田舎娘は、落ち着きたくて猫を吸いたい
サディさんの性別判明事件のせいで、先ほどまで感じていた緊張感はいつの間にかなくなっていた。
「ニャー」
マロンも私たちの空気が変わったことに気が付いたのか、顔を上げて可愛らしく鳴く。この声が耳に届いたジャル様が、そうでした、と控えめに手を叩いた。
「マロンちゃんにも協力してもらっているのです。早いところ本来の目的を果たしましょう」
気分を変えるためだろう、ジャル様は控えめにパン、と手を叩き、検査台の上でお行儀良く座っているマロンの頭を撫でる。すると、マロンの喉からゴロゴロゴロ、という音が聞こえてきた。
この音にびっくりしたのはリオン様だ。彼は肩を跳ねさせてギョッと目を見開くと、近くに立っていたジャル様の服の裾を小さな手で掴む。うん、やはり可愛らしい。
「ふふ。リオン、びっくりしましたか?」
「そ、そんなことはないぞ!」
リオン様は強がっているということが丸分かりな態度だけれど、そんなことを指摘するような私ではない。それよりもサディさんが余計なことを口走りそうだ。
「へへ、やっぱり坊ちゃんは……」
「サディ。それ以上何かを言ったら減給しますよ」
「ぐっ」
ジャル様が冷たく言い放った『減給』という単語を聞いて、サディさんの口がキュッとすぼむ。それこそ、前世でいうところの梅干しを食べた時みたいに。
少しだけ面白い表情になっているサディさんを無視して、ジャル様はリオン様を抱き上げた。
「さて、これで大丈夫ですか?」
「……ジャルおじさん、これはさすがにちょっと恥ずかしいかな」
ぷくぷくのほっぺたを赤く染めてリオン様は俯く。これに対し、ジャル様はおや、と口を開いた。
「それは気が利かずにすみません」
「別に、いいけど」
リオン様は視線を下げたまま呟く。耳まで赤くしている彼を見て、ジャル様は穏やかに微笑んでからそっと下ろしてあげた。そんな彼に続いて、先ほどから何かとやらかし続けているサディさんがくふくふと笑いながら、リオン様のために魔法で踏み台を出していた。
反省した様子が見られないサディさんをキッと睨み付けてから、リオン様は踏み台に乗る。そうしてようやく、リオン様はマロンと正面から対峙した。
「うーむ、見たところはやはり神獣でも魔獣でもないな。先に聞いていた通り、人族の治める領内に生息している動物が一番近いか」
マロンをしげしげと眺めながら、リオン様は真面目な口調で見解を述べる。これに対し、ジャル様がやはり、と声を上げた。
「リオンもそう思いますか」
「ああ。だが、そんなコイツにオルカリムの反応があったんだろう?」
「ええ。ですが何かの間違いではいけませんので、改めてリオンの方で確認してはもらえませんか?」
ジャル様からの要請を受けたリオン様は一つ頷くと、小さな手のひらをマロンの顔の前にかざす。すると彼の手のひらから、ささやかな金色の光が放たれた。
次の瞬間、驚くことにマロンの体が光り、辺りにぱちぱちと金色の粒子が飛び散る。その粒子はリオン様が放つ金色の光と連動するように、ほわほわと瞬いていた。
「うん、この反応、オルカリムで間違いない。それもかなり強力だ。おじいさまの神力を色濃く感じる。まるでおじいさまが直接授けたかのような……」
その言葉を聞いて、私は思いっきり肩を跳ねさせた。
なんとなく、だけれど。
もしかしたら私は、ウォルフ様という先々代の神王様のことを、知っているかもしれない。
私の背中につう、と冷や汗が伝う。なんだか嫌な予感がしてきた。
「おや、アイラさん? どうしました?」
私が挙動不審になったことにいち早く気が付いたジャル様が声を掛けてくる。普段ならこの心遣いに感謝するけれど、今はちょっと遠慮しておきたかった。
「あれ、アイラ? 顔色悪いよ?」
「どうした、娘」
サディさん、リオン様と続けて私の方を見る。どうしよう、どんどん居心地が悪くなってきた。
私が何も反応しないことに疑問を覚えたのだろう。リオン様は踏み台から下りると、私の元にテトテトと歩いてくる。そして下から私の顔を覗き込むと、スッと手を伸ばしてきた。
