第二部 VS氷取沢女学院 エピローグ 本間 涼子
エピローグ 本間 涼子
鶴川高校と氷取沢女学院の試合から一日が経ち――
本間 涼子は出社してからずっと、自分のデスクの上に乗せた両腕で顔を覆い隠していた。
さらに全身から滲み出ている真っ黒な負のオーラが同僚達を自然と遠ざけ、机が並ぶ島の中で
一人ぽつんと孤立してしまっている。
(や……やってしまった……やってしまったぁ……)
もう何度その言葉を胸中で繰り返しただろうか。
放送を終えて試合の熱が下がった涼子は改めて自分がしでかしたことを思い出し、すぐさま
優子に謝るため中継車へと連絡を取った。
しかし、すでに優子の姿はそこには無く、さらに社屋へと大返しを試みたがここでも会うことは
叶わず空振りと終わってしまった。
そして電話をかけても繋がらず万策尽き……眠れぬ夜を過ごすこととなり、現在に至る。
(三田村さん……絶対に怒ってるよね……。むしろあれで怒らないはずがないものね……)
「本間」
(きっと今頃、人脈を駆使して私を処分しようとしてるんだわ……。
終わった……私のアナウンサー人生……)
「おい。本間」
(転職先……どうしようかな……。最悪、実家の花屋を継げばいいかぁ……)
「本間涼子‼」
「は、はいいいぃぃぃぃッッ‼」
そこでやっと涼子は大声で自分の名前を呼ばれていたことに気づき、反射的に裏返った声で
返事をすると直利不動でその場に立ち上がった。
そして声がした方向へと顔を向け――文字通り、凍りついた。
「み……みみ……みみみ三田村さんんん⁉」
「みが六つ多い。というか、なんだそのやつれた顔は?昨日寝不足だったくせに
また寝てないのか?」
突然目の前に探し人が現れ激しく動揺する涼子。同時に体は自然と地に伏せ、これ以上ない
綺麗な土下座を組み立てていた。
「き、昨日は本当に申し訳ありませんでしたぁぁ!網走でも沖永良部島でもどこにだって
行きますから、クビだけは許して下さいぃぃぃぃッッ‼」
「何を謝っているのかは知らんが、とりあえず網走と沖永良部島にうちの支局は無いぞ」
「じゃあ海外ですか⁉シベリアですか⁉シベリア送りなんですね⁉」
「とりあえず落ち着け。別にお前をどうこうするつもりは私にはない」
「へ……?」
そこで涼子は地面にこすり続けていた額をゆっくりと上げた。
すると優子は空いていた隣の席の椅子に腰を下ろし、涼子にも椅子に座り直すように促す。
「で。何をそんなに怯えているんだ、お前は」
「だ、だって……私……。昨日はあんな態度をとってしまいましたし……」
「ああ、あれか。なかなか良い啖呵の切りっぷりだったな。
おかげで私は局のイメージを落とした責任で三ケ月ほど減給になったが、まぁ想定内の処罰だ」
「げ、減給……。すみません!すみませんすみません!私なんかのせいでほんとにすみません‼
今度お寿司でも焼肉でもフレンチでも好きなお店で奢りますから許して下さいぃぃぃぃぃ‼」
「? だからお前は何を謝ってるんだ?
