこの世の不条理を思い、どうにか出来なかったのかを考える日々が続いていた。
ラガーが喜ぶはずだと贈った学習机も、座る相手が不在のまま。
(学院に入れてあげるべきだった!)
未来に期待して欲しくて「7歳になったらね!」と答えた事を悔やむ。
こんな事になるのなら「年齢なんか無視して編入させるべきだった」という思いの方が今では強い。
後悔の日々の中、何もかもが遅い朗報が届く。
「ワールドン様、ついに完成しました!賢者の石です!これでどんな病気も怪我も大丈夫です!」
「遅いよ!遅いよサブロワ君!」
ダメだ。サブロワ君が悪い訳じゃないし、褒めなければと思いながらも、それが出来ない。
冷静な自分と感情的な自分。いつも勝つのは感情的な自分だ。
どうして僕はこんなにダメなんだろうと自責を抱える。
でも、褒め称えるはずのホールンが否定し始めた事で、ようやく冷静さを取り戻した。
「ワールドン様、サブロワ君。……これはダメだ。禁呪具に認定して封印しよう」
「なんでですか?ホールンさん?これはこの世の理を全て覆す夢の魔術具ですよ?」
「だからダメなんだ!」
ホールンのあまりの剣幕に僕とサブロワ君は慄く。
カルカンやヘーゼルといったマナ技術者たちにも判断を仰いだけど、皆がホールンの判断を指示した。
「ワールドン様、これはダメにゃ。世の中には侵してはならない領分があるのにゃ」
「はい。私もホールンさんとカルカン様の判断を指示します。魂以外の全てが復元できるなんて異常です」
サブロワ君の作った魔術具はあまりに凄い代物らしく、反魂はできないが、死者蘇生すら可能だと言う。
それの危険性を懇々と説明され、禁呪具に設定する流れとなった。
「……サブロワ君。ごめんね、僕の夢に付き合わせて、しかも僕が色々とキツイ事を言ったのに、こんな事になっちゃって」
「いえ、禁忌の領域まで踏み込んだと皆に言われて冷静になれました。今は、ラガーさんの病気だけに限定して完成を急げば良かったのにと思わずにはいられません」
悔しくない訳が無いだろう。流している涙の量からもそれは分かる。
だからこそ、それ以上かける言葉を僕は見つけられずにいた。
世界の全てのマナを込めたような、力の波動を持つ万能の魔術具「賢者の石」を儀式の祭壇へ納める。
その輝きは小さな世界そのもののようで、美しくも恐ろしくもあり、手を伸ばす事が禁忌だと言われるのも分かる気がした。
(理想の実現って、うまくいかないんだな……)
苦節15年。夢は実現したのに、色々とままならないままに封印する事になる。
僕以外が触れる事のないよう、厳重にそれを封じた。
ワドの嘘と迷いと後悔。
人の寿命を知って、転生の頃には生きていない事を知ったワド。
以前とは重さが違ってきています。
次回は「大切な家族」です。