ぱち、と金色の光が弾ける。マロンの体から溢れた光にも似ているけれど、私のはなんというか……良く言えばささやか、悪く言えばショボいものだった。
「……ずいぶんとしょっぱいが、この娘にもオルカリムの残滓があるな。獣の方とは違い、気まぐれに触れた、程度のものだが」
リオン様がなんとも微妙な表情を浮かべながら言う。この言葉にジャル様とサディさんは驚いたように目を見開くも、リオン様が突然頭を抱えたのを見て「ああ……」と気の抜けた声を漏らしたを
「うう、間違いない、この二人のオルカリムはおじいさまが直接授けたものだ。でもそれなら、いったいいつ授けたんだ? 最近はおじいさまの力の発露を感じ取っていないのに」
うーうー唸るリオン様の背中を、ジャル様が優しく擦っている。よくよく見ればリオン様は涙目だ。しかも顔色も若干青い。
「リオン、君が気に病むことはありません。悪いのはウォルフです」
「そうそう! 悪いのはぜーんぶ『クラゲ』を作ったアイツだからさ!」
神王国の一番偉い人を、魔王国の一番偉い人と結構偉い人が慰める。端から見たらわけの分からない光景だろう。
ジャル様は未だに鼻をぐすぐすさせているリオン様を一頻り慰めてから、よいしょと抱き上げてぽんぽんと背中を優しく叩いた。
「まったく、今の君の姿はとてもではありませんが臣下に見せられたものではないですよ」
ほんのちょっぴり厳しい物言いだけど、言葉とは裏腹に声色はとても優しい。これはたぶん怒っていないな。その証拠に、ジャル様の表情がとても穏やかだ。
目の前に広がるこのほのぼのとした光景を言い表す言葉が脳裏を過る。思わず口をついて出そうになったけれど、私は必死に我慢した。
「キミたちさぁ、そうしてると本当に親子みたいだよね」
……まったくもう、サディさんは!
この人には『思ったことを言わずに我慢する』という概念が欠落しているのではないのだろうか。きっとそうだ。今日だって失言でジャル様に睨まれてたもの。
またサディさんは怒られてしまうのではなかろうかと危惧しつつ、ちらりとジャル様の様子を窺う。彼は『親子』という発言に苦笑いをするだけに留めているようだった。
「親子、ですか」
「うん。前から思ってたけど」
「それはさすがに先代神王に失礼ですよ」
「ジャルはそう言うけどね、前の神王が先々代のやらかしの後処理に追われてる時、坊ちゃんの面倒を見てたのボクたちじゃないか。特にキミへの懐きっぷりは本当の息子みたいだったよ」
「サ、サディ! 今更そんな昔のことを掘り起こすな! その時はぼくだってまだほんの二百歳くらいだったんだぞ!」
「二百歳は魔族ならもう立派な大人なんだけど」
「神族と魔族を同列に語ってはいけませんよ、サディ」
ぽんぽんと交わされる言葉に、私のちっぽけな脳の処理が追い付かない。
ジャル様とリオン様が親子みたいだというサディさんの言葉には私も同感だけど、その後に語られた内容はただの一般平民でしかない私には衝撃的なものだった。
ジャル様だけじゃなくてサディさんまでリオン様と親しい様子だったのは、昔、リオン様の面倒を見ていたからなのか。
それにしても、魔族の寿命が長いから神族も同じだとは思っていたけれど……まさか、こんなに幼い見た目をしているリオン様が、推定二百歳以上だとは思っていなかった。サディさんだって、二百歳は魔族なら立派な大人だと言っているし。
私が混乱して目を回していると、いつの間にか検査台から下りていたマロンがすりすりと体を足に擦り付けてきた。それが少しくすぐったくて視線を落とすと、マロンと目がばっちり合った。
「ニャァ?」
どうしたの? とでも言いたげな鳴き声を上げたマロンは、こてんと首を傾げてピコピコと耳を動かしている。私はその仕草のあまりの可愛さに負け、彼女を抱き上げた。
「お願い、吸わせて」
そして私の腕の中に収まったマロンのお腹に顔を埋め、何度も深呼吸を繰り返した。