そうなるように仕向けたのは私だ。お前は私の描いた絵図通りに上手く踊ってくれた。
そこに何も問題はあるまい?」
「………へ………?」
「なんだ。もしかして中継車の連中から何も聞いていないのか?」
不思議そうな顔で優子に問われ、涼子はそれ以上に不思議そうにさせた顔でこくりと頷く。
昨日は中継車にいたスタッフに優子の所在を尋ね、社屋に向かったと聞くなりすぐさま後を
追った。それ以外のことなど聞いている余裕などなかった。
そこでやっと優子は目の前にいる彼女の様子がおかしかったことに合点がいったようで、
「あっはっはっ!」と腹の底から楽し気な笑い声をあげると椅子ごと涼子へと近寄り、
その背中をバシバシと叩いた。
「そうかそうか。私の逆鱗に触れて死刑宣告を言い渡されに来たと思っていたのか、お前は」
「ち、違うんですか⁉」
「だから言っただろう。お前は上手く踊ってくれたと。
あの時、私がああ言えばお前ならきっとああ返してくるだろうと思っていたからわざと
煽ったんだよ」
「ええええ⁉なんでそんなことをする必要があったんですかぁ⁉」
「お前がこれからも実況者としてやっていくに相応しい器か見極めるためだ」
突然、優子の声色が真面目なトーンに戻る。
「私が必要としているのは『そいつにしか出来ない実況』だ。『誰にでも出来るお利巧さんの
実況』は必要ない」
「じ、じゃあ……もしあの時、私が三田村さんの言う通りにしてたら……」
「私は今ここにいなかっただろうな」
きっぱりと言い切った優子の前で、涼子は頭がくらくらするとはこういうことなのだろうと
その身で体感していた。
(え?私、昨日が初めての野球実況だったんですけど?ド素人同然の私にどれだけ高いハードル
飛ぶの求めてるんですかこの人は?)
冷静になって考えなくても有り得ない無茶ぶりに加え、一昨日からの寝不足も加わって、
堪えきれない怒りがふつふつと湧き上がってくるのが自分でも分かった。
目元が自然と垂れてきた前髪で隠れ、ぶつぶつと呪詛にも聞こえる文句を腹の底から発して
いると、
「まぁ、それは建前で本当の狙いは次に向けての種を蒔くためだがな」
「はぁ?」
「お前、SNSのアカウントは持っているよな?」
「……はい。会社用に管理されているものならありますけど?」
「それにログインしてみろ」
「??」
涼子は言われるまま怪訝そうな顔でスマホを取り出し、アプリを起動する。
そして表示された自身のアカウントが表示された画面を見て、驚きで目が丸くなった。
「な、なにこれ……⁉フォロワーが凄い増えてる⁉」
前に見た時はギリギリ三桁を越える程度しかいなかったフォロワーが、いつの間にか百倍以上に
まで膨れ上がっていれば驚くなというほうが無理な話であろう。
さらに今現在、SNS内で最も注目されているキーワードを示すトレンド欄には『本間涼子』と
表示されており、驚きの天丼が涼子をさらなる混乱の渦へと呑み込んでいった。
そんな涼子の様子に、優子は意地の悪い笑みを浮かべながら、
「良かったなぁ本間。お前はネットの世界では『正義のヒーロー』らしいぞ」
「せ、正義のヒーロー⁉なんで私が⁉」
「そりゃ上司からの理不尽な命令に屈せず、自分の正義を貫き通したからだろ。
私もSNSの裏垢や匿名掲示板を使って昨日の動画を拡散させた甲斐があったというものだ」
(始末書を提出してすぐさま帰宅したと聞いてたけど、まさかそんなことをするために
早く帰ったのこの人は⁉)
自分なんかを『正義のヒーロー』などに仕立て上げて一体何が目的なのか――と涼子が考え
始めたところで、優子が口にした先程の言葉を思い出した。
「あ、あの!さっき、次に向けて……って言いましたよね?もしかして準決勝の放送が
決まったんですか⁉」
「まだ昨日の正確な視聴率は出ていないが、まぁ大台に乗ったのは間違いない。
加えてお前という話題性を得ておきながら準決勝を放送しなかったら上層部は無能の極みだな」
「そ、そうなんですか……」
「――で、お前はどうする?」
「えっ……?」
言葉の意味が分からず、涼子は視線から外していた優子の顔を見返す。
「昨日の実況でお前は結果を出した。だからここへ来る前に報道部と人事部に寄って、
お前との約束を取り付けてきた」
「――! そ、それ……本当ですか⁉」
「ああ。向こうは辞令が正式に下り次第、すぐにでも来てほしいとさ」
「そ、そんな急にですか⁉」
「お前は一躍時の人になりかけてるからな。報道部も鉄は熱いうちに打ちたいんだろうよ」
「私が……報道部に……?本当に……?夢じゃなくて……っていたたたた!痛い!痛いです!
