表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同級生が虫を虐殺していたので私は世界が嫌いになった

作者: 相浦アキラ

 小学生の頃、私はどうしても納得がいかないことがありました。

 それは命の価値に明らかに差異があるという事です。

 同級生は平然と遊び目的で虫を殺して楽しんでいるのに、誰も大して問題にしません。

 強者が無為に弱者を虐げて笑っているのに、誰も彼もが無関心なのです。

 どうしてでしょうか? どうして遊び目的でこんな簡単に命を奪う事が出来るのでしょうか?

 私は密かに心を痛めてはいましたが、気が弱かったので止める勇気はありませんでした。 

 手足を引きちぎられてもがく虫を何も出来ずに見下ろしながら、その凄惨な光景に、私はこの世界の縮図を見出していました。

 命は大切だとか何とかテレビのコメンテーターがもっともらしい言葉を吐いているのに、現実には虫の命はゴミのように扱われています。何故でしょうか?

 答えは簡単で、虫は姿が人間とかけ離れていて、気持ち悪くて、頭が悪くて、基本的に役に立たないからです。

 そういう命には価値がないので、虐殺しても大した問題にならないのです。

 だから、絶対的価値であるかのように叫ばれる人権とか平等とか博愛だとかも、結局は全体の利益の為の功利主義に基づいているだけで、虐殺行為それ自体は問題にならないという事です。

 そう考えると、この世界がどこまでも醜く見えてきました。小学生にして私は、正義も愛も自由も平等も何もかも、全く信じられなくなってしまいました。この世界が嫌いで堪らなくなりました。

 元々が世紀末の世界なら「そういうもんだ」と受け入れられたかもしれませんが、人間が虫を虐げて楽しんでいる一方で、巷では何故か嘘八百の綺麗ごとが真実のようにまかり通るという欺瞞は二重に醜くてどうしても我慢がならなかったのです。


 加えて年を重ねるごとに幼児的万能感が失われていくと、私の心はいよいよねじ曲がって行きました。「私はすごい人間で、もっと評価されるべきなんだ」という自我が打ち砕かれ、失敗を重ねるごとに「私は、もしかしたらものすごくダメな人間なのでは?」という疑惑が湧き上がってきました。中学に上がる頃の私が恐ろしく暗い人間になっていたのも自然の流れでしょう。この世界に何の価値も見出せなくなった私はろくに勉強もせず、学校では本ばかり読んで家ではゲームばかりしていました。


 ゲームは私にとって大きな救いとなりました。ゲーム世界で敵を倒しても、実際には誰も傷ついていません。だからゲームの世界の中だけは正義や平等も可能なように思えました。努力してレベルを上げてキャラクターを強くしたり、プレイヤースキルを上げるのも楽しいものです。現実では努力しても報われるとは限りませんが、ゲームでは努力すれば報われるように上手く出来ています。私にとってゲームの世界は現実の世界より何もかも優れた素晴らしい完璧な世界でした。美しい理想の世界を私はゲームの世界に見出していたのです。ゲームと比べたらこの世界はどうしようもなく醜く、何もかもが苦痛でしかありませんでした。高校の頃も、短大の頃も、ニートしてた頃も、鬱々とゲームに逃げる日々を送って来ました。


 しかし、今の私は大分平穏です。大人になったこともあってか色々な事を割り切って考えられるようになりました。「この世界はどうしようもなく下らない」「世界を消滅させなければ真の平等は達成されない」という諦観や劣等感はどうしても拭えませんが、鬱々と懊悩する事は殆どありません。「正義は建前だ」なんて自明の事でクヨクヨしても仕方ないと思う様になりました。今は虫が無為に虐殺されても心動かなくなりましたし、害虫を見つけたら自分から積極的に殺す事すらあります。虫に対して同情する事も殆どなくなりました。同情は見方を変えれば虫に対する侮辱とも言えます。他者の痛みが分からない事が他者を他者たらしめているのに、同情によって他者を包括する行為は自己の拡大と他者の否定を伴っているという事です。相手が同情を望んでいるならともかく、そうでない場合の同情には悪い側面も大きいと考えるようになりました。

 架空の理想世界にもあまり興味が無くなり、ゲームもそんなにやらなくなりました。中高生の頃は親にゲームを禁止されたらそれこそ発狂するくらいの絶望でしたが、最近はやらなくても何ともありません。

 相変わらず器用には生きられませんがそれでも少しはマシになったかなと思います。「価値は理想ではなく、認識そのものや細部にこそ宿る」という風に考え方も変わって来ましたので、この世界の事も今はそんなに嫌いではありません。


 一方で、ふと昔の自分が懐かしくなることがあります。私が理想の虚構性をどうしても許せなかったのは、心のどこかで理想を信じて、その成就を願っていたからです。その為にたった一人で世界に立ち向かい、苦しみ悩み、殺される虫の為に心を痛ませていたのです。あの頃の私は青臭いながらも純粋で、汚い大人になってしまった私から見るとどこか眩しく見えたりするのです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 虫は苦手ですが、進んで命を奪う気にはなれなかったので、共感しました。個人的には、被害者がいる事件を冗談めかしてたまに言ってくる人も苦手です。その人には想像し得ない、その先にある被害者の世界を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