閑話:大嵐と船乗り達
前回のあらすじ
新大陸へ一足先へ向かったワールドンを、エリーゼは船で追いかけます。
その船旅で仕事をしていた船乗りのバタック視点のお話です。
ep.「世間知らずドラゴンの奮闘の旅」の頃のバタック視点です。
今回の航海は、実入りがいいと俺は喜んで参加した。
「よう、バタック。お前も特別報酬に釣られたクチか?」
「まあな、でもそれは皆も同じだろ?」
「だな」
いつもの手取りの3倍の金額が提示されている。
これに飛びつかないやつはいないだろう。
俺も今年できる予定の嫁に、少しは良い暮らしをさせてやりたい。
俺達は急な準備を終えて、出航に漕ぎ着けた。
季節は春に入り少しずつ暖かくなってきている。
潮風の香りとまだ少し肌寒い風が心地よい。だけど着替えたばかりの春用の服は、仄かにタンスの肥やしの香りがした。
(もう少し、ちゃんと洗えば良かったな……)
そんな事を考えながら、甲板の清掃をしていた。
こびり付いた汚れを、ゴシゴシとデッキブラシで力強く擦っていく。
「なぁ、バタック。今回の仕事が終わったらよう、臨時収入でぱあっと飲みに行かないか?」
そう声をかけられた俺は、一旦作業の手を止めて、肩をすくめながら軽く返した。
「ちょっとデカイ出費の予定あるから暫くは無理だ」
「デカイ出費?」
「なんだなんだ?バタックどうかしたのか?」
数人から問われ、俺は少しうつむき加減で照れながら報告する。
「実は俺さ、今回の仕事が終わったら結婚するんだ」
「マジかよ!バタックおめでとう!」
「こりゃめでたい話だ!酒は祝いに奢ってやんよ!」
そんなやり取りをしながら始まった今回の仕事。
航海の始まりこそ順調だったが、なんというか変な客だ。
80人は乗れる客船を、たった4人で貸し切っている。
貴族にしちゃ従者が少な過ぎるし、デカイ商会にしちゃ採算度外視すぎて、どうにも違和感が強い。
だが、俺達は客の詮索などせずに働いていればいい訳なんだが……詮索するのがタブーとは言え、今回のはどうしても気になっている。
なぜなら今回乗せた客は毎日狂ったように祈っているからだ。
「ワールドン様!一日でも早くお傍にまいりますわ!あぁ神様!どうか一日でも早く!」
早朝から深夜まで毎日これが続いていた。
正気を疑うレベルで、一心不乱に祈り続けている。
身体に触ると親切心で声をかけにいったヤツは、鉄拳制裁を受けていた。
可哀想に数日間は生死の境を彷徨っていたな。
本人曰く「女神の使い」と自称しているが、あんな正気ではない狂った女の主張を信じる乗組員は、一人もいない。
「ったくよ、毎日毎晩あれじゃ、こっちが先にマイっちまうよ……」
「確かにな……ふぅ……」
俺は同意して、疲れから少しため息を吐いた。皆も参っている。
既に日付が変わる時間なのに、狂った祈りは大音量で続いていた。
よくも声が枯れないもんだなと感心するよ。
「俺、ノイローゼになりそうだ」
「俺もさ、あの女の声を聞くだけで気分悪くなるぜ」
「明日ってか、もう今日か……また日の出の前から始まるんだろうな」
皆が口々に愚痴っているのを、俺は黙って聞いていた。その客は深夜遅くまで祈り、日の出の前から祈り始める。
祈りが聞こえない時間は、せいぜい2~3時間だ。
それがもう二週間だ。本当に狂ってやがる。
俺達は限界が近かった。今日もまだ続くのかと、皆がうんざりしていた。
だが、今日は何かが違う。
他のヤツらも違和感を感じ取っているのか、口数が減っていく。
その時、雷鳴が轟き、船が大きく揺れた。
俺達はただ事ではない揺れに驚き、船外の状況を確認するべく甲板へと殺到する。空を覆うような大蛇を思わせる白き巨大ドラゴンが、間近まで迫っていた。
(……俺は、今日ここで死ぬのか?)
婚約者の笑顔を思い浮かべながら、俺は大粒の涙を流す。やっと掴めそうだった幸せな日々が、手の中からすり抜けていく感覚を感じていた。
しかし、誰も予想すらできなかった事が起こる。
「ワールドン様!一日でも早くお傍にまいりますわ!あぁ神様!どうか一日でも早く!」
『人よ。ワールドンは金だな?盟友の白だ。近くに行きたいのか?』
「はい!白様!わたくしワールドン様のお傍に一日でも早く行きたいのですわ!」
『そうか……では手助けをしてやろう』
空を覆い尽くすほどの白いドラゴンは、それだけのやり取りで巨大な雷雲を作り出した。暴風が一気に吹き荒れだし、船が無理矢理に進行方向へ押し出される。ミシミシと船体から軋む音が聞こえているが、それ以上の暴風で音がかき消されていた。
「神と交信した!?女神の使いとは本当だったのか!?」
俺は思わずそう叫んでしまった。だが明らかに白いドラゴンの意思で暴風が起こり、船が進行方向へと押しやられている。それだけは間違いが無かった。
そして皆も堰を切ったかのように、俺と同じようなことを口にし始める。
(生きて帰れるかも知れない!)
そう思った瞬間、船長の怒声が飛ぶ。
「何やってやがるテメエら!こんだけの嵐だ!転覆しねぇように全員死力を尽くせ!さっさと持ち場につきやがれ!」
俺達は慌てて持ち場についた。しかしながら、船が転覆するような気配はない。まるで大いなる意思を持ったかのような嵐に導かれ、危なげなく航行速度だけが上昇するという奇跡が起こっている。
「これが……神の御業なのか……」
暴風の一瞬の切れ目に、誰かの呟きを俺の耳が拾う。
白き大蛇のようなドラゴンは、船乗り達に語り継がれる御伽噺で出てくる神様だ。あのドラゴンを見て、俺も直感でそう思った。これは神だと。
皆もこの信じられない奇跡の現象に、同じ事を考えているだろうな。
そう思いを巡らせながら、俺たちの夜は続いた。
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夜が明ける。
目的の港町まで、あと半日のところでピタッと嵐がやんだ。
雷雲が意思を持っているかのように霧散する。
雨上がりの虹がいつもより美しく思えた。周囲が明るくなるにつれ、海が日差しを受け黄金に輝き出す。
そして、港町と虹を背に、客の女は俺達に告げる。
「海の魔獣にも会わず、嵐でも安全に航行できたのは全てワールドン様の御蔭ですわ!貴方達もワールドン様の御慈悲と御寵愛に感謝しなさい!」
その言葉で、自然に感謝の念が引き出された。
この船に、女神様を信じていないやつはもう一人もいない。
俺達は心の底から、ワールドン様に感謝を捧げた。
(生きて婚約者の元へ帰れる事に感謝を!)
その日から航海でワールドン様に祈りを捧げる事が、俺たち船乗りにとっての日常の光景となった。
バタック、巨大なフラグをおっ立ててからの見事な生還ですw
次回から新章「約束の帰路」になります。
次回は「猫魔族の国」です。
※色でのキャラ呼称の補足
本作の最高位ドラゴンの7柱は色で呼ばれています。
金、銀、白、黒、赤、緑、青、となります。
特にドラゴン達は敬称も付けずに色で呼び合っているので、唐突に色だけの呼称で出てくる事もあります。
分かりづらくて申し訳ないです。