なんでほっぺをつねるんですか三田村さん⁉」
「ん?夢ではないと証明するにはこれが一番だろ?」
(もっと他にも方法はあったと思うけど……)
まだ痛む頬をさすり、むっとした顔になりながらも、すぐに緩んでいくのが自分でも分かった。
「で、もう一度聞くぞ。お前はどうする?」
「どうするって、それはもちろん……」
そこまで言いかけて、涼子の言葉が止まった。
昨日の実況者として仕事をこなした記憶が不意に脳裏に浮かび上がり、最後まで続けるはず
だった言葉を飲み込ませた。
「……あの、三田村さん……。私が報道部に異動したら、次の試合の実況は誰に……」
「お前の代役はもう確保してある。心配する必要はない」
「そう……ですか……」
優子の答えに一抹の寂しさを感じた涼子であったが、それは自分の意思を尊重してくれるのだと
いう意味でもあると分かった。
ならば迷う必要など、どこにも無かった。
次の中継は後任に任せ、自分は夢にまでみた報道アナウンサーとしての道を歩き出せばいい。
その為に昨日まであんなにも頑張ったのではないか。
――なのに。
昨日の実況席に座っている自分が後ろ髪を引いてくる。
アナウンサーになってから色々な番組で仕事をしてきたが、正直あれほどまでに充実感を得た
仕事は初めてであった。
自分の言葉一つで試合を見ている人の印象ががらりと変わってしまうので、常に緊張感に
包まれていた。
右往左往しながらも、文代という良きパートナーに恵まれたおかげで、自分達の手でなんとか
一つの作品を作り上げることが出来た達成感もあった。
何より、鶴川高校と氷取沢女学院が教えてくれた野球の熱さ。厳しさ。そして――楽しさ。
それに勝る仕事が報道アナウンサーにはあるの?と昨日の自分が問いかけてくる。
そして……涼子はその問いに即答できなかった。
もう一度、野球の実況をしてみたい。
その想いが心の底に僅かでも残っていた時点で、答えは決まっていた。
「三田村さん」
涼子は目の前にいる優子の瞳を真っ直ぐに見据えると、迷いを振り切った声で言葉を紡ぐ。
「お願いします。次の試合も私に実況させて下さい。
そしてもしまた鶴川が勝ったら、決勝の実況もやらせて下さい」
そう言って、涼子は立ち上がると頭を下げて懇願した。
「いいのか?もしかすると報道部への異動が流れるかもしれないぞ」
「……その時はその時です。また一から別の道を探せばいいだけですから」
でも――と涼子は言葉を続ける。
「高校女子野球の実況は今しか出来ません。私はあの仕事なら……自分がアナウンサーとして
続けていくために必要なものがなんなのかを掴める気がするんです」
「そうか」
優子は椅子に腰をおろしたまま、目の前で頭を垂れる優子を見つめる。
「後悔はしないな?」
「三田村さんなら、私を後悔させるような半端なことはしないと信じることにしましたから」
「あっはっはっ!言うようになったじゃないか!」
優子は一瞬だけ面を食らった顔をしたが、すぐさま涼子の答えが百点満点だと言わんばかりに
高笑いをすると、立ち上がってその背中をバシバシと叩く。
「人の心に取り入るのは実況者としてもアナウンサーとしても基本スキルだからな。
その調子で視聴者の心にも取り入って、バンバン視聴率を稼いでくれよ」
「い、いえ……今のはおべっかとかじゃなくて本心で言ったんですけど……」
「そうかそうか。まぁ、そういうことにしておいてやろう」
まったく聞く耳を持たず、むせ返るまで背中を叩き続けてくる優子を横目で見ながら涼子は
思った。
やっぱり私はこの人が苦手だ。と。
【続く】




