第二部 VS氷取沢女学院 第十一章 勝者の重み
第十一章 勝者の重み
「ゲーム!3対2で鶴川高校!」
『ありがとうございました‼』
試合後の整列と挨拶を終え、それぞれのベンチへと戻っていくチームの表情は当たり前だが
対照的であった。
笑顔が絶えず、意気揚々と引きあげていく鶴川高校 女子野球部。
一方の氷取沢女学院 女子野球部は、主将として最後まで務めを果たそうとしている菫以外は
全員が顔をうつむかせ、咽び泣いていた。
そんな二つのチームの様子を、涼子も実況室から複雑な想いで見比べていた。
『大矢さん……野球って三時間くらいで勝敗が決まるじゃないですか。
でも、そのたった三時間でこんなにも明暗が分かれてしまうものなんですね……』
『……高校野球は負けたらそこで終わりの一発勝負ですからね。だからこそ、どのチームも
悔いが残らないように死力を尽くすのだと思います』
『はい。私も今日、彼女達にそう教えられました。鶴川高校と氷取沢女学院……死力を尽くして
競い合った結果、だからこそこんなにも胸を熱くしてくれる試合が生まれたのだと。
私……きっとこの試合のことを生涯忘れないと思います』
『ふふっ。それは両チームにとって最高の誉め言葉でしょうね』
『本当に……本当に素晴らしい試合でした!私も実況席からではありますが、両チーム全ての
選手に拍手を送りたいと思います!』
両校の選手達と同じように監督である沙希と梨花もそれぞれのベンチの前に立ち、
サンバイバーを脱いだ頭を互いに下げて挨拶を交わしていた。
次の瞬間には勝利を持ち帰ってきた教え子達と喜びを分かち合う沙希の姿を、梨花は目に
焼き付けてからサンバイザーを深く被り直した。
(……出直しだな。あたしも――あいつらも)
またも沙希の前に辛酸をなめる結果となった梨花であったが、不思議と心はそこまで荒れて
いなかった。
もちろん負けた悔しさはある。けれどそれ以上に、最後の瞬間まで勝利を諦めなかった
教え子達を誇らしく思う気持ちのほうが強かった。
その教え子達はまだベンチに戻って来ない。
重い足取りで。
中には一人で歩くのも困難になるほど泣きじゃくり、肩を支えられながら戻って来る者もいた。
試合に負ける悔しさは梨花も身をもって知っていた。
尊敬する先輩と一緒に全国へ行けなかった――無念の大きさも。
だからこそ彼女は大きく息を吸い込み――
「顔を上げろォ‼」
グラウンドに響き渡る声でそう言った。
驚きもあって、うつむいていた選手達の顔が少しずつ上がっていく。
梨花は未だに涙が止められないでいる教え子達の顔を一人一人順に見ていくと、
「悔しくて泣くのは構わねぇ!けどな!お前達は誰が見ても恥ずかしくない試合をしただろうが‼
だったら堂々と胸を張って帰って来い‼」
「監督……」
昨年、決勝戦で敗れた際に梨花は選手達に何も声をかけなかった。
だがそれは、横須賀学園のエースである比良坂 叡の投球の前に手も足も出ず、試合の半ばで
諦めた者達がいたせいでもあった。
負けて当然の試合だった。だから梨花は口を閉ざし、彼女達を否定した。
しかし今回は違う。
誰一人として最後まで諦めず、戦い抜いた。
負けはしたが、自分達のやった野球は何も間違ってはいなかったのだと梨花は伝えたかった。
「そうね……。監督の言う通りだわ」
椿に肩を貸したまま、菫もチームメイトの顔を順に見ていくと最後にこう言葉を続けた。
「私達は氷取沢女学院 女子野球部。最後まで誇りを持って終わりましょう!」
『は……はいッ……!』
一人……また一人と背筋を伸ばし、涙を拭って返事を返してきた後輩達に、菫はいつもの
優しさに溢れた微笑みを浮かべて応えた。
「椿も……いいわね?」
言葉による返事はなかった。ただ一度だけ小さく頷いてみせると、借りていた菫の肩を離れ、
ふらふらとよろけながらもなんとか一人で立つ。
そしておぼつかない足取りで一歩――また一歩と。
しかし確実に、前へと歩き出した。
親鳥の手から放れた雛鳥は巣立ち、これからは自分だけの空を探しに旅立っていく。
それが菫には寂しくもあり、けれどそれ以上に頼もしくもあり……。
言葉では到底表せない複雑な心境で椿の背中をしばらく見守り続けると、やがて自身も再び
歩き始めた。
「あ……。そうか……そうだったのかぁ」
「ふみ?先生、どうかしましたか?」
ベンチの片づけを手伝っていた沙希の手が急に止まったので、その横にいた奈月は不思議そうに
