お猫様は、うっかり吐く【ΦωΦ】
ΦωΦ
「どうだ、いいだろ?」
自分の後方にいくつもの神力の渦を展開しながら、ウォルフはニヤニヤと笑う。
「それにしても、魔王ともあろう者がどうしてこんな人族の娘に執心してんだか。もっといい女なんてそれこそ選り取りみどりだろうに」
「うるさい、黙れ」
怒気のこもったジャルの声を聞いてもウォルフは涼しい顔をしている。奴の手がご主人さまの顔をいやらしく撫でたのを見て、アタシとジャルの頭に同時に血が上った。アタシは毛を逆立てて威嚇して、ジャルは全身に魔力を漲らせる。
アタシたちのこんな反応もウォルフにとっては面白い見世物だったのだろう。奴はゲラゲラと下品に笑うと、ご主人さまの頭に顔を寄せた。
何をするつもりなのかしら?
まるで毛繕いをしているみたいだわ、とアタシは思った。だけどどうしてウォルフはご主人様に毛繕いなんかしているのかしら。
アタシが疑問に思っている横で、何かがブチリとちぎれたような音が聞こえた。その音の発生元はおそらくジャル以外にいないだろう。アタシは顔を上げて彼を見た。
そこには先ほどよりも強い怒りを滲ませるジャルが立っていた。
ギリギリと強く握り締めている拳には血管が浮き出て、全身に漲る魔力はまるで炎のように揺らめいている。食いしばっている口元からは牙がのぞいてて、その牙はジャル自身の口を傷付けていた。
「ククッ、髪にキスしたくらいでそんなに怒るなんて、マジでウケる」
「やはり貴様は害悪だ。今日この場で寿命を全うするがいい」
「やーだよ。オレ、まだまだ長生きするつもりだから。それよりも、オレの手の中にこの娘がいるってこと、忘れてもらったら困るなぁ。あんまりカッカするとオレより先にこの娘が死んじゃうよ?」
ウォルフの口から『ご主人さまが死ぬ』という言葉が聞こえてきて、アタシは目の前が一瞬真っ赤に染まった。ご主人様が死ぬなんて、そんなことさせないわ。アタシは大好きなご主人様と、もっとずっと一緒にいたいんだから。
「ニャヴウゥウウ」
喉の奥から自分のものじゃないような声が出る。いつもより低いその声が、自分の耳に嫌なほどにハッキリと残った。
お腹の奥がぐるぐるする。さっき食べたウォルフの神力と、ジャルがアタシに掛けてくれた防御壁の魔力が一塊になってかき混ぜられているような感覚がする。それが気持ち悪くて、時々毛玉を吐いている時みたいにうえうえとえずいてしまった。
今は吐いている場合じゃないのに。ご飯も食べすぎたりしていないし、毛玉だって出てこないじゃない。
アタシもジャルも怒りが爆発しているのに、辺りはやけに静かだからかアタシがえずいている音だけがやけに耳に残る。あのやかましいウォルフが黙っているのは、ジャルが怒っているところをニヤニヤと眺めているからだろうか。
お腹の奥から喉元へ何かが迫り上がってくる。そうなると吐く直前のカコカコという音に変わっていく。
この音が聞こえたら、ご主人様はたとえ真夜中のどんな時間だろうと目を覚まして、ちょっと慌てたように声を上げてアタシのそばに来てくれるのだ。そして吐いてしまったものを掃除してから、しょぼくれているアタシを撫で撫でしてくれるの。
そんないつもの流れを思い出していたからか、アタシが心の奥底で望んでいるであろう幻聴が聞こえてきた。
「……っ! ちょ、マロン! お布団の上では吐いちゃだめ!」
そうそう、ご主人様はいつもこんな感じでアタシのところにすぐさま飛んでくるんだけど、我慢できなくてけろけろ吐いちゃうのよね。
今回も結局吐いてしまった。アタシの口から出てきたのは、まるで卵みたいなまあるい何かだった。きらきらとした赤と金の光を放っている。
何かしら、これ。
自分が吐き出したものだけどわけが分からなくて、アタシは一瞬呆けてしまった。
間抜けにもそんなふうに気が緩んでしまったからか、また幻聴が聞こえてきた。
「……って、え? ここはどこ? ジャル様? マロン?」
これは本当に幻聴なの?
ぱっと顔を上げると、そこにはしっかりと目を開けたご主人さまがいた。アタシとジャルとを交互に見ては「え?」と困惑したように声を漏らしている。
アタシは感極まって大声を上げた。
「ニャアア!」
「アイラさん!」
「ジャル様、マロン!」
ジャルも同時にご主人さまに声を掛けると、ご主人はどことなく嬉しそうにアタシたちの名前を呼んだ。
このやり取りを見ていたウォルフは、それはそれは大げさに肩を落とす。
「完全無視とか、さすがのオレもちょっとショック」
「うえっ!?」
目を覚ましたばかりのご主人さまに対して気を遣うなんてことを、あのウォルフがするわけがない。奴はぎゅうう、とご主人さまを力の限り抱き締めた。そのせいでご主人さまが「ぐえ」って首を絞められた鳥みたいな声を出している。ジャルはというと、ご主人さまを苦しめるウォルフの暴挙に憤慨していた。
「ウォルフ! アイラさんを離せ!」
「いーやだって。この小娘を取り返したかったらオレを倒すんだな」
本当にいけ好かない。ご主人さまを拘束しているその腕に全力で噛み付いてやりたい。あとはめちゃくちゃに引っ掻いてやらないとアタシの気が収まらないわ。
アタシは毛を逆立てながら前傾姿勢を取る。すると、さっき吐いた球体が目に入った。
それは先ほどよりも輝きが増している。いえ、増しているなんて生易しいものじゃないわ。目を開けていられないくらいの光りを放っている!
「マロン!?」
ご主人さまの焦ったような声が聞こえる。
その声が聞こえたのと同時に、アタシの体は謎の球体から放たれた赤と金の光に包まれた。




