第6話 森のお友達
(第3者視点)
『なにかいる』
歩みを止めたことで向こう側の気配が変わるのを二人はお互いの気配で理解しあう。
同時に”向こう側”から感じる気配にはさらに危険度が増しているが、あくまで警戒の色が強くすぐさま襲われるという感じではなさそうだ。
ガゼルは正直なところ逃げ出したい気持ちが大きくなるのを何とか抑え、目の前に意識を集中させている。エリスはというと、危険という感覚はあってもまだ余裕のある態度でガゼルと同じ方向を見つめている。
「ねぇ、この森はいつもこんな感じなの?」
正面を向いたままエリスが小声で尋ねる
「バカ言え! 俺たちのアジトに近いところで魔獣なんて見たことも聞いたこともないぜ」
「このまま進むのはヤベェ、ちょっと戻って別の道で森を抜けるしかなさそうだ」
ガゼルはすぐにでもこの場から離れたいらしく、すでにジリジリと後ずさりを始めている。
「えぇー、そんなことしたら時間が掛かっちゃうじゃない」
「お嬢、悪いが命あっての物種だ。この気配はおそらく”魔獣”だ。」
「いったんアジトにも連絡を入れなきゃならん」
ガゼルはアジトから半日ほどの距離に”魔獣”出たことを仲間に知らせる必要があると判断して、ここは何とか無事にやり過ごすことを最優先の行動と決めたようだ。
だがエリスにとってはせっかく手がかりが得られて出発したのに、わざわざ戻るという選択肢はない。
確かに危険な気配はするが、それだけではない違和感を感じており、ただこの場から逃げるだけよりも確かめたいという気持ちのほうが強い。
「ちょっと、あたし見てくるね」
エリスは言うが早いかガゼルを追い越して前に進む。
「ちょっ! 待て!」後ろでガゼルが言うが構わずに進む。
一歩進むたびに向こう側からの警戒の気配はどんどん強くなるが、やはり襲ってくるような感覚ではない。
気配を感じた場所から半分ほど距離を詰めたところで、向こう側との視界を遮っていた大木を通り過ぎたことでお互いが視認できる状況になった。
魔獣:通常の動物と異なる最大のポイントは相魔を使うことにある。
概して通常の動物よりも大きい体躯に、高い知性があり、体内に相魔石を宿してい
ることで独自の相魔を操ることが出来る。基本的には単独で行動する。
強力な個体は地域によっては土地神とも神獣ともあがめられ、その縄張りにさえ入
らなければ大きな危険はない。
だが人を襲う類もまた居て、国が軍隊をもって討伐にあたることもある。
また、体内の相魔石は概して非常に質が高く、魔獣ハンター討伐での一攫千金を狙う輩も居るほどである。
エリスが見た先には、確かに魔獣と呼んで良い大きな狼型の獣が居た。今は座ってはいるが立てば4足歩行の体勢でもエリスと同じくらいの位置に顔があるほどの巨躯をもち、その両足の先に見える大きな爪は人の頭などたやすくもぎ落すことが出来そうだ。
エリスの違和感の正体はその魔獣の後ろにあった。それは目の前の魔獣をそのまま犬と同じくらいに小さくしたようなもう一匹の魔獣だった。
「魔獣の親子?」
エリスは自分で言ったものの、魔獣が通常の動物と同様にに子供を生み育てるなど聞いたことが無い。だが実際に目にした光景はそう表現するしかないように思える。
小さい魔獣のほうへ意識を向けたのが魔獣にも伝わったのか、これまでで最大の警戒した気配を放ってくる。
また魔獣の方をよく見れば手負いであることが分かった。月下の淡い光であっても足元の地面は魔獣の血が染みつき広範囲で黒ずんでいることが分かるほどであり、かなりの重症であるが懸命に侵入者に対して小さい魔獣を守っているようにエリスには見えた。
魔獣は高い知性を持つ。エリスは魔獣と目が合い、こちらから手を出さなければ相手もまた同様だろうと確信したと同時に、傷の原因に心当たりがついた。
「その傷、黒相魔にやられているのね、だから傷が癒えなくてそんな状態に・・・」
エリスは魔獣の気配の中に黒相魔の残滓を感じ取り、本来自己治癒ができるはずの魔獣がこれほどまで弱っていることに得心がいく。
「グルゥゥ」
エリスの洞察を感じ取ったのか魔獣は唸り声で返すが、警戒の色は段々と弱くなっているように感じる。