小首を傾げて声をかけた。
「いやね、向こうの監督ってどこかで会った気がするなぁ~ってずっと思ってたのよ。
でね、今思い出したわ。多分あの人、十年前の決勝で投げてた氷取沢のエースだわ」
一人納得した顔を何度も頷かせる沙希。そんな彼女を見て、「え……」と顔を驚かせた教え子達
の手も止まる。
「……まさか本当に今まで気づいていませんでしたの?」
「そ、そうだぜ先生!テレビでも当時投げ合ったエースが今度は監督として対決!って
やってたじゃないっスか⁉」
「ん~……。あんま相手のイメージを固めすぎたくなかったから、テレビとかの情報は
できるだけ見ないようにしてたのよねぇ」
そう言うと沙希はあっけらかんと笑った。そして――
「うん……。あの投手が育てたチームだもの。そりゃ手強いわけだわ」
当時のことを思い出したのか、細めた目にはどこか懐かしさが浮かび上がっていた。
闘志を剥き出しにした梨花のピッチングには自分だけでなく、当時の鶴川女子野球部も手を
焼いたものだ。
そして、その闘志は間違いなく選手達に受け継がれていた。
(主力の大半はまだ二年生だし、来年はさらに強くなるでしょうね)
それは沙希にとっても、鶴川女子野球部にとっても不利益でしかない。けれど沙希は嬉しそうに
笑う。
「ふみ?先生、なんだか楽しそうです」
「ん……そう?それより、次のチームが待ってるから早く片づけてベンチを出るわよ」
『はい』
流石に氷取沢女学院がさらに強くなって帰ってくるのが楽しみだなどは言えず、沙希は話を
逸らすとすでに片づけを終えて誰もいなくなった三塁ベンチに視線を向け、
(まっ、それでもまたうちが勝たせてもらうけどね)
今度は教え子達に気づかれないように、好敵手との再戦に胸を躍らせながら小さく笑って
みせた。
「氷取沢が負けたか……」
「くくく……。奴は神奈川ベスト4の中でも最弱。とんだ面汚しよ」
「ん~……。どう考えても最弱はうちじゃないかなぁ~」
一塁側 内野応援席。
その最上段にある立ち見席から試合が終わったグラウンドを眺める影が三つ。
全員が灰色に黒の縦線が入ったユニフォームを身に纏い、胸には『陣馬』の文字が横に書かれて
いた。
「……ってか、鶴川って普通に強くないか?」
「くくく……。ぶっちゃけ先発したあのピッチャーやばい。あんなの打てるイメージが
全く沸かない」
「ん~……。氷取沢の打線ですら抑え込まれてたし、凡人の私達じゃ無理じゃないかなぁ~」
『…………………』
「いやいやいや!そこは打てるって言えよ⁉やる前から諦めるなよ⁉」
「くくく……。敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
「それ使い方間違ってないか⁉」
「ん~……。正確には彼を知り己を知ればじゃないかなぁ~。
あっ、でもこの場合は彼女を知り、のほうがいいんじゃないかなぁ~」
「そこは今どうでもいいだろ⁉」
「あ~~!こんなところにいたぁ‼」
と、そこへ同じユニフォームを着た眼鏡の少女が息を切らせながら駆け寄ってきた。
言葉からして三人組を探し回っていたのだろう。彼女達のもとに辿りついた頃には、
全身にびっしょりと汗をかいていた。
「おいおい、これから試合だってのにそんな汗だくになるまで走って大丈夫か?」
「くくく……。ウォーミングアップにしてはやりすぎ」
「ん~……。多分これは、あなた達のせいでしょうが!って言われるパターンじゃ
ないかなぁ~」
「あなた達のせいでしょうが!……はっ⁉」
おっとりとした少女の言った通りの言葉を発してしまった眼鏡の少女が驚きで目を見開く。
それを見てツリ目の少女はププッと笑いを吹き出し、三白眼の少女は相変わらず「くくく……」
と陰湿な笑いを漏らした。
「と、とにかく!もうベンチ入りが始まってるんだからね!
早く戻らないと、監督にまたねちねち嫌みを言われるわよ!」
「うおっ!そ、それだけは嫌だ!」
「くくく……。あれこそは最強の精神系デバフ。相手のテンションは死ぬ」
「ん~……。今から最速で戻ってもお小言は避けられないんじゃないかなぁ~」
最後までやかましい三人組が走っていくのを見届けながら、眼鏡の少女はスマホで他にも
捜索に当たっていたチームメイトに確保の連絡を入れる。
そして深いため息をついて眼鏡の位置を直すと、自身も駆け足で来た道を戻り始めた。
【続く】




