ある転生者の遺書
親愛なるアイナへ。
君がこの手紙を読んでいる時、俺は既に消えているだろう。
と言っても、アイナが心配する事は無い。
これからも「カイト・エレハルデ」は君の夫として、生まれて来る子の父親として、変わらず君の傍に寄り添い続けるだろう。
だが、そこに俺の姿は無い。
俺は「カイト・エレハルデ」であって「カイト・エレハルデ」では無いんだ。
きっとこんな事を言われても訳が分からないと思うから、順を追って説明させて貰おう。
アイナも知っての通り、俺は転生者だ。
俺は他の転生者と同じようにずば抜けた魔力を生まれ持ち、周囲からチヤホヤされて幸せな人生を送って来た。
でもこの世界に生を受けてから、俺にはずっと違和感があったんだ。
ボタンを一つ掛け違えたような、言いようのない違和感だった。
その違和感の正体がつかめないままに、どうしようもないままに、俺はずっと生きて来た。
俺が魔術学園を主席で卒業した時も、二人でSランクダンジョンの最下層に辿り着いた時も、王都を襲ったクロムドラゴンの群れを討伐した時も、水晶花の森で君に告白した時も……小さなモヤモヤはずっと俺の胸の中で燻ぶっていた。
俺はそんな違和感からずっと目を背けて来た。
でも……
君が俺の子を宿したと聞いた時、俺は違和感の正体に気付き始めた。
そして君のお腹が膨らんで行く度に、あやふやだった違和感の靄に段々と輪郭が切り立ってきた。そして、分かってしまった。
違和感は、前世の俺の存在にこそあった。
信じられないかもしれないけど、俺は前の世界では酷いクズだった。自他共に認めるクズだった。
努力もせずに怠けてばかりいて、親のスネを齧って悪びれもせず、誰彼構わず見下してばかりいた。いつもウジウジと暗い事ばかり考えて、何もしてこなかった。そういうクズだった。
アイナが前世の俺の事を知ったら、きっ軽蔑するだろう。
間違っても好きになる事は無いと思う。かつての俺は……「マトバ・シュウ」はそういう男だった。
だが……前の世界での俺もやっぱり俺なんだ。俺がずっと抱えて来た違和感の正体はそこにあった。やっとわかったんだ。
俺は「カイト・エレハルデ」であると同時に「マトバ・シュウ」でもある。それは間違いなく事実なんだ。
なあアイナ。アイナのお腹の中の子供の父親は、一体誰なんだろうな。「カイト・エレハルデ」は父親かも知れない。だが、「マトバ・シュウ」は父親ではないだろう。きっと生まれてくる子供は顔も性格も何もかも、「マトバ・シュウ」には似ても似つかない。「マトバ・シュウ」は、アイナの夫でもないし、生まれて来る子の父親でもないんだ。
そのことを思い知って、俺は身を焦がされるようだった。
最も大切な友人を端金で裏切って奈落に突き落としたのに、都合よく忘れていたのを今更思い出したような……そんな最悪の気分だった。
前世の俺はクズだった。本当にクズだったさ。
でも、誇れる所もあった。
「マトバ・シュウ」は決して嘘を付かなかった。いつだって死と絶望に向き合っていた。
物事の表面だけでなく、本質を見ようとしていた。
そういう真っ直ぐな誠実さを持った人間でもあった。
そういう人間だったからこそ、社会の矛盾の中でもがき苦しみ、クズにしか成り得なかったのかも知れない。
いつかアイナは俺の事を「優しくて素敵な人」と言ってくれたね。
でも俺は、全然優しくもないし素敵でもない。
それなのに……「カイト・エレハルデ」は、アイナに「優しくて素敵な人」と言われた時、「ありがとう」と優しく微笑み返していた。もし「優しくて素敵な人」と言われたのが「カイト・エレハルデ」では無く「マトバ・シュウ」だったら……奴は顔に嫌らしい笑みを浮かべながら、自分が今まで使って来た最悪のズリネタをワーストランキング形式にして、その詳細をアイナにねっとりと語り掛けた事だろう。
