魔王様の専属シェフは、学びたいことを伝える
「よっし、嬢ちゃんとそこのちっこい獣……マロンだったか? あんたらのことは分かった」
紹介らしい紹介はされていないような気もするけれど、ダニーさんはあれで満足したらしい。うんうんと大げさに頷いて、おっとそうだった、と口を開いた。
「俺の自己紹介がまだだったな。俺の名はダニー=ライアーノ。ここテーラの管理者兼、海上防衛司令官だ」
ダニーさんの肩書きを聞いて、私は驚いて小さく声を上げてしまった。もちろん人を見た目で判断してはいけないとは分かっているけれど、彼の外見からは想像も付かなかったから。
服装は上からバンダナ、白のタンクトップ、ズボン。これはもうどちらかと言うと漁師のような出で立ちだ。魔族の特徴である浅黒い肌が、単純に日に焼けているように見えてしまうのも仕方が無いだろう。
あと、髪も適当に切っているようにしか見えないし、更には無精髭だ。一歩間違えば漁師どころか海賊と間違えてしまうかもしれない。
そんな失礼なことを考えていたのが表情に出ていたのかもしれない。ダニーさんは私を見て肩を震わせたかと思うと、豪快な笑い声を上げた。
「はっはっは! 嬢ちゃんのその反応も仕方ねえさ。何せ、俺はこんなんだからな」
「そうですね。あなたが騎士の服を着ているところなんて、それこそ両手の指で数えるほどしか見たことがありませんし」
「最後に着たのは……確か三十年前くらいだったかね? 確か、神王国との交易三百周年だか四百周年だかの記念式典で」
「ダニー、記憶を改竄しないで下さい。その時の式典、私が出席するからってサボったじゃないですか」
ジャル様の声が若干低い。もしかしなくても、当時のことを思い出して少し怒ってるよね? これはさすがに私にも分かるよ。
そんな不穏な気配に気が付いたのか、私の膝で寝ていたマロンがすっくと立ち上がる。そしてわざわざジャル様の膝の上に移動して丸くなった。その瞬間、ジャル様の静かな怒りが霧散したのが分かった。彼の右手がマロンを優しく撫でているのが証拠と言えるだろう。
「……ええっと、あん時は悪かったな」
ダニーさんもジャル様の怒りを正しく感じ取っていたらしい。彼は気まずそうに謝罪の言葉を述べた。
「もう過ぎたことです。その件に関してはしっかり処罰を与えましたし、これ以上話を蒸し返すべきではないでしょう」
マロンのあごを撫でながらそう言ったジャル様は、この場の空気を変えるように少しばかり柔らかい口調でそれよりも、と話題を変更する。
「ダニー、テーラの名物を出す料理屋でどこかおすすめの所はありませんか?」
「あん? 料理屋? お前、専属の料理人がいるのにわざわざ料理屋を探してんのか?」
「それに関してはアイラさんの方から説明をしていただいた方がいいでしょうね。アイラさん、お願いできますか?」
「は、はい!」
突然話を振られてうっかり声がひっくり返る。少し驚いてしまったけれど、確かに「料理のレパートリーを増やしたいから」なんて説明は、私の口からするべきだろう。
私は一度だけ深呼吸して、ダニーさんに説明を始めた。
私はジャル様の専属シェフだけれど、元々ただの田舎娘であったこと。その田舎……テスは森の恵みは豊富だったけれど、海のものが手に入ることはまず無かったこと。
「魚なら川にも生息しているものですが、テス付近の川には魚が少なかったんです。たぶん魔獣を恐れて逃げたか、それか餌になっていたんでしょうね」
そういった理由もあり、川魚はとても珍しいものだった。つまりは珍味ということでもあり、川魚は獲れたら領主様に献上するのがテスでは普通だったのだ。
「そのため、私は魚を満足に食べたことがないんです」
前世では嫌というくらいに食べていたけれど。でも、今世で満足に食べていないことは本当だ。
だからこの世界にどんな魚があるのか、私はそれが知りたい。ちなみに以前魚のフライを作ったけれど、あれは私の知らない魚だった。一応前世の魚と似たような形をしていたから、捌くのには苦労しなかったけれど。
あと、魚だけじゃなくてエビやカニなどの甲殻類も食べられているのかどうか知りたい。他にも貝類はどんなものがあるのか。
こう考えてみると、知りたいことは山のようにあるなぁ。
「ジャル様の専属シェフとして恥ずかしくないくらいに料理のレパートリーを増やしたいんです」
あとあわよくばお刺身が食べたいとか、お刺身が食べたいとか、お刺身が食べたいとか思ってない。
……心の中でとはいえ、三回も言ってしまった。
そんなちょっとした邪念を抱いていたけれど、ジャル様とダニーさんにはバレなかったようだ。ジャル様はなぜか嬉しそうに笑っていて、ダニーさんはふむふむと感心したように頷いている。
「なるほどなぁ。嬢ちゃんは随分と研究熱心なんだな!」
ダニーさんはふうむと右手で顎髭を撫でながら何やらしばらく思案する。
「分かった。それじゃあ、俺の行きつけの店に連れてってやるよ。もちろん、代金はジャル持ちでいいな?」
「無論そのつもりですよ」
ジャル様の返事を聞いたダニーさんは、どこか少年のような笑みを浮かべてガハハと声を上げる。マロンがこの声に耳をぴくぴくさせて、のそりと起き上がって床に降りた。更にぐぐっ、と伸びをして、くわ、とあくびを一つ。
ダニーさんは初めて見るであろうマロンの仕草をまじまじと眺めていたけれど、すぐにジャル様へと視線を移した。
「んじゃ、ついでに高い酒でも頼むかな」
「あなたの個人的な注文に関してはあなた持ちですよ」
「おいおい、そりゃねえぜ」
そんな冗談を言い合いながら、ダニーさん、ジャル様の順で立ち上がった。あまりにも自然だったから私は少し反応が遅れてしまう。しかしそんな私の目の前に、またも自然に大きな手が差し出された。
それはジャル様の手だった。これにはちょっぴり戸惑ってしまったけれど、ジャル様の手を取らないことの方が失礼にあたるというものだろう。
私は貴族でもなんでもないから、上流階級の礼儀作法なんて分からない。今度マナーについても教えてもらった方がいいかなぁ、なんて考えながら、ジャル様の大きな手のひらに自分の手をそっと重ね、なるべく丁寧に立ち上がった。
うう、私は確かにジャル様の専属シェフだけど、貴族でもなんでもないんだからこういうエスコート的なことをされると無駄に緊張してしまう。
「アイラさん、行きましょうか」
ジャル様の笑顔がやたらと眩しい。なんだろう、ジャル様ったら、やけに上機嫌に見える。
どうしたのかな、なんて首を傾げる私の耳に、ダニーさんの驚いたような声が届いた。
「うわ、マジか」
いったい何がマジなんだろう?