「おい、お嬢! 頼むから戻ってきてくれ。さすがのあんたでも魔獣を相手にしちゃいけねぇ」
後ろからガゼルのか細い声で呼びかけられるが、エリスはまったく逆の返事をする。
「ちょっと、魔獣の治療をしたいから封魔石を貸してくれない」
「!? な!」
「この魔獣、黒相魔にやられているみたいなの。ちょっと調べたいからあんたの持っている封魔石を貸して」
有無を言わせないエリスの態度と、黒相魔という単語の組み合わせで一瞬悩んだガゼルだがすぐに判断して懐から封魔石を取り出す。
「大丈夫なんだろうな?」誰がとはあえて言わないがエリスが感じ取った違和感をガゼルもようやく気付いたのか、ただ逃げるだけではない対処方法があるのならそれに越したことはない。
「多分大丈夫よ、とりあえず封魔石を持ってきて」
エリスの方へガゼルはゆっくりと進み、同じく魔獣を視認できるところまで来て二匹いることに驚き立ちすくむ。
エリスは「早く封魔石を貸して」と言いながらガゼルの手から封魔石を奪うように取る。
「これから魔獣に”話しかける”からそこでじっとしてて」
ガゼルの返事を待たずエリスは魔獣に向けて思念を飛ばす。
『あなた、その子を守っているのね』
『大丈夫、あたしたちはあなたを襲った奴らとは違う。あなたのその怪我、あたしなら治してあげられるかもしれない』
魔獣の目が一瞬大きく見開き元に戻ると今度は魔獣の方から思念が返ってくる。
『確かにかの者たちとお前とは魂の色が違う。・・・美しい色だ。』
『だが・・・我はもう無理だ』
『我が滅びた後の相魔石はそなたにやろう、その代わり、この子は見逃してくれぬか』
『あきらめるのが早いのよ!あたしが治してあげるって言ってんだからとりあえずその警戒を解きなさい!』
『!? まぁ良い。どのみち長くは無い、好きにするが良い』
「あー、もう! あたしはすぐにあきらめる奴が大っ嫌いなのよ!」
エリスは思念ではなく、言葉に出してずんずんと魔獣に近づく
黙り込んだ後に突然叫んでは動き出すエリスの行動にガゼルは何が起こっているかわからずエリスをただ目で追うだけの状態である。
「やっぱり、黒相魔のかなり凶悪なやつね。まだ相魔の影響が残っているからまずは、それを消して・・・」
エリスは封魔石を魔獣の傷の付近に押し付け”封魔”と唱えると魔獣の体を覆っていた黒い残滓が薄くなっていく。
傷口は腹が大きく抉られており、傷口からはまだ血が流れ続けているが、勢いは少し弱まってきたように見える。
「次はこっちね、”紫近の大気”」
エリスが言葉を放つと紫色の淡い靄が広がり、チカチカと光を放つその靄に包まれた部分から流れる血はみるみる少なくなっていく。
「おまけに もう一丁! “紫微の輝き”」
『おぉ、なんということだ!』
魔獣が大きく目を見開き自らの体の変化に驚く。
それは先ほどの靄とは違い強い紫の光がエリスの手から放たれ、ただ傷が癒えるだけではなく、抉られ失われた体が再生していく。と同時に体力はごっそり持っていかれるが、少し前まで滅びを覚悟していた魔獣から完全にその気配が消え、弱弱しいながらも本来の存在感の強さを感じられるようになっていた。
「ふぅ、これでとりあえずは大丈夫かな」
「あなたくらいなら、ここからは自分で何とかできるでしょ」
思念ではないものの魔獣はエリスの言いたいことが分かるのか、大きく頷き返す。
『最大の礼を言わねばならぬ。しかし、人の身ながらこれほどの力、魂の色といい、お前はまさか・・・』
『あたしのことはいいから、恩を感じているなら態度で返してよね』
エリスは会話を断ち切り魔獣を見つめる
エリスと魔獣が見つめあう中、先ほどまでの警戒が嘘のように晴れた状況に理解が追い付いていないガゼルが後ろから口をはさむ。
「おい、エリス嬢。一体どうなったのか説明してくれねぇか。正直まったく分けわかんねぇよ」心の底からの思いを絞り出すガゼルに対しエリスは少し考え、勢いよくガゼルに振返る。
「うーん、あなたにも分かるように簡単に言うと・・・
大きな森のお友達ができたってところかしら」
良いこと言った!と満足げなエリスとは裏腹に、ガゼルの理解は全く進んでいないのであった。