演じる悪女
「僕のことが、わからない……?」
旦那様は、瞳を潤ませた私を見ると、ごくりと喉を鳴らした。
その何より綺麗な濃紺の瞳に、計算の光が宿るのを見逃さなかった。
旦那様ったら、これで私と離縁できると思っているわね。甘いわよ。
「はい。それに……私は誰なんでしょうか?」
「!?!?!?!? まさか、自分のこともわからないのか?」
私はしおらしく頷き、それから、たよれるのはあなただけなんです、と言いたげな目をして、旦那様を見つめた。
「……はい。あなたは、私のことを知っているんですよね。教えてくださいますか?」
「っ……!」
旦那様は私の顔を見ると、小さく、アイ……と呟いた。
そう、このいかにも庇護欲をそそるこの顔は、旦那様の浮気相手こと、平民のアイがよくする仕草だった。
旦那様が、こういう仕草に弱い。そこまで、こちらは調査済みなのよ。でも、あえて今までしなかったのは、【私】を好きになってほしかったから。
でも、これは復讐だ。あなたに向ける最後の贈物。まあ、この贈物は、絶望をラッピングしてるだけかもしれないけれど。
旦那様は困ったように眉を下げて
「君は、イザベラ。イザベラ・マドリュー」
あら、ちゃんと家名も教えてくれるのね。そう、私はマドリュー侯爵夫人だ。
まあ、白い結婚だったから、本当の意味で、侯爵夫人にはなれなかったんだけど。
「イザベラ・マドリュー……」
自分の名を反芻する。この名前がいつまで続くのかわからないけれど。私の口になじむその名前を言う機会は、きっともうそう多くない。
「そうだよ、イザベラ。そして、僕は、ラルフ・マドリュー。君の……夫だ」
夫。そう、旦那様――このラルフ・マドリューは私の夫なのだ。
平民に熱を上げた結果、妻を毒殺しようとする愚かな男でもある。
「あなたは……ラルフ様。そして私の夫……」
噛み締めるように、その事実を口にする。
まぁ、あと数か月でこの事実はなくなるんでしょうけど。
「……ああ」
旦那様は頷くと、私を見つめた。
「君は、侯爵夫人なんだ。貴族の階級はわかるかい?」
「……はい。この世界の常識のようなものはわかるのですが、私自身のことも、あなたのことも。そういったことは何一つわからないのです」
どうしましょう、と不安げに肩を揺らし、俯いて、シーツを握る。
「イザベラ……」
そっと、旦那様が私の手に自分の手を重ねようとしたところで、ぱっと顔を上げる。
「ですが、あなたは私の夫……なんですよね?」
「あ、ああ」
旦那様の行き場を失くした手が宙に浮く。
それを視界の端に収めながら、にっこりと微笑んだ。
「だったら、安心です。あなたのような素敵な方が、私の旦那様だなんて」
それに、と私は胸の前で手を握った。
「私たちは夫婦、ということは愛し合っていたのでしょう?」
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