「マトバ・シュウ」はそういうクズだった。
醜く捻じ曲がり、顔に嘲笑を貼り付けた「マトバ・シュウ」を、きっとアイナは拒絶するだろう。俺の腕に縋り付いて、大きくなったお腹を庇って、震えながら「カイト・エレハルデ」に助けを請うかも知れない。
その事が、俺にはどうしても我慢できない。
確かに「マトバ・シュウ」はクズだ。
だがそれでも俺には「マトバ・シュウ」の方が「カイト・エレハルデ」よりずっと上等に思えてしまうんだ。
「マトバ・シュウ」は決して嘘はつかなかった。俯きながらも真っすぐに生きて、だから誰からも愛されず、愛さなかった。
一方で「カイト・エレハルデ」は目先の欲望に流されて平然と嘘をつき、蹴落として来た人々に見向きもせず、くだらない成功に浮かれて来た。
今の俺を見たら、「マトバ・シュウ」は哂うだろう。
その事が、俺にはどうしても我慢ならない。
……なあアイナ。そもそも俺とは……「カイト・エレハルデ」とは、「マトバ・シュウ」とは、「俺」とは一体何者なんだ? 今これを書いている男は本当に俺なのか? そもそも俺は存在するのか? 俺とは一体何なんだ?
……分からない。何もかもが分からない。考えれば考える程分からなくなってくる。「マトバ・シュウ」なんて存在しなくて、俺のただの妄想かも知れない。それでも俺が今この瞬間も「マトバ・シュウ」を裏切り続けているという事実だけは、どうしたって消えないんだ。
俺はこのまま行くと一生「マトバ・シュウ」を呪いながら、「マトバ・シュウ」に呪われながら生きていく事になるだろう。やがて沢山の子供達孫達に囲まれて、暖かなベッドで安らかな眠りに付くだろう。
そして、俺は奈落の底で永久に「マトバ・シュウ」に敗北し続け、哂われ続ける事になる。
それだけは、どうしても我慢が出来ない。俺には耐えられないんだ。
本当だったら逃げてしまいたい。
自殺も考えた。
でも、アイナのお腹にはもう命が宿っている。
お腹の子に罪はない。
父親である「カイト・エレハルデ」が逃げるなんて許されない。
俺は悩んだ。
寝る間も惜しんで文献を漁り、何とかする方法を探し続けた。
そして先月、禁書庫の奥底で初代大賢者様の手記を見つけたんだ。
どうやら大賢者様も転生者で、俺と同じような苦悩を抱えていたらしい。
手記には「転生前の記憶を消す事が出来る薬」の製造方法が載っていた。
材料を調達するのは手間だったが、作るのは簡単だった。
今、俺の手にはその薬がある。
この薬を飲めば、「マトバ・シュウ」の記憶と共に「俺」は消えてなくなるだろう。
そして「カイト・エレハルデ」だけが君の夫として、生まれて来る子の父親として、この世界に残るだろう。
俺がずっと抱えて来た心のわだかまりは「ただの気のせい」として忘れ去られ、「カイト・エレハルデ」は「アイナ・エレハルデ」と共に清々しい人生を送って行くだろう。
それでいいんだ。
……何で俺は、こんな手紙を書いてしまったんだろうか。
誰にも気づかれずひっそりと消えていく事が耐えられなかったのかもしれない。この手紙は遺書のつもりなのかもしれない。
君に余計な心労を掛けてしまったとしたら申し訳ない。
どうか俺の事は忘れて、「カイト・エレハルデ」と幸せな人生を送ってくれ。
最後になるが、この手紙を読んだらすぐに燃やして欲しい。
決して「カイト・エレハルデ」に読ませる事はしないでくれ。
さようなら。アイナ。愛してるよ